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幽けき人は天明にとける  作者: めろん
第二章 日直りますように
11/27

3


「お母さん」

 翌朝、寝不足の目をこすりながら身支度を終え、荷物を持って家を出る直前で雪音は母に綺麗にラッピングしてもらったハンドクリームを渡した。

「誕生日おめでとう」

「わあ、ありがとうユキ!」

「じゃあ行ってきます」

「あ、行ってらっしゃい! 気をつけてねー」

 嬉しそうに手を振る母に何だか気恥ずかしさを覚えて、雪音はそそくさと家を出た。いつの間にやら火照っていた頬に、朝の清かな空気はひんやりと気持ちいい。

「雪音ちゃんのお母さん、誕生日だったんだね」

「うん、今日なの」

 自転車の鍵を開けながら、冬樹の揺れのない声にほっと息をついた。昨日の今日で、冬樹の話を聞いたあとである。母に誕生日プレゼントを渡すことに、少なからずの後ろめたさと罪悪感があった。

 冬樹がふわふわと自転車に並走して、二人で学校に向かう。雪音ちゃん、と小さく投げられた声に、歩いている中学生を追い抜かしてから返事をする。

「うん?」

 次の言葉はなかなか返ってこなくて、赤信号で止まった時に雪音は横を向いた。幸い周りには誰もいなかったので、俯いた顔を覗き込んで声をかける。

「どうかした、冬樹くん?」

 しかし冬樹の反応はなく、信号が青に変わり雪音は再びペダルを漕ぐ。黙々と漕ぎ続ければ、片道二十分の距離は案外近い。ちらほらと同じ制服が道に見え始めたころ、自転車よりも少し後ろに下がって顔の見えない冬樹はようやっと口を開いた。

「……雪音ちゃん。僕も、お母さんにプレゼントをあげたい」

 やっと、聞けた。

 雪音は思わず微笑をこぼした。たぶん、冬樹は昨夜話していた時にもプレゼントのことを想っていたのだろう。彼は母の誕生日にこだわっていた。「僕が死んだ悲しい日じゃなく、本当はお母さんが生まれた嬉しい日」。その言葉に気持ちが詰まっているのが分かったけれど、言い出せなかったのは彼なりの遠慮だろうか。

 叶えたいことやり残したこと、雪音にできる範囲なら全力で手伝うから、どうかさらけ出してほしい。そう思うのは雪音の一人よがりの考えだろうけれど、思うだけでも許してほしい。実際にはできる範囲なんて高校生の雪音には小さな限られたものだけれど、それでもそのくらいの覚悟を持っていたい。

 辺りはもう津科高校の生徒が多く登校している最中だ。雪音は片手をハンドルから放し、首に下げたドリームキャッチャーに服の上から触れる。

 ――いいよ、冬樹くん。

「? 雪音ちゃん、今しゃべった?」

 ――声は出してないけどしゃべってる。人がいっぱいいるから、普通にしゃべったら一人で話してるように見えて変でしょ? だから、心で話してるの。

 ドリームキャッチャーに触れながらだと、声を出さずに幽人と会話することができる。雪音自身ではなく、ドリームキャッチャーそのものが幽人と深く繋がっているからではないかと雪音は推測しているが、やはり詳細は不明だ。ちなみにドリームキャッチャーに直接触れると、霊感を持っていない人でも幽人の姿を見られるようになる。

「え、すごいね、頭の中に声が勝手に響いてくる感じ……」

 ――ありがとう。たまに、慣れない気持ち悪いって怒られることもあるよ。

 曲がり角を曲がると、すぐに学校の正門が見える。生徒たちが吸い込まれるように向かう流れに乗って、雪音も校内に入る。

「でも、本当にいいの? プレゼント……」

「いいよ」

 タイミングがよかったのか、駐輪場では雪音の近くに人はいなかった。自転車を停めて鍵をかけ、冬樹を見て言葉を音に乗せる。

「放課後、冬樹くんが行こうとしてたっていう雑貨屋さんに行ってみようか」

「うん! ありがとう雪音ちゃん!」

「お礼を言うのはまだ早いよ。道案内よろしくね」

 苦笑をしつつ荷物を取り、教室に上がる。おはようと挨拶を返しながら席に着くと、翠夏がまだ来ていないことに気がついた。雪音のほうが早く着くのは別段珍しいことではない。けれど昨日の早退のこともあって何となく引っかかり、教室の扉が開くたびに視線をやったが、担任が来てホームルームが終わっても翠夏の姿は教室になかった。

「先生」

 一限目は移動教室の授業で、クラスメイトたちが早々に準備をして出て行く。その中に紛れながら、雪音は教室を出ようとする担任の渦野うずのを捕まえる。

「どうした君島」

「スイちゃんって、今日休みですか?」

 年齢は確か三十後半だったか。渦野は短く刈った黒髪に手をやり、雪音から視線を外して「あー和泉なあ」と唸る。

「君島は和泉と仲がいいから伝えとくけど、今朝早くにおばあさんが亡くなったみたいでな」

「……そう、なんですか。じゃあ、昨日の早退も」

「うん。危篤だって連絡が入ったんだ。来週は来れるだろうか、何かあったらフォロー頼むな」

「はい」

 じゃ、一限目遅れるなよ、と言い置いて渦野は教室を出て行く。全員がすでに出払った教室はさっきまでの騒々しさが嘘のように静まって、廊下の向こうから聞こえるほかのクラスの喧騒も遠い。

 荷物を持って、雪音も教室を出る。

「雪音ちゃん? 大丈夫?」

「うん」

 確かに人よりは触れているはずだ。それでもそれに慣れる、なんてことはない。雪音だって怖いし、悲しいし、つらい。幽人の力になりたいと心底思うが、それでも線引きをして一定の距離を保つのは踏み込みすぎると心がバラバラになってしまいそうだからだ。心を傾けすぎては、いけない。雪音は幽人の話を聞いても絶対に泣かない。そこまで深くは受け止めない。受け止められない。これは自衛だ。

 振り返るとそこに死が待ち受けている気がして、雪音は足早に一限目の教室に向かった。


 ブタの置きものがあるお店ってどこだろうと思っていた。

 放課後、冬樹を連れて駅前に来た。彼の案内で辿り着いたお店はつい昨日雪音が訪れた雑貨屋で、確かに入り口の脇に小さなブタの陶器の置きものがあった。店に入ると昨日の今日で見覚えがあったのか、店員に「あら昨日の」というような表情をされ、小さく頭を下げる。

「雪音ちゃん、お店のお姉さんとお知り合いなの?」

 隣に立つ冬樹にちらりと目をやって、胸元に手を添える。

 ――ううん、昨日も来たから覚えてたみたい。小さなお店だから、ずっとこれでしゃべるね。

「うん。分かった」

 そこからは冬樹が主体で、商品を見る彼の後ろを雪音がついて歩いた。ぬいぐるみを見てかわいいとはしゃぎ、華奢なネックレスやキラキラと光るピアスを見て綺麗と歓声を上げる。楽しそうに楽しそうに、お母さんは何が喜ぶだろうと幾度も呟きながら店の中をゆっくり練り歩く。雪音たちのほかに客は一人いたが、店員と服について熱く語り合っているのでうろうろしても邪魔にならないのが幸いだった。

「ねえ雪音ちゃん、雪音ちゃんは何をもらったら嬉しい?」

 ――えーそうだなあ、難しいなあ……。冬樹くんは、去年はここに来たら何を買おうと思っていたの?

「んーとねえ、僕のお小遣いで買えるのはハンカチくらいかなって思っ、……!」

 ――どうかした?

 はっと何かに気づいたように動きを止めた冬樹を見て首をかしげる。

「どうしよう、僕お金持ってない……!」

 ――ふふ。いいよ、私が払うから。

 まあ払うといえど、雪音とて親からもらったお小遣いなわけなので格好はつかないが。

「え、でも……」

 ――大丈夫。あんまり高いのは無理だけど。というか、生前に冬樹くんが買っていた体になると思うから、そのつもりで選んでね。

「分かった。ありがとう雪音ちゃん」

 それから冬樹は真剣な面持ちで商品を熱心に見つめ、うんうんと唸りながらあれやこれやと吟味し、そして一つのものを指差して「これにする」と言った。

 ――それでいいの?

「うん。これがいいの」

 やわらかい生地で、触り心地のよいタオルハンカチだ。全体は淡いクリーム色で、右下の片隅にワンポイントでひよこのモチーフが刺繍されている。優しくてふわふわとした雰囲気のあるシンプルなハンカチを、冬樹は唇を固く引き結んで指し示す。

 ――うん、分かった。

 それを手に取りレジに行き、お会計をしてもらう。昨日と同じく綺麗に包んでもらい店を出ると時刻も昨日と同じくらいで、一人時間を巻き戻したかのような感覚になった。ただ一日中曇天模様だったからか、昨日よりも大通りを行き交う車のヘッドランプやテールランプが眩しく見える。

「どうしてあのハンカチにしたの?」

 自転車を漕ぎだし問うと、へへと横で冬樹が笑う。

「僕のお母さんね、ひなって名前なの」

「……ああ、だからひよこでひな?」

「うん! 喜んでくれたらいいなあ」

「そうだね」

「でも雪音ちゃん、どうやってお母さんにハンカチを渡すの?」

 路地の角を曲がる。冬樹が地に縛られていた、電柱がある道だ。視界の向こうのほう、暗がりの中を人影が動いたような気がした。

「何となくは考えてるから、だいじょ」

「お母さんだ!」

「えっ?」

 雪音の話を遮って冬樹が声を上げた。彼が指差す方向、薄暗く明かりのない道の上を確かに誰かが自転車に乗って走っている。

 ペダルを踏み込む。サドルからお尻を浮かして体重を前にかけスピードを上げるが、もともと距離があった上にさらにこの暗さだ。冬樹の母だったという人影はすぐに見失い、視認できる範囲には誰もいない。

 漕ぐのをやめブレーキを小刻みに握るとスピードが落ちて、からからと車輪の鳴る音がやけに耳に残った。

「……ごめん冬樹くん、見失っちゃった」

「ううん、大丈夫」

 突然の動きに乱れた呼吸を整え、ゆるりと発進する。かっと熱の集まった頬を、冷たい風が染みるように撫でていく。

「お母さんは、よく冬樹くんのところに来てたの?」

「うん。一年が経ってからは、ほとんど毎日来てたよ」

「時間は大体何時くらいとか分かる?」

「んっとね、いつも暗くなってお寺の鐘が聞こえてきたあとだったよ」

 寺の鐘といえば、夕方なら十八時に鳴るはずだ。

 家を訪ねるよりもあそこで待ち伏せをしたほうがやりやすいだろうか。どう話を持っていくか、試案を巡らせる。幸い明日は土曜日で、翌日の日曜日と合わせて二日は自由に動ける。

「また明日、ここに来よう。大丈夫、ちゃんと渡せるよ」

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