4話 一骨
声の主は、人間離れした脚力で木々の枝を利用して空を駆ける。双狼の頭上に飛び立った男は、半身程の長さをした骨を双狼に投げる付ける。回転しながら飛来した骨は、双狼の牙に当たった。
肉と骨が外部からの力によって拉げる音――。根元から折られた牙が頭を抱えるスピネの横を掠め、地面に突き刺さる。
「ひっ」
巨大な牙を見たスピネは更に深く頭を抱えた。あと数センチズレていたらスピネの脳天に落ちてるところだった……。
折れた牙に手を付いた男は、丸まったままの姿勢で固まるスピネを見下ろす。
「たく。毎日毎日、俺達の領域を荒らしやがって……って、うん? なんだ、この肉塊。食い残しか?」
身動き一つ取らずに膝を抱えるスピネを、双狼が置いていった餌とでも思ったようだ。腰から先ほど投げた骨よりも一回り小さい骨を取り出してスピネの脇腹を突っついた。固い骨がスピネの柔らかい皮膚と肉を押す。
「ひゃっ」
「おわっ!! 肉が生きてる!?」
驚きの声を上げたスピネに対して、双狼を追い払った人物もまた、驚き大きく距離を取った。
「……え、えっと」
スピネは立ち上がり、じっと男を見つめる。
スピネを助けた人物は10代後半の少年のようだ。眠そうな眼は、とても双狼を追い払った人間には見えない。髪は黒色で、男性にしては珍しく腰まで伸ばしていた。服装は戦士が纏っているような鎧。乳褐色で光沢を持たぬ鎧は骨で作られているようだ。
……見た目は人のようだけど。一人で双狼を追い払える人間がこの世にいるとは思えない。未知の男を警戒しながらも、スピネは男に礼を述べた。
「……そ、その助けて頂きありがとうございます」
頭を上げてスピネは男の言葉を待つ。沈黙と共に視線をぶつける二人。男はスピネを脅威ではないと判断したのか、骨を腰のベルトに仕舞った。
「馬鹿そうな顔だな。お前、ここがどこだか分かってるのか?」
「ば、馬鹿そうな顔!?」
初対面の――しかも可憐な少女に向かってなんてことを言うのか。スピネは喉元まで出掛かった言葉を飲み込む。
目の前にいる男は、双狼を追い払った相手だ。スピネは、目を閉じて三つ数える。「スピネは直ぐに行動に移す。行動力は良いことだが、時には立ち止まって考えなさい」と、カスパールの教えを思い出したのだ。
冷静さを取り戻したスピネは、声のトーンを落として聞いた。
「えっとですね。簡単に言えば人を探してまして……。一骨さんという人を探しているんですけど」
「……一骨は俺だが、そんな【人】はいねぇ」
「え?」
「あん?」
少年は自分こそが一骨だと言う。だが、そんな人はいない? どういう意味なのか? 理解できぬスピネは確認するように少年を指差した。
「いやいや、あなたが一骨さんなんですよね?」
「おう、俺が一骨だ」
男は胸を張って答えた。
「じゃあ、私の探してる人はあなたですよね?」
「あのなぁ」
何度も確認するスピネに眠たげな瞳が鋭くなる。
「やっぱり、お前……馬鹿だろ? お前が探してる人はいないって、俺さっき言ったよな?」
スピネは彼との会話を頭の中で思い起こすが、自分が間違っているとは思えなかった。自分の正しさを突き付けるように、師匠であるカスパールの名を告げた。
「あなたが一骨さんなら、大賢者――カスパールを知ってるはずです」
スピネの言葉に一骨の表情が固まる。やはり、この人物こそ自分が探している相手だと確信したスピネは話を続ける。
「先日、私の師匠であるカスパール様が亡くなったんです。その時に――」
話を始めたスピネの言葉を遮り、一骨はカスパールを卑下する。
「へっ。ようやくあの親父も死んだのか。不老不死になって戻ってくるとか言って、俺達を捨てた親父がよ」
「え?」
今度はスピネが固まる番だった。一骨は師匠の――カスパールの息子だと言うのか? 長年、カスパールと共に暮らしていたスピネでも、息子がいたことを初めて聞いた。仮に息子だったとして、なんでこんな辺境の墓地で暮らしているのか。
数多の疑問から何を聞くべきかと整理する。スピネの考えが纏まるよりも先に一骨が口を開いた。
「んで、お前は馬鹿賢者の死を伝えに来てくれたわけだ。ご苦労なこった。生憎、葬式に駆け付けようなんて気はないから、さっさと帰るんだな」
「そういう訳には行きません。むしろ、話はこれからなんだから!」
「まだ、あんのかよ? 俺に出来ることは何もねぇよ」
これ以上、話すことはないと一骨は墓地の奥へと引き返そうとする。一骨の背中にスピネは声を飛ばし続ける。
「カスパール様は、ただ死んだんじゃないんです。自らの魂を世界各地にばら撒いたんですよ!」
「魂をばら撒いた? 大賢者さまはそんなことも出来るのかよ……」
「ええ。カスパール様は殺されそうになり、魂を奪われそうになったので、自らの魂を裂いたのです」
殺されそうになった。
その言葉に一骨は足を止めて振り返る。
「ちょっと待て。死んだって寿命じゃないのか? 殺されそうになって魂を分けた!? あいつは腐っても大賢者だろ?」
一骨の言う通り、スピネもこの目でカスパールが殺される所を目撃していなければ、信じられなかっただろう。
世界に三人しかいない大賢者。
領域を作り、魔物を押さえ込むことに成功した人であって人ではない存在。彼ら自体が聖域とも言うべき力を持っているのだ。大賢者を超える【魔物】も【人】も居る訳がない。
だが、それでも大賢者は殺された。
瞳を伏せたスピネは、愛する師匠を殺した名を、口にしたくないとでも云うべき表情で、その名を告げた。
「……カスパール様を殺したのは、私の兄弟子であるスフェーンです。彼は大賢者の力を奪うために、弟子の振りをして、殺す機会を伺っていたんです」
カスパールを殺したのが弟子と知り、一骨は納得したように頷く。
「なるほどな。昔から、身内には甘いもんなぁ」
「そして、私はカスパール様の死後を任されたんです。私はカスパール様に穏やかに眠って欲しい……。そのために魂を集めて供養したいんです」
スピネは足を止めた一骨に近付き望みを口にする。カスパールの安らかな眠り。それがスピネの望みだった。
現在、カスパールは身体だけが埋葬されている。事情を知らぬ人々は大賢者の死を悲しんだが、スピネは純粋に涙を流せなかった。魂は今もこの世に残ったままなのだから――。
「で、それが俺と何の関係があるんだ?」
「え? 事情を知っても、父親の魂を集めようとか思わないの!?」
非情な一骨の言葉に、スピネの言葉遣いは崩れていた。
「これっぽちも思わないね。むしろ、余計手を貸す気が無くなった」
血を分けた息子とは思えぬ言葉に、スピネは湧き上がる怒りをぶつける。
「この、人でなし!!」
「人でなし? なに当たり前のこと言ってんだよ。本当、お前は面白ぇーヤツだな」
手に握っていた骨を空中に放っては掴む動作を繰り返す。興味がないことを、そうすることでスピネに伝えているようだった。
親の死を聞いても心動かぬ一骨。スピネはこんな相手の力を借りることが嫌になっていた。こんな男が大好きなカスパールの息子だなんて信じたくない。
荒れた感情をそのままに言葉を発する。
「ああ、そうですか。なら、こっちから協力は願い下げよ! あんたなんかこの場所で、スケルトンになって死ぬと良いわ!!」
スケルトンは、仲間を増やすことを目的としている。墓地に迷い込んだ人間を襲い、生きたまま土に埋める。暗い地面の中。飢えと恐怖に包まれて死んでいく。
ここはそういう場所だ。
スピネはそう言い残して、背を向ける。用もないのに魔物の領域で過ごすほど馬鹿じゃない。
「残念ながら、ここじゃ俺は死なねぇよ」
背後から聞こえる一骨の声。スピネはその声に振り返ることはなかった。墓地の外へ向けて足を進める。数分、歩いた後にもしかしたら、一骨が折ってきているのではないかと、期待を込めて首を捻るが背後には誰も居なかった。