気づく心
今日はフレッドと二人、学園から程近い場所にある図書館にやって来ていた。二階建ての図書館はジャンルごとに事細かに分類分けされていて、オーリン家の屋敷の書庫も十分広いが、それでもこの図書館とは比べものにならない。
今日ここに来たのはお父様からお使いを頼まれていたからだ。
オーリン家を初めとして、貴族階級の屋敷には規模が違えど書庫がある。そして書庫には希少価値の高い本が所蔵されている事も珍しくない。そんな本には定期的に図書館からの貸し出し依頼がくる。
そして今日アンリ達がここにやって来たのは、そんなこんなで依頼された本を貸し出しに来るためだった。とは言っても貸し出しのために図書館にやって来るのは今日が初めてでは無い。今までもフレッドと共に何度かこうして図書館に顔を出した事がある。
屋敷から持って来ていた本を数冊、司書に渡し終えたアンリとフレッドはせっかくここまで来たので、まだ読んだことの無い本を借りていく事にして図書館内を見て回る。フレッドはいつも通り、勉学に関する書籍を見て回ると言うため、アンリは一度フレッドと別れ戯曲の並ぶ棚の元へ足を運ぶ。
やはり私は本がたくさん並ぶ空間が好きだ。本特有の匂いと同じ本でも一冊ごとに変わる背表紙の触り心地、そして所々から聞こえてくるパラパラとページを捲る音。
例え本を読んでいなくても、読書好きにとってはこの空間に居るだけで心地が良い。
「おや、アンリさん。奇遇ですね」
どこからか名前を呼ばれ振り向くと、そこには私服姿のカリマーが両手に本を抱え立っていた。
「カリマー先輩!あれ、今日はフルール先輩は一緒じゃ無いんですね」
「実は今、フルールは寝込んでいまして…」
「え、大丈夫なんですか?」
「熱もそこまで高いわけでは無いんですが、彼女は元々体が弱いので一度寝込むと数日は寝込んでしまうんです。おまけに体調が悪くなるとフルールはいつも以上に甘えたになるので…」
「それなら尚更、一緒に居てあげなくて良いんですか?」
「さっきまでフルールと一緒に居たんですけど、少しの間だけ抜け出してフルールに読み聞かせるための本を借りに来たんです」
カリマーの腕の中にある何冊もの本は全てフルールに読み聞かせるために厳選したモノらしい。カリマーとフルール、それぞれの屋敷にもオーリン家と同じく書庫はあるようだが、読み聞かせが出来る様な本はどれも読み終えてしまったらしい。そしてクナウティア領の図書館は揃って閉館日だったらしく、わざわざカリマーはここまで馬車を走らせ本を借りに来たという事だ。
「そういう事なら急いで戻らないとですね」
「はい、いくら本を借りるためとは言っても、長時間一人にしては拗ねられてしまいますから」
「じゃあフルール先輩にお大事にと伝えておいて貰えますか?」
「えぇ、分かりました。アンリさん、フルールが元気になったら、是非また一緒に遊んであげて下さい」
「はい、もちろんです」
「ではごきげんよう」
カリマーは軽く頭を下げると背中を向けて歩き出すが、数歩進んだところで何かを思い出したかの様に振り返る。
「そう言えば先程、バノフィーさんを見かけましたよ。他のご令嬢とお話しているようでしたが…」
「フレッドが?分かりました、後で様子を見に行ってみます」
カリマーはもう一度「ではまた」と言うと貸し出しを受け付けているカウンターへ向かって歩いて行く。
フルールの体調不良も心配だが、同時にフレッドの事も気になる。カリマーが見たと言うご令嬢って誰だったんだろうか。
候補に入れていた本を三冊にまで絞り手に取るとフレッドが居るであろうコーナーへ向かう。
ブルーブラックの髪がアンリに背中を向ける形で立っているのが視界に入ると、反射的に本棚の物陰に隠れてしまう。様子を伺うように視線を向けると、確かにカリマーの言っていたようにフレッドはご令嬢と微笑みながら本棚の前で何かを話している。
フレッドと一緒に居るご令嬢は…、恐らく見覚えは無いはずだ。学園で出来た同学年の友人だろうか。
ここからフレッド達の居る場所まで距離は大して無いが、図書館と言うこともあり二人は声を抑えて話しているため、話の内容までは聞こえない。
フレッドとご令嬢が微笑み合っている横顔を見ていると、なぜだか胸の奥がドロドロとして重たい。
なんだろう、この感覚…。こんな感覚を覚えたのは生まれて初めてだが、ただただ苦しい。
「アンリ?どうしたの?」
一人この感覚の答えを探ろうと悶々としていると、いつの間にかご令嬢と話していたはずのフレッドがアンリの顔を覗き込んでいた。
「なんか浮かない顔してる。何かあった?」
「それよりフレッドはあの女の子とお話していたんじゃないの…?」
「え?あぁ、あの子のこと?いいのいいの、話は終わったから。それよりアンリも本を選び終わったなら、そろそろ帰ろっか」
***
お屋敷に帰りアフタヌーンティーの時間になっても、アンリの調子は変わらなかった。浮かない表情でフレッドの顔をまともに見られない。
「このバタークッキー、ルエさんがバターから手作りして作ったんだって」
いつもなら自然と頬が緩むほど美味しいルエの作ってくれた焼き菓子や紅茶を口にしても味がしない。甘みがあっても、なぜか美味しく感じないのだ。
「…ねぇ、やっぱり何かあったんじゃない?もし体調が優れないようなら、すぐにお医者さんを呼んでくるし、ベッドで横になった方が…」
「ううん、大丈夫…」
フレッドとご令嬢が笑い合っている姿を見てからというもの、心がチクチクと痛み続けているものの、熱も無いし喉が痛いわけでも、咳や鼻水が出るわけでも無い。
「でも確か、図書館に着いた頃はいつも通り笑ってたよね。それこそ、図書館で一度別れてそれぞれ本を探しに行って、再会してから様子がおかしかった。帰り道もほとんど下向いてて、口数も少なかったし…」
「…私ね、おかしいの。フレッドが他のご令嬢とお話して笑っている姿を見てから胸が痛くて…。もし…、もしフレッドが取られたらイヤだって…」
そう、そうだ。胸が痛むと同時に思ったんだ。もしフレッドが他の女の子の元に行ってしまったらイヤだって…。別にフレッドは誰のモノでも無いというのに。
「もしかしてだけど、嫉妬してるの?あの子に」
その問いと同時にフルールから聞いた言葉を思い出す。『もしカリマーが他の女の子のモノになってしまったら…、私はイヤです。そう思うと同時に、これが恋なんだと理解しました』と、照れながらも胸を張り堂々と話していた姿を。
あの時はフルールから恋が何なのか、どうしてカリマーを好きになったのかという話を聞いても好きとは何なのか、友達と恋人は何が違うのか、イマイチ分からないままだった。
でも今日、確かに思ったのだ。もしフレッドが他の女の子と付き合うことになってしまったらイヤだ。ずっとフレッドの笑顔を私が一番側で見ていたいと。
「もし私がフレッドの事を好いているかもしれないって言ったら…、フレッドは迷惑に思う?」
アンリが俯きがちに聞くと、それまで不安げにアンリの顔色を伺っていたフレッドは目をまん丸にして驚く。
そりゃそうか。いきなり元気が無くなってしまったアンリを心の底から心配していたら、そんな相手になんの前触れも無く告白同然の言葉を告げられたのだから。
「私、フレッドの事が好きみたい」
気づいた時には口から出ていた想いに心臓は遅れて今まで感じたことも無いほどの早鐘を打ち出す。
「えっと…、ごめん。私…」
「迷惑じゃないよ」
困惑と後悔で焦りながら謝るアンリの言葉を遮るようにフレッドは口を開く。そしてアンリの目を真っ直ぐ見つめながら安心させるように、ゆっくりと優しい口調で続ける。
「アンリに好かれて迷惑なわけが無いよ。むしろ僕からもっと早くに伝えるべきだった。僕にとってアンリは誰よりも大切でかけがえのない人なんだ。ごめんね、僕は弱虫だから好きだって伝えるのが怖くて…」
***
「もし私がフレッドの事を好いているかもしれないって言ったら…、フレッドは迷惑に思う?」
図書館からの帰路、そして屋敷に帰って来てアフタヌーンティーの時間になりルエお手製のクッキーを前にしても、アンリの表情は浮かないままだった。いつもなら甘いモノを口にした瞬間、特段幸せそうな表情を見せてくれるというのに。
もしや体調が優れないのではと心配になっていると、何の前触れも無くアンリは俯きがちに聞き出す。
一瞬、何を言われたのか理解できなかったが、聞き返す前に「私、フレッドの事が好きみたい」と今度は綺麗なブルーの瞳でフレッドの目を見つめながら言う。
「えっと…、ごめん。私…」
アンリはすぐにハッとすると顔を青くして狼狽し始める。だが、アンリに想いを寄せられて、ましてや気持ちを伝えられて迷惑に思うわけがない。
「迷惑じゃないよ」
そう言ってみるが、アンリの瞳には薄らと涙が浮かんでいる。アンリは今まで人を好きになったことが無いと言っていたし、自分でもどうすれば良いのか、分からないのだろう。
だからこそ、同じ気持ちだという事がしっかりと伝わるように、アンリを諭すように再び口を開く。
「アンリに好かれて迷惑なわけが無いよ。むしろ僕からもっと早くに伝えるべきだった。僕にとってアンリは誰よりも大切でかけがえのない人なんだ。ごめんね、僕は弱虫だから好きだって伝えるのが怖くて…」
本当は気持ちを自覚した時点で、僕から打ち明けるべきだった。もし気持ちを伝えてアンリに距離を置かれてしまったらと、余計な心配をして気持ちを内側に秘め続けたせいで、目の前の大切な人にこんな表情をさせてしまった。
フレッドが思っていた事を全て打ち明けると、アンリは目を見開いた後、目元に溜まっていた綺麗な雫を流し、これまで見た中で一番可愛らしい表情で笑ってみせる。
「アンリ、好きだよ。僕もアンリのこと、他の誰にも取られたくない」




