本州上陸
ルシファーが海夕館に突入してから、約一時間後、
「ルシファーは海夕館を貫通しましたが、ジンベエザメのジン君は無事との情報が入ってきました!」
との報道があり、亮太と真優はほっと胸をなで下ろしていた。
亮太としては、どうやって水槽の水が漏れ出すのを防いだのか気になっていたが、後から海夕館館長が記者会見で、
「十数名の職員が残っていました。球体はジンベエザメの泳ぐ大水槽の、厚さ三十センチのアクリルガラスを突き破りましたが、あらかじめ用意していた鉄板で内側からフタをして、漏水を最小限に防ぎました」
とコメントしているのを聞いて、ああ、なるほどな、と納得した。
そもそも、ルシファーはソフトボール程度と、たいした大きさではないのだ。
普通のガラスであれば広範囲に渡って割れたかもしれないが、アクリルガラスなら伸縮性があり、突き破られた範囲は限定される。そこに内側から鉄板を持って行けば、水圧で自然とフタができる。ごく簡単な理屈だ。
「でも、それって原発に使えるの?」
真優がめずらしく核心を突いたツッコミを入れた。
「いや……無理だな。本当に原子炉を突き破るのなら、内側からフタなんてできるわけがない」
「じゃあ、どうするの?」
「俺に聞かれても分からない。ただ、原発から逸れるのを祈るしかないなあ」
「うん……」
事態をどこまで把握しているか分からないが、真優も沈痛な表情だ。
原発に限らず、自分が名付けたルシファーが、次々と被害を出していることを悩んでいるという。
亮太は、別に真優に責任はないだろう、となぐさめたが、その気持ち、分からないでもなかった。
海夕館では、飼育されている魚や動物たちに大きな影響はなかった。
しかし、それでも貫通した外壁や巨大水槽、それに通路やポンプ施設の一部など、補修に必要な箇所が多数出てしまった。それらが修理されるまでの間、休業が続いてしまう。最終的な被害金額がいくらになるのか、まだ計算ができないという事だった。
その後も、ルシファーは都市部をひたすらまっすぐに進む。
真優の願いに反して、その被害は想像よりずっと大きかった。
予測進路の半径一キロ以内に避難指示が出ていると言うことは、そこに至る交通網がストップすることを意味する。
電車は止まり、道路は封鎖。
たかがソフトボール程度の物体のために、大渋滞が発生した。
そんな中を、悠然と突き進むルシファー。
総合病院に突入する際は、入院患者の搬送に大騒ぎとなり、なんとかそれを果たしたものの、高額なCTスキャン装置が破壊された。
老舗の酒造メーカーでは巨大な酒樽に穴が開き、そこにうまくフタをすることができず、大量の清酒が漏れ出た。
高速道路の橋脚の一部を貫き、その区間はルシファーが通りすぎた後も通行止めが続くこととなった。
マンションでも低層階に被害が出た。
特に「壁」だけではなく、「床」部分、つまり一階と二階の仕切り部分が貫かれたような建物は、その修繕のめどがたたず、途方に暮れることとなってしまった。
パチンコ店に突入した時は、パチンコ球の供給装置を破壊し、大量の球が店外にまであふれ出す騒ぎとなった。
新築の家を建てたばかりという夫婦は、自分達の家が被害に遭う瞬間を、ビデオに撮影していた。
「これはひどい……」
動画サイトにされたその映像を観た亮太と真優は、その光景に愕然とした
その夫婦は、自分達の家が心配で避難指示を無視し、カメラを回していたのだ。
「やめてえぇー!」
若妻の絶叫も虚しく、ルシファーは真新しいその家の外壁を、ベキベキと音を立てて突き破っていく。
「大丈夫、修理できるから……」
撮影している夫の慰めの声は、少し涙ぐんでくるようだった。
家の反対側の壁を突き破り出てくるルシファー。
「ちくしょう……保険、効かないだろうなあ……」
彼のやりきれない声が、亮太と真優の心に響いた。
カメラは家の中に入り、その様子を映し出した。
「うわっ……ひでえぇ……」
亮太達も、目を疑った。
ルシファーは壁を突き破り、リビングダイニングのテーブルを押し倒し、システムキッチンを破壊。
トイレは被害を免れたものの、浴室ではバスタブに穴が開いていた。
その穴から覗き込むと、壁を突き抜けて外の光が、さらには隣の家の外壁も貫通、そしてその室内までもが見える状態になってしまっていたのだ。
妻の泣きじゃくる声が、亮太達の胸を打つ。二人は涙ぐんでしまった。
しかし、これは被害のほんの始まりに過ぎなかった。
ルシファーの正体については、各方面から様々な憶測が論じられていた。
特にネット上での議論が盛んで、主なものを挙げれば、小型UFO説、未知の天体説、最新型兵器説、有機生命体説、或いはそれらの複合説。
「遅れてきた恐怖の大王」、「破壊神が放った真の暗黒天使」といったオカルトも多かった。
ニュース番組でも、物理学の権威といわれる国立大学教授から近所の小学生まで、様々な意見や憶測を口にしていたが、結局の所はっきりした事は分からないままだ。
また、その関心は正体そのものよりも、どうやって進行を食い止めるのか、そして本当に原子力発電所を破壊してしまうのかどうかに移っていた。
ルシファーは真優が発見した当初から、変わらぬ進行方向、速度、そしてほんの僅かずつ上昇する海抜高度が特徴だった。
陸上の海抜は一定ではないため、見た目上ルシファーの浮遊高度が変化する。
場所によっては家の屋根の上を通り過ぎたり、或いは地中を進行して行くときもあった。
現在、海抜約十五メートル。臨海部はほぼ海抜ゼロメートルのため被害が大きかったが、少し内陸に入ると意外と起伏が激しく、地面の中に潜む時間も多い。
しかし、それでも決して被害が少ないとは言えない。
都市部では、地下にまで居住空間のある建物は意外と多いのだ。
とあるショッピングセンターの地下では、ある程度出現が予測されていたのだが、破壊音とともにいきなり壁からルシファーが出現し、残っていたスタッフ全員が大きく身をすくめた。
防犯カメラに写された、慌てて逃げる警備員の姿。
そして黒の球体がスイーツコーナーのケーキを押しつぶしながら進むシュールな映像などが、次々と動画サイトにアップされていった。
また、市街地では電線、電話線、ガス管、水道管も、地下に多く埋められている。
――神戸市郊外、下り坂。
ここはルシファー再出現予測地点だった。
普段は混雑する片側三車線の幹線道路だが、交通規制により一台の車も走っていない。
望遠カメラは、ただ静かなその坂道を映し続ける。
七月の強烈な日射により、アスファルト上には蜃気楼現象の一種、「逃げ水」が発生していた。
そのすぐ後方、坂の頂上付近で、突然轟音と共に巨大な水柱が出現した。
今度は幻ではない。高さは約十五メートルにも達する。
上空で噴水状に広がり、そして大粒の水滴がゲリラ豪雨のように地面に激しく叩きつけられた。
驚愕の表情で数秒間固まる、若い男性アナウンサー。
「これは一体、何が……えっ、水道……水道管? ……ルシファーは地下で上水道の水道管、それもかなりの水量の物を破壊したようです……あ、ルシファーが……出て来ました!」
濁流に覆われたアスファルトを、いとも簡単に突き破って再出現するルシファー。
真っ白な水柱を背景に悠然と浮遊する暗黒の球体は、人々に戦慄と恐怖、そして同時に一種の美しさすら感じさせた。
「あれはまさしく……本物の悪魔です……」
アナウンサーが震えながら呟いたその一言は、決して大げさな表現ではなかった。
そしてここで、画面がスタジオに切り替わった。
「中継の途中ですが、ここで新たな情報が入ってきました。政府による緊急記者会見が開催される模様です。繰り返します、緊急記者会見が開催されます……」
亮太と真優は思わず顔を見合わせた。




