1月25日 - 願書 -
学年末テスト最終日は推薦入試願書締切最終日だ。
テスト終了後、慌ただしく学年主任と担任に見送られ、最寄りの小さな駅から電車に乗り込む。
昼過ぎの時間帯のせいか、乗客はほぼいなかった。がらんとした車両は、どこにでも座り放題だったが、いつもの癖でベンチシートの端に腰掛ける。 見慣れた景色を見送りながら、気分が高揚していくのを感じていった。
乗り換え駅でホームに降りると、冷たい風に襲われる。熱った頬に冬の風が痛い。
急いで階段に逃げ込む。乗り換え駅は跨線橋と駅舎が一体になったような造りだ。そのまま階段を昇り、発車標で受験校最寄りの駅の路線の電車が何番ホームから出るのかを確認する。電車の到着まで寒風を凌ぐために駅舎で時間を過ごし、時間を見計らってホームへ降りた。
吹きぬけていく風に首を竦め、マフラーを巻き直して手で押さえる。あっという間に指先が冷えていき、うっかり手袋を忘れてきた己を呪いながら、息を吹きかける。
ほどなくしてホームに電車が入ってくる。やはり乗客は少ない。
暖かい車両に入って、やはりベンチシートの端に陣取った。
足元暖房に足を焙られながら、電車に揺られる。30分程は本屋に行くのにたまに見る景色、そこから先は知らない世界だ。
初めてみる景色に、また心が高揚していく。
街中のごちゃごちゃしたものから畑交じりのもの、また人家の多いごちゃごちゃしたものから山のものへと、似たようでどこか違う景色が繰り返し流れていく。飽きもせずそれを眺める。
しばらく山間の景色が続き、ふと視界が開ける。景色が流れるのが緩やかになり、随分と視界の下の方にシフトしていた。小高い場所に走る線路なのだろう。進行方向の左側は山肌や樹々が流れていて、反対側の景色は見下ろす位置にジオラマの様な町が海岸に沿って続いているのがゆっくり流れていく。
山に囲まれた地元から約1時間半。受験する高校を決めた時、母が「毎日がプチ旅行になりそうね」と笑ったものだが、遠くにある海を見ていると本当にそうなりそうだと、複雑な気分になった。
車内アナウンスが目的の駅名を告げた。
知らないホームに降りる。高架になっているホームは吹きさらしの風で非常に寒い。
(確か、駅のすぐそばに校門があるはず……)
寒いのを堪えて、駅周辺を見回す。
少し駅から離れた所に、それらしき門が見えた。その先には坂が続く。あまりなだらかとは言えない坂は緩くカーブしていて、小高い山の上まで続いている。山の上には校舎らしき建物がいくつか見える。校門は確かに駅から近かったが、校舎までは少し距離がありそうだ。
(おおぅ……この風の中を歩くのか)
肩を落としながら、階段を下り改札を抜ける。
駅舎を出たところからも校門が見えた。
自然と気が引き締まる。深呼吸を何度かして、意を決して一歩を踏み出す。
まだ授業の時間のせいか、人気が全くない。
大学付属で、大学の敷地に高校の校舎もあると聞いていた。少しは大学生の姿もあるかと思っていたが、門の守衛以外の人がいない。
校門を抜け、車道と歩道の間に等間隔に樹が並んでいる坂を昇る。もう少しで昇りきるかな、と思ったところで、Y字に道が分かれていた。分かれ道の方に高校名の看板が立っている。やはり、人気はない。
分かれ道の方へ進むと、グラウンドと校舎が見えた。校舎の方へ近付いて行くと、ようやく人の気配を感じた。坂を登る間に緩んでいた緊張糸が、またキリりと締まる。
生徒用と思われる玄関の扉が開け放たれている。中を覗いても誰もいない。
(……ここから入ってはダメだよね、たぶん)
キョロキョロと視線を動かすと、玄関脇に校内図が掲示されていた。
校内図によると、生徒用玄関の奥まったところに来賓用の玄関があるらしい。よくよく見てみると、確かに少し離れた所に来賓用らしき玄関が見えた。
恐る恐る扉を開くと、入ってすぐ左手に「事務室」とプレートの貼られたガラス窓が見えた。
どこで靴を脱いだらいいのか逡巡し、遠慮がちに端で靴を脱いで揃える。スリッパを履くべきかどうかも迷い、すぐそこだからとそのままリノリウムの床を進んだ。
ガラス窓の向こうはカーテンが閉まっている。軽くノックすると、すぐにカーテンの向こうで人の動く気配がした。
「あら、受験の申し込み?」
顔を出した若い事務員の女性が声をかけてくる。
「はい。お願いします」
鞄から願書の入った封筒を出し、事務員へ渡す。はいはい、と手馴れた様子で書類を確認すると、幾つかの紙にスタンプを押して切り取った紙片とプリントを差し出してくる。
「これ、受験票と注意事項ね。じゃ、頑張ってね」
差し出されたものを受け取ると、事務員の彼女はまたカーテンの向こうに戻ってしまった。
折れ曲がらないように、受け取った書類クリアファイルに挟んで鞄にしまう。
そのまま玄関に戻って靴を履き、もと来た道を辿っていく。
分岐まで戻ってくると、坂道にちらほら私服の人影が見えた。
大学生に混ざって坂を下りていくのが、少しくすぐったい。
春、ここの坂を登る自分を想像しながら歩いていると、口を引き結んだ顔の男子が坂を登ってくるのが見えた。
うんうん。緊張するよね、さっきは人がいなかったからまだマシだったけど――心の中で声をかけながらすれ違う。
強張った横顔が通り過ぎる。さっきまでの自分もこんな顔をしていたのだろうか。
(頑張れ)
振り向きながら、見知らぬ後ろ姿にエールを送る。
すると、何故か彼と目があった。
××× ××× ×××
あまりの人気のなさに驚愕した。
けれど、あのくらい人がいない方が好きかも知れない。