6 学園へ戻る
朝、起きた頃にはすっかりと体調は良くなっていた。
ディオン様を見送ってすぐにアネット様が私を迎えに来た。
先ずは職員室に向かって説明を受け、校舎の案内に移った。
普通科と侍女・侍従育成科は同じ校舎で繋がってはいるものの、棟が分かれている為育成科に行くのは初めてだ。
何故か、校内見学にアネット様とクロエさんも付き添った。
「へぇ。育成科ってこうなってたんだ~」
アネット様が興奮気味に言う。
彼女も此処の卒業生だが、公爵家の令嬢が育成科に来ることなどなかったはずだ。
普通科とは程遠い造り。
普通科は豪華絢爛とした造りだが、育成科はそれよりも質素で普通の学校といった感じだ。
日本での記憶がある私からすると、これでも十分セレブ感があるが何だか落ち着く。
「何か落ち着く。私も此処で勉強したかったなぁ」
どうやらアネット様も私と同じ事を考えていたらしい。
これからの予定や校内見学をしている内に時間はあっという間に過ぎて放課後の時間になっていた。
「折角だからディオンを迎えに行って一緒に帰りましょうか」
「えっ、しかしディオン様は確か放課後は生徒会があるはずでは……」
「そんなの一日サボったくらい大丈夫よ」
職員室を出た私達はアネット様の後に続いて普通科の校舎に向かった。
うう、視線が痛い。
行き交う人々の視線が私達に突き刺さる。
アネット様は全く気にしていない。
「ねぇ、あれって…」
「如何して此処に…」
ヒソヒソと囁き合う。
アネット様への視線半分。
私への視線半分。いや、三割。そう願いたい。
アネット様は公爵家の令嬢で領地を任せられ異例の業績を上げているのは、モグリでも知っていることだ。
それに、ディオン様のお姉様なだけはある。
誰もが振り返る程の美しい顔立ちは、噂も相まって男女共に尊敬の眼差しが向けられている。
先頭を歩くアネット様はピンと背筋を伸ばし澄まし顔で歩く。
まるで周囲の視線を自分に集めるかのように。
「ディオンがいるクラスはあそこよね」
アネット様が私に尋ねる。
「はい。二つ先の教室にございます」
「ふっ…あの子の吃驚する顔が楽しみだわ」
口元を殆ど動かさずに囁かれた声は後ろを歩いていた私とクロエさんの耳にはしっかりと聞こえてきた。
クロエさんは小さく呆れた溜息を零す。
アネット様、完全に楽しんでますね。
「ディオンはいるかしら」
教室に着くなり、開口一番に尋ねた。
「姉上…なぜ。ああ…そういうことですか」
まだ教室に残っていたディオン様は問いかけて、私の姿を認めると一瞬で状況を理解した。
ディオン様は私達の元に歩いて来る。
「えっ、もしかしてルナリア様ですか!?」
甲高い声が横から聞こえた。
そこには、殿下や攻略対象者に囲まれたアメリーの姿があった。
「如何して君が此処にいる。君は貴族社会から追放されたはずだ」
パトリス殿下の視線が鋭く光る。
殿下の顔が見れなくて私は無意識に俯いてしまった。
「御機嫌よう。殿下、お久しゅうございますわね」
「あ、貴女はっ…アネット嬢……」
「弟が何時もお世話になっております」
「あ、ああ…」
アネット様の声音は冷たい。
殿下の御前であろうと無表情のまま挨拶を交わす。
彼女が氷の女王と呼ばれる所以だ。
殿下は何故か小さい頃からアネット様に苦手意識を持っており、目が泳いでいる。
「アネット嬢はその…お加減は如何だろうか」
殿下が尋ねた瞬間場の空気が冷えた気がした。
アネット様はすぅっと双眸を細める。
「そうですわね。時折、古傷が疼きますがそれ以外は問題御座いませんわ」
「……っ、……」
殿下の顔色があからさまに変わったのが分かった。
「あ、あの!もしかして、貴女様はディオン様のお姉様ですか?」
場の空気を読まない者が一人。
いや、分かっていて自分が除け者にされているのが許せずに声を上げたのだろう。
この人はそういう人だ。
よく言えば天真爛漫。
悪くいえば、厚顔無恥。
その天真爛漫で飾らないところに惹かれたのが彼女の周りを囲う攻略対象者達だ。
「わたくし共はこれで失礼致しますわ。今日はディオンも連れ帰りますがよろしいでしょうか?」
「あ、あ…。生徒会の仕事も急ぎのものは無いから大丈夫だ」
「ありがとうございます。それでは御前失礼致しますわ。行くわよ、ディオン」
アメリーの言葉を無視してアネット様は踵を返す。
ディオン様は私の隣に来てアネット様の後に続こうとした時。
「あの!私の声聞こえてますよね!何故無視するんですか」
「アメリー!?」
「……それは、わたくしに言っているのかしら」
「そうです!幾ら爵位が高いからって人の言葉を無視するのは酷いと思います!」
周囲がざわめく中アネット様は足を止めた。
アメリーは正義感溢れる顔でアネット様を睨み付ける。
本当に…変わらない。
貴族社会に新しい風を
なんて
夢物語にも程がある。
彼女の変わらぬこの態度にだけは未だに辟易とする。
その厚顔無恥を容認する殿下や攻略対象者達にも。
「貴女はバルテ子爵のご令嬢ですわね?」
「そうです。それが何だと言うんですか」
問い掛けただけで過剰的に噛み付くアメリー。
「……分をわきまえなさい!」
ピシャンと静かに、しかしよく響く声が谺した。
アネット様の目は何処までも冷たい。
この一言に彼女の静かな怒りが感じ取れる。
他の者達もそうなのだろう。
青い顔で此方を見ている。
「なっ…」
アメリーは突然の事に言葉が出ないのかパクパクと口を開閉する。
「ああ、そうでしたわ。わたくしから皆様に御報告がございますの」
アネット様はアメリーを無視して再び殿下達に向き直る。
「彼女、ルナリアをグラニエ公爵家からディオンの侍女として育成科に通わせる事になりましたの。残り短い期間ではありますが、みなさんルナリアともディオン同様仲良くして下さいね」
そこでアネット様は此処に来て惚れ惚れとするような笑みで初めて笑った。
アネット様の言葉は生徒達に対する牽制。
公爵家に仕える者と伝えるだけでもそうそう手出しが出来なくなる。
しかも、ディオン様の侍女で彼と同様にとお願いする事で更に強い牽制となる。
公爵家から来ている私に手を出せば、公爵家に仇なした事と同義だ。
アネット様はこの為に、一緒についてきて下さったのだろうか。
アネット様の計らいに涙が出そうになるのを下唇を噛み締めて耐える。
俯いた私の頭を一度だけクロエさんが優しく撫でた。
「えっ、どういうことですか!?ルナリア…様は平民になったはずじゃ…」
やっぱり彼女は知っていたのか。
知っていて陥れた。
「平民になったから私の侍女として雇ったのですよ…」
ディオン様がアメリーの問いに答える。
「ど、如何してですか!?」
「君に答える義理はない」
「でも、ルナリア様ですよ?私、ルナリア様に酷いいじめを…」
「……だから?」
涙を浮かべるアメリーにディオン様は冷たい眼差しを向ける。
「え?…いや、だから…ルナリア様はディオン様の侍女にしない方が──」
「君には関係ない」
「わ、私はディオン様が心配なんです!」
「……行きましょう。姉上」
「あら、もういいの?」
「ルナリアが私の侍女であることはグラニエ家の決定ですので」
「ふふっ、そうね。」
アネット様は無表情だが楽しそうな色を目に宿してアメリーとディオン様のやり取りを見守っていたが、ディオン様はアメリーとのやり取りを強制的に終わらせた。
アメリーはまだ何か言い募ろうとしていたが、アネット様とディオン様は振り返ることなく去って行った。
クロエさんと私も二人の後に続いて学園を後にした。