命名
球体はその高度と速度を保ち、なお進行を続けている。
さすがに全員、顔色を変えていた。
あの丈夫なコンクリート製の防波堤が、いとも簡単に破壊された。
亮太のスマホは撮影を続けており、そのまま防波堤に駆け寄っていく。
壊れた範囲は、幅一メートル、高さは二メートルのほぼ全て。その部分の土台が残っている程度だった。
壊れ方としては、物理的に大きな力が加わったもののようで、熱による焦げ後などはない。
もし、猛スピードで重い物が当たったなら、堤防には穴が開くだろう。
しかし今回の場合、そうではなく、徐々に圧力がかかった壊れ方のように見えた。
つまりあの物体の進む力は、十トン、いや、それ以上のすさまじいものだと、彼は推測した。
「……すごいね、亮太。怖いよ……私、こんなの捕まえようとしてたのね」
さすがに脳天気な真優も、少し青ざめている。
周りの人のざわめき、どよめきは、明らかに異質だった。
堤防破壊時の轟音に、さらに人が集まってくる。
謎の球体が引き起こした、初の被害。
それは彼等に大きな衝撃と、そしてこの街にとって経済的に結構なダメージをもたらした。
また、それだけにとどまらない。
その後も球体は進み続け、防風林の一部である松の木に迫る。
高さ十メートル、幅一メートルほどのかなり大きな木だったが、防波堤を破壊するほどの力をもつ物体を止める事はできない。
メキメキと嫌な音が鳴った後、誰かが
「危ない! 離れろぉ!」
そう叫んだ次の瞬間、松の大木は勢いよく倒れ、地面で大きくバウンドした。
後から来た人の中にはその被害状況を見て、
「大型トラックか何かが突っ込んだのか」
と問い合わせる者もいた。
このまま進むと住宅街に入り込み、被害が拡大するかもしれない。
警察、消防は応援を呼ぶ事になり、また、進行方向の住民に避難を呼びかける者も現れ、やがて町中が大騒ぎとなっていった。
球体を取り囲む人数は、百人を超えていた。
全員数十メートルほど距離をとっているものの、そのゆっくりと進む球体の動きに合わせてのろのろとついていく。
皆、今後どうなるかの好奇心は持っていたが、さすがに被害が出ることは望んでいないようだった。
球体が堤防を破壊してから約一時間。
運良く住宅街は球体の軌道上からわずかに外れており、それはそのまま田園地帯へと入っていく。
あと三週間もすれば収穫されるであろう稲穂の上を、悠然と進む謎の黒球。
見物人はおそらく三百人を超え、新聞記者が望遠レンズ付きの大きなカメラでその姿を撮影している。
この頃になって、亮太と真優は第一発見者として、警察官に
「最初に見つけたのはいつか」、「どこからあの球体は現れたのか」
など、いろいろ質問された。
そこで例のスマホで撮影した映像を見せると、興味深げにそれに見入っており、今後の対策のために提供して欲しい、と言われた。
しかし、彼等が撮影した、いわばスクープ映像。一つしかないそれを持って行かれる事には少し抵抗があった。
だが、警察官に
「コピーが終われば、あとできちんと返すから。今後の対策のためだ」
と言われたら、断るわけにはいかない。
しぶしぶ亮太が渡そうとしたそのとき、新聞記者が
「僕がノートパソコンを持っているから、それにコピーすればいいんじゃないかな」
と提案してきたので、そうすることにした。
記者は予備のメモリカードを持っており、それにさらにコピーして警察官の手に渡す。
その新聞記者もスクープ映像を手に入れられた訳だから、このへんはギブアンドテイクという事で、亮太と真優の二人も納得した。
そうこうしているうちに、ようやくテレビカメラマンと女性アナウンサーが登場した。
田舎なので、テレビ局からスタッフが辿り付くのに一時間以上かかったのだ。
どうやら彼らは堤防が破壊される前から呼び出されていたようで、想像以上に騒然としたこの現状にかなり慌てていて、田んぼの上を飛行する球体の撮影はもちろん、状況の報告や、さらに応援のカメラ要請など、非常に忙しそうだった。
やがて彼らは、農道や田んぼのあぜ道をぞろぞろと歩いている人だかりに、なにやら質問を投げかけていた。
するとそのうちの一人が、亮太と真優の方向を指さした。
亮太が何度かテレビで見かけたことのある女性アナウンサーと、彼女と行動を共にしているスタッフ数人が近づいて来る。
「あなたたちが、第一発見者かな?」
二十代前半ぐらいの、まだ若く、地方のテレビ局とはいえ、さすがに容姿の整った彼女。気さくに二人に話しかけてきた。
「はい、そうです……もしかして取材とかですか?」
真優が嬉しそうにそう逆質問する。
「ええ、お願いしてもいい? 見つけたときのこと、聞かせてもらえたらうれしいけど」
にっこりと微笑む美人女子アナ。亮太はちょっと見とれた。
「あ、はい、もちろん! 亮太も、いいよね?」
真優は目をきらきらと輝かせながら、弾むような声で彼に確認を取る。
「いや、俺はあんまりテレビに映りたくないから。最初に見つけたのは真優、おまえだし、一人で取材受けなよ」
テレビにあまり映りたくない、というのは半分本音、半分建前だった。
どちらかというと、「真優と一緒に映りたくない」が彼の本心だ。
同級生や彼女の母親に、早朝から真優と二人で、海岸でデートしていた、と思われたくなかったのだ。
「ええっ、でも、私、なにしゃべったらいいか分からないし」
「大丈夫よ。私が質問するから、私に向かって答えてくれればいいわ。カメラは意識しなくてもいいのよ」
女子アナとスタッフが真優を説得する。彼女らも、亮太が入らない方がいいと思っているようだった。
アナウンサーの彼女は、自己紹介で佐藤と名乗った。
亮太は早速スマホでテレビ局のホームページをチェックし、佐藤アナの写真を見つけて、彼女がすぐ目の前にいることに少し不思議な感覚を覚えた。
球体の撮影は後から到着したもう一台のカメラに任せているらしく、こちらは真優の撮影を開始した。
「最初に見つけたときの様子、教えてもらっていいですか?」
「はい、友達と二人でウミガメ上がっていないか確認しようと歩いてたら、あの球が浮いているの見つけたんです」
亮太は「友達」という言葉を聞いて、少し複雑な気持ちになった。しかし、ここではさすがに「彼氏」とは言わないだろうと考え、自分を納得させた。
「じゃあ、あなたが来たときには、他に誰も居なかったんですね?」
「はい。で、しばらく見てたけど、ゆっくりと進むだけで、ちょっと飽きてきて、いろいろ実験したんですけど……」
「実験? どんなことしたのかな?」
「えっと、いろいろ……そうだ、そのときの動画、スマホで撮っているんですよ!」
嬉しそうに亮太の方を向く真優。
そこで一旦撮影を中断し、彼はスマホの動画を見せた。
そこには実験映像だけでなく、堤防破壊や、松の木が倒れる様子も収められている。
「……これ、すごいわ! スクープ映像よ、真優ちゃん、これ私たちにもらえないかしら?」
「あ、はい、もちろんコピーならいいですよ。ただ、さっき新聞社の人にもあげちゃったけど」
「え、そうなの? じゃあ、急いで編集して放送しなくちゃ……インタビューの続きもすぐ撮ろうね」
「はい、お願いします!」
亮太は和気藹々としている彼女たちを見て、まるで姉妹みたいだと思った。そして自分はほったらかしにされてる、と、少しひがんだ。
「この正体、何だと思います?」
「正体?」
「そう。最初に思いついた印象みたいなものでいいので」
佐藤アナは、インタビューでも口調を若干フレンドリーにしていた。真優の子供っぽいキャラクターにあわせているようだった。
「何かな……最初はUFOかなって思ったんですけど、なんかずっと一定方向にしか進まないし……幽霊? うーん、なんだろ」
「謎の飛行物体だし、初めて見つけたんだから、名前付けられるかもしれないですよ。だとしたら、どんな名前、つけるかな」
「名前……うーんと、じゃあ……『ルシファー』」
(……おまえはなんて名前を付けるんだ! 悪魔じゃないか!)
亮太は口には出さないが、心の中でそう非難した。
名付けた理由を後で確認してみると、「なんとなくかっこよさそう」だから、ということだった。
そしてこの名前が一人歩きし、後々とんでもないことになっていった。
インタビューが終わる頃、また新たな情報が入ってきた。
謎の球体の進行方向に、一軒の民家が存在しているというのだ。
しかも、よりによって県の重要文化財にも指定されている、歴史ある古民家だ。
すでに対策として、十二トントラックをその家の前に移動させているという。
先ほどのテレビ局のスタッフはもちろん、亮太と真優も現場へ向かう。
田園地帯の真ん中に、ぽつんと一軒だけ建つわらぶき屋根の古民家。
千坪を超えるというその家の庭は広く、大きなトラックが入っても、まだスペース的に大分余裕があった。
二人が見ると、その手前二百メートル程の田んぼの中を、生え揃う稲をかき分けるように球体が迫ってきている。
既に辺りには数百人の見物人が待ちかまえており、球体と共に移動してきた者と合流し、まるで祭りのイベントのような人だかりとなっていた。
堤防を破壊するほどの力を持つ球体に対し、今回は何とか進行方向をずらそうと、工夫が凝らされてた。
まず、トラックは球体の進行方向に対し、斜めに角度を付けて停車。そこに分厚い鉄板が用意され、三人ほどで何か作業をしていた。
「もっとワックス持ってこい」
というような声が聞こえる。滑りやすくして球体の方向をずらすつもりだ。
また、いつの間にかテレビ局の中継車まで来ていた。応援要請が間に合ったようだった。
亮太は携帯のワンセグでニュースを確認し、あっと声を上げた。まさにこの現場が、生中継されていたのだ。
堤防が破壊されてから、約二時間。いつの間にか、大きなニュースとして取り上げられ始めていた。
そうしている内に、球体がトラックに迫る。
「来たぞーっ! みんな、もっと下がれ!」
誰かが大声を上げる。
鉄板を持っていた青年は球体を視認し、その置き場所を荷台の側面へと微調整して、その場から離れる。
佐藤アナウンサーは、
「どうなるんでしょうか。なんとか食い止めるか、進行方向が変わって欲しいのですが」
と心配そうにマイクに向かって話している。
全員が食い入るように、すぐ側まで迫った球体を見つめた。
ミキッっという、金属がきしむ音。
次に、ガガガッとトラック全体が大きく動く。それに同調するかのように、辺りから一斉にどよめきが起こる。
トラックはやや車体をきしませながら、大きく後輪を滑らせ、四分の一ほど回転する。
ゆがんだ鉄板がはずれ、鉄球はトラック全体を押しのけるように、全く速度を落とすことなく進み続けた。
「なんということでしょう……トラックが、いとも簡単にはね除けられました……」
佐藤アナウンサーの声も、僅かに震えている。
そしてその物体は「ベキベキッ」という嫌な音と共に、古民家の壁に突入していった。見物人から悲鳴が上がる。
「ついに、謎の球体『ルシファー』は、民家に突入してしまいました……」
佐藤アナはすでに『ルシファー』という言葉を使っていた。
(ああ、もう変えようがない……)
亮太は嘆いた。
まっすぐ進んでいる以上、当然反対側から出てくる。
皆、一斉に反対側に移動する。もちろん、亮太と真優もそうした。
予想通り、入っていった時と同様のベキベキという音と共に、ルシファーは出てきた。
進行方向、高度、速度、外観、全て変わりなし。
まるで何も無かったかのように、無音で進行を続ける。
幸か不幸か、この先は少し田んぼを挟んで、そこから先はずっと山地が続く。
付近の住民とテレビカメラが見つめる中、その球体、通称「ルシファー」は、山腹の斜面、草木が生い茂るその中へと、ほとんど音を立てないまま消えていった。
こうなると、もう見るべき物は何も無い。見物人は次々と帰っていく。
亮太と真優も例外ではなく、自転車で帰ろうとする。
ただ、これだけの騒動だったし、地方局とはいえ生中継もされていたのだから、多少はネットで騒がれているかもしれないと考えた。
そのことを亮太が真優に告げると、ちょっと見てみたいけど、私はパソコンが苦手だから、ということで、彼女は彼の家までついて行くことになった。
現在、亮太の両親は長期出張中で、その家には彼しかいない。
そのことを真優も分かっているが、子供のころからよく知っている家だ。全く警戒することなく、彼女は亮太の部屋までついて行った。
とりあえず、テレビをつける。
「うおおおおぉ!」
亮太は思わず叫んだ。
目の前には、真優のアップが映っていたのだ。