阻止
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亮太と真優は、食い入るようにテレビ画面を見つめていた。
ルシファーが反対側から出現するまでの推定所要時間は、約一分。
おそらく世界中の人々が、この生中継に見入っている。
口の中が渇く。
握った拳に力が入る。
自分の心臓が、普段の倍以上早く、そしてこれまでの人生で最も激しく鼓動しているのが実感できる。
(このまま……このまま、何も起きるな……)
――歴史上、最も長い一分間が過ぎた。
液晶テレビの画面は、ただひび割れの残る原子炉建屋の壁面を、変わらずに映している。
反対側は海であり、半径二十キロ以内は船で入ることも規制されているため、テレビカメラは存在しない。
現時点のルシファーの、そして原子炉の状態を知ることはできない。
さらに二分が過ぎる。
「えー、情報が入って参りました」
羽山アナが速報を伝える。
「……海上保安庁の巡視船から政府広報に入った連絡では、原子炉建屋の海側の壁面を貫いて、浮遊物体が再出現したそうです……ルシファーは原子炉建屋を貫通した模様です!」
(貫通……)
とりあえず、ルシファー自体が大爆発するような事態にはなっていない。
しかし、建屋を貫いたということは、原子炉も貫いている可能性も高い。
圧力容器は、破壊されていないのか。
放射能は漏れていないのか。
作業員は無事なのか。
後から遅れて爆発、などということはないのか……。
五分が過ぎ、そして十分が過ぎた。
まだ、緊迫の時間は続いている。
ルシファーは、海上を以前と変わらぬ進路、速度で浮遊しているという。
しかし、原子炉の様子は伝わってこない。
テレビ画面では、左下に小さく現在の生中継画像を映しながら、メインでは原発外壁への突入時の様子などを繰り返し放送している。
――四十分後。
ようやく動きがあった。
官房長官の、現状を伝える記者会見だ。
百人を超える記者達の前で、官房長官は手書きの原稿を読み上げる。
「本日十五時五分、正体不明の浮遊物体、通称『ルシファー』は、美海原子力発電所三号機の原子炉を貫通しました。一昨日の会見で発表いたしました通り、事前に圧力容器の外側で、厚さ一メートルの特殊な樹脂膜層を形成、密着・融解させました。その結果、樹脂膜は設計通りに、浮遊物体による大きな圧力がかかるとゲル状に変化し、通り過ぎた後、自然にふさがり、原子炉内部の物質が漏れ出ることを防ぎました。また、その後の緊急シールド作業も無事に終了しました。作業員は全員無傷です。格納容器内の放射線レベルは、浮遊物体貫通前と変化がありませんでした。つまり――」
そこで官房長官は顔を上げた。
「放射性物質の流出阻止に、成功しました。繰り返します、放射性物質の流出阻止に、成功しました」
……二秒ほど、沈黙があった。
パラパラと、記者席から拍手が起きた。
やがてそれは、激しく、細かな大拍手へと変化し、記者会見会場を包んだ。
今まで、厳しい質問やヤジが飛んでいたその会場に沸き起こった大きな拍手。
官房長官の目からは、自然と涙が溢れていた。
……亮太と真優は、抱き合っていた。
それは、恋人同士が求めるような、充足感を得るためのものでは無い。
ただ、嬉しさ、喜び、そして安堵感、開放感による、押さえきれない感情の表現だった。
真優は、泣いていた。
亮太も、涙を堪えきれなかった。
数分後、ようやく落ち着いてきた彼女は、彼に抱きついたまま、小さく呟き始めた。
「亮太……もう一度、撮影してもらっても、いいかな……」
「……なんだ、また何か、無茶やらかすのか?」
「ううん……ただ、お礼が言いたいだけなの。作業員の方々に、あと、応援してくれたみんなに」
「……なるほど、けど……」
亮太はそこまで話すと、しがみついている彼女の肩を両手で軽く掴み、そっとその体を離した。
「それは、俺のスマホなんかじゃなくて、本物の、テレビ局のカメラで撮影してもらうんだ」
「えっ……?」
涙を浮かべたまま、きょとんとする真優。
「本当に、みんなにお礼が言いたいのなら……その方が絶対いい。それに、今も憧れているんだろう? テレビ画面の、向こう側の世界に」
「……でも、……正直、不安だし、怖い……」
「このぐらいで怖がってたら、原発の作業員に笑われるぞ」
それを聞いて、真優ははっと顔を上げる。しかし、その表情にはまだ迷いがある。
「確かに、前みたいに叩かれる事もあるだろう。大きな失敗をするかもしれない。けど、どんな事になっても、俺はずっと待っていてやるよ。だから……思いっきり挑戦すればいいんだ。夢に向かって……」
彼のその言葉に、泣き虫の彼女は、また涙を浮かべた。
「そっか……うん、亮太、待っていてくれるんだ……うん、私たち、家族だもんね」
そう言って、また彼に抱きついてきた。
その時、気付いた。
真優にとって、自分は兄妹と変わらない関係だったのだ。
物心ついたときから、本当に家族ぐるみでのつきあいだった。
だから、彼女は自分の家に平気で遊びに来ていたし、恋人でもないのに、一緒に居ることに何ら抵抗がなかったのだ。
そして今、自分は頼れる兄の立場なのかもしれない。
正直、それはちょっと辛い部分もある。
だが、もともと真優がアイドルを目指すのならば、恋愛は御法度だ。
だから、これでいい。
それに、もし恋人ならば、別れたらただの他人だ。
でも、家族なら……兄妹ならば、一生その関係は変わらない。
彼は、それでいいと思った。
「……私、どこまでできるか分からないけど……挑戦してみる……亮太が待っていてくれるなら、頑張ってみる……」
「ああ……自分の人生、自分が主役だもんな。俺はずっと応援しているよ。頑張れ!」
「うん……がんばる!」
小さな子供のように、彼に抱きついて泣きながら宣言する真優。
彼はそれで、満足だった。
そして、自分の言葉が、彼にとっては真実ではないと気付いていた。
心の中で呟いた。
『俺の人生の中でも、真優、お前が主役だよ』と……。
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――ルシファーの原子炉突入から、三ヶ月が過ぎた。
その暗黒物体は、やはり一定の速度で、進行方向を変えていない。
未だに、正体は不明のままだ。
ただ、海抜高度は少しずつ上がり続け、現時点では百メートルを超えていた。
ルシファーは現在、北極圏に達していた。
ただ、その高度がかなり高くなったことと、陸地(ロシア領)に再上陸しても人口密度の低い山間部を貫通したため、航空機が飛行にさえ気を付ければ、特に大きな問題にはならなかった。
ルシファーが最初に破壊した堤防は、修復された。
松の木は、折れたままだ。
また、最初に通過した古民家の修理も完了。
何度もテレビ放送された美しい松原海岸から堤防、倒された松の木、古民家に至る直線は、ルシファー発見から初期の軌跡を辿ることができるので、ちょっとした観光ルートとなっていた。
高価な製造設備が破壊されたインスタントラーメン工場は、復旧の後、激辛ラーメン「ルシファー」を発売し、スマッシュヒットとなっていた。
また、神戸の海夕館では、大水槽の修復を終えていた。
そのアクリルガラスには、生々しくルシファーの痕跡が残ってしまったのだが、それがかえって集客率を高めた。
酒樽に穴の開いた酒造メーカーでも、新商品「暗黒魔王」を発表し、予約が殺到しているということだった。
美海原子力発電所は、三号機はもちろん、一、二号機の再稼働も止まっていた。
だが、他の原発については、一部稼働を再開しているところもある。
もちろん、原発についてはその存在自体に否定的な意見も多い。
ルシファー騒動で、その傾向に拍車がかかったとも言える。
この件について、亮太は再稼働が正しいのかどうか、正直分からなかった。
今回、亮太は自分が何もできなかったことを、悔やんでいた。
だから、もしまた同じ現象が起きたとき、「何かできるように」ずっと考えた。
すぐにできるような事は、ない。
もっと、時間を掛けて準備しなければならないだろう。
そして思いついたのが、将来「なにか新しい技術を作り出す」道に進むこと、だった。
今回、原発の危機を救ったのは、「SPプレスゲル」という新素材だった。
最新の技術が、すんでの所で被害の拡大を防いだのだ。
また、極論を言えば、画期的な「クリーンエネルギー源」を作り出すことができれば、そもそも原子力発電そのものが不要になる。
単純に原発に反対するのは簡単だ。だが、そのためには、代替案を出さなければならない。
(とりあえず、勉強、がんばるしかないな……)
将来、進むべき道を見据えた彼は、少しだけ大人になっていた




