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幽けき人は天明にとける  作者: めろん
第四章 潮花に広い鐘を
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3


 翌日の土曜日の昼下がり。雪音と勲、それから湊は翠夏の家に集合した。湊は部活が終わって直にここに来たそうで、ジャージ姿のままだった。「汗臭かったらごめん」と頻りに気にしていたが、特に変な臭いはしなかった。

「乾くん、部活終わってからご飯は食べたの?」

「まだ。来る途中にコンビニ寄ってきたから、ちょっと食べてもいいかな……」

「どうぞどうぞ。お茶いる?」

「大丈夫、ある。ありがとう」

 雪音の隣でがさがさとエナメルバッグから水筒とビニール袋を取り出し、湊はおにぎりを頬張り始めた。お腹が空いていたのか、あっという間に一つ完食しすぐに二つ目の封を開けている。

「――さて」

 パン、と翠夏が打った柏手の音が部屋に響き渡る。

「本題と参りますか」

「そうだね。あ、その前に」

 ドリームキャッチャーを外し、おにぎりで手が塞がっているから湊の膝の上に置く。彼はびっくりしたように雪音を見たが、置かれたものを見て納得したように口の中のものを飲み込んだ。

「ごめん、ありがとう」

「今は見えないと話すのに不便だろうから。服、ごめんね」

 湊のウィンドブレーカーの一端を握る。勲さん、の呼びかけに返ってきた声は問題なく聞こえた。

「で、勲さんのことどうするの?」

「味方もいるから、あんまり私がでしゃばる必要はないかなって思ってる」

「というのは?」

「いつもなら私は幽人とその相手のあいだに立って取り持ったり話をつけたりするんだけど、今回は本来相手側にいる人が協力者になるわけだから全部任せようかなって」

「! ――げほっ」

 湊がお茶に噎せた。ごほごほと咳をこぼし、落ち着いてから涙目で雪音を見た。

「俺に任せるの!?」

「うん。部外者の私があれこれするより、実の息子が立ち回るほうがおかしくないでしょう?」

「まあ確かにねー。雪音が自分を偽ってやらないことに越したことはないでしょ。ましてやあたしら同級生なんだし、どこかで齟齬が生じてもいけないしね」

「そ、そういうものなのか……」

 自分に無理やり納得させるように湊は二度三度と頷く。

 関わる必要がないならば、必要に関わることはしない。雪音が介入することなく当人たちだけでことがすむならそれが最良だ。

「勲さん」

 ここまで口を開くことなく黙って話を聞いていた勲に声をかける。

「何かな」

「一目会って、謝る。息子さんに対してそれは達成できたと思っていいですか?」

 音がなくなる。湊の視線が虚空に動き、二人が目を合わせたような気がした。ゆるりと声が微笑む。

「ああ。こうして会話もできたし、満足だよ」

「分かりました。ではあとは元奥さんですね」

 頭の中でおおまかに算段を練る。身内で動いてくれると自然に物事を運ばせ、振り返った時に残る違和も少なくなるだろう。

 正直、助かる。

「奥さんにはできても一言二言声をかけるだけになると思いますが、大丈夫ですか?」

「……ああ、それでいいよ」

 少しの間と歯切れの悪さ。それだけで十分に分かる。彼はそれでよしとしていない。

「だめだったり、ほかにも何かあるなら今言ってもらえると別の方法も考えられるので、何かあるなら教えてください」

「――うを」

「? 父さん何て?」

「――桔梗を、彼女に贈りたい」

「キキョー……」

 咄嗟に脳内変換ができなかった。桔梗。星のような形をした、紫の花が脳裏に浮かぶ。江戸時代だったか、どこかの武将が家紋にしていたような記憶もうっすらと思い出した。

「でも桔梗って確か夏の花だよね? さすがにこの時期に生花はどこも置いてないんじゃないかな」

「そうなの?」

「翠夏ちゃんが言ってる通りだよ。だから生花にはこだわらない。あの花をモチーフにした雑貨でも、何でもいいんだ。どうしても桔梗を華波に渡したい」

 勲は相変わらず穏やかさを湛えて話しているが、その声音にはどこか固い意志がきらめく。たぶん、そこを含めた未練なのだろう。

 湊が三個目のおにぎりにかぶりつく。赤がちらりと見えたから具材は梅だろうか。

「――じゃ、ブタのしっぽかな」

「そうだね」

「ブタのしっぽって?」

「駅前の雑貨屋さん。たまに雪音と行くんだけど、色々あるから何か桔梗モチーフのものもあるかもしんない」

「善は急げ。そうと決まったなら行こう。もしそこになくってもほかのところを探せばいいし」

 雪音がすくっと立ち上がると、湊が慌てて食べかけのおにぎりを口に押し込む。

 勲の姿は見えないが、翠夏の視線が何かを追うように上に動いたから立ったのだろう。

 その翠夏はクッションを抱っこしたままで、ひらひらと片手を振った。

「和泉?」

「あたし必要なさそうだから、あとは頑張れ。行ってらっしゃい」

「うん、行ってきます」

 雪音は同じように手を振り返した。


 学校から徒歩圏内に住んでいる湊は歩いて登下校しているが、雪音と翠夏は自転車登校なのでそれぞれ距離がある。部活が終わってそのまま翠夏の家に来たと言う湊はどうやって来たんだろうと思っていたが、翠夏の家を出ると雪音が置いた自転車の隣にもう一台自転車が並んでいた。彼は学校から一度自宅まで戻ったが、家に上がることなく外に置いてある自転車だけを取って来たらしい。

 翠夏と雪音の家は学校を挟んで正反対に位置し、そしてJR潮崎駅は雪音の家を通りすぎて少し行ったところにある。端的に言えば翠夏の家から駅までは結構な距離があるのだ。翠夏が来ないのはたぶんそれも含まれるのだろう。何にせよ、湊が自転車で来ていたおかげで駅前の雑貨屋までの移動はスムーズに完了した。

「桔梗、桔梗……あ、これとか?」

「湊、それは違うぞ」

「それただの青い星だよ」

 翠夏の家を出た時から、ドリームキャッチャーは湊に渡したままである。今回は傍から見ても一人ではないので、以前冬樹と訪れた時のような変な小細工はしなくても大丈夫なので問題はない。

 湊のジャージの端を握ったまま店内を巡り、これならあるかなと予想をつけていたハンカチやアクセサリー、しおり、和風の小物など、桔梗をあしらった商品は数点見つかった。

「どれもかわいいなー」

「うん。……どう?」

 湊が勲に目を向けるとうーんという唸り声だけが聞こえ、一拍置いて勲が動きだしたのか湊が追うように歩く。そしてそれの前で足を止めた。

「私はこのしおりがいいと思うんだが……ん、今はブックマーカーと言うのか?」

「え、しおりじゃないの?」

「どっちも言うよ。うん、確かにこれすごく綺麗です」

 それはステンドグラス風に作られたしおりだった。くすんだような長方形の金属の枠の中に、淡い色合いと透明感のある一輪の桔梗が凛と佇む。光に翳すと向こう側が透けて見え、ガラスの中の世界を覗き込んでいるような不思議な感覚になった。

「じゃあ、これにしますか?」

「ああ、これがいい」

「分かりました。買ってきますね」

「え、いやいや俺が買うから!」

 レジに向かおうとしたが湊に腕を掴んで引き止められ、必死に首を横に振られる。

「でも」

「俺ん家のことだから。身内のことだから。ね?」

「えーっと、じゃあ、お願いします……?」

「うん。待ってて」

 会計が終わり戻ってきた湊とともに店を出て、駐輪場まで少し歩く。

「いいのが見つかってよかったな」

「だね」

「……雪音ちゃん。今更なんだけれど、一つ疑問が」

「どうしました?」

 立ち止まるが、晴れた空の下勲の姿は雪音には見えない。振り返って後ろを見る湊の視線に方向を合わせる。彼の目線の繋がる先に勲が立っているのだろう。

「それ、どうやって私からだと華波に渡すんだい?」

「あ、そういえば」

「一応、何通りかは考えているんですけど……」

 毎度頭を悩ます。どうすれば不自然ではないか。相手に違和感を与えないか。

「遺品に紛れてたとかが、一番いいかなーとは」

「あ、それなら俺、父さんの本を遺品に何冊かもらってる」

「じゃあそれに挟まっていたのを見つけた、という体で乾くんからお母さんに言ってもらえれば大丈夫です」

「そうか……」

 ほっと安心したような声が虚空から聞こえる。

「だから、安心してください」

「うん、ありがとう」

 自転車に乗って、来た道を戻る。

 道中、このまま湊の家に行って未練を果たすのも可能だと伝えると、湊は大げさに首を振った。

「ちょ、ちょっと心の準備をさせてほしい。それに今日、母さん夜勤でばたばたしてるから……。せめて、明日の夕方とかはどうかな」

「分かった。また連絡するね」

 うん、と答えたきり湊は口を閉ざした。勲が今何かをしゃべっていても雪音には聞こえないので、沈黙が空間を支配する。

 今日は風もなく、空は雲一つない晴天で日光がぽかぽかとあたたかい。冬のやわらかな日差しに照らされる湊の表情は、しかし凍てつくようにしかめられた思案顔だ。

 明日のことだろうか。それとも、昨日から続くこの状況のせいか。

 赤信号で止まっているあいだ、雪音も沈黙を保った。青に変わり、道路を渡ってからそっと言葉を落とす。

「――びっくりした?」

「……え?」

 その言葉自体に驚いたように、湊は雪音を見る。雪音を前を向いて、諦めにも近い淡い笑みを浮かべた。

「昨日からの、諸々のこと。だって、どう考えたって普通じゃないでしょう? ふざけんなとか思わなかった?」

 ずるい問いかけをしたなと思う。少しの間を置いて彼が「でも」と否定の単語を出したのに、ほらねと自嘲するように心が笑う。

「普段の君島を知ってるから、冗談とかじゃないのは分かった。もちろんびっくりもしたけど、うん、それだけかな」

「……優しいね、乾くんは」

 漏れ出た声は小さく、湊には聞こえなかったようだ。「え?」と聞き返されたが何も答えないでいると、彼は不思議そうにしつつも話題を変えた。

「和泉はいつから知ってるの?」

「二年に上がってすぐから。面識はなかったんだけど、いきなり『何か憑いてるよ』って声かけられて。スイちゃんはその辺感じられる人だから」

「あ、だから普通に父さんとも話してるの?」

「そうそう」

「ふーん、そっか。何か和泉と君島ってタイプが違うように見えるから、仲がいいの実は意外だなって思ってたんだよね」

「そう?」

 確かに翠夏は交友関係も広く誰とでも打ち解けられる人だから、地味で大人しそうに見えるだろう雪音といるのは何も知らない人から見ると、おやと思われる部分もあるのかもしれない。

 雪音の先導で、住宅街の細い路地を進む。一列になって後ろから声が飛んでくる。

「ほかに知ってる人っているの?」

「あー、中学の時に一人だけ」

 懐かしい記憶がよみがえる。立ち回り方をまだ理解していなかった時だ。

「やむを得ずに話したんだけど、でもその子県外に引っ越したから、今近くで知ってるのは二人だけ」

「そう、か……」

 路地から少し広い道に出ると、雪音と湊は並んで走った。

「そんな大事なことなのに、話してくれてありがとう」

「状況が状況だったしね。それに乾くんならたぶん大丈夫だろうとは思ったから。……あ、私ここ」

 十字路に差しかかり、一旦自転車を止める。

「ごめん、結構中の道通ってきたんだけど、帰り分かる?」

「……ちょっと分かんない」

「ここまっすぐ行ったら大通りに出るよ。最近できたラーメン屋さんの近く」

「ああ! オッケー分かった」

 渡したままだったドリームキャッチャーを受け取り、首にかける。長年、ここに在り続ける存在だ。

 見えるようになった勲の姿は湊の隣に在った。

「じゃあ、また明日」

「うん、また明日」

 手を振って、先に走り出した湊の背中をその場で見送る。どこか物憂げな表情で佇む勲に、雪音は「明日ですよ」とそっと声をかけた。

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