25 殺人未遂
あれから始終不穏な空気のまま合同授業は終わりを告げた。
普通科の生徒達は教室へと戻り、育成科の生徒達は片付けに取り掛かる。
「ルナリア嬢、ディオン様が講堂の外で呼んでるよ」
エメ達と共に片付けをしているとコームさんがやって来て私に告げる。
「ディオン様が?…分かりました。ありがとうございます」
何の用だろうと思いながら講堂の外へと向かう。
講堂の出入口付近にはやたらと女生徒が集結していて講堂の外を頬を染めて手を動かしながらも頻りに見つめていた。
講堂から出るとディオン様が両腕を組み廊下の壁に凭れて私を待っていた。
「ディオン様、お待たせ致しました」
「場所を移すぞ」
私が来るなり彼は歩き出す。
人の目がある中で話せる雰囲気では無くて彼の指示に従って後に続いた。
ディオン様は人気のない廊下で足を止める。
「今日の迎えは必要無い。それと、姉さんの侍女が放課後校門で待っているとの連絡があった」
「クロエさんが…ですか?」
「ああ、ルナリアに話があるそうだ。恐らく姉さんからの伝言か何かだろう」
「承知致しました。しかし、あの…ディオン様は」
「俺は放課後に用事が出来たから一緒には帰れない」
「そう、ですか…」
「どうかしたか?」
私の様子の変化に気付いたディオン様が問う。
「い、いえ。何でもございません。放課後の件は承知致しました」
先程の殿下や側近達との事が気になっていたが、私が口を挟んだところで何も出来ないだろう。
それに、聞いたところでディオン様は答えてくれない。
そんな気がした。
私はディオン様と別れて大講堂に戻った。
放課後、校門のところでクロエさんが一人で私を待っていた。
「クロエさん!お待たせ致しました」
「急な来訪すまないな」
「いえ、とんでもございません。ところでアネット様は御一緒ではないんですか?」
てっきり、アネット様の同伴で来ているのかと思えばクロエさんただ一人で周囲に馬車も見当たらない。
「お嬢様は昨日領地を出立したから明日の朝には王都に到着する予定だ」
クロエさんは元盗賊団のリーダーだ。
同僚や部下に対しては常に男勝りな口調が本来の彼女の姿だ。
アネット様に対しても初めは、元々の口調で話していたらしいが彼女が興奮して喜ぶ為敬語を使うようになったのだとか…
姉御肌で美人なクロエさんが男勝りな口調で話していれば、確かに女ならば誰でもクロエさんについて行きたいと思わせるようなカリスマ性がある。
変わったものや綺麗で美人が好きなアネット様だからこそ、容易に興奮する彼女の姿が想像出来た。
「そうですか。それで本日は如何されたのですか?」
アネット様の侍女であるクロエさんが主人の元を離れるなんて珍しい。
「本来の目的は既に終えたのだが、事後処理が増えてしまってな。」
「事後処理…ですか?」
「何、気にするな。それも、今日中に終わる予定だ。折角王都に来たのだしお嬢様のいないこの時間を有意義に使おうと思っただけだ」
「はあ…」
クロエさんが言っている要点をいまいち理解出来ずに適当に相槌を打つ。
「そこで王都に詳しい君に美味しいレストランでも紹介して貰おうと思ったんだ」
「そういうことでしたか。それなら、お値段もお手頃でとても美味しいお店を知っていますわ」
漸く、クロエさんの目的を理解して一度寮で制服を着替えて彼女をそのお店に案内する事にした。
「此処は地方からの料理人が多くて、色んな地方の郷土料理が食べられるお店なのです」
「へえ。それは楽しみだ」
私達は店内に入り店の奥の席に向かった。
平民に落ちた私でも唯一王都で来店出来るお店だ。
他の高級料理店では恐らく門前払いを食らうだろう。だから、本当は王都のお店で案内出来るのが此処しか無かっただけだった。
此処の店主は変わり者で、金さえ払えば犯罪者や賊にだって料理を出す。
その上、高級料理店にも負けない程の腕前を持っている。
「ラタトゥイユも出しているのか」
「ご存知なのですか?」
ラタトゥイユは南部地方の郷土料理だ。
「ああ、昔盗賊団を率いてた時に南部地方出身の者がいてな。そいつが図体はデカくてガタイが良いくせに手が器用な奴でよ」
「その方は今何をされているのですか?」
「殺されたよ。お嬢様を暗殺しようとして私が殺した」
「そ、れは…」
これ以上何も言えなかった。
何を言ったらいいのか分からなかった。
「私を慕っている奴でな。私がお嬢様の下につく時にお嬢様は部下全員グラニエ家の影として雇ってくれたんだ。だが、全員が全員納得するわけないよな。南部地方出身の奴も反対派の一人でお嬢様を殺せば私がまた盗賊団の長に戻るとでも思ったのだろう。暗殺を目論んだ」
クロエさんは両肘を着き両手を組む。
「お嬢様は私を慕っての事だから許してやれと言ってくれたが私が殺した。お嬢様はな、本来は自分に仇なす奴と完全な悪に対しては容赦ない。徹底的に追い詰め肉体的だけではなく精神的、社会的死を齎すような人だ」
私がまだ侯爵家にいた頃、聞いたことがある。
グラニエ領で不正を行っていた有力貴族達が一斉処分されたり、少なくない数の人間が極刑に処されたという噂が広まっていた。
それを行ったのが領地の全権を任されたアネット様なのだと。
氷の女王の二つ名を世に知らしめた出来事だった。
「だけど、お嬢様は冷酷な人ではない。お嬢様が常に口にしている言葉を借りるならば義理と人情を大切にする人だ。お嬢様は優しい。情に流される部分がある。だから、私がお嬢様を害する者は徹底的に排除する必要があったんだ」
かつての部下を殺してでもアネット様をお守りする。
クロエさんが如何してそこまでするのかは分からない。
だけど、彼女がアネット様に対する忠誠心は強いものなのだということが分かった。
それに、クロエさんが言うように一斉処分にはそれなりの動揺が走った。
しかし、彼女の手腕はその動揺を更に上回るものを見せた。
医者を数名雇い診療所をつくり、弟子を取らせて領地に医療が身近になるように尽力したり、学のある隠居した老人に声を掛けて雇用し領民の子供たちに青空教室を開いて学問を教えたり。
水路事業や道路・交通体系の方針に整備など。
急激の速さで改革が行われた。
悪徳貴族の処分や改心する気持ちがある賊たちには彼等に見合った職を与えたことによって順調に領地は発展し、今では王国で一番安全で住みやすい領地となっている。
元賊でも職を与えてくれるということで、他の領地からも職を求めて移住する人が増加しつつあり、人手不足が解消に向かっているとも聞く。
「ルナリア。今は辛いだろうが確りと学べ。君が拾われた日から君はお嬢様のものだ。お嬢様は領地経営で忙しい身でありながらも君の心配をしていた。アネット様の為に力をつけろ。」
アネット様は領民には慕われているが貴族達からは嫌われている。
女でありながら領地を経営し、同じ貴族を処分したとあっては他の貴族達はいい思いはしない。
「はい。」
クロエさんが私に会いに来た理由。
それは、アネット様の為に私にもっと力をつけさせる為。
この時は、そう思っていた───
店を出た頃には夕日が沈みかけていた。
「すまないがちょっと寄りたい場所があるんだがいいか?そんなに時間は取らない」
「はい。それでしたら大丈夫です」
私はクロエさんの後をついて行く。
クロエさんはどんどん路地裏に入って行く。
奥に進むに連れて人の通りが少なくなる。
それでもクロエさんは人気がない方へと更に進む。
徐々に日も落ちて、聳える建物が陽の光を遮り通りに影を落とす。
進む道には私とクロエさんしかいない。
人の気配が無くなった。
そう思った時だった。
背筋を這うような感覚が襲う。
人の通りが無くなり、暗がりという状況下で神経が研ぎ澄まされたことによって痛い程に背後を刺す気配を感じた。
殺気。
確信は無いが、そう思った。
「振り返るな。漸く気付いたか」
振り返ろうとした私の動きをクロエさんが前を向いたまま言葉で制す。
「門を出た時からずっと着けて来ていた」
その言葉に瞠目する。
全然気が付かなかった。
「護身の授業は習ったか」
「一応。」
「刃物を持った相手と対峙する術は」
「それはまだ習ってません」
「そうか。ならば、見ていろ。そして、学べ」
クロエさんはそう耳打ちすると、スっと顔を上げる。
「建物の陰に隠れている奴、私達に何か用か」
返事は帰って来ない。
クロエさんは悠然とした動きで振り返る。
それに釣られて私も振り返るが後ろには誰もいなかった。
「勘違いか。悪いな、私の勘違いだ。そろそろ、寮まで送る」
そう言ってクロエさんは歩き出す。
遠回りではあるが、その道先は大通りへと向かっている。
「私が動くまで振り返るなよ」
背後には未だ、背中に張り付くような殺気は消えない。
それどころか徐々に強くなってきている気がする。
「あんたさえいなければ…あんたのせいで…」
ブツブツと後ろの方から何か聞こえる。
クロエさんを見上げると彼女は頷いた。
私は後ろを振り返る。
そこにはフード付きのケープを羽織り顔を隠した一人の人物が立っていた。
手にはダガーナイフが握られていた。
「えっ、」
私は動揺する。
「あんたの所為で全部めちゃくちゃよ!全部あんたの所為だわっ!死ねぇぇえええ」
声からして女だろうか。
剥き出しのダガーを突き出したまま此方に突進して来る。
恐怖に足が竦んで動けない。
女との距離がどんどん縮まる。
フードの下から白い歯が見えた。
女は私を殺そうとしながら笑っていた。
「きゃっ」
後退って足が絡み尻もちをつく。
「ぐあっ」
「ルナリア、大丈夫か?」
女の手からダガーが離れ音を立てて落ちる。
目の前には女を拘束するクロエさんの姿があった。
クロエさんは一瞬のうちに女の手首に手刀を落としダガーを離させ、ラリアットを首元目がけて叩き付け即座に背後に回り込んで拘束した。
「は、離しなさいっ!私を誰だと思っているの!」
「ブリュエット・ユタン様ですね」
「なっ…」
クロエさんの返答に女は驚きの声を上げる。
クロエさんの口から出た名前に私も驚愕に目を見開いた。
ユタン家と言えば、先日私やエメを階段から落とそうとした女生徒のうちの一人だ。
そして、親の不正で身分の剥奪をされた。
「もう…何もかもめちゃくちゃよ!あんたの所為よ!この厄病神!あんたなんかディオン様に相応しくないわっ!厄病神のあんたがディオン様の傍にいれば彼の迷惑になるわ。だから、私がその厄病神を殺してやるのよ!死ねっ!死ねっ!この厄病神がっ!」
ブリュエットはクロエさんに拘束された状態でも私に罵声を浴びせ敵意を剥き出しに襲いかかろうと手を伸ばす。
「静かにして下さい」
クロエさんの拳が容赦無くブリュエットの鳩尾に叩き込まれ、気を失いダラりと力が抜ける。
気を失ったブリュエットの手を縄で拘束して肩に担ぐ。
「大丈夫か」
クロエさんの手が差し出される。
「だ、大丈夫です」
クロエさんの手を掴んで立たせてもらい、私は顔を俯かせた。
私が気を失っている彼女の運命を変えてしまった。
彼女の言葉が耳にこびり付いて離れない。
「ルナリアの所為ではない。こいつは君が殿下の婚約者である時から反感を抱いていたんだ。度々虚言癖があったようで、殿下の婚約者には自分が相応しいとか何れディオン様の侍女になって愛を育みゆくゆくは結婚するだの言っていたんだと」
「そ、れは…なんというか…」
「夢を見るのは自由だが、こいつは行き過ぎたな。夢と現実の区別も付かなくなっちまった。大体、子爵家の者が王族や公爵家の者と婚姻を結べるはずもないし、侍女になったところで主従関係にある主人と結ばれるわけがないというのにな」
クロエさんの何気無い発言が私の胸に深く突き刺さった。
侍女になったところで主人とは結ばれない。
それは、私にも当て嵌る言葉だった。
貴族社会で生きるディオン様と平民でしかない私はいくらディオン様を好きになろうと結ばれることは無い。
殺されかけたショックよりもこの事実が私の心に動揺を与えた。
「さて、事後処理も済んだしそろそろ帰るか。あまり、遅くまで連れ回すとディオン様に怒られそうだしな」
歩き出すクロエさんの後に放心状態で後に続く。
クロエさんは時折私の方を見るが何も口にする事はなく、無言のまま寮まで送ってくれた。
肩に担いだブリュエットは騎士団に引渡される事だけは教えてくれた。
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一方その頃、ディオンの方では───
ディオンはパトリス殿下に呼ばれてある一室へと向かった。
談話室の前で扉をノックする。
「どうぞ」
中から聞こえたのは女の声だった。
一瞬驚いたものの、彼の傍によくいる一人の女生徒の姿を思い浮かべ怪訝な表情をした後無表情で扉を開けた。
「失礼致します」
「ディオン様、お待ちしてました!」
室内に入るとやはりそこには、最近殿下や側近達とよく一緒にいる子爵家の令嬢がいた。
室内にいたのは、笑顔で迎えるアメリーの姿だけだった。




