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王太子殿下

「アリサ、こんにちは」

「王太子殿下、ご挨拶申し上げます」


 着古したスカートの裾をわずかに上げ、挨拶する。


 王太子殿下は、控えめに表現しても美しすぎる。背が高くてスタイルも抜群。容姿だけでなく、やさしくて気遣いも人一倍あり、明るくほがらか。けっして人のことを悪く言ったり非難したりもしない。


 文武共に優秀でもある。まさしく、この国の太陽のようなお方。


 貴族令嬢たちの憧れの的であることは言うまでもない。


 が、これまで何百人もの婚約者候補があがったにもかかわらず、だれ一人として婚約者に決まったことはない。


 噂では、想い人がいるのだとか。


 そんな王太子殿下とは、子どものころからの読書仲間である。仲間、というよりかはこの図書館でたまに鉢合わせし、本のことを話したり隣り合わせで本を読んだり、という程度なのだけれど。


 わたしが司書になり、この図書館で働けるようになったのも、王太子殿下の口添えがあったからである。


「アリサ、何かあったのかい?」


 いつものように顔をわずかに伏せたまま書庫へと続く階段を降り始めたとき、王太子殿下が尋ねてきた。


「い、いえ、何もございません」

「気のせいかな?元気がなさそうだ」

「いつものように元気ですよ。殿下、どうぞ」


 王太子殿下の気遣いには感心してしまう。わたしのちょっとした口調や態度から、変化を読み取ってしまうのである。


「ちゃんと準備をしております。申し訳ございません。本来なら上階の執務室でゆっくりご覧になっていただきたいのですが……」


 書庫の本は持ち出し厳禁である。一冊しか存在しない貴重な本、ぼろぼろになっていたりする本、手に持っただけで傷んでしまう本、理由は様々。本を護るため、この規則だけは守ってもらわねばならない。


 たとえ国王陛下や王太子殿下であってもである。


「承知しているよ。こうして見せてもらえるだけでありがたい」

「ありがとうございます。こちらの机に準備しています。わたしは上階にいますので、ごゆっくり閲覧なさってください」


 書庫に設置しているいくつかある机の上に、ご要望の資料を置いている。王太子殿下をそちらへと導いた。


「アリサ」


 一礼して去ろうとした瞬間に呼びとめられてしまった。


「その……。仕事、たくさんあるのかな?」

「二、三ございますが、どれも急ぎではございません。何かご要望がございましたら、すぐにいたしますが」

「だったら、いっしょにいてくれないかな?」

「はい?」

「あ、いや、その……。書庫は、どうも怖くてね。一人っきりだと不安になってしまう」


 そうだった。王太子殿下は、書庫にこもるときはときおりそう言ってわたしに一緒にいるよう、頼まれるのである。


 ここに幽霊や魔物の類が出るという噂はきいたことはないけれど、たしかに一人きりだと寂しいかもしれない。


「かしこまりました。それではすぐそこの区画の書棚を整理しておりますので、御用がございましたら……」

「い、いや、すぐ側に、あ、いや、そうだ。ほら、椅子を持ってくるから、ここに座っていてくれないかな?」


 王太子殿下はわたしの言葉をさえぎると、すぐ近くの机から椅子をかついできてご自身の机の側に置いた。


「殿下、それでは近すぎて気が散ってしまわれます」

「あ……。すまない。そうだね。近すぎる。じゃあ、机をはさもう」


 慌てて置き直したが、さして大きくもない机をはさんでいるだけ。距離が近いことにかわりはない。


「さあ、ここに座って」


 そう勧められれば従わないわけにはいかない。


 しかも、真向いだなんて。


 醜いものを見せてしまうことになる。


 さりげなく髪で火傷の跡を隠し、顔はよりいっそううつむき加減にした。


 王太子殿下は、最初こそ準備した資料に目を通していたが、気がついたら本のことで会話をかわしていた。


 今日もまたね。書庫だけではない。執務室でも結局は本の話で盛り上がってしまう。


 ふだんは他人との会話が苦手なわたしも、本の話題だけは心から楽しめる。


 今日もまた、隣国の作家の小説の話で熱く語ってしまった。


 こういうとき、王太子殿下はわたしの豹変ぶりにひいてしまっている。


 それでなくっても不愉快な外見なのに、よりいっそう不愉快な思いをさせてしまう。


 恥ずかしさと申しわけなさでいっぱいになる。


 資料を元の書棚に戻すので、執務室にどうぞと勧めても、いっしょに戻すからと高い書棚に自分で戻してくれた。


 こういう気遣いができるって素晴らしいわよね。


 二人で上階にいくと、王太子殿下とはちがう華やかさを誇る女性が待ち構えていた。


 ソフィア・ティーカネン。わたしの幼馴染。ティーカネン侯爵家の一人娘である。

 そして、わたしの婚約者であったガブリエル・ラムサのあたらしい婚約者である。


 そう。わたしたち三人は、近隣どうしで年齢も近いため、幼いころからともにすごした幼馴染なのである。


 わたしだけが彼女たちより二歳年下なので、妹みたいな感じだったのかもしれない。


 ソフィアは、わたしとはまったくちがう。同じ国の同じ女性、爵位はちがうけどおなじ貴族令嬢とは思えないほど、まったくちがう。


 社交的で活動的で積極的。しかも、絶世の美女。スタイルも抜群。


 王太子殿下が女性の憧れの象徴であるのにたいし、彼女は貴族子息たちの憧れの象徴なのである。


 ただ、彼女には難点が一つある。


 気が多いということである。男性にたいして、という意味である。


 わたしの元婚約者もだけど、わたしの幼馴染たちは、異性との交流が盛んすぎる。


「王太子殿下、ご挨拶申し上げます」


 ドレスも彼女自身もキラキラ光りつつ、彼女はまず王太子殿下に挨拶をした。


「ソフィア、あいかわらずだね」

「あいかわらず?ああ、美しさがということでしょうか?」

「まあ、ね」


 ソフィアは、クスクスと笑っている。


「王太子殿下もあいかわらずですね」

「まあ、ね」


 彼女はわたしの前に立つと腰に手をあて、居丈高に言った。


「アリサ。あなた、婚約を破棄されたんですってね」

「なんだって?」


 なぜか王太子殿下が、驚きの叫び声をあげた。


「そうなのです。ガブリエル・ラムサ公爵子息にです。来週の舞踏会で公にするらしいですわ。どうやらそのあとにあたらしい婚約者のお披露目もするとか。ちなみに、それはわたしなのですけどね」

「なんだって?」


 王太子殿下がまた叫び声をあげた。


「アリサ、いいこと?いつもみたいに公の場に出るのを避けてはだめよ。あなたが主役なんだから、ちゃんと出席しなくっちゃ」


 そして、恥をかくのね。


 それ以前に、王宮の舞踏会に着用できるようなドレスを持っていない。


 顔の火傷の跡のことで社交界から遠ざかってはいたけれども、両親が亡くなってからはよりいっそう避けるようにしている。


 後見人である叔父夫婦に屋敷も資産もいいようにされていて、日々の衣服ですら困っているくらいである。


「ドレスのことなら心配しなくってもいいわ。わたしの屋敷にきなさい。メイドたちに言いつけておくから、身支度をしてもらえばいいから。あなたには、しっかりと見届けてもらわなくっちゃ。あなたの元婚約者のあたらしい婚約者の晴れ姿をね。いまから楽しみでならないわ」


 うつむいたままでいるわたしに、彼女は一方的に告げた。


「殿下、殿下もいらっしゃいますわよね?」

「え?あ、ああ舞踏会に?いや、わたしもああいう場は苦手でね」

「だめですわ。殿下、多くの貴族が集まるのです。国王陛下もご出席なさるそうですし」

「あ、ああ、そうきいてはいるが……」

「いけない。そろそろ約束の時間だわ。王太子殿下、ご一緒にいかがですか?サロンでお茶の会があるのですよ」

「いや、それはやめておこう」

「一度くらいいいではないですか。じゃあ、アリサ。当日はかならず屋敷によるのよ。殿下、まいりますわよ」

「え、ええっ?」


 なんてこと。ソフィアは王太子殿下の腕に自分のそれを絡めると、ひきずるようにしてあるきはじめた。


「アリサ、また寄らせてもらうから」

「王太子殿下、お待ちしております」


 王太子殿下の背に、頭を下げて見送った。


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