4 飼われた令嬢
アネット様は正直言ってよく分からない人だった。
何を考えているのか。
何を企んでいるのか。
「ディオン、貴方の侍女としてこれからルナリアちゃんを付けるからよろしくね!」
は?今なんて?
そう言われた時は、同じ言語を話しているのかすらも分からなくなった。
「姉さんはまた勝手に…」
背後から低い声が聞こえ振り返ると不機嫌な顔をしたディオン様が立っていた。
「ルナリアが戸惑ってるじゃないですか」
あ、名前。
久し振りに呼ばれた。
って、違う。
ディオン様いつからいたの!?
「とか言って~。拒否しないってことは了承したってことよね」
「断ったところで貴女は聞き入れないでしょう…」
「勿論。ディオンに拒否権あるわけないじゃない」
アネット様はさも当然だと言わんばかりに頷いた。
ディオン様、いつになく饒舌だな~
他人事のようにぼんやりと思っていたら、アネット様に両頬を押し潰された。
いや、掴まれた。
「あ~ん。でも、やっぱりルナリアちゃんも私の傍に置きたい!」
「えっと…あの。わたくしてっきりアネット様の身の回りのお世話をするのかと……」
「私もそう思ったんだけどねえ。貴女には一流の侍女になってもらおうと思うの。公爵家の侍女として恥ずかしくない知識を身につけて貰わなくちゃね」
「つまり…わたくしは卒業するまであの学園に通うと言うことでしょうか」
「そういうことっ」
私が通う学園には二つの学科がある。
一つは、私やディオン様が通っていた普通の学生として勉学に重きを置いた学科。
二つ目は、侍女侍従を育成する学科だ。
私達が通う学校は貴族が通う学校だ。
貴族は家格が劣る令嬢や家督を継げない三男坊以降の者達は、政略結婚の道具とされるか家格が高い邸の使用人として働きに出される。
その為、この学園では一流の侍女や侍従を育成する機関が設けられ、その学科を出た者は伯爵以上の爵位を持つ家から声をかけられることが多いのだという。
「手続きは此方でするから安心して」
アネット様は軽快な口調でウィンクを飛ばして言う。
「は…い……」
私は俯いた。
もう学園に行かなくて良いんだと思ったんだけどな……
この二つの学科は月一で合同授業がある。
学科や棟が変わった程度で私を取り巻く環境が変わるとは思えない。
だけど、拾ってもらった身で我儘を言える立場じゃない。
「貴女の今の学園での境遇は知っているわ。だけど、負けないで」
アネット様がいきなり抱き着いてきて耳元で囁く。
驚いて顔を横に向けると、少しだけ申し訳なさそうに笑った。
「それにね、私やられっぱなしって嫌いなのよ。それが例え他人であっても気に入った子が貶されているなら尚更。あの馬鹿共をざまぁしてくれるのを楽しみにしているわ」
そう言ってアネット様は私の頬にキスをした。
リップ音に驚いて頬を押さえて彼女を見つめた。
アネット様はそれはそれは楽しそうな表情をしていたから、これが彼女の本音だろうなと何となく思った。
グキっ
「ぐえっ」
いきなり強い力に頭部を押され後方に仰け反る。
今グキっていった。グキって!
しかも変な声出たし。
「痛いわね。何するのよディオン!」
「…姉さん。いい加減にしてください」
私とアネット様の頭部を後方に折り曲げた犯人はどうやらディオン様だったらしく、彼は元々の不機嫌さが更に悪化していた。
このまま氷点下まで下がればブリザードが吹き荒れるのではないかと思うほど。
しかし、アネット様はそんな事意に介さず負けじと鋭い目をディオン様に向けた。
「あら、なぁに?ヤキモチ妬いてるのぉ?」
「ルナリアが迷惑してます」
「ルナリアちゃんはそんな事一言も言ってないわよぉ?」
「……姉さん」
「はいはい。分かったわよ。そう睨まないで頂戴。詳しいことは帰って話しましょう」
仲良いなぁ、この姉弟。
ディオン様からブリザードが出現し始めているけど……
ディオン様の底冷えするようなひと睨みにアネット様が身を引いて、グラニエ家に向かうこととなった。
私はクロエさんに呼ばれて彼女の後に続いた。
後ろの方では、アネット様とディオン様が何か話していて、ディオン様の表情が少しだけ柔らかくなった気がした。
無表情であることに変わりは無かったけど。
「ディオン、分かっているわね」
「……分かってますよ。あいつの事は私が───」
二人の話し声は誰にも聞こえることは無かった。
グラニエ家に到着してすぐにアネット様とディオン様のご両親に会うこととなった。
いきなり過ぎて心の準備が!!
テンパる私を置き去りにアネット様に腕を引かれて心の準備も儘ならぬまま対面した。
「ルナリアちゃん、久し振りね。娘がもう一人増えたようで嬉しいわ」
「ルナリア嬢。君を侍女として受け入れたけど私達のことは父や母だと思っていいからね」
温かいご両親に涙が溢れた。
先程まで心身共にボロボロだったのに。
こんな温かい人達に受け入れて貰えたことが嬉しかった。
人ってこんなにも温かいものだったんだ。
涙が収まるまでグラニエ夫人が優しく抱き締めてくれていた。
この人達の元でこれから先働かせてもらえるのか。
そう思うと、あと一年もない学園生活などどうって事ないように思えた。
それよりも、この人達に私が出来ることを返したい。
一流の侍女に。
そう望まれるのであれば、誰よりも完璧な侍女を目指そう。
そう、心に決めた。