お父さん 可燃ごみ 経験者
食事を終えると智は息子に向き直り、神妙な面持ちで言った。
「実は父さんな、今日会社辞めてきたんだ」
「えっ、マジ!? ⋯⋯会社で嫌なことがあったとか?」
突然の報告に驚きを隠せない明だったが、父を責めることはせず、原因を探ろうとしている。
「いや、そうじゃないんだ。実は前々からやりたいことがあってな」
「あ、転職ってこと? じゃあ前向きな退職なんだね! でも、転職ってお父さんの歳だと厳しいんじゃ⋯⋯」
とりあえずホッとした様子の明。
「そうなんだ、父さんあんまり強くないから、入れてもらえるところがあるかどうかちょっとまだ微妙なんだ」
「ん? あんまり強くないって何?」
予想していなかった言葉に、明は眉をひそめた。
「父さんな、海賊になろうと思うんだ」
「ファッ!?」
「海賊になろうと思うんだ」
「無理だろ! ていうかダメだろ!」
必死に止めようとする明。
「今日から身体を鍛えてボクシングジムに通おうと思ってる」
「海賊はボクシングで戦わねーだろ」
「ということで、しばらく貧乏な暮らしになるかもだけど、再就職したら美味いもの腹いっぱい食べさせてやるからな」
「略奪した金で食べさせてもらいたくないよ。ていうか本気なの? なんで海賊なの? ゴムゴムの実でも食べたの?」
「ルフィはゴムゴムの実じゃなくてヒトヒトの実だぞ」
「知らねーよ」
「でな、最悪どこも受からなかった時のために考えてることがあるんだ」
「採用試験あんのかよ。面接とかすんの?」
「当たり前だろ。何も知らない相手と同じ船に乗るなんて有り得ないことだぞ」
「確かに。で、考えてることって?」
「面接ってな、面接に行くから落ちるんだ」
「なにそれ? 禅問答? 哲学? 行かなかったらもっと落ちるよ?」
「そういうことじゃなくて、父さんが船長をやれば全部解決だなって思ったんだ」
「1人で海に出るのかよ」
なんだかバカバカしくなってきた明。
「いや」
「えっ」
「裏の家のおばあさんいるだろ」
「林さんのとこの?」
「ああ。あの人経験者らしいから、誘おうと思ってるんだ」
「マジで!? じゃあ林さんのおばあさんって強いの!?」
さっきまでとは打って変わって興味津々な明。瞳がビームのように輝いている。
「昔の話だからな。今は父さんの方が強いぞ。でもノウハウはあるわけだ」
「⋯⋯そうだよね。お年寄りキャラが強いのって漫画だけだもんね⋯⋯」
この世の終わりみたいな表情で落ち込む明。今日は感情のジェットコースターだ。
「で、お父さんとお父さんより弱いおばあさんで海に出てどうするのさ」
「弱そうな海賊と戦ったり、老人が多い村を襲うつもりだ」
「ずっとやりたかったことだって言ってたのに⋯⋯そんな父親嫌だよ。せめてロマンのある冒険とかにしてくれよ」
「ダメだ。堅実に行く」
「頑固オヤジめ⋯⋯!」
明の不満がマックスになりかけた頃、台所で食器を洗っていた明美がこちらを向いた。
「明日可燃ごみの日だから、お父さん出勤ついでにお願いね」
「ダメだ! 明日から俺は海賊になるんだ!」
「なに馬鹿なこと言ってんのよ。あなたなんかが海賊になれるわけないじゃないの」
「なる!」
「幼少期のルフィだ」
明は10巻くらいまでは読んだことがあるのだ。
「とにかく! 本気で海賊になるっていうのなら私にも考えがありますからね!」
「なんだなんだ! 言ってみろ!」
「離婚よ!」
「私が悪うございました。すぐに退職を撤回いたします」
鶴の一声で夢を諦めた智はすぐに会社に電話をかけたが、退職を取り消すことは出来なかった。
ただ無職の56歳が誕生しただけの日だった。
夜中に書いたからなんだろうけど、書いた記憶がほとんどない⋯⋯