サイン会
「……大変だ、これはとんでもないことになるぞ!」
亮太は思わず大声で叫ぶ。
報道フロアも一気に慌ただしくなっていた。
「やっとこの前、再稼働したのにね……」
真優も悲しそうではあるが、まだ現実感がないようだ。
「とりあえず、クーラー止めるぞ! 扇風機は、まあ、使って大丈夫だろう」
「ええーっ! ……でも、仕方ないね……」
しょんぼりとする真優。ようやく実感できたようだった。
(夕暮れ時だからまだ涼しいけど、これはやばいなあ。テレビの消費電力って、どれぐらいだっけ? とりあえず、最低でもルシファーが原子力発電所通り過ぎるまで、節電だ)
これで四十インチの画面は、4.3インチのスマホとなった。
彼のパソコンもデスクトップはシャットダウン。幸いにもノートPCがあるので、それで急場をしのぐつもりだった。
「ふぇーん。テレビが普通に見えないのは悲しいよぉ」
「真優、気持ちは分かるけど、ここは我慢だ」
「そうだ! 電気屋さんに行ったら涼しいし、テレビ見えるんじゃないかな?」
「なるほど! ……いや、やっぱりだめだ。そんなところで何時間も居たらさすがに迷惑だし、何より真優、お前は今、日本中でものすごく顔が知られているんだ。だからこうやって部屋に閉じこもってるんじゃないか」
「……え? そうなの? 単に暑いからずっと部屋に居るのかと思ってた」
(まったく危機感がないなあ……)
「でも、大丈夫だと思うよ。別にアイドルって訳じゃないし、単にちょこっとインタビュー受けただけじゃない。亮太だって、テレビに出てる人の顔、全部覚えてる訳じゃないでしょ?」
そう言われてみれば、そんな気もしてきた。
いつも通り真優の口車に乗せられ、自転車で十分ほど走って近所の大型電気店へ。
ここはこの地方では唯一の量販店。平屋建てながら、高校の体育館四っつ分ほどの広さはある。
テレビコーナーでは、六十インチの大型パネルも展示されていた……が、映っているのは三台に一台ほど。
「節電営業中」の看板が掲げられていた。
「……まあ、そうなるだろうなあ。さあ、ルシファーのニュースはやっているか……げっ!」
思わず立ち尽くす亮太。
その大形テレビには、真優が海岸でルシファーにいろいろ実験している様子が映し出されていたのだ。
どうやら、録画した映像を繰り返し放送している様子だった。
地元発端の大事件が全国ネットで放送された、田舎にとっては貴重な映像。この店で客寄せの為に繰り返し流しても、なんら不思議ではなかった。
「おお、『ルシファーふうせん』なんてもの、子供に配っているぞ。けど……」
ただの色の濃い風船だった。
不意に、五歳ぐらいの小さな女の子が真優を指さしている様子が、亮太の目に飛び込んできた。手を繋いでいるお母さんもちょっと驚いて、左手で口元を押さえている。
(テレビ画面と何度も見比べているし、ちょっとやばいかな……)
店員にも気付かれたようだっだ。真優もさすがに苦笑いしている。
そのうちに、中学生ぐらいの女の子達が黄色い声を上げている。そして真優のことをスマホや携帯で撮影し始めた。
「真優、ここは一時帰った方が……おまえ、なんで手、振ってるんだ!」
「え、だって、なんか愛想良くした方がいいかなって思って」
(さっき、自分でアイドルとかじゃないって言ってたくせに)
「……あの、ちょっといいですか?」
恐縮そうに近寄ってきたのは、さっきの女の子のお母さんだった。
「すみません、もし良かったら、この風船にサインしていただけないでしょうか……」
その手には、さっきのルシファーふうせんと、サインペン。
女の子はちょっと恥ずかしそうにお母さんの後ろに半分体を隠している。
「サ……サイン!?」
亮太と真優は、思わず顔を見合わせた。
「でも、私、まだ芸能人じゃないので……」
真優がやんわりと断る。
「まだ」を付けるあたりが、嘘がつけないというところだった。
お母さんは
「そうですよねえ……残念だけど、仕方ないですね」
と笑顔で会釈する。
ところが、それを聞いた女の子が、泣き出しそうな顔になってしまった。
「ちょ、ちょっと待って。ひらがなで良かったら、書いてあげるから!」
真優は半分意味不明の発言をしたが、女の子はぱっと笑顔になった。
もうこうなったら後には引けない。
すみません、と謝るお母さんからペンを受け取って、風船に名前を書こうとする。
が、ルシファーふうせんは色が濃く、また、フニャフニャなのでうまく書けない。
と、そこに三十歳ぐらいの電気店の店員が、気を利かせて色紙を持って来た。岡本と名札に書いてある。
亮太が、なぜそんな物があったのか聞いてみると、グランドオープンの時にグラビアアイドルを呼んでサイン会を行っており、その時の残りだという事だった。
ちょっと丸文字ながら、ひらがなで可愛らしく「みやもとまゆ(はーと)」と書く真優。
(……おまえ、こっそり練習していただろう?)
亮太がつぶやいた。
女の子は大喜びでそのサインを受け取った。
ところが、その様子を見て、他にも「僕も」「私も」と、子供の列ができてしまった。
さすがに困惑する真優。
それを見かねたのか、店員がなにやら真優とごにょごにょ耳打ちする。
一分後、
「えー、限定十名様、小学校三年生以下の方に限り、風船とサインを無料でプレゼントします!」
という、即席のルシファーイベントが開催されることとなった。
真優が長机を前にしてパイプ椅子に座り、色紙にサインをして子供達に渡してあげる。
風船は店員の岡本さんが手渡しだ。
笑顔なのは子供達だけではない。
彼女も生き生きとした表情になっていたのだ。
(真優、こういうの好きなんだな)
本当にアイドルに向いているのかもしれない、と亮太は思った。
ところが、この小さなイベントが、後々彼女を苦しめる引き金となってしまう。
亮太も真優も、この時はまだ、アイドルという仕事の苦悩を、理解できていなかった。
即席サイン会が終わった後、さすがに二人はすぐその場を後にした。
店員の岡本は「またいつでも遊びに来てください!」と笑顔で見送ってくれたが、「毎回こんな騒動になったらちょっと大変そうだ」と、顔を見合わせて笑った。
それにしても、大きな画面でテレビが見えないのはやはり不便だった。
二人は、
「クーラーは点けないけど、テレビは時間を決めて観ることにしよう」
と取り決めた。
真優は母親から電話があって、一旦帰宅。
三十分ほどして、また亮太の家に遊びにやってきた。
真優の母親の話とは、別の芸能プロダクションからもオファーがあったが、どうしようかということらしかった。
ただ、彼女は
「そこは前のプロダクションより小さく、所属する芸能人もほとんど聞いたことがない人たちばかりなので、断ろうと思う」
と複雑な表情を浮かべていた。
一応、ネットでそのプロダクションを調べてみたが、どうもぱっとしない。
止めた方がいいという結論を出して、彼女に告げた。
だが、もしこちらのプロダクションの方が先に話を持ちかけてきていたら、どうなっていただろうか。言葉巧みに乗せられて、すぐに契約してしまっていたかもしれない。
亮太は、前のプロダクションが急いで真優と家族にコンタクトを取ってきた理由に気づいた。彼らにとって、有望な人材の発掘は、まさに金脈なのだ。
芸能界の厳しい生存競争の一端を見た気がした。
この日も時間が過ぎるのが早く、気がつくと午後七時を回っていた。
夜のニュースでは、(風船ではない)本物のルシファーについて、新情報が報道されていた。
その見出しは、
『ルシファー、明日早朝に神戸に上陸!』
「……やっぱり、止められないみたいだな」
亮太の表情が曇る。真優も心配そうだった。
そして本州で最初に被害に遭うであろうその施設の名前を聞いて、彼は仰天してしまった。
「このままのコースですと、日本最大級の水族館、『海夕館』を直撃する模様です。ここには世界でも数少ない、体長七メートルを超えるジンベエザメのジン君が回遊していますが、無事にやり過ごせるのでしょうか……」
アナウンサーがさも心配、といった表情で多少大げさに報道している。
「どうしよう! 海夕館が被害に遭うんだって!」
泣き出しそうな声を上げる真優。
「ああ……だが、俺達にはどうしようもない……」
海夕館は亮太と真優の家族全員で、三年前に遊びに行った思い出の水族館だ。
そのときの、大水槽を悠然と泳ぐジンベエザメの迫力は、今でも鮮明に思い出すことができる。
あのときと同じジンベエザメかどうかは分からないが、いずれにせよ、ルシファーによって命が脅かされようとしているのであれば、それは由々しき事態だ。
報道によれば、もう「ジン君」を他へ輸送する準備は間に合わないらしい。
また、計算では、よりによってジン君が泳ぐ長さ三十五メートル、深さ十メートルの巨大水槽を、ルシファーは直撃するという。それも、床からの高さ一メートルの箇所だと予測されている。
ルシファーから半径一キロメートルは、避難指示が出される。
水槽に穴が開いたとして、時速2.5キロ弱のルシファーが進む事を計算すると、二十分以上、職員が不在となる。
また、仮に職員がすぐ戻ったとして、穴を塞ぐ方法があるのだろうか。
もし水が全部抜けてしまったならば、エラ呼吸しかできないジンベエザメは死んでしまう。
ただ、『海夕館』には奥の手があるという。
もし本当にそんなものがあるのであれば、原発にも応用できるかもしれない。
また、その他にも、ルシファーの進路上にはタワーマンションや高級住宅街など、気になるような建物が乱立している。
いよいよ、本格的な被害が始まる――。




