婚約破棄されたけど、あなたの隣にいたいです
「美味しい~!」
なんて美味しいお肉なのかしら。やっぱり王宮専属料理人ってすごいのね。ハロルドに感謝しないと!
私は目の前にあるローストビーフをひたすら口に詰めこむ。
今夜は私の婚約者であるハロルド第三王子18歳の誕生パーティー。普通の誕生日だったらこんな盛大に祝うことはないのだけど、今回は成人式もかねているためたくさんの貴族が訪れていた。
周囲を見回せばイヤリングやティアラで着飾った人だらけ。キラキラと輝くジュエル達がとてもまぶしい。歩くシャンデリアみたいだ。
私?私はもちろん何も付けてないわ!だって動きにくくなるもの!
ただこの中に王様や身分の高い貴族はいない。もちろんハロルドもいない。偉い身分の人やその行事の主役は遅れて登場するのが礼儀なのだとか。ハロルドはある程度人が集まるのを、一つ上の階にある控え室で待っているらしい。
「ご飯が食べれなくて可愛そうね」と私が言うと「そうだね」とハロルドは苦笑してたっけ。
仕方ない。私がハロルドの分まで食べることにしよう。
「あれがローズ伯爵家の娘ね。さすが無能王子の婚約者だわ……」
どこからか嫌みと嘲笑が聞こえてくる。周囲を見回しても皆口元を扇で隠していて、誰の発言だかわからない。
これだから中央貴族は嫌いだ。誰かの悪口を言うのが上手くないとやっていけないなんて馬鹿馬鹿しい。
それに私を悪くいうのはかまわないけど、あなたハロルドのこと無能王子って言ったわね?パーティーとかいう公の場じゃなければぶん殴っているところよ!
だいたい――
「皆様大変お待たせしました。パーティーの主役ハロルド・オリエント第三王子のご登場です!」
頭の中でぐちぐち文句を言っていると、思考を遮るように司会者の声が会場に響きわたった。中央階段近くの壇上に立ってアナウンスしなければならない司会者も、ご飯は食べれていないのだろう。
役職があるってほんと可哀想だわ。
口にいろいろ詰め込んだまま中央の階段を見ると、ハロルドが侍女マーリンの手を借りながらゆっくり降りてくるところだった。
目元まで伸びた黄金の髪、スラッとした体型なのにどこか筋肉質な体、そして思慮深そうな顔立ち。
ほんと変わったわよね。昔はあんなに泣き虫だったのに。
ハロルドが侍女に手を引かれているのには理由がある。ハロルドは生まれつき目が見えない。正確に言えば瞼が開かないのだ。一応魔力で人がどこにいるかぐらいなら分かるらしいが、それでは障害物をよけようがない。
せっかくなら私が手を貸したいのだけれど「キャサリンに先導されたらどこに行くかわからないから」とハロルドに断られた。
一応私の方が数ヶ月年上なんだけどね!まあ、ふらふら寄り道する癖があるのは否定しないけど!
ハロルドが司会者に代わり壇上に立つ。
「皆様、本日は私の誕生パーティーにお越しいただき誠にありがとうございます」
そう言って丁寧にお辞儀をした。
なんだかハロルドの堅苦しい挨拶を聞くのはむず痒い。壇上の上で冷静に挨拶しているハロルドも、たぶんすごく恥ずかしがっているはずだ。
後でからかってやろう!
私は口の中の物を咀嚼しながら、ニヤリと笑った。
「さて、ここで本日は皆様にお伝えしなければならないことがあります」
一通りの挨拶を終えると、壇上にいるハロルドが少し思い詰めたような顔でそう言った。
なんだろう。そんな予定あったっけ?
なんだか嫌な予感がするわ……
ハロルドは少し間を空けると、顔を上げて毅然とした態度で喋り始めた。
「……私ハロルド・オリエントはキャサリン・ローズとの婚約解消をここに宣言いたします」
……
…………
………………はあ!?
ハロルドの一言で会場は騒然となった。当の本人は「私は体調が優れないので、上の控え室の方で休ませていただきます」と言って侍女マーリンの手を取り、階段を上っていった。
私は口の中の物をゴキュッと飲み込む。
え?ちょっとどういうことよ!説明しなさいよ!
私に落ち度があったってこと!?確かに、まあ、至らない点はたくさんあるけど……でも言ってくれれば改善したり話し合いしたりできるじゃない!
第一、婚約破棄なんてしたらあなたこれからどうするつもりなの!?もともと王宮での立場なんてあっても無いようなものなのに、こんなことしたら後ろ楯が全部無くなっちゃうわよ!
とゆうかなんで私があいつの心配をしないといけないわけ!?
あー!なんかむしゃくしゃしてきた!あいつにこんなに腹が立ったのは初めて会った時以来だわ!!
***
ハロルドに初めて会ったのは8歳の時だった。
生まれたときから瞼が開かず、魔力も乏しかったハロルドは貴族達から「無能王子」と蔑まれており、中央貴族で彼と婚姻関係を結ぼうとする家などなかった。
そのため、辺境に領地を構えるローズ伯爵家に白羽の矢が立ったのだ。
「初めまして。私はキャサリン・ローズです。これからよろしくお願いいたします」
スカートの裾を少し持ち上げ、ぎこちなく作法通りの挨拶を終える。私の両親は「よく出来た」とばかりにニコニコしており、第三王子の隣の侍女も優しい目でこちらを見ていた。
なんとか覚えてきたとおりにできたわ!我ながらよく頑張ったわね!
私は少し誇らしげに思いながらハロルド王子の方を見る。
「……」
しかしハロルド王子は、目も口も閉じたままだった。
は?何こいつ?
ローズ伯爵領からわざわざ長い時間お尻を痛めながらやってきたのに、なによその態度!王族じゃなかったらぶん殴っているところよ!
その後侍女と両親が挨拶を終わらせると、彼らは大人の話があると言ってどこかに行ってしまった。そうして私とハロルド王子は二人きりで王宮の庭園にあるベンチに残されてしまった。
沈黙が場を支配する。
……気まずい
私はため息をつく。
正直こんな礼儀知らずとは仲良くしたくないけど、仲良くしないとお母様に怒られちゃう。
それに聞いた話によると私の方が若干年上らしい。――まあここは大人のお姉さんとして優しくしてあげるとしますか。
「このお花いい香りがしますね。ハロルド王子は何のお花の香りがお好きですか?」
「……」
ハロルド王子は何もしゃべらない。
……たぶん緊張しているんでしょう。きっとそうでしょう。
もう一度質問をしてみれば、返事をしてくれるはずだわ!
「最近暖かくなってきましたわね。ハロルド王子はどの季節がお好きですか?」
「……」
しかしハロルド王子は素知らぬ顔を続ける。
……落ち着け、落ち着くのよ。
私は怒りで震える右手を握りしめる。
次――次無視されたら頭の中でぶん殴ればいい。
そうよ。抑えるのよ私!
「私のいるローズ領では魔物が出たりするのですが、王都でも出てくるものなのでしょうか?」
私は少し声を大きくしながら言った。
「……」
しかし彼は無視するどころか、今度は顔をふいっと私の方から背けた。
まるであなたと話す気はありません、とでも言いたげな顔をして。
そのとき、私の中で何かがはじけてしまった。
「会話ぐらいしなさいよ!」
私はスカートの裾をぎゅっと握りながら、大きな声を上げる。
急な私の大声にハロルド王子は肩をビクッと震わせ、ゆっくりとこちらに顔を向ける。
「えっと、いや、その、僕と会話なんて嫌かなと……」
ハロルド王子は消え入りそうな声で答えた。
「話題を振ってるのに返事しないのを喜ぶバカがどこにいるのよ!」
私はまくし立てるように言う。
不敬なんて言葉は、私の頭の中から完全に消えていた。
「で、でも、僕は皆から嫌われているから、その、君も知っているだろ?」
「知らないわよ!あなたどれだけ自信過剰なの!?婚約の話が決まるまであなたの存在なんかこれっぽっちも知らなかったわよ!」
私は右手で小さな丸を作りながら言う。
私の発言を聞いて、ハロルド王子の顔が一気に赤くなった。
「う、うるさい!だいたい僕は王子だぞ!そんな口の利き方は不敬だぞ!」
ハロルド王子は私に負けないぐらい声を張り上げた。
「何よ王子って。あなたが何かしたわけじゃないじゃない!偉いのはあなたのお父様であって、あなた自身はただのガキじゃないのよ!」
「う、その、僕は目が見えないんだぞ!おまえに僕の何がわかるっていうんだよ!」
「そんなの何もわかんないわよ!けどそれが、あなたが私と会話をしない理由にはならないでしょ!だってあなたしゃべれてるじゃない!」
「う、うるさい!バーカバーカ!」
「バカって言う方がバカだもん!バーカ!」
私の発言にハロルドは閉じきった目からぽろぽろと涙をこぼす。
やばい!言い過ぎてしまった!
お姉さんとして威厳を見せるどころか、近所の平民と口論するときみたいになっちゃった!
しかし気が付いた時にはもう遅い。
「お、おまえとの婚約なんか、絶対破棄してやるからな!」
ハロルド王子はそう言って涙をぬぐいながら立ち上がると、手探りをしながらどこかに去ってしまった。
彼が行った後、庭園は静まりかえる。
……やってしまった
王子になんて口をきいてしまったのよ!私のバカ!このまま婚約破棄されてしまったら国外追放されるかもしれないわ!どうしよう!
それに国外追放とかは置いといても、お母様に怒られてしまうわ!
なんて恐ろしいことをしてしまったのかしら……
私がしばらく落ち込んでいると、そこに両親がやってきた。どうやら大人のお話し合いが終わったらしい。とても嬉しそうな、満面の笑みを浮かべている彼らに婚約を解消されることなど伝えることは出来なかった。
まあ私が言い出さなくてもどうせ後から分かることだ。
私は黙っていることにした。
しかし、一ヶ月が経っても婚約破棄の文言は届かなかった。
翌月、ハロルド王子に再び会いに行く時がやってきた。
正直全然気が乗らなかったけれど、私に断る権利などなく、重たい足を引きずってなんとか王宮までやってきた。
「お久しぶりです。キャサリン・ローズです。本日もよろしくお願いいたします」
前回同様スカートの裾を握り、ちょこんとお辞儀をする。
どうせハロルド王子は無視するのだろうけれど。
「ハロルド・オリエントです。遠路はるばるお越しいただきありがとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします」
私はびっくりして、礼儀正しくお辞儀をしているハロルド王子を凝視する。
一体なにがどうなっているんだ!?
その後も滞りなく挨拶が進み、やはり前回同様大人の話し合いのため、私とハロルド王子は庭園のベンチに連れて行かれた。
「その」
少しの沈黙の後、私は声を出した。
ええい!覚悟を決めるのよ!私!
「ごめんなさい!!」
急な大声にハロルド王子はビクッとこちらに顔を向ける。
「前回酷いこと言っちゃってほんとごめんなさい!」
許されなくても別にいい。ただ自分の気持ちのために謝りたかった。
私は頭を下げる。
「こちらこそごめんなさい」
そう言いながらハロルド王子が頭を下げる気配がした。
え?なんで!?
私はびっくりして顔を上げる。
「そもそも無視した僕が悪いのですから。キャサリンさんは謝らないでください」
ハロルド王子が顔を上げながら言う。
「いや、私の暴言が悪いです!」
「僕も暴言を吐きましたよ」
「あんなの暴言に入りません!」
私の発言にハロルド王子は声をあげて笑う。
笑う理由がぜんぜんわからない……ハロルド王子ってちょっと変だわ。
でもなんだか笑ってるハロルド王子って新鮮。
いつものムスッとした表情よりも魅力的だ。
「あんなのって、結構僕的には酷い言葉づかいだったんだけど」
だってたぶん言われたら僕泣いちゃうし、とハロルド王子はボソッと付け加える。
「あの時は感情が高ぶって色々言っちゃったけどさ、ほんとは色々言われて嬉しかったんだ」
え?泣いてたのに?
そういえばお母様が、この世には罵倒されて喜ぶ人がいるとかいってたわね……ハロルド王子って変態だったのね!
「君失礼なこと考えてない?」とハロルド王子に低い声で言われ「そ、そんなことありませんわ」と私は急いでごまかした。
「婚約者である君に言うことじゃないかもしれないけど、その、僕王宮でバカにされてて、でも直接言うわけじゃなくて陰でこそこそバカにされてて……だからその、なんて言えばいいのかわからないけど……」
ハロルド王子は私に顔を向ける。瞼は閉じたままだったけれど、ジッと目を見られている気がして私は彼の目を見返す。
「……婚約者のままでいてくださいますか?」
ハロルド王子の優しい言い方が、なんだかスッと胸に響いた。
「もちろんです!!」
私は、気が付いた時には返事をしていた。
***
あれから私たちは仲良くなったと思っていたんだけど……もしかしてハロルド、あの件を引きずっていたの!?それで今回婚約破棄をしたのね!一回許したのにケチ臭い奴ね!
でも、だとするとやっぱりなんであのとき婚約を破棄しなかったんだろう。
初対面の時が原因じゃないとすると……
もしかしてマーリンが来たときの事かしら!?
***
あの日も私たちは王宮内の庭園にいた。
私はゆっくり、音を立てないようにハロルドに近づいた後、肩を激しく揺さぶる。
「ハーロールード!」
「ふにゃぁ!!」
ハロルドは驚き、奇妙な声を上げる。
ほんとハロルドって驚かせ甲斐があるわ!
「……その声はキャサリンだね。魔力を抑えて近づかれるとほんと分からないな。やっぱりキャサリンは魔力を操るのが上手だね」
ハロルドが褒めてくれる。
驚かせたら普通は叱られるのに……なんだか最近のハロルドは大人みたいだ。
「ハロルドもそのうち上手になるわよ!それよりも今日は何して遊ぶ!?口頭じゃんけん?匂い当て?ハロルドも遊びたいわよね!?」
「13歳にもなってそんなに遊びに全力なのはキャサリンぐらいだよ……それに今日は遊べないんだ」
「え?なんで?」
「えっとね「申し訳ございません。ハロルド様は本日王都の視察があるのです。キャサリンお嬢様」
ハロルドの話を遮る声が、私の真横から聞こえてくる。
え?誰!?いつの間に!?
驚きながら横を見ると、私よりも背の低い、同年代ぐらいに見える女の子が立っていた。青い髪は肩に掛からないぐらいの長さで、手にはホウキを、そしてメイド服を着ている。新しい侍女の人だろうか。
「紹介するよ。こちらは侍女のマーリン。キャサリンの両親から推薦を受けてね、最近僕の専属侍女となったばかりなんだよ」
「よろしくお願いいたします。キャサリン様」
マーリンは機械人形のように丁寧にお辞儀をしてきた。
そんなことお父様もお母様も言ってなかったわ!いっつも私に隠れて楽しそうなことばっかりして!ほんとずるいわ!
「それで昨日、せっかくなら城下町を共に見学してきたらいいじゃないか、と兄上様から打診をうけてね……」
城下町に行く、なんて素晴らしい響きなの!そういえばローズ伯爵領の街になら行ったことはあるけど、王宮の街には行ったことなかったわね。ぜひ行きたいわ!
でもなんだかハロルドは楽しくなさそう……
「私も行くわ!そんな楽しそうなこと私をおいて行こうとするなんて、ハロルドったら意地悪ね!」
「僕も一緒に行きたいんだけど、今回は、その……」
ハロルドは頭を右手の人差し指で掻きながら、すこし顔をそらす。
今日のハロルドはなんだか歯切れが悪い。隠し事でもしているみたいだわ。
するとマーリンがなにやらハロルドに耳打ちする。
なにを言われたのだろう?
マーリンから何か言われた後、ハロルドはさらに悩み、少ししてから言った。
「……わかりました。でも、条件があります!くれぐれも一人にはならないでください。歩くときはずっと僕と手を繋ぐんですよ!」
「――わかったわよ。もう子供じゃないのに……」
私はブツブツ文句をいいながらも、条件をのんだ。
まあそんな条件で城下町に行けるならいいわ!――それにハロルドと手を繋げるのも少し嬉しいしね
……絶対にあいつには言わないけど!
そういうことでハロルドの右手をマーリンが、ハロルドの左手を私が繋いで町中を散策することになった。
城下町ではたくさんの馬車が往復し、奇抜なとんがり帽子をかぶった人や、たくさんのピアスをつけている人など、今まで見たことが無い人もたくさんいた。
私たちはマーリンの先導によって、骨董品の店、薬草の店、冒険者が集まる酒場など様々な所に訪れ、お店でお昼ご飯を食べ、広場での大道芸を楽しんだ。
すごいわ!初めてみる物だらけだわ!なんて面白い場所なんでしょう!
そうやって楽しんでいる間に太陽は沈み始め、もう帰る時間になってしまった。
「えー、まだ楽しみたいわ!」
私たちが歩いている右横、つまりマーリン側をたくさんの馬車がガタガタと大きな音を立てて通っていく。私の左横にはたくさんの品物が置かれたお店が所狭しと並んでいた。
まだこんなに魅力的なところがあるのに、もう帰っちゃうなんてもったいないわ!
「ぜひまた来よう。キャサリン」
私が文句を言うとハロルドがにっこり笑う。
至近距離でその笑顔を向けられるとなにも言えないじゃない……
私は彼の顔から目をそらすため、後ろを向く。
遠く後ろに奇妙なとんがり帽子をかぶった人が見えた。
「でも城下町っていっても案外狭いのね。朝見かけた人が今も後ろに見えるわ」
なにげない私の発言を聞いてハロルドとマーリンの足が止まる。
私も二人につられて止まらざるを得なかった。
「どうしたの?二人とも?」
「キャサリン、今の話はほんと?」
ハロルドがギュッと私の手を握る。
すこし痛い。それになんだかハロルドの顔が怖いわ。
「ほんとだけど……」
「マーリン」
ハロルドは低い声で言う。
「はい。ハロルド様、少し行って参りますのでここで待っていてください」
マーリンはそう言うと素早くどこかへ行ってしまった。
「あれ?マーリンどこ行ったの?」
「あ、えっと、なんかやり残した事があったみたい」
ハロルドはしどろもどろに答える。
やっぱり今日のハロルドは何か変だ。
「ハロルド、あなた今日――」
何か変よ、という言葉を続けようと思った時、ハロルドの横を走っている馬車に目を奪われる。
すごく格好いいとか、おしゃれとかそんなんじゃない。馬車が私達に向かって突っ込んで来ていたのだ。
「ハロルド!!」
私はとっさに握っていた手を引っ張り、ハロルドを馬車の軌道からそらす。
魔力を――
ドガン!
馬車はそのまま私にぶつかってきた。
私の体が空に舞うのを感じると同時に、胸元に強烈な痛みが走る。
風景がスローモーションで見え、馬車からギリギリそれた場所にハロルドの姿が見えた。
良かった
ドンっと背中が何かにたたきつけられる。なんとか薄く目を開けるとハロルドが手探りで私の方に向かっているのが見えた。
強い耳鳴りがして何も音が聞こえない。けど、ハロルドが大声で泣いているのがなぜだか分かった。
相変わらず泣き虫なんだから……
なんだか視界が暗くなってきた。私こんな所で死ぬのかな。やりたいこといっぱいあったんだけどな。
なんだか私の頭が持ち上げられて、何かに包まれている気がする。
暖かい
「……が守る……8歳ま……」
なんだか幸せだ
***
私が目を開けると知らない天井だった。
「キャサリン!!」
私の右手に強い痛みが走る。
「痛い!」
「ご、ごめん……」
右手を見るとハロルドが私の手をしっかりと握っていた。
「いいよ別に。ハロルドは大丈夫?」
私は体をゆっくり起こす。不思議なことに体に痛みはなかった。多分王宮の神官が直してくれたのだろう。女神様の力って本当にすごいわね。
「大丈夫……本当にごめんなさい」
「いいって、起きたばっかりだったからびっくりしただけで、そんなに痛くなかったし」
私はハロルドが握っている手に力を入れる。
「いや、それもだけど、馬車の件で……僕が君を守らなければいけないのに」
ハロルドは少しうなだれる。
なんだかすごく責任を感じているみたいだ。ハロルドは何も悪くないのに。
「あのね、ハロルドがもし代わりに跳ねられてたら死んでたわよ?私、ギリギリで体に魔力をまとわせたのだもの。でも事故って怖いわね。今度から気をつけなくちゃ」
暗い雰囲気を打ち消すように、明るく笑いながら言う。
私はギリギリで体全体に魔力をまとわせた。もしまとわせるのが間に合わなかったら、多分木っ端微塵になっていただろう。
もう二度とこんな事故には遭いたくないものね。
「そういう問題じゃない!!」
なにごと!?
大きな声に私はびっくりする。
ハロルドのこんなに大きな声久しぶりに聞いた。
「君は何も分かってない!僕がどれだけ心配したのかも!あの事故の意味も!僕にとって君がどれだけ――」
ハロルドは言葉を切る。
目からは大粒の涙がぽろぽろと流れ落ちている。
「ほんと馬鹿だ!大馬鹿だ!」
命を救った恩人に大馬鹿とはなによ、って反論したかったけど、なぜだか言葉が出る代わりに涙が出てきた。
私はハロルドの手をギュッと握りながら、ハロルドと一緒にワンワン泣いた。
***
その後なぜだかマーリンからも謝られたんだっけ。マーリンはその場にいなかったからどうしようもなかったと思うんだけど……
それからハロルドは騎士団に所属したりして、会う時間も減ってしまった。
でもあれが婚約破棄の理由なら、本当に意味が分からないわ!よく考えたら私、あいつの命の恩人じゃない!感謝されども恨まれる意味が分からないわ!
なんなのよ!もう!ほんとイライラする!
こうなったら直接聞きに行ってやる!
そう思った時には私の体は走り出していた。
ハロルドの婚約破棄発言をうけて相変わらず悪口を言っている中央貴族を押しのけ、階段を駆け上がる。
後ろから、何をしとる!とか、下りてこい!とか聞こえてきたけど、そんなのムシムシ。
勢いよく駆け上がり上のフロアに到着した私は、急いで奥の通路へと向かう。
「どこへ行かれるんですか。キャサリン様」
急に私の横から声がする。
「ハロルドに理由を聞きに行くのよ。マーリン」
私は目を通路の奥に向けたまま言う。
「ハロルド様から何人たりとも通すなと仰せつかっております」
「そう。でも関係ないわ」
私は進もうと足に力を入れる。
「キャサリン様。このまま無理矢理行ってもハロルド様の本心は聞き出せないですよ」
マーリンが後ろから私に向かって言う。
淡々と、だけどはっきりと。
「じゃあどうしろっていうのよ!ハイそうですかって引き下がって何になるのよ!」
私はやり場のない怒りをマーリンに向けた。
マーリンが悪いわけじゃないのに。私のバカ。
するとマーリンが珍しくニヤリと笑いながら言った。
「私に一つ考えがございます」
***
コンコン
「失礼いたします」
そう言ってマーリンが控え室に入る。
部屋ではハロルドが壁に寄りかかって立っていた。
「さっきの魔力――キャサリンが来てたみたいだな。相当怒っていただろうに、どうやって引き下がらせたんだ?」
「考えがあるからいったんここは退いて欲しいといいました。キャサリン様は単純なお方ですのですぐに引いてくださいました」
「確かにキャサリンは単純だね」
ハロルドは優しく笑った。
「しかし本当によろしかったのですか?」
「これが最善だと言っただろ?」
「キャサリン様は本当に悲しそうなお顔をされていましたよ。一緒に生きていく選択もあったのではありませんか?」
ハロルドは少し顔をゆがめた。
「……僕にはキャサリンを守る力を身につけることが出来なかった。魔力の才能も、学問の素質もないんだ。騎士団に入ってトレーニングもしたけど、彼女を守るには足りない。何度も説明したじゃないか。これがキャサリンにとって幸せな道なんだ」
ハロルドは吐き捨てるようにそう言った。
「だそうですよ。キャサリン様」
「……どういう事だ?」
マーリンはハロルドの問いかけには答えず、では私はこれで、と言って部屋から出て行った。
私は抑えていた魔力を解放する。
そして驚いた顔をしているハロルドにツカツカと近寄り、目の前に立つ。
「あんたが私の幸せを勝手に決めるな!!」
そう言って右の手を振りかざして思いっきりビンタをした。
ハロルドはビンタされても一言も声を発さなかった。ただジッとこちらに顔を向けていた。
「私は別に守って欲しいなんて思ってない!」
「僕と一緒にいると命が狙われる可能性がある。ただの婚約者のために命を失う可能性があるんだ」
昔だってそうだっただろう?とゆっくり諭すようにハロルドは言う。
「だからさ――「あなたはなんにも分かってないわ!」
「私は、婚約者だから助けたんじゃない!体が勝手に動いたとか、たまたまとかでもない!あなただから!ハロルドだから助けたかったの!」
私はハロルドの胸元をつかむ。
手が震えて、上手く力が入らない。
「僕だって助けたかった!君が僕の手の中で気を失った時の、あの気持ちが君にわかるものか!」
ハロルドは一呼吸置いて言う。
「――僕は君の事を、愛しているんだ!君にとって僕はただの婚約者かもしれない!けど、僕はどうしようもなく君を愛しているんだ!だから君が僕のためにどうにかなるなんて耐えられないんだ!」
私は目から涙が落ちるのを感じた。
ハロルドよりも先に泣いてしまうなんて、とても屈辱的な気分だわ。
別に嬉しいんじゃない!悔しいから、だから涙が出てくるのよ!
「私の方が!私の方があなたを愛しているわ!そんなのあなたの独りよがりじゃない!」
ハロルドはびっくりした顔をしている。
なんで気づいてないのよ!このバカ!間抜け!
「僕の方が愛してる!!僕は君を幸せにしたいんだ!」
ハロルドも涙を流し始めた。
「私のほうだもん!!私はあなたと一緒にいなきゃ幸せになれないの!私を幸せにしたいならずっと一緒にいてよ!」
ハロルドは私の発言を聞くと、ワンワン泣きながら大きく手を広げ、包み込むようにハグをしてくれた。
手の動きはぎこちなくて、力は強すぎで、私の髪の毛は彼の涙でぐしょぐしょになった。
最高のハグだった。
***
コンコン
「そろそろ入っても良いでしょうか」
外から聞こえるマーリンの言葉に私たちはハッとした。
一体どれくらい経っていたんだろう。
私は急いでハロルドから離れようとする。
ハロルドは少し嫌そうな顔をして手の力を強めたけど、二度目のノックで手の力を緩めた。
「入りますよ」
ガチャッと部屋にマーリンが入ってくる。
「それでどういった結論になられましたか?」
「もちろん。これからもずっと一緒にいることに決めたわ!」
私の発言にハロルドがうなずく。
「なるほど。ではハロルド王子、先ほどの発言はどうなさるおつもりですか?公共の場での発言を軽々しく取り消すのは難しいように思われますが……」
「ええっと、それは……」
ハロルドが言葉を詰まらせる。
「あんな奴ら無視すればいいのよ!」
「キャサリン様。そういうわけにはいかないのが貴族社会なのですよ?」
マーリンはため息をつく。
なんだか先生に怒られていみたいだわ。
「で、でもどうしようもないじゃない」
マーリンは再びニヤリと笑いながら言った。
「私に一つ考えがございます」
***
ゴーンゴーン
教会の鐘があたりに鳴り響く。
ええと、今から女神様に誓いを立てないといけないんだっけ。
神官の誘導があるとはいえ、やっぱり不安だわ。結婚式進行の一夜漬けなんてするもんじゃないわね……
まあ昨日のパーティーの時はこんなことになるなんて思いもしなかったからしょうがないわ!
マーリンの提案は、婚約を解消して結婚すれば何も嘘をついたことにならない、というものだった。
結構こじつけじゃない!?と反論したけれど、まだ国王や上流貴族は到着してなかったからなんとかなるのだとか。
なんとかなるって、なにするのよマーリン……
まあでも、パーティー会場で結婚を宣言したときの中央貴族の困惑顔はとても面白かったわ!
お母様にはとてつもなく怒られたけど……
私は目の前の神官から横にいるハロルドへと目線を移す。私の視界はベールで少しモヤがかかっていた。
横にいるハロルドは黒いタキシードを身にまとっている。
「ハロルドのタキシード、とても似合っているわね」
私が耳元でささやくと、ハロルドは頬を赤くしながら優しく「ありがとう」と言った。
「ハロルド・オリエント王子。あなたはここにいるキャサリン・ローズを病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、妻として愛し敬い慈しむ事を誓いますか?」
神官がゆっくり会場に響きわたるように言う
「誓います!」
横のハロルドのとても頼もしい声。
彼の黄金の髪がいつも以上にまぶしい。
「キャサリン・ローズ。あなたはここにいるハロルド・オリエント王子を病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、夫として愛し敬い慈しむ事を誓いますか?」
「誓います!」
私も大きな声で宣言する。
この言葉が女神様まで聞こえるように。
「では誓いのキスを」
私とハロルドは向かい合う。
ハロルドはとても緊張した面持ちだ。なんだか脇腹をつつきたくなってきちゃったわ。がまんがまん。
私はハロルドの右手を取って、私の顔にかかっているベールに触れさせる。ハロルドはベールを優しくゆっくりとめくり取っていく。
耳まで真っ赤になったハロルドの顔がとても近くにある。表情筋もこわばっていて、なんだか泣き出す前の顔みたいだ。
愛おしい顔だ。
なんだか幸せが体の底から溢れてきて、止まらなくて。
気づいたら私はハロルドの唇に自分の唇を重ねていた。
チュッ
私のキスを受けて、ハロルドはよたよたと後ろに下がる。
顔を真っ赤にして、泣き出しそうで、でも幸せそうで。
ほんとに可愛くて格好いい私の旦那だ。
後でからかってやろうっと!
私はニヤッと笑った。
外からの光に照らされて、ハロルドの瞼がピクッと動いた。そんな気がした。
「婚約破棄されたけど、あなたの隣にいたいです」を読んでいただき誠にありがとうございます。本当はこれから二人がどうなっていくかまで書きたかったんですけど、文字数がすごいことになりそうで……
もし続きが知りたいと思われる方がいらっしゃいましたら、ぜひ感想でおっしゃってください。
少しでも面白いと思ってくださいましたら、下のほうにある☆で評価していただけると励みになります。
改めて最後まで読んでいただき誠にありがとうございました!