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アニメや漫画なんかではよく屋上でお弁当を食べていたりするが、津科高校の屋上は立ち入り禁止で入ることができない規則だ。よって屋上へ続く階段は昼休みであっても人の気配はほとんどなかった。屋上の出入り口の前は扉のわずかな採光窓から入る光源以外に明かりはなく、人気がないのも相まってしんと体の底から冷えるように寒々しい。
けれど雪音と翠夏は好んでここで昼休みをすごす。天気のいい日は微かな日なたがぽかぽかとリノリウムの床をあたためて心地よく、何より静かなのがいい。
「はーあったかいねえ」
「そうだねえ」
「今日も平和だねえ」
「だねえ」
弁当を食べ終え、翠夏と二人、小さな日なたに寄り添うように並んでまったりとまどろむ。ブレザーを着た背中がじんわりとぬくくなる。
「こんな日はあれだね、こうテレビでよく見るような都会のオシャレなカフェのテラスで優雅にお茶したい」
「ほんとだねー、こんな田舎にそんなとこないけど」
市の中心地へ行けばそんなところも存在するのだろうが、何せ津科高校があるこの地は郊外だ。少し行けば山があり、藪の中を雉が走っていたりするようなところだ。
「都会的はまあ置いといてさ、放課後どこかカフェ行こうよ。まったりしたい」
「いいね。スイちゃんテニスは今日休み?」
「休みの日。昨日しごかれたからねー、今日はゆっくり休めってさ」
雪音は部活はやっていないが、翠夏はソフトテニス部に入っている。顧問は熱心な教師なのだが、「オンとオフをしっかり持って限りある時間で集中して練習しろ」という強い信念のもと、週の半分ほどは部活は休みになるそうだ。ちなみに今はセンスのある選手が揃っているようで大会での成績はいいらしい。全校朝会などでたまに前に呼ばれて表彰されている。
「よーしじゃあ行こう。どこがいいかなー、四丁目のとこにかわいいカフェがあるの知ってる? イチゴのタルトがめっちゃおいしいんだよねー。十一月だけどあるかな」
「どうかなー。私も一回行ったことあるんだけど、その時は夏だったからイチゴはなかったような……」
「そっかー。うーん、あとは駅前の喫茶店とかかな。何かガス灯みたいなのがあって」
「あ、待ってスイちゃん忘れてた」
はっと思い出す。忘れてはいけないことだ。
「ん?」
「ごめん、私カフェの前に雑貨屋さんに寄らなきゃ。お母さん明日誕生日なんだけど、まだ何も用意してなくて」
「あ、そうなんだ。じゃあやっぱ駅のとこかな。雑貨屋さんとか何軒かあるし」
「ありがとうー。でも付き合わせて大丈夫?」
にっかと歯を見せて翠夏が笑う。
「いよいよ。雑貨屋さん見るの好きだし。っていうかお母さん誕生日なんだねー、今いくつだっけ?」
「今四十二で、明日で四十三」
「若っ。ほんと雪音んとこ若いわー。お兄ちゃん四つ上だったよね?」
「うん、今大学の三回生」
兄の漣は家を出て、今は松海市の中心地のほうで一人暮らしをしている。たまにふらりと帰ってきてはライの散歩に行ったりゴロゴロしたり、のんびりとすごしている。
「じゃあ二十二くらいで産んだわけでしょ? すごいねー」
「ねー。自分が同じ歳になった時にそうしてる自信はないなー。でもスイちゃんのお母さんも若いでしょ。前見た時すごく綺麗だったし」
「あ、ほんと? やった、伝えとく。絶対めっちゃ喜ぶわー……あ、チャイム」
遠くのほうで予鈴の音が聞こえた。よくあるキンコンカンコーンの単調な音だ。
立ち上がって、両手を上に伸ばしてうーんと伸びをする。あと二限乗り切れば放課後、翠夏と雑貨屋に寄って喫茶店でお茶だ。お弁当を食べたお腹がいい具合に満たされうとうとと睡魔が忍び寄っているが、何とか頑張ろうと気合を入れて教室に向かった。
しかし、翠夏と放課後に出かけることはできなかった。
五限目が終わり、そして六限目が始まって少し経ったころ。各自問題を解いている静まった時に、慌てたようすの担任が「和泉」と翠夏を呼びにきた。怪訝そうな顔で廊下に出て彼女は数分後顔を青くして教室に戻ってきたが、すぐに荷物をまとめて再び教室を出て行った。
出る前に翠夏は一度ちらりと雪音を見て、ごめんと言いたげな申し訳なさそうな顔で片手を立てて謝っていた。ふるりと首を振ったが、何かがあったのだろうと雪音は心配になった。
「和泉、どうしたんだろうな」
翠夏が早退したあともつつがなく進んだ授業は終わり、放課後を迎えた開放感にクラスメイトが賑やかに華やぐ。隣の席の湊に声をかけられ、雪音は教科書を学生鞄にしまいながら「私も分からない」と答える。
「そっか。顔色悪かったし、心配だな」
「うん……」
「乾ー!」
廊下からほかのクラスの男子生徒が顔を覗かせている。湊はそちらに手を上げて応え、雪音を振り返った。
「部活?」
「うん。じゃあな、君島」
「またね」
重量感のあるエナメルバッグを肩に下げ、湊は机にバッグをぶつけないように慎重に歩いて教室を出て行った。雪音もリュックを背負い学生鞄を持って、教室をあとにする。
喫茶店の約束はなくなったが、母の誕生日プレゼントを買わなければいけないので雪音は一人駅前の雑貨屋へ自転車を走らせる。学校から自宅への帰路を辿り、そして家を通りすぎて住宅街の中を東へ向かう。家々のあいだの細い路地を抜け駅への近道を通る。
JR潮崎駅は小さな駅だ。駅員はかろうじているが、電車が来ない時間には一切姿が見えず本当にいるのかと一瞬心配になるくらいだ。改札はもちろん自動なんてものはなく、その駅員に定期を見せたり切符を渡したりの手動である。そんな小さな駅だが駅前には大きな道路があり、そこに立ち並ぶ店の種類も多い。けれど裏手はすぐに閑静な住宅街なので、近道を通るといきなり駅が現れたように錯覚しそうになる。
駅前の雑貨屋に入り散々悩んだ結果、雪音は母に全身にも使えるハンドクリームを買った。桃の香りがやわらかく仄かに香り、チューブのパッケージには母の名であるしずくを彷彿とさせるみずみずしくかわいらしいイラストが描かれているのが決め手だ。お店自体も推している商品で、品質もいいらしい。店員が綺麗にラッピングをしてくれた。
お店の中で一時間以上も悩んでいたようだ。外に出るとあたりはもう暗く、駅の大きな時計を見ると十八時を少しすぎていた。日中あったかかった反動か、少し肌寒い。
買うものは買ったし早く帰ろうと、駅の駐輪場に停めた自転車に乗って再び住宅街の中を通る。
それはまた、唐突にきた。
「――っ!」
心臓が直接掴まれたようにずくりと軋んだ。ブレーキを握りしめて自転車を急停止させ、雪音はそばにあった電柱に手をつきもう片方の手で胸を抑えてハンドルに額を押しつける。後悔の念が大きな波のように押し寄せてわんわんと泣き声が雪音をつんざいて、そうして波が引くようにそれはすっと溶けて消えた。
「……はあ」
詰めていた息がこぼれる。心臓はまだばくばくと早鐘を打っている。
今宵は出会いの夜となる。
腹の底でしっかりとそれを括って、雪音は今度こそ家路についた。




