実行委員会
ソアラ家で開催された舞踏会から数日が経ち、一日の授業を全て終えたアンリは放課後、ザックは二人で学園内の廊下を歩いていた。
「何の用事だろうね」
「さぁ、見当もつかない」
「呼び出しを受けるような悪い事なんてしていないよね」
「もちろんだ」
アンリとザックはともに、とある部屋の扉の前で立ち止まる。重厚な扉の上に付けられたプレートには『生徒会』と書かれている。
そう、アンリとザックはなぜか生徒会に呼ばれていた。しかもお互いに用件のようなモノは聞かされていないし、アンリとザックという組み合わせで呼ばれた事についても心当たりが無い。
扉をノックし、扉を開ける。生徒会と言えば硬いイメージがあるが、部屋の中は明るいし、書類の山のようなモノも無い。
「よく来てくれたね」
そう言ってアンリとザックを歓迎したのは眼鏡を掛けたブラウンの髪の男子学生だ。
あれ、どこかで…。アンリ達を歓迎した男子生徒とは初めましてという気がしない。
「アンリさん、昨日ぶりですね」
「あ!え?!カリマー先輩?!」
あまりの大袈裟な反応にカリマーは苦笑いを浮かべる。
「僕だと気がついていなかったのですか?」
「だって先輩、いつも眼鏡していないですよね?」
「あぁ、これか」
先輩が眼鏡を外すと、昨日も演劇の授業を共に受けたカリマーが現れる。
アンリの知っているカリマーは役に入り込むと印象がガラッと変わるが、普段はどこか弱々しく、それでいて柔らかい印象だ。
だが生徒会室に入ったアンリとザックを迎え入れたカリマーは、眼鏡を掛け背筋を伸ばし、普段のすっかり見慣れていた印象とあまりに違った。だからこそ、その声を聞くまで違和感を感じつつも、アンリ達を迎え入れた男子生徒がカリマーだと、すぐに一致しなかったのだ。
「あれ?先輩はここで何を?」
「アンリ様、ここは生徒会室だぞ?」
場違いな質問をするアンリに向かって諭すように告げたザックは静かに溜息をつく。生徒会室…、生徒会室…。
「先輩って生徒会だったんですか?!」
「一応、生徒会長ですよ」
「えぇ!知りませんでした。先輩ってすごい人だったんですね」
「生徒会長と言っても、大した仕事もしていないですよ」
「それでもすごいです!」
興奮したアンリと謙遜し自らを過小評価するカリマー。そんな二人の会話に、アンリの隣に立つザックが大袈裟に咳払いをする。
「あの、お取り込み中に申し訳ないのですが、一体私達に何の用件があるのでしょうか」
「そうだね、本題に移りましょうか。と言っても、お二人に報告したい事がありまして。お二人も学祭が近づいていることはご存じですね?」
「はい、それはもちろん」
「今回、お二人が実行委員のメンバーに選ばれたんです」
「実行委員…?」
突如告げられた報告にアンリは首を傾げる。確か学園の掲示板に学祭の実行委員の募集の張り紙が貼られているのを何度か目にした。だがアンリもザックも自ら志願した記憶は無い。
「なぜ私達なのでしょうか」
「学祭の運営は生徒会だけでは回らないのです。ですから有志で実行委員の募集をしているのですが、人数が集まらない場合、無作為に抽選で選ばせて貰っているんです」
「それで私達が選ばれたと…」
「はい、そういう事です。もちろん無理にと言うわけではありませんが、お二人にお願い出来ませんか?」
去年と違い、今年の学祭は揃って参加する予定だ。それに実行委員の仕事は事前準備と学祭当日の見回りだけのようで、難しい仕事は特に無いらしい。それなら断る理由も無いだろう。
アンリとザックが揃って頷くと、カリマーはホッと息をつく。
「ありがとうございます。では急にはなるんですが、これから第一回の実行委員会が始まるので一緒に来て貰えますか?」
「今からですか?」
「実は抽選で選ばれた他の方には事前にお願いをしていたのですが、アンリさんとは演劇の授業で顔を合わせていたため、すでにお話しした気になっていたんです。お話が遅くなり、申し訳ありません」
生徒会室を出ると、カリマーを先頭に実行委員会が行なわれるという教室に向かう。
教室の中にはすでに何人もの学生が集まっていて、アンリとザックが指定された席に着くとカリマーは教卓の前に立つ。そして実行委員のメンバーが全員揃った事を確認すると、カリマーの隣に立つ眼鏡をかけ、いかにも真面目そうな雰囲気の女学生がアンリたちに向けて喋り出す。
「みなさん、本日は集まっていただきありがとうございます。本日は事前準備、そして学祭当日の見回りについて決めてしまいたいと思っています。それでは、ここからの進行は会長にお任せします」
学生の視線が女学生からカリマーに集中する。カリマーは眼鏡の奥の瞳を真剣な眼差しに変えると、教室中を見渡した後、口を開く。
「生徒会長のウッドです。ここに居るみなさんの中には自ら実行委員に志願して下さった方もいれば、こちらからお願いをした方もいらっしゃいます。まずはどんな形であれ、こうして集まって下さりありがとうございます」
生徒会長として教卓に立つカリマーは普段の静かで弱々しいカリマーでは無く、どちらかというと演劇の授業で舞台に立った時のカリマーだ。そんなカリマーの進行は無駄が無くスムーズであっという間に様々なことを決定していく。
学祭の事前準備は数多くの担当が用意されている。模擬店を募集、案内するための宣伝担当、イベントの考案担当、進行担当など。アンリとザックはあまり目立つことはしたくない為、装飾担当に希望を出した。
装飾担当は主に学祭当日に校門に飾る看板を作る仕事で、他の担当に比べて活動が地味だからか、アンリとザック以外に自ら志願する学生は居なかった。そして学祭当日の見回りもこのメンバーで行なうようだ。
各担当には生徒会のメンバーが一人ずつ配置され、各担当のリーダーを担う様だが、装飾担当にはカリマーが入る事となった。
「みなさんには、これから担当チーム単位で動いて貰います。何か困ったことがあればチームに居る生徒会を頼るようにして下さい。では、全体は一度これで閉めたいと思います」
これからの時間は担当ごとに仕事を確認し実際に動いていく事となり、担当ごとに教室を移動していく。
アンリとザックはカリマーに連れられ、生徒会室の奥にある会長室に通され、カリマーの淹れてくれた紅茶を飲んでいた。
会長室の床には赤い絨毯が敷き詰められ、正面にはダークブラウンのデスクと革張りのチェア、壁一面には書類ファイルや書物の並ぶ棚が設置されている。部屋の中央には来客用のソファーが二つ、ローテーブルを挟むようにあり、アンリとザックはカリマーと向かい合うように座る。
室内には所々にカリマーの私物と思われるモノが置かれている。棚の空いているスペースにはカリマーが演じたと思われる台本が並び、カリマーの座るソファーには毛布が畳まれずに放置されている。
「先輩って飴が好きなんですか?」
会長室の至る所、デスクやローテーブルの上にはカラフルな包装紙に包まれた飴が山盛りに詰められたカゴが置かれている。
「好きって言うのはもちろんですけど、喉を壊すわけにいきませんから」
「あ、そうですよね。喉を壊していたら演劇の練習も出来ないですもんね」
「そうですね。それに僕は普段から人前に立つのが好きではないので、会長として人前に立つ時は舞台に立つ時のように別の自分を演じているんです」
「あ、それ私も思ったんです。会長として話していた時の先輩はどちらかと言うと舞台で役を演じている時の先輩だなって」
「えぇ。ただそれもカロリーを使うので、頻繁に甘いものが欲しくなるんです。良ければアンリさんも好きに召し上がってください」
「ありがとうございます。じゃあ早速一つ、貰いますね。ザックくんもいる?」
「ん?いや、私は大丈夫だ」
アンリはカゴの中からフルーツ味の飴を取り、口に含む。そんなアンリの一連の動きを静かに眺めていたザックは途端に何かを思い出したかの様にカリマーに向かい口を開く。
「もしかしてクラブに定期的に飴が支給されているのって…」
クラブの部屋のテーブルには小ぶりなカゴが置かれていて、その中にはカラフルな包装紙に包まれた、丁度アンリが口にした飴と同じモノがたくさん詰められている。それらは生徒会からの支給品らしく、月に一度、学生が補充に来る。
「そうです、僕が提案した事なんです。誰だって疲れたときには甘いものが欲しくなるでしょうし」
「やはり、そうでしたか」
「不要でしたか?」
「いえ、私達は以前会長の意図とは別の使い方で利用させて貰ったことがあったので」
「別の使い方…、ですか?一体なんでしょうか」
「ポーカーをするのにチップ代わりに使わせて貰ったんです」
「え?ポーカー?」
「はい、ポーカーです」
アンリ達は去年のお泊り会、ポーカーをする為に部屋に置いてあった大量の飴をチップ代わりに使わせて貰った。と言うのも、ミンスがトランプと一緒に持って来るはずだったチップを忘れてしまったのが事の発端だ。あの日はクイニーと一悶着あったり、忙しない一日だったが、思い返せばすっかり懐かしい思い出だ。
ザックの冷静な返しにカリマーは「ポーカー…」と小声で繰り返す。すると余程面白かったのか、声を上げて笑い出すと、お腹まで押さえ出す。カリマーが素でこんなにも笑っている姿を見るのは初めてで、まさかこんな風に声を上げて笑う人だとは思わなかった。
カリマーはしばらく笑い続けると、目の端に浮かんだ涙を拭う。
「いやぁ、まさか飴をポーカーに使う方が居るなんて想像もしませんでした」
「うちのクラブの、天然が入ってるご令嬢が言い出したんですよ」
「天然のご令嬢…。確かレジスさんの入られているクラブのご令嬢と言えばアンリさんでしたね」
「さすが会長、クラブについても一通りご存じだったんですね」
「えぇ、もちろん。でもどんな形であれ、役に立っていたのなら良かったです。クラブによっては、とても食べきれないと言ってわざわざ返却に来る所もありますから」
ザックとカリマーは初対面にも関わらず、この会話のおかげですっかり打ち解けたようだ。初めはどうなるんだろうと内心では思ったりもしたが、この調子なら学祭当日まで上手くやっていけるだろう。
「おっと、こんなに話し込んでいてはダメですね。とりあえず装飾について大まかに決めてしまいましょうか。と言ってもメインは看板作りですね。お二人は前回の学祭の様子を覚えていますか?」
アンリとザックは目を見合わせると互いに苦笑いを浮かべる。なんせ去年の学祭には参加していないし、強いて言うなら学生達が学祭に向けて準備している姿を横目で見たくらいだ。
「看板は校門に吊り下げて、言ってしまえば学祭の顔になるモノです。デザインは既に生徒会で考えてあるので、明日にでもデザインの描かれたプリントをお渡しできるように準備しておきますね」
「ありがとうございます」
「それと使用する画材は倉庫にあるモノを使用してください。看板に使う板は、そうですね…。お二人が足を運びやすい場所に手配しようかと思うのですが、どこが良いでしょうか」
「私達は基本、授業以外はクラブに居るんですけど」
「ではそちらが許すようでしたら、お部屋まで運びましょうか」
「良いんですか?」
「申し訳ないのですが、僕は他のチームの見回りに行って連携を取ったり、生徒会の別の仕事も請け負っているので、看板を作る作業はお二人にほとんどお任せしてしまう事になってしまうと思うんです。ですので、お二人の作業しやすい部屋に後ほど、運ばせて貰います」
「そういう事なら分かりました。お願いします」
一通りの話をした後、アンリとザックは会長室を出た。
カリマーは最後の最後まで「二人に任せてしまう形になって、ごめんなさい」と謝っていた。だがカリマーの仕事の一端を見た立場からすると、カリマーの力に少しでもなれるのなら、出来る事は何でもやりたい。そしてそれはザックも同じらしい。
「出来る事は私達でやってしまおう」
「うん、そうだね」
ザックは一瞬黙ったかと思えば、ワントーン低い声を出す。
「…気づいたか?」
「何が?」
「会長はきっとほとんど仕事漬けだろうな」
「え?どうして?」
「眼鏡の陰になっていて見えづらいが、目元が黒くなっていた。それに私達が会長室に入ったとき、会長は私達にソファーに座るように促しながらデスクの上にあった書類の山をさり気なく片付けていた。口では大した仕事はしていないと言っていたが、きっと嘘だろうな」
ザックは日常的に人をよく観察している。アンリやミンスの様子が少しでも違えばすぐに気がつくし、嘘や誤魔化しなんて一瞬でバレてしまう。前にアンリ達は揃って思っている事が顔に出ると言われたが、ザックの観察眼が鋭いのは事実だろう。アンリはカリマーと日常的に顔を合わせているが、ザックの言う目元の隈には気がつかなかった。
「え、全然気がつかなかった。…じゃあ先輩は会長としての仕事も忙しい中、その合間を縫って台本も覚えているって事だよね」
「おそらくな」
「じゃあ看板は私達で作り終わらせて、先輩の仕事を少しでも減らしてあげよう」
「あぁ、それにうちのクラブには暇そうにしている奴らが居るからな。丁度良いだろ」




