とげとげしいもの
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
よう、つぶらや。今日はやたら部長にしぼられてたな。
ありゃあしんどいぜ。はたから見てても、俺も胃がキリキリしそうだったわ。
まあ、仕方ねえと思うぜ。聞いたところだと、部長のおふくろさんの具合がよろしくないらしくてな。こうしている今も、いつ連絡が来るかもしれねえんだと。
そりゃピリピリするよな。ここらへん、きっちりスイッチ切り替えられる人もいるっちゃいるが、俺は部長のようなタイプの方が親しみを持てる人間さ。
まあ、怒られている個人からしてみれば、殺意や不快感を抱く方が先立っちまうかもしれねえけれど。我慢強い人間ばかりじゃねえし、ふとした拍子に重なれば、魔が差しちまうこともあるかもな。
相手からの態度もそうだし、自分がうちに抱く気持ちもそう。いずれもがいつもと違うと感じたなら、用心したほうがいいかもしれないぜ。
俺の昔の話なんだが、聞いてみないか?
「おめえ、こんなこともできねえのかよ! アホ!」
そう怒鳴られたのは、小学校低学年。行事のときに使う輪飾りを作っているときだった。
折り紙とかを細い短冊に切り分けて、そいつらを丸めながらセロテープでつなぎめを止めていくわけだが、ちょろっと力加減を間違えて、一部が破れちまったのさ。
すぐやり直せるものにも関わらず、突然のしっせきに俺はビビるよりない。
注意してきたのは、普段なら温厚で通っている奴なんだぜ。人の間違いだって、ニコニコ笑いながら不問に付すことがほとんどだ。
それがこの放課後、居残っての仕事。俺以外の人がいない中での、口撃ときたもんだ。
――こいつ、内弁慶野郎かよ。
外面はいいくせに、いざ人の目がなくなるや相手の落ち度を見つけて、威圧してくる。
当時の俺にとっちゃ唾棄すべき態度だ。裏表のあるやつが、いっとう嫌いだった。
適当に謝罪して、あとはもくもく作業を進める。一刻も早く、こいつのいない空間へ逃げ出したかったんだ。
それからも、やれ輪の大きさにムラがあるだの、やれミリ単位でテープを使いすぎだのと、こまけえ、こまけえ。
俺自身が大ざっぱなタチというのもあって、あいつがきっちりそれらを守れているかはたいして気にしなかったが、不快極まりない時間ばかりが重なっていく……。
ようやく校舎を抜け出て、俺は大きく背伸びをする。
せいせいした、とはまさにこの時のためにあるのだろう。明日以降は、あいつとは深く関わらないようにしよう。
下校時刻ぎりぎりで、空もいくらか暗さを増してきている。まだこの年代だと、夜に心躍るより、親にとがめられるかどうかの心配の方が先に来た。
帰り道を急ぎ、その途中の横断歩道で赤信号で止められる。もう、児童にしては遅めの時間なのに、横断旗を持った年配の人が立っていた。
熱心だなあ、と思いながらも横断歩道を待つ俺。
やがて車側の信号が赤になり、横断旗を持った人が旗を振り始めた。
目の前の青信号と一緒に踏み出しかけて、俺は靴ひもが解けたことを見て取ったよ。ここまできっちり結んでいたはずなのに、踏んづけたりしたんだろうか。
やむなく、横断歩道に足をかけたところでかがみこんだところで。
ずしん、といきなり背中を強く蹴られて、前へ手を突いてしまう。
一瞬、理解が追い付かなかった。
歩行者、車、自転車の姿、いずれもなし。彼らが追突してきた可能性は考え難い。
俺のすぐそばにいる、ただひとりをのぞいては。
旗振りのおっさん。見上げたときにはもう、旗を持った腕を水平に伸ばし、安全な歩行を促しているポーズを取っていた。
蹴られた瞬間を見ていたわけじゃない。このおっさんがやったという証拠はない。
だが、こちらを見るまなざしはどこか険しくて、いかにもいら立ちを感じさせる不愉快な気配だったのさ。
怖さよりいら立ちがにじむ、自分がいた。
一瞥だけして、足早に横断歩道を渡り切って少し進んだ俺を待ち受けていたのは、ずっと前方から来る自転車だ。
俺が歩む先は上り坂。つまり自転車は下り坂の勢いに乗り、滑ってくる。
このままでは、直撃コース。俺はさっと右へ寄ったんだが、それとまったく同じタイミングで自転車も向かって右へ寄る。
左に戻れば左に。また右へ向かえば右に。あたかも磁石で引っぱられているかのように、俺の動きをトレースし、自転車はぐんぐん間合いを詰めてくる。
よそ見をしたり、運転しながらケータイ見てるとかして、俺を確かめないまま、偶然のハンドルさばきを重ねているわけじゃない。
グラサンで目元は見えないが、徹頭徹尾。正面にいる俺の位置を見据えているかのような姿勢だ。
俺の背後、さほど離れていないところに、先ほど渡ってきたばかりの交差点がある。とてもその直前で止まれそうにないスピード。
歩道の片側は塀が続き、途切れ目の敷地内へ逃げ込むにはもう遅い。ならばもう一方。
俺は自転車をギリギリまで引き付けると、街路樹と茂みたちがひしめく車道よりの植え込みに飛び込んだ。
けたたましいブレーキ音。レバーも壊れよとばかりに力強くブレーキを握りしめたんだろうが、やはりつきについた勢いは殺しきれない。
茂みに突っ込むこともできず、脇を通り過ぎる自転車を見るや、俺はさっさとそこを逃げ出した。きびすを返してくる前に、どうにかこの場を去らないと。
駆け出す俺の背に、先ほどの男のものと思しき罵声が飛んでくる。
「てめえ! 避けてんじゃねえぞ、クソガキが!」
スルーはじめ、冷静な対処をするのには、俺はまだ幼すぎた。
心ない言葉に胸が痛むのを感じつつ、俺はひたすら家へ急いだ。
その間も、今日の放課後からあった罵りが、ずっと俺の中で渦巻いている。
教室、横断歩道、あの自転車……。
日が違えばダメージもまた軽かったろうが、あまりに短時間すぎて、悔し涙に目の前をゆがめる自分がいたよ。
――許されるんだったら、あいつらをギタギタにしてやるのに!
思うだけなら、自由で無実。
人生初の煮えたぎる殺意をみなぎらせながら、玄関のドアを乱暴に開ける。
上がりかまちに、ちょうど母親がいた。
季節により置物の乗っかる靴箱たちの天板。そこにここ最近はサボテンが仲間入りしていて、母親はまめにそのお世話をしているようだった。
いまや、だいぶレアものになったという丸型サボテン、金シャチ。そのがっちりとしたトゲは縫い針に匹敵する強さで、ヘタに触れれば血がにじんだ。
俺の声に反応した母親は、こちらを向くや目を丸くして、俺に「どうしたのか?」と尋ねてくる。よっぽどひどい顔つきをしていたんだろうか。
ようやく心配してもらえた、という安堵のままに、俺は放課後から今まであったことをどんどん吐き出す。
かといって、すべてが楽になったわけじゃなく、俺の中では頭がかっかするほどに奴らへの殺意が高まっていく。
「――あんた、あいつらのトゲにだいぶやられちまったんだね」
母親はそういって、すぐそばの洗い場へ入ると、バスタオルを一枚持ってきた。
そいつを俺の前へ、幕のように広げて垂らしながら促してくる。
「溜まっているんだろう? ここへ吐き出しな。かかえこみは良くない」
その言葉でぷっつり、理性の糸が切れてしまったか。
俺は目を閉じて力いっぱい、人生で初めての人を殺しかねない罵詈雑言をそこへ吐き出したんだ。
知る限りの言葉。終わりの方はもはや幼稚園児か、それ以下のような罵りとは呼べない、駄々っ子めいた発言だったと思う。
「……なぜ、サボテンにトゲがあるか分かるかい? なにも敵から身を守るばかりじゃない」
俺の罵声がひと区切りするのを待って、母親が話す。
「温度を調節したり、水分を取り入れたりと大わらわだが、もっと根っこの部分。子供を残すのに使ったりもする」
さっとバスタオルが離される。
俺の口元近くの色が黒々としているのは、なにもつばが飛んだばかりじゃないだろう。
証拠に、その黒々としたところから、くっつき虫を思わせる突起が浮かんでいる。俺の服などには、そのようなものはくっついていないし、ましてや口の中になど。
「人も同じ。同じ人物とは思えないほど、とげとげしい言葉や態度を出すこともある。なぜなら、子供を残したいからだ。
不幸、災いと私たちは呼ぶ、いけないものたちの子供をね。それがつながって、つながって、ときに取り返しのつかないことを生む。
だから傷ついて抱え込むことがあったら、もう続かないように吐き出しちゃいな。
できるなら、誰も傷つけず何も壊さない。素敵なもので埋め合わせができるといい」
ぱっと、バスタオルを畳んで母親はそれを処分してしまったよ。
以来、ああもトゲを吐くようなことはなくなったが、俺自身が抱え込み、包み込んで表に出さないことを学んでしまったのかもしれない。
まあ、トゲを飛ばされるのはいまなお多いわけであって。うまいこと、俺で止められているなら、それに越したことはないと思うのさ。




