1月11日 - 鏡開き -
我が家は、季節ごとの年中行事をこまめにやる方らしい。
五節句は菊の節句以外、中秋の名月や節分も、「謂れ」にのっとって何やかややっている。キリスト教ではないがクリスマスも、世間さまと同じように楽しむ。
年末になると家じゅうを掃除しまくり、小さくはあるが角松を敷地の入り口に置き、お飾りもしっかり玄関や車の鼻先に飾る。そして、餅つき機でではあるが、餅をついて鏡餅を飾り、大晦日には御節を作りながら紅白歌合戦を観流し、ゆく年くる年を観ながら年越しそばをすする。
小さい頃から毎年恒例のことだったので、他の家も同じようなものだと思っていたが、学校で友人らの話を聞く限り、同じように色々やっているかはまちまちであるらしい。
そんな我が家であるから、本日は鏡開きである。
飾っている鏡餅を割り、家族で食すと言うだけの行事だ。
家の部屋中に鏡餅を飾っているので、さすがに今日だけで食べきることはできないが、餅づくしになることは確定だ。
個人的には料理に入っている餅より、甘くして食べることの方が好きだ。
だから、自分用に善哉用のあんこを買いに、スーパーに行くことにした。
いつもは徒歩の通学路を自転車で走り抜け、田んぼ、学校、またまた田んぼと抜けて行くと、ちょっと古い住宅地が見える。その中に目的の小さなスーパーがある。
大型スーパーと比べると確実に負けてはしまうが、小さいながら品揃えは頑張っている。
勝手知ったる店内の製菓コーナーへまっすぐ向かう。そこに缶入りのゆであずきや、袋詰めのこしあん・粒あんが並んでいるはずだ。今日は善哉用だから、袋詰め粒あんが欲しい。
製菓コーナーに着き、和菓子の材料の棚へと近づくと、微妙に棚が空いている部分が見える。
(もしかして……季節柄、あんこ売り切れとかないよね?)
そのまさかである。
常に、缶入り、袋詰め、プラスチックケース入りと、様々な仕様で売られているあんこが、一つもない。
(いや、この季節だからこそ、お餅・お餅関連の特設があるはず!)
スーパーをぐるっと一回りしながら探すと、それらしき一角があった。
よしよしと、その一角であんこを探すと、残り少なくはなっていたが、各種数個ずつ残っていた。
無駄足を免れてほっとしながら、袋詰め粒あんに手を伸ばす。
すると、同じ袋に別の手が伸びてきて、同時に掴む。
「「あっ」」
別の手の腕を辿り、その主を見る。見覚えのある男子だった。たぶん、同じ中学の生徒だ。
ぱっと、二人同時に手を離す。何となく気まずい空気が流る。
「「どうぞ」」
と、これまた同時に譲る。またまた気まずい空気が流る。
すると、彼は無言で2つ商品を手に取ると、ずいっと1つをこちらに突き出してきた。
「……ありがとう」
私が礼を言って受け取ると、彼はフイっと背を向けて、そのまま立ち去った。
××× ××× ×××
そんなドラマはなく、無事に粒あんを入手。
善哉は美味しかった。