04.『丁寧』
読む自己。
「おい」
「……あ、どうしました?」
放課後。
帰らずに窓の外に視線をぶつけていると、金井さんに話しかけられてそちらに意識を向けた。
いつの間にか私と金井さん以外の人はいなくなっており、いつの間に帰ったんだろうと不思議に思った。
「そんなぼけっとしてるくらいだったら、掃除手伝って」
「分かりました」
床を箒で掃いたり、拭いたり、まあいかにも掃除! という感じの行為をだらだらとして、黒板やボックスロッカーの上も同じようにして終わらせていく。
「木下、どうして帰らなかったんだ?」
「あはは……いつの間にかぼけっと外を眺めていただけですよ」
一面に広がる灰色。
教室内に響くざぁという音。
雨は嫌いじゃない。
それに金井さんが残ることを知っていたためでもあった。
もちろん、それは言わないけれど。
「あんたさ、あからさまに翆のこと避けてるよね」
「そうですか? そうでもないと思いますけどね」
話しかけられればきちんと答えている。
教室内のいろいろな場所にいるので、どうしたってあのピンク色を見ることになるわけだ。
それはいい。
だって喧嘩したというわけではない。
なんで「近づきたくないわね」と言っておきながら来てくれるのかは分からないままだけど。
掃除用具を片付けて席に座る。
「まだ残るの?」
「少しですけどね。気をつけて帰ってくださいね」
この薄暗い教室でゆったりした時間を過ごすのが好きだった。
嫌われてからは毎日教室で完全下校時間ギリギリまで過ごしていたから。
早く帰ると文句を言われる。かといって残ってると文句を言われる。
だからもう振り切って最後まで残るよう心がけていたのだ。
苦ではなかった。
大きな窓の向こうには綺麗なオレンジ色が広がっていたし、野球部やサッカー部の活動を見ていれば時間をつぶすのは容易だった。
「おい」
「あ、残っていたんですね」
「はぁ、そんな微妙そうな雰囲気伴ってる女の子を置いていけるわけないでしょ」
「特にないですからね、それに外を見るのが好きなんです」
四季全てにおいて好きだと言える。
あんまり変わらないのになんでだろうね。
「木下、明日土曜日だよね? どっか行かない?」
「暇ですけど……いいんですか?」
「うん。ま、どっか行くって言っても、喫茶店に行きたいくらいだけど」
そういえば引っ越してきてから高校までの道しか歩いていなかった。
どこになにがあるとか分からないため、その申し出はありがたく思う。
「あ、でも……」
一緒にいるときに「近づきたくないんだけど」と言われたら……。
「ごめんなさい。ありがとうございます、お誘いしてくれて」
それになんだかんだでふたりきりはまだ怖い。
相手が黙ったときが怖い。笑っても怖い。
お出かけ楽しそうなのになあ。
でも、不快な気分にさせちゃうからだめなんだ。
「なんでだよ……」
「なんででしょうね」
調子に乗っていなければと後悔しても遅い。
というか、初日から失敗だったのかもしれない。
もっと冷静に状況を見て、加藤さんが本当に悪く言われてないかチェックするべきだったんだ。
なのに調子に乗って、金井さんの髪について口出ししたりもして。
「ごめんなさい……余計なことをしてしまって……あれ? あ、もう帰っちゃったのか……」
そろそろ帰ろう。
どっちにしろ雨だしお出かけはできそうにない。
家にこもって大好きなお母さんと会話できれば問題はないのだ。
靴に履き替え傘を持って外へ。
「あはは、雨だなあ」
ゆっくりと歩いていこう。
「凪ー!」
翌朝、お母さんの大きい呼び声が急に聞こえてきて目を覚ました。
人に起こされるとどうしてここまで眠気が残るんだろうかと考えつつ、1階へ向かう。
「……お母さん、どうしたの?」
「どうしたって……もう10時超えてる! それに、京子ちゃんだって来てくれてるんだから」
「え……あ、おはようございます」
白いパーカーと白いズボン。
髪も綺麗になっていて、その対比が美しかった。
「どう……したんですか?」
「別に……ただ来たくなっただけだよ」
「ゆっくりしていってくださいね。洗面所に行ってきます」
顔を洗って歯を磨いていく。
「あぁ……なんで来ちゃったんだろ……」
口をゆすいでから、つい言葉を漏らしてしまった。
「なんでって、あんたが意固地だからだよ」
「あ……そういうの、やめた方がいいと思いますけど」
勝手に盗み聞きして唐突に会話に参加するってやつ。
それは私がして、そしていま私が言っていることはその子たちに言われたことだ。
「母さんには敬語じゃないでしょ、いいから敬語はやめろ」
「当たり前じゃないですか、大切なお母さんなんですから」
「おい」
「って……ちょ……」
なんで私は朝から綺麗な女の子に壁ドンってやつをされているんだろう。
こちらを見る彼女の表情は真剣で、怒っているわけではないとは分かるんだけど……。
「やめろ」
「近い……ですよ」
息が顔にかかるくらいの距離。
もし私がキス魔だったらとっくに奪われているというのにこの子は。
「むぅっ」
「いくら間近で言われてもやめないですよ、これは」
だってこう言われて敬語をやめたら悪く言われたんだ。
ましてや既に加藤さんからはあんなこと言われている状況、流されることはしない。
「ふふ、綺麗なお顔ですね」
「くそ……」
彼女は離れる。
笑っておけばなんとでもなるものだ。
「はぁ……じゃあいいから喫茶店行こーよ」
「ごめんなさい、お母さんといたいんです」
「なんなんだよあんたっ」
「木下凪ですよ」
リビングに戻るとお母さんがソファに寝転んでいた。
私はその柔らかいお腹の上に座って暖かさを味わう。
「な、凪……重い……」
「なっ!? 失礼だなぁ……」
金井さんが戻ってきたら座ることをやめて、お母さんもまた転ぶのをやめた。
「あの……今日はもうこれで帰ります」
「あ、うん! 気をつけてねっ」
「はい……」
申し訳なさは確かにあった。
でも、知らないんだあの子は。
嫌われるのことの恐ろしさを、あと私がすぐに調子に乗ってしまうことを。
……一応玄関までは見送ることにして、ぼけっと靴を履き終えるのを待っていた。
「……あんたさ、それ全部逆効果だからね、嫌われても知らないから」
出ていく直前に呟いた彼女の言葉を脳内でなぞって。
「これで嫌われるんだったら、もうそれは仕方ないよ」
私はひとりそこで呟く。
できることを全てやって嫌われて悪口言われるのなら、もうどうしようもない。
自分自身がだめなんだと割り切ることができる。いや、させられる。
そうなったらまた転勤を願うだけだ。
「お母さん、お腹へったー」
「あ、菓子パンあるよ?」
「食べるっ」
机の上に置かれていたパンの封を開けて食べ始める。
「美味しい」
月曜日。
今日も外は雨模様。
それでも気分が軽いのは、教室内で佐々木さんが賑やかだからだろう。
なんとなく彼女を眺めていたら、目が合ってこっちにやって来てしまった。
「どうしたのー?」
「あの、佐々木さんがいてくれると明るくて落ち着くんです。ほら、外は雨で暗いじゃないですか、それを照らす光、みたいな」
「なっ!? な、なんとぉ……」
あーあ、前もこういう思ったことを口にして嫌われたのに……。
佐々木さんは後ずさりをして、こちらを驚愕といった表情で見ていた。
お前ごときがそんなこと言うなんて、そんな風に驚いているのだろうか。
「麗、うるさい」
「ちょ……ひどいよ~」
「いいんだよそいつは放っておけば」
「なんでさ? お友だちでしょ~?」
「……それを本人が望んでるんだ、だから仕方ないだろ」
うん、金井さんと佐々木さんが仲がいいのは確かなようだ。
そして意外と彼女たちに加藤さんが近づいて来ることはないと。
「望んでるって嘘でしょ? 本当は一緒にいたいって思ってること分かるよ僕」
「いーや、木下は一緒にいたいなんて思ってない。敬語もやめないし、誘いにも乗らない。だから、関わってやらないことが、……本人のためだよ」
「なに恐れてるの? 踏み込もうとして失敗したからそんなこと言うんだよね京子ちゃんは」
最初はこうなんだよね。
味方をしてくれる子はいる。正にあのときの唯一と言えたお友だちがそうだった。
でも、加藤さんの言うようにマイナス思考をする私に嫌気が差したのか、向こう側の人間になっていて。
全部筒抜けだった。
信じてれば大切な話だってするだろう。
それが全て漏れているとも知らずに馬鹿みたいに信じて――
「佐々木さん、ありがとうございます。でも、金井さんの言うとおりですから」
「ふぅん、そうなんだ?」
「……はい」
わざわざ敵を作るような言い方になった。
そりゃ私だって信じたいし、一緒にいたい。
けれど、弱い自分が邪魔をする。
また裏切られるぞって囁いてくる。
「木下、あんた馬鹿だね、忠告を全然聞かないでそんなこと!」
「やめなよ京子ちゃん!」
「ふふ、確かに馬鹿かもしれないですね」
過去の私に言ってあげてほしい。
馬鹿だねって。やめておきなよって。
「何度もありがとうございます」
私は丁寧に頭を下げてそう言った。
ガードが固い子ってのは男女関係なくいそうだ。