5話 ケルベロス
「カスパール様……。最初から失敗してしまいました」
スピネが呟くと同時に、突然、正面からバキバキと音を立てて木々が倒れた始めた。倒れる木々は、歩むように近付いてくる。
「え……、あれって……」
歩くだけで大樹をなぎ倒すのは、双狼よりも、更に巨体を持った獣だった。白い獣毛に覆われた、三つの頭を持つ獣。
スピネはその姿を書物で見たことがあった。かつて、世界に現れ災害として記録された【壊級】。
魔物の名は――ケルベロス。
「ケルベロス!? なんで【壊級の三ツ星】が――こんなところにいるのよ!」
スピネは恐怖を和らげるためなのか、自我を保つためなのか。自分でも分からないが、疑問を声に出して叫んでいた。
だが、その質問に答える人間はいない。いや、仮にこの場所に魔物に詳しい研究者が居たとしても、スピネの疑問に答えられはしなかっただろう。
それだけ、突如として現れたケルベロスの存在はイレギュラーだった。
「逃げなきゃ……!!」
とにかく逃げなければ。スピネは墓地の外に向けて急いで駆けだすが、
『ガアアアアぁ!!』
ケルベロスが咆哮する。空気を震わし声圧だけで倒した樹木を吹き飛ばす。当然、少女の小さな体躯が耐えられるはずもない。死体を食らったかのような腐臭を纏った生暖かい風がスピネを押す。土に塗れながら転がり、墓石の一つにぶつかって止まった。
「咆哮だけで……この威力」
全身を打撲したスピネは、痛みを堪えながら両手両足に力を込める。墓石を支えに立ち上がるスピネはある違和感に気付いた。
先ほどまで見ていた景色の中に、淡い緑色の膜が紛れ込んでいるのだ。天から吊るされたレースの如く揺らめく『ソレ』をスピネは見たことがあった。
「これは――領域の境界?」
領域には、結界ともいうべき壁があり、それによって魔物の移動を制限している。そして、境界は領域を作った三賢者にしか見えない。故にスピネが境界線を見る時は、必ず横にカスパールがいたのだが、今は何処にもいない。
それでも確かに境界線は美しく揺らめいていた。
「次から次に……。訳が分からないわよ……」
訳が分からなくとも、早く逃げなければ命が危ないことだけは確かだった。立ち上がったスピネは、脚を動かしてケルベロスから逃げようとする。だが、全身を打ち付けた手足が、スピネの意思に反して鋭い痛みを発する。骨の内側から破壊されるような痛覚に、墓石に背を付けながら地に沈んでいく。
ケルベロスの双眸がスピネを捉える。ゆっくりと三つの顔を近づけ、スピネの全身を舐める。腐臭とザラりとした舌の感触。
「ごめんなさい……。カスパール様」
このまま食われて死ぬんだ。自らの最後を感じ取ったスピネは、意思を託して死んでいったカスパールへと詫びる。
もし、ここで自分が死んでも、魂がこの世に残されているのだから、カスパールには会えないんだと悲しくなる。
――ああ、願わくば私が死んだ後、誰かカスパール様を救ってください。
スピネは誰にも届かぬ祈りを捧げた。
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