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幽けき人は天明にとける  作者: めろん
第三章 寄せない渚
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2


 現れたのは、巷で言うイケメンに分類されるだろう男の人だった。

 進んだままの時計の長針が一を指すと同時、気配も音もなく扉の前に佇むその人を見て、雪音は一瞬呆けて固まってしまった。今回かかったのは翠夏の祖母だろうと根拠もなく確信していたので、想像と違いすぎた。

「……何。誰」

 ぼそりと吐かれた深い声にはっと我に返り、姿勢を正して会釈する。

「初めまして、君島雪音といいます。あなたの名前を聞いてもいいですか?」

「……持田もちだりゅうだ」

 すっと目じりが流れ涼やかな目元に高い鼻。全体的に細身な立ち姿はしかし背が高く、まるでファッション誌から抜け出してきたモデルのように均整の取れた体躯だ。全身から爽やかな雰囲気が明るく華やぐが、しかし何だろう。それは些細な違和感を覚えるように、明るい彼の影から濃く暗いものが時折顔を覗かせるように感じた。

 座るように促し、いつもの説明を始める。

「流さん。私は、幽人たちの未練を少しでも失くすお手伝いをしています」

 流がかかった時、いつものガツンとくる衝撃ではなかったことを思い出す。いつもの突然強打される感覚も苦しいが、今日のゆるく首を絞められ続けるようなじわじわとしたものも違う苦しさがあった。嫌な気分に窒息しそうな、そんな感じ。

 何とはなしに、身を引き締める。

「あなたのことを聞かせてもらえますか?」

「……」

「死んだ時の状況とか、そのあたりを教えてもらえればと思うんですが」

「……う」

「え?」

 小さな声が聞きづらくて問い返すと、彼は少し眉をひそめて声のボリュームを上げた。

「脳卒中で倒れて急死した」

「脳卒中……。どこか悪かったんですか?」

「いや、健康だった」

「そうですか。ちなみに倒れた場所は」

「通っていた大学の構内」

 大学。へーと思わず声が漏れた。

「大学生だったんですか」

「……」

 首肯。大学生ならば、雪音とそう年齢は変わらないだろうと思って少し驚く。大人びた雰囲気というか、どこか達観したような佇まいにもうちょっと上の印象を受けた。

 もう少し話が聞きたいところだったが、流は聞かなければ話さないタイプの人のようなので雪音は早々に次の行動に移すことにした。

「流さん、問います」

 彼の下を向いていた視線が上がり、雪音と目が合う。姿勢を正す。

「あなたの最期の最後の願いは、何ですか?」

 合わさった視線が、すっと逸らされた。

「……」

 無言。無音。雪音の生きる音と壁かけ時計の音だけが耳朶に触れる。俯いた流の顔は少し長めの髪に隠されて、どんな表情をしているのかは雪音には分からなかった。

「……」

「――え、っと。何かあります、か?」

 再度の問いかけにも返ってくるのは無言。言の葉が散った空間は寒々しく感じる。流のアクションは何もない。

「なかったらなかったで、いいんですけど……何かあったらいつでも言ってくださいね」

 大概幽人は未練や何か思い残したことなどを抱えているが、けれどたまに特に何もないという人もいた。そういう幽人がかかった時、雪音は何をするでもなく普通にすごした。その生活の中で何かを思い出す人もいれば、時間という制限がこのドリームキャッチャーにあるのか朝起きたら姿がなくなっていたりと結末を様々だ。

 特に何もないのであれば、もう寝ようか。

 身じろぎもせず無言の流が気にはなるが、明日――もう今日だけれど――は月曜日で学校だ。雪音は「寝ますね」と声をかけてから電気を消して部屋を真っ暗にし、布団にもぐり込んだ。

 右の壁のほうを向いて、胎児のように手足を縮めて丸くなる。すぐにうつらうつらとしてきたが、一つ聞き忘れていたことを思い出してはっと左に向きを変えた。

「あの、流さん。一つ聞き忘れてたことがあったんですが、どうしてスイちゃん――あの、私の友達のそばにしばらくいたんですか?」

 流との出会いの始まりは翠夏を介したものと言っても間違いはないだろう。翠夏自身も気にしていたことだ。他人の雪音からしても、祖母でも何でもない霊が彼女に憑いていた理由は気になる。

 言葉はすぐに返ってこなかった。また無視だろうかと諦めかけていると、ぼそりと暗闇から聞こえてきた。

「……観察をしていた」

「観察? 何のですか?」

 しかし、今度こそ流の返事はなかった。待てど暮らせど返ってこない声に、雪音は気づけば眠っていた。


 翌朝学校へ行くと、翠夏はもう教室にいた。雪音におはようと片手をひらりと振り、背後の流の姿を見つけると「あら」と嬉しそうな声をこぼした。

「お兄さんかっこいいー。え、何、この人が今回の人?」

「うん」

「へー、ばーちゃんじゃなかったんだー」

 じろじろと翠夏が流のことを見回しているが、彼は一切目を合わせない。下を向いて固まっている。

「お兄さん名前は?」

「……」

「持田流さん、だよ」

 ふーんと生返事をしながら翠夏は矯めつ眇めつ流を眺めるが、やがて諦めたように首を横に振った。「聞き覚えもないし、見覚えもない」

「そうなんだ」

「うん。ねえお兄さん、どうしてあたしんとこにいたの?」

「……」

「おーい、聞いてる?」

 もの言わぬ像と化した流を下から覗き込んで再度問うが、もの言わぬ像は何も声を発さない。

「もしもーし?」

「……」

「無視ですかー」

「スイちゃん、昨日からこんな感じで……」

 寝る前に聞いた「観察をしていた」は、雪音の夢の中のできごとだったんじゃないかと半ば本気で疑いたくなってくる。言葉の意味が図り切れないので、翠夏にはまだ伝えないでおこうと決めていた。

 流は頑なに口を閉ざし、心を閉ざす。

「まあ、あたしに何か用があるんじゃないならいいんだけどさー。というか、ばーちゃんじゃなかったの結構びっくりしたなあ。あたしほぼほぼ間違いなくばーちゃんだと思ってたもん」

「私もそうだろうなって思ってたから、昨日すごくびっくりした」

「ねー、老婆現れると思ってこのイケメンだったらびびるよね。あーばーちゃんどうしてるんだろうなー元気かなー。昨日さ、妹にそう言ったら『死んだんだから元気もくそもないじゃん』って言われたからしばいた」

 ふふと苦笑が漏れた直後で、翠夏の妹といえば、と今朝のことを思い出した。

「そういえば、今日来る時織奈おりなちゃん見かけたよ」

「へー、そうなんだ。鼻水垂らしてなかった?」

「普通に自転車乗ってたよ。相変わらず仲悪いんだねえ」

 雪音からすれば、信号ですれ違う時に雪音に気づいてぺこりと頭を下げてくれたいい子であるが。

「年の近い姉妹なんてこんなもんだって」

 織奈は一つ下の高校一年生で、いとこの鳴花も通う松海市の中心にある霞ヶ丘かすみがおか高校に通っているらしい。くるりとした目の翠夏とは違い、切れ長な瞳が理知的な空気を醸しだす賢そうで大人しそうな子だ。その実態は翠夏と舌戦で互角の戦いを繰り広げる苛烈な性格らしいが、姉の友達である雪音に対してはいつも笑顔で礼儀正しい。

「でもいいな、私妹ほしかったなー」

「えーいいことなんて」

「和泉」

「んあ?」

 翠夏とともに声のほうを向くと、そこにいた湊が教室のドアを指差した。

「呼んでるけど」

 デジャヴだろうか。そこには先月と同じように顔を覗かす泳哉の姿があった。にこにこと人懐っこそうな笑顔を浮かべてこちらを見ている。

「あーまたあいつ……ごめん雪音、ちょっと行ってくる」

「あ、いってらっしゃい」

 不機嫌そうな翠夏の背中を見送ると、湊が不思議そうに首をかしげていた。

「和泉と十って付き合ってるんだっけ?」

「付き合ってたけど、今は別れてるみたい。スイちゃんそう言ってたよ」

「あ、そうなんだ」

「でもこのあいだも十くん、スイちゃんのこと呼んでしゃべってたんだよね。何かあったのかな」

 廊下のほうに視線をやるも、教室からでは翠夏と泳哉の姿は見えない。

「あーどうだろうな。……ところで、さ」

「?」

 変なところで言葉を区切る湊に目を転じると、不自然なほどにそっぽを向かれた。

「……君島は、付き合ってる人いるの?」

「え、私?」

 突然水を向けられ声が裏返り、次いでじわじわとおかしくなってきて笑いがこぼれた。

「私はいないよ、全然」

「ちなみに、去年噂のあった生徒会長はいとこだってさ!」

「わ、スイちゃん」

 いつの間にか戻ってきた翠夏に背後から抱きすくめられてびっくりする。湊はどこか安堵したように「そうなんだ」と呟いていた。

「スイちゃん、大丈夫?」

「平気平気。大した用事じゃなかったから。で、乾は? 付き合ってる子いるの?」

「……いないけど」

「だーよーねー。でも付き合いたい子はいるよね?」

 そこでなぜか翠夏に頭を撫でられる。

「和泉、からかうなよ……」

 湊が顔を隠して俯いてしまい、翠夏は楽しそうに「ごめーん。乾分かりやすすぎて、つい」と笑って、今度は彼の頭をなでなでしていた。

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