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幽けき人は天明にとける  作者: めろん
第三章 寄せない渚
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「何か憑いてんのよ」

 翠夏が最初にそう言いだしたのは数日前だった。

「え、まだいるの?」

「うん。全然離れていかなくてさー」

 日曜日、雪音は翠夏の家に遊びに来ていた。

 言葉の不穏さとは裏腹に、翠夏はお菓子を片手にあっけらかんと何とも気楽そうにしている。ドリームキャッチャーが関係しなければその手のものは全く感知できない雪音にとっては、憑いているという感覚がいまいち分からないのだがそんなに気にしなくても大丈夫なものなのだろうか。

「大丈夫? 何かこう、体調悪いとかはないの? 小説とか漫画だとよくあるでしょ、体が重いとか頭が重いとか」

「ぜーんぜん全くこれっぽっちも不具合ないよ。雪音も幽人と一緒にいる時そんなことないでしょ?」

「あーうん。最初に衝撃があるだけで、そのあとはない」

「それと似たようなもんだと思う。憑いているというか、詳しく言うと同じ気配がずっとそばにいるって感じかな」

「そっかー」

 雪音もテーブルの上に広げられた中からチョコレート菓子をつまみ上げ、ぽりぽりとかじる。

「夕方まで一緒にいたら私のほうに来るかな?」

 幽人がかかるのは夕暮れ時、ということくらいは把握している。十八時は逢魔が時で、魔に出逢う時間。幽世と現世の境界線があやふやになり、明るい昼から奇々怪々が本領を発揮する夜へ変わるその隙間。大禍時や黄昏時とも言うらしい。そんな時間ならば何が起こってもおかしくないのでは、従って雪音が体験し続けていることもだからこの時間が始まりとなっているのではないか、というのが今のところの持論である。

「でもこのあいだ……金曜日か。一緒に帰ったけど何もなかったじゃん」

「あ、それもそうだね。うーん、私もどういう仕組みで発動? するのか分かってないからなー」

 翠夏が憑いていると訴えだしたのは確か水曜日くらいだったから、今日は日曜日なのでそこそこ長い。

「まあ特に害があるわけでもないから、別にいいんだけどねー。何か見られてる感がやたら気になるくらいで、こんなに離れないのは初めてだけど、一、二日くらい張り憑かれることもなかったわけじゃないし」

 でもねー、と翠夏が座ったまま背後に倒れる。後ろにあった大きな羊のぬいぐるみが彼女の頭を受け止めた。

「先月ばーちゃん死んでるでしょ。だからね、何か無視できないというか、もしかするともしかするかもしれないって思うわけよ。そしたらほっとくわけにもいかないしね」

 翠夏の祖母が亡くなってから一か月ほどが経つ。あのあと翠夏本人から話を聞いたのだが、祖母は病気とかではなく寿命で眠るように亡くなったらしい。高齢だから親戚一同覚悟はしていたそうだ。翠夏は雪音の前で泣くことなく、すっきりとした面持ちで言い切っていた。

 それからは翠夏の部屋でのんべんだらりとすごし、気づけば夕方になっていた。カーテンの引かれていない窓の向こうは、青から黒へとその色を変えた。

「ごめん、もうこんな時間だったんだ。帰るね」

「暗くなるのほんと早くなったよねー。ちょっと前まで十九時でもまだ明るかったのに」

「ほんとね。寒くもなったしね」

 バッグを持って立ち上がろうとした雪音は、しかしぐらりと視界が淀んで片膝をついた状態で固まる。体の内面をえぐるような悲しみが痛みに吠え、心の底から何かを欲してじりじりと焦げつく。じっとりと仄暗い気持ちが全身に蔓延り、やがてそれは糸が切れるようにぷつりと消えた。

 はあと深く、息を吐く。静かに真綿でじわじわと締められるようなそれは恐らく、

「もしかして今行った? 気配が消えたんだけど」

「うん。きた」

 幽人との出会いを示すものだ。

「もし変なのだったらごめんね。あたし関連だったらちゃんと手伝うから」

「うん、ありがとう」

 今度こそ立ち上がり、「お邪魔しました」と翠夏の家を出る。十二月に入ってから空気は一段と冷え、首にゆるく巻いたマフラーをきつく締め直して家路につく。空を見上げると、冬の透き通った空気に幾千もの星々が瞬いているのがとても美しく見えた。


「ただいま」

 玄関の扉を開けると、自転車の音で帰ってくるのを察知したらしい黒柴のライがお座りをして雪音を待ち構えていた。目がらんらんと輝き、くるりと巻いた尻尾は振るのが下手くそなのでカクカクと不自然に動く。舌を出して口角の上がった顔は、犬ながらまさに笑顔だった。

 雪音と目が合う。雪音の背後に何かを感じ取ったのか、ずざっと素早く後ろに下がると笑顔が塗り替えられるように牙を剥き、背中の毛を逆立ててうーと唸る。小さな体で敵意を一心に撒き散らす。

 苦笑いをこぼしつつ、犬ってすごいなって思う。

 靴を脱いで上がり框に上がると、ライは猛然と吠え始めた。何だお前、こっちに来るな――そう言いたげにわんわんわんと声を上げ続け、そのあまりの激しさに奥から母が出てきた。

「ライ、うるさいよ。ユキが帰ってきただけじゃん」

「ただいま」

「おかえりー。それにしてもまた急にスイッチが入ったね、この子。今日出かけるまではこんなことなかったのに」

「ねー。いつもびっくりしちゃう」

 原因は分かっているから、まあ言うほどの驚きはないのだけれど。幽人がいる時に吠えられるとああそっか、と諦めに近い苦笑が浮かぶくらいだ。ライには見えているのだろう。

「ご飯もう食べる?」

「うん、食べる。お腹空いた。今日何?」

「二日目カレー」

「あー、そうだったね」

 昨日の夕飯もカレーだった。野暮だった。

 二階の自分の部屋へ行き、荷物を置いて服を着替えてリビングへ下りる。ライは雪音を見るとやはりうーうーと唸り声を上げるが気にせず放っておくと、少し時間が経てば疲れたのか諦めたのか部屋の隅のほうで小さく丸まってふて寝を始めた。幽人がいるあいだ、ライは絶対に雪音に近づいてこない。

 食卓にカレーとサラダが並び、母と二人で食べ始める。父は仕事で遅くなるようでまだ帰っていない。

「そうだ、ナルちゃん新しい彼氏ができたんだってー」

「へー、そうなの」

 ナルちゃんは、雪音と同い年のいとこで名を東雲鳴花なるかという。津科高校の前の生徒会長で、翠夏から以前雪音と噂があったと聞き驚いた英巳の妹だ。東雲一家は市内に住んではいるが、郊外に住む雪音たちとは違い松海市の中心地に住んでいて、鳴花はそこの地元の高校に通っている。同性で同い年ということもあり、雪音は英巳よりも鳴花のほうが仲がいい。

「前派手に別れてから、一年くらい? あれ、去年だったっけ?」

「そうだっけねー。あの時は大変だったね」

「うん、本当に」

「ユキはさ、そういうのないの? 花の女子高生、青春真っ盛りじゃん」

 洋子にもそんなことを聞かれたなーと思い出し、微苦笑を浮かべる。

「んー、私あんまり興味ないから……」

 それどころではない、というのが嘘偽りない本心だ。それに幽人と関わっていると色んな恋愛の話を聞いて、そりゃもうそれは多岐に渡って様々な顛末を聞いてきたからか、同級生たちが持つようなかわいらしい理想や期待など抱けないくらいには現実を知ってしまった。

「まあこればっかりは縁だし、恋愛しとけばいいってもんでもないしね。そのうち何かあったら聞かせてよ」

「あればねー」

 当分は何もないだろうし、むしろなくていいと思ってしまうけれど。

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