19 八つ当たり
「ついに明日かぁ。ルナリアは初めての奉仕側での合同授業よね?」
「うん。自分が奉仕側になるなんて一か月前の合同授業では思ってなかったから何か変な気分かも」
「変な気分?」
「あ、いや。悪い意味じゃなくてね。今では侍女の授業も楽しいし深窓の令嬢よりも人に仕える侍女の方が性に合ってるなーって思って」
日本で平凡な人生を送り会社に貢献していた身としては、今の生活の方が性に合っている気がする。
幼い頃からの教育によって令嬢としての振る舞いも心底には染み付いているものの、前世を思い出してからは以前のように高飛車で放漫なまでの振る舞いは出来なくなった。
「奉仕される事に慣れた環境から奉仕する側に回るなんて普通嫌がりそうなものだけどなぁ」
「まあ、普通のご令嬢だったらそうかもね」
「ルナリアは普通のご令嬢じゃなかったってこと?」
「え!?いや、普通の令嬢だったけど…私自身が仕出かした事に対する罰だって思うとこれでも温情ある対応をして貰ったなと思って。平民に落ちてすぐに公爵家に拾われるなんて運が良かったよ」
本当に。
アネット様に拾われなかったら私はどうなっていたことか。
自分の父親に売られたとも知らずに奴隷として知らない人の元でこき使われていたかもしれない。
ディオン様も冷たい時もあるけど本当は優しい人であることを知っている。
恐らく、彼は公爵家の後ろ盾やアネット様からの牽制があっても尚、私の周囲に不穏な空気が纏っていることに気付いている。
だからこそ、学園生活での報告が義務付けられているのだろう。
この間の事だって、
「ルナリア、ルナリアっ!」
「へ?」
「へ?じゃなくて、ぼーっとしながら階段登ったら危ないでしょ!」
いけない。
移動教室からの帰りでエメと話しながら深く考え込んでしまっていたようだ。
「ごめん。ちょっと考え込んじゃってて」
「明日のこと?」
「うーん、そんなところかな。初めての奉仕だから緊張しちゃうね」
なんて、笑って誤魔化す。
「ちょっと、ルナリアさん。良いかしら」
「話があるの」
上段で待ち構える二人の生徒に呼び止められ私とエメは顔を上げた。
私とエメはとりあえず階段を登り切る。
二人の生徒は以前、私を階段から突き飛ばした女生徒だった。
「何か…御用、でしょうか…」
無意識に体が震える。
正面から向けられるこの間と同じ悪意に満ちた瞳。
「何かですって?」
「本当は全部知っているのでしょう!?」
二人の女生徒の怒声が廊下に響く。
廊下を行き交っていた生徒達が足を止め私達へと視線が集中する。
「何を…仰っているのか──」
「しらばっくれないで!」
「貴女でしょう!先生に私達のことを告げ口したのは!風評被害だわ!」
彼女達が何を言っているのか分からない。
風評被害?
そんな事言った覚えもない。
それどころか、この間の階段から突き落とされたことだって誰から落とされたとはっきりとはエメ達にもディオン様にも言っていない。
「お話中申し訳ございません。わたくし、エメ・クラルティと申します。お言葉ですが何を証拠にルナリアが貴女方の風説を流布したと仰られているのでしょうか」
「証拠ですって?証拠ならあるわ。私達がどうして明日の合同授業を欠席しなければならないのよ。」
「ルナリアさん、貴女が教師に何か言ったとしか考えられないわ!」
二人の女生徒は憤った様子で声を荒らげる。
完全に濡れ衣だ。
そもそも、彼女達が言っていることは証拠では無い。
「それは証拠では無く、憶測じゃないですか!」
私が思っていた事をエメが代弁してくれた。
「なっ!何よ貴女!男爵家の者が子爵家である私達に楯突く気?」
「育成科では年功序列はあれど、家柄による権力の誇示は禁止されております」
「っ!だ、大体貴女には関係ないでしょ!私達はルナリアさんに用があるのよ」
「ルナリアは私の大事な友達です。大事な友達が冤罪をかけられそうになっていて黙って見ているなんて出来ません!」
「エメ…」
私を庇うように一歩前に出るエメに一瞬彼女達は怯んで後退する。
「わ、わたくし、先生方に貴女方について何か話したりなどしておりませんわ。そ…れに、わたくし、貴女方のお名前を存じ上げませんもの。お名前も知らない方の事をお伝えしたところで先生方も信憑性に欠けるとして取り合っては下さらないと思います」
声が震える。
だけど、私も変わらなくちゃ。
エメが信じてくれている。
ならば、その思いに答える義務が私にはある。
二度とエメを裏切りたくない。
それに、誰も信じてくれないからと諦めるのはもう辞めた。
エメが信じてくれる限り、私は理不尽を受け入れるのではなく、大多数が私を悪と見なそうとも立ち向かう勇気を手に入れた。
「私達の名前を知らないですって!?」
「う、嘘だわ。本当は知っているのでしょう」
「わたくしが御二方にお会いするのは先日階段ですれ違った時と本日の二度だけですわ。御挨拶に関しましては本日が初めてで御座います。」
もう、俯かない。
しゃんと前の二人を見据えると女生徒達は狼狽える。
「先日…階段…?もしかして、ルナリアの怪我ってこの人達が!?貴方達自分が何をしたか分かっているんですか!?階段から落ちたとなれば打ち所が悪ければ死ぬこともあるんですよ!」
「うっうるさいっっ!あんたには関係ないじゃない!」
「大体、グラニエ家に仕えたくて三年も頑張って来たのに平民に落とされるような犯罪者がディオン様の侍女だなんて許せないのよ!!」
女生徒の二人はエメの言葉に同時に反論する。
そのうちの一人がエメの身体を思い切り突き飛ばした。
端の方とはいえ、階段を登り切った場所にいたエメは後方によろめき後ろに退るも足を降ろした場所は段差となっており身体全体が後方へと傾いた。
「え?」
「エメっっっ!!!」
私は咄嗟にエメの腕を掴む。
だけど、反動がついたエメの身体を引き上げられる程の力がなく、私もエメの方へと引き込まれる。
このままでは二人とも階段から落ちてしまうと判断した私は、エメの腕を思い切り引き上げて片足で地面を蹴った。
エメとの入れ替わりに成功した私の身体は勢い良く階段の最上段から投げ出されて落ちていく。
「ルナリアああああ」
エメの叫ぶ声が聞こえる。
身体を捻って何とか後ろを振り返るとエメは階段から落ちることなく最上段に座り込んで此方に手を伸ばしていた。
良かった。
エメが無事で。
自然と安堵の笑みが浮かぶ。
落ちる速度がやけにゆっくりに感じる。
突如脳裏に浮かぶこれまでの人生。
これが走馬灯ってやつかな?
最後に浮かんだのはディオン様の顔だった。
また、ディオン様を怒らせちゃうのかな。
以前、階段から落ちた日に報告を終えると彼は一言も言葉を発さなくなってしまった。
寮に戻ってもすぐに部屋に篭もってしまってその日一日部屋から出て来ることは無かった。
翌日には元に戻っていたけど、またあの芯まで凍るような冷たい目を向けられるのだろうか。
それだけは嫌だな。
あの日、久し振りに向けられた冷たい瞳は私の心に針でも刺したように酷く胸が傷んだ。
彼は優しい。
私のために怒ってくれたのだと分かる。
だから、彼にはあんな顔を二度とさせたくない。
冷たくて追い詰めるような顔をしてた。
「ディオン様に…心配かけたくないなぁ」
小さく紡がれた言葉は誰に届くことも無く落ち行く中に消えていった。




