48 アネットの婚約者
焦げ茶色の髪に灰色の瞳。
熊のようにガタイの良い体躯に、鋭い瞳は百獣の王を思い立たせるような気迫を纏っている。
口周りに生やした髭が面差しを更に渋く見せた。
アネット様の婚約者が十一歳も年上の二番隊隊長である事にも驚きだが、それよりも紹介された名前に驚愕した。
「お久しうございますアストルフォ様。」
「遠征に出る前にルナリア嬢が挨拶に来て以来だな。あれから色々あったと聞いている。」
「はい。ですが、こうしてアネット様の恩恵に預からせて頂きわたくしは事無きを得ることが出来ました」
「そうか。大変だったな」
「い、いえ。あの……アストルフォ様はオクレール家の方だったのですか……?ファミリーネームをお聞きするのは初めてだったので驚いたものでして……」
彼には数度お会いしている。
だが、ファミリーネームを聞くのは初めてだった。
オクレール家とは数十年前に家系が途絶えた名である。
「ほお、オクレールの名を知っているのか」
「オクレールの名を知っているなんて流石ルナリアちゃんだわ。アストルフォ様は生粋のオクレール家の御方ではないの。けれど、オクレールの名を継ぐ者ではあるわ」
オクレール家とはジェフリーとの戦いで亡くなった前一番隊隊長のファミリーネームである。
そして、彼はバロワン伯爵領の領主でもあった。
しかし、彼には子供はいなかったはずだ。
「どういう事でしょうか……。バロワン伯爵は生涯独り身で、遠縁に当たる方が頃年までバロワン伯爵領を治めていたと記憶しております」
「ええ。ルナリアちゃんの記憶は正しいわよ。前一番隊隊長であるバロワン伯爵にはお子がいなかった。けれど、養子はいたのよ。それが彼、アストルフォ様よ」
「……つまり、アストルフォ様には爵位継承は無いので、バロワン伯爵領は前一番隊隊長の遠縁に当たる方が伯爵を継いで、オクレール家の名をアストルフォ様が継いでいると言うことでしょうか?」
「流石だな。飲み込みが早い」
これでも王子妃として学んで来た身だ。
前一番隊隊長は最愛の婚約者であった方を戦争で亡くされてから、誰一人として妻も妾も娶ることは無かったと聞いている。
子供がいなかった彼が養子を取ることは別段驚く程のことではない。
養子に爵位の継承権はない為、養子という概念があまり無い世界だが子宝に恵まれなかった夫婦が孤児を養子にすることも無いわけではなかった。
「けれど、彼は近々バロワン伯爵領を継ぐ事も決まっているのよ」
アネット様の言葉にまたも驚愕した。
前一番隊隊長の跡を継いだバロワン伯爵も頃年亡くなり、彼にもまた庶子しかおらずバロワン伯爵領は空席となっていた。
「バロワン伯爵はご高齢で嫡子を望むのは難しいだろうということで、もし、彼が亡くなった場合は俺がバロワン伯爵を叙勲することになっていたんだ」
「アストルフォ様が昨年の大戦で隊長首一つと将校首二つ取った事はルナリアちゃんも知っているわよね。」
「はい。二番隊副隊長であらせられるマルクス様も敵の指揮官を討ち取られたとして第二番隊の方々の活躍はめぼしいものであったと聞き及んでおります」
「そうよ。その結果、論功行賞でマルクス様は男爵位を叙勲なされた。けれど、アストルフォ様は叙勲されなかった。この意味、貴女なら分かるわよね」
「アストルフォ様への論功行賞はバロワン伯爵領でしたが、バロワン伯爵が御存命だった為に勲位を授からなかったということでしょうか?」
「正解よ。……ふふっ、だけど納得行かないって顔をしてるわね」
「い、いえ!そのような事は。」
アネット様に指摘されて慌てて否定するも、不思議に思った事は事実だった。
論功行賞が執り行われた時には、まだバロワン伯爵は御存命だった。
それにより、叙勲出来なかった事は分かるのだが、バロワン伯爵領といえば格式は公爵と同等か格上である。
バロワン伯爵の爵位を狙う者の中には、公爵の爵位を持つ者もいるほどだというのに、事前に叙勲を決めることが出来るのか不思議だった。
「前バロワン伯爵も生前からアストルフォ様に叙勲を与えることに賛同して下さっていたから可能だったことなのよ。それと、アストルフォ様には大きな後ろ盾もあったから反発も少なかったの」
「後ろ盾……ですか?」
公爵と同等の格式あるバロワン伯爵領を争いなく、周囲に認めさせることが出来るほどの後ろ盾となるとかなりの格式ある家柄の者となる。
筆頭公爵であるグラニエ家かとも思ったが、アネット様とアストルフォ様の婚約は一部の者達しか知らないようなのでグラニエ家の後ろ盾では無さそうだ。
「聞くよりも会った方が納得するかもしれないわね。アストルフォ様、本日お義父さまは訓練所にいらっしゃってますか?」
「アネット……それはあの人から言わされているのか」
「あら。嫌でしたか?ふふっ、わたくしは結構気に入っているのですけれど。お義父さまもとても喜んで下さいましたわ」
「だろうな……。あの人なら若い連中を扱いているところだ」
アストルフォ様はアネット様の特定の人物に対する呼び方に胡乱気な表情を浮かべた。
彼の表情とは相対してアネット様は嬉しそうな笑みを浮かべる。
"お義父さま"この単語が意味するところは、アストルフォ様のお父上だと容易に予想つく。
しかし、養父だった前一番隊隊長は既に亡くなられている。
疑問に思いながらアネット様とアストルフォ様の後に続いて訓練場へと向かった。
訓練場では多くの騎士達が訓練に励んでいた。
そこに、一際目立つ人物がおり、その人物が私達の存在に気付く。
アネット様はその人物の視線に頭を下げて応えた。
「今日は三人も別嬪さんが来てくれるとはな。むさ苦しい男達の相手ばかりしていたもんだから目の保養になっていいわい」
私達の存在に気付いた人物はすぐに此方へと向かって来た。
これまた、アストルフォ様と同じく大男が姿を現した。
アストルフォ様との違いは、彼よりも更に年上で体格がいいというところだろうか。
あと、元は金の髪に白髪が混じっており、アストルフォ様よりも渋い。
そして、武王として知られる陛下と顔立ちがよく似ている。
彼は、陛下の弟君で騎士団の頂点に立つ騎士団長だった。
「久しぶりだな。娘よ」
「お久しうございます。此度の遠征お疲れ様でした。お義父さま」
二人は両手を広げると、熱い抱擁をする。
王弟殿下は腰を軽く屈めるとアネット様はその頬へと口付ける。
「クロエ嬢も久しぶりだな」
「お久しぶりでございます。ご無事でなりよりです。ヘクトール殿下」
王弟殿下はアネット様を解放すると、次にクロエさんに向き直り両手を広げる。
クロエさんは慣れた様子でアネット様同様熱い抱擁を交わし、頬へと口付けた。
クロエさんとの抱擁も終わり、王弟殿下は私の方へと顔を向けた。
「ルナリア嬢。兄上から話は聞いておる。甥が迷惑をかけたなぁ」
「お久しうございますヘクトール殿下。いえ、わたくしの力量が足らずパトリス殿下をお止め出来なかったこと、誠に申し訳ございません」
私は深々と頭を下げた。
私に向けて広げられた両手に気付かなかったフリをして。
「顔を上げよ。ルナリア嬢が謝ることではない。謝るのは愚かな甥の方だ」
王弟殿下の言葉に顔を上げると、彼は未だ両手を此方に向けて広げていた。
「……ルナリアちゃん。行きなさい」
ボソリと告げられた、アネット様からの進言で私は遠慮がちに王弟殿下に近付いた。
こんな事は初めてな上に、相手が王弟殿下ということもあり、緊張で顔が強ばってしまう。
傍まで寄ると王弟殿下は私を熱い抱擁で迎えた。
「ぐえぇっ、」
何これ。
痛い痛い痛い
しかも、蛙が潰れるような声が出てしまった
恥ずかしい!
「ルナリアちゃん!?」
「ルナリア!?」
「ルナリア嬢!?」
王弟殿下以外の方々の慌てた声が聞こえたが、それよりも肺が押し潰されて意識が遠のきそうである。
「お義父さま!このままではルナリアが死んでしまいます!」
「団長!ルナリア嬢が潰れてる!あんたハグで人を殺す気かっ!」
「む?何故だ。アネット嬢とクロエ嬢と同じ力加減で抱擁しておるのじゃぞ」
「ルナリア嬢は慣れてないんだから二人と同じ加減で抱き締めたら潰れるに決まってるだろ。ったく、今にも窒息死しそうじゃねぇか!」
アネット様もクロエさんもこの抱擁を受けていたんですか……
朝食べたもの全部出てきそうなんですけど。
その前に、肋骨が持っていかれそうです……
アストルフォ様のお陰で何とか王弟殿下の抱擁から解放された。
「ルナリア嬢大丈夫か?団長がすまねぇな」
「いえ……だ、大丈夫です」
死ぬかと思ったとは口が裂けても言えない。
左手は義手だというのに、何処にこれ程までの力があるのか不思議だ。
「アネット様。もしかして、アストルフォ様の後ろ盾というのは──」
「ええ。ヘクトール殿下がアストルフォ様の後ろ盾になられているの。殿下は、前一番隊隊長が亡くなられた後、アストルフォ様を引き取られ彼の育ての親でもあるのよ」
「何だ。ルナリア嬢にはまだ教えてなかったのか?」
「はい。顔合わせも兼ねて直接お二人にお会いして説明した方がいいかと思いまして。それに、ルナリアの身の振り方が漸く安定したので社会勉強の為に彼女にも教えておこうと思いましたの」
「ガハハハハ。アネット嬢が何を企んでおるか知らんが程々にな」
「まあ、お義父さま。企むなんて人聞きが悪いですわ。わたくしは何れルナリアの役に立つと思ってのことなんですのよ。」
「フッ。アネット嬢の考えはワシにも全く読めんからのう。なんせ、戦場に生涯を捧げ孫の顔を見ることは叶わんと諦めておった男を落とした女性だからのう」
王弟殿下は感慨深そうに顎髭を擦りながらそう洩らすも、その表情は実に楽しそうな笑みが口元に浮かんでいた。
「うふふ、アストルフォ様はまさにわたくしの理想の殿方。この方以外と夫婦になるなんて考えられなかったんですの。多少骨が折れましたが、アストルフォ様の婚約者にして頂けた上にお義父さまの娘になれてわたくしは世界一の果報者ですわ」
「ガハハハハ。そうかそうか。ワシもアネット嬢のようなめんこい娘が出来て嬉しいわい。──じゃが、式はいつ挙げるのかワシが生きとるうちに孫の顔が見れるのかだけが心配じゃのう」
王弟殿下は大口を開けて豪快に笑うも、語尾に連れ鋭い眼光がアネット様へと向けられた。
しかし、アネット様は臆すること無く笑顔を浮かべた。
「もう時期お見せ出来るかと思いますわ。弟のディオンが卒業後領地を継いでくれれば、わたくしは何時でもアストルフォ様の元へ嫁ぐ準備は出来ておりますわ。ただ、それまでにやっておきたい事がありますのでそれが上手く行くように今はまだ、グラニエ家で活動したいだけですわ」
「グラニエ領ではなく、グラニエ家で……か。まあ、深くは追及するまい。アネット嬢の事じゃ。余程大事な事なのだろうからな」
王弟殿下はアネット様へと向けていた目を一瞬私の方へと瞳を向けられた気がした。
「ワシは戻るがゆっくりして行ってくれ。とはいえ、むさ苦しい男共の訓練姿しかお見せ出来んがのう。訓練を見て行くのであれば、アストルフォ。アネット嬢達の警護を兼ねて案内してやれ。此処は狼共の巣窟のようなもんだからのう」
それだけ言うと、王弟殿下は訓練場へと戻って行った。
それから私達は、第二番隊の方々を労う為に彼等が屯する場所へと案内して貰った。
私は、冤罪を晴らす証人となって下さったマルクス様に御礼を告げ、第二番隊の方々と少しお話をして騎士団をあとにした。
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以下、アネットの婚約者、アストルフォのイメージ画。
※イラストが苦手な方はご注意ください。
※他作品からの引用です。イメージ画ですので、アストルフォ本人ではありません。
(引用元:悪役令嬢はおっさんフェチ)
ベラ&シルヴァン
シルヴァンをもう少し、渋くして騎士の甲冑を着せたのがアストルフォです。
絵:桜ゆきの様
次回から第二章へと移ります




