4 忠告
グラニエ領で過ごす最終日の夜。
私は、アネット様の自室へと招かれていた。
話がある時は、いつも書斎に呼ばれるのだが、今日は違った。
「明日は朝早いというのにこんな時間に呼び出してごめんなさいね」
「い、いえ」
アネット様の謝罪にただ首を横に振った。
アネット様と二人きりで話すのは初めてかもしれない。
いつもは、背後にクロエさんが控えているのだが、お茶の給仕を済ませると彼女はすぐに部屋を出て行ってしまった。
目の前に座るアネット様の視線がずっと私に向けられていて、居心地が悪い。
「ルナリアちゃん、今日貴女を呼んだのはディオンに関して聞きたいことがあったからなの」
「ディオン様に関して.......ですか?」
思いもよらない話題に問い返すと、アネット様は悠然と頷いた。
「まどろっこしいのは嫌いだから単刀直入に聞くわ」
言って真っ直ぐに私を見つめる。
「ルナリアちゃん、正直に答えて頂戴。貴女、ディオンの気持ちに気が付いているでしょう」
アネット様の発言に私は目を見開いた。
問い掛けではなく、断言されたことに戸惑う。
問い掛けならばまだ、誤魔化しが効いたかもしれない。
しかし、断言されたことにより逃げ道を塞がれた。
気が付いていないといえば嘘になる。
しかし、確信はなかった。
だけど、アネット様の発言によって疑惑は確信へと変わり、受け入れざるを得なかった。
「はい。薄々は.......」
主人であるアネット様に嘘をつくことも誤魔化すことも出来るはずもなく、私は歯切れ悪く頷いた。
すると、彼女は仰々しく溜息を吐いた。
「ったく、あの子は.......何が分かっているよ.......」
アネット様は片手を額に当てて何かブツブツと言っている。
何か不味いことでも言ってしまっただろうかと、狼狽えていると勢い良く顔を上げた。
「ルナリアちゃん、貴女はディオンのことをどう思っているのかしら?」
「え!?」
「いきなりこんな事を聞かれて驚くのも無理ないわ。だけど、貴女の気持ちを知っておきたいの」
アネット様はテーブルの上で手を組んで両肘をついた。
私の気持ち.......
私の心は今、ディオン様にある。
しかし、その事を従者である私が正直に言ってもいいものかと困惑する。
「じゃあ、聞き方を変えるわ。ディオンとは何処まで進んだのかしら」
言い淀む私に、見かねたアネット様は真顔で切り込んだ。
薄い水色の瞳に全てを見透かされているかのような錯覚に陥る。
無意識にごくりと喉を慣らして唾を飲み込む。
「接吻.......は、しました」
「そう.......」
沈黙が痛い。
正直に答えると、アネット様は目を伏せて考え込んでしまった。
「二学期からシロも育成科に通わせる手配をしたわ。そこで、貴方たちと一緒にシロも住まわせることにしたの。ベッドもルナリアちゃんとシロなら二人で寝ても問題ない広さはあるでしょう?問題ないわよね」
シロが二学期から一緒の学園に通うことは初耳で、これからもシロと一緒にいれるのは純粋に嬉しい。
だが、アネット様の視線が鋭く刺さる。
アネット様の声音、雰囲気、表情、話の流れから頭に過った単語があった。
監視。
シロは監視としてつけられたのだと理解した。
「問題ありません」
私とディオン様の関係性は主人と従者。
それ以上でも以下でもない。
そう、言外に指摘された気がした。
「それから話はもう一つあるわ。もし、アングラード家の者が接触してきたら絶対にディオンには伝えず、すぐに私に連絡して頂戴」
「お父様とお母様が.......ですか?」
驚きに目を瞠る。
これまで、両親からの接触は一度もなかった。
パトリス殿下とは婚約破棄をし、平民に落ちた私など両親にとっては不要な存在でしかない。
今更、接触があるとも思えないがアネット様が言うのだ。
「若しくは、知らない外部の人間が接触して来たらすぐに私に報告すること。それと、決して一人で行動はせず、シロと一緒にいること。いいわね」
「承知致しました」
「話は以上よ。戻っていいわ」
「失礼致します」
私は深く頭を下げて、アネット様の部屋を後にした。
私は、部屋へと戻る途中水軍創設についてアネット様に話しておかなければいけない案件を思い出して、すぐに踵を返した。
アネット様の部屋へと続く角を曲がると、クロエさんが入室するのが見えた。
一瞬、クロエさんがこちらを見た気がしたが気のせいだっただろうか。
アネット様の部屋に近付くと、僅かに扉の隙間が開いている事に気付いた。
中から微かな話し声が聞こえる。
「お嬢様、そんなところで寝ると風邪を引きますよ。寝られるのならベッドに入られてください」
「クロエ.......」
「なんて顔をしてるんですか」
「私……ルナリアちゃんに酷なことをしたわ。あの子は聡い。私の言動、表情から言わずとも私の意図を汲み取ってくれたと思うわ」
初めて聞く、アネット様の弱々しい声。
アネット様は常に自信に溢れ、カリスマ性があって凛々しい姿は世の女性の憧れの的でもある。
そんな彼女が、クロエさんの前では自嘲と顰笑が入り混じった表情を浮かべている。
「彼女は私を信用してくれてる。私の期待に応えようとしてくれてる。.......だけど、私はそんなルナリアちゃんを利用しているのよね」
アネット様は暗く、吐き出すように言った。
「それの何がいけないんだ?」
「クロエ?」
「自分が幸せになる為に、他人を利用して何が悪い。それに、お嬢はルナリアを救った。ルナリア自身そう思っている。お嬢は自分の為にそうしたんだろうが、その結果誰かを間接的に助けているのも事実だ。私がお嬢と出会ってそうあったようにな」
クロエさんは、日常的な俗な言葉遣いで言う。
クロエさんの言う通りだ。
私を助けたことがどうアネット様に関係するのか分からない。
だけど、利用されているなんて私は思っていない。
アネット様は私に居場所をくれた。
安らぎをくれた。
そして、アネット様に拾われ育成科に通うようになって、得難い唯一無二の友を得た。
「だけど、ルナリアちゃんなら他の人生を歩むことが出来たと思うわ。私.......怖いの。私は自分の為に貴方たちの人生を決めている。計画が上手くいけばいくほど、私のエゴで貴方たちの幾つもある人生という道を潰してしまっている」
「見くびるなよ」
「クロ──」
「私たちがお嬢一人に人生を決められているだと?私の人生はあんたのものでも誰のものでもない、私だけのものだ。少なくとも、私は自分であんたに仕えることを選んだ。嫌になったらお嬢を殺して逃げることくらいわけない」
そう言うと、クロエさんはダガーの切っ先をアネット様の喉元に突き付ける。
固唾を飲んで、扉の隙間から覗く。
すると、アネット様はフッと息を吐いた。
「そうね、ごめんなさい。貴方たちの人生は貴方たちだけのものだわ。嫌になったら逃げ出してくれても構わない。私の人生に必要な存在ではあるけど、逃げ出したからといって咎めたりはしないわ。勿論、ルナリアちゃんやシロに関してもね」
アネット様は、ダガーを突きつけられたままクロエさんを見上げ微笑む。
その表情と言葉に、クロエさんはダガーを下ろして鞘に納めた。
「.......お嬢様は、酷いことと言ってましたが、ルナリアとディオン様が想い合うことに反対しているわけではないのでしょう?」
「勿論よ!ただ、まだ早いってだけで寧ろ、ルナリアちゃんがディオンを好きになってくれるかが一番の心配だったんだから!本当なら、ディオンはどうでもいいから養子に迎えて義妹にしたいくらいよッ」
私は、扉を静かに閉めてその場を後にした。
話はまた明日、出立する前に伝えればいい。
今はただ、アネット様の為にもっと知識と力をつけて、彼女の役に立つ存在になることを胸の内に固く誓った。




