突入
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翌日の午後。
近畿地方、日本海側の山脈を貫き、その物体は再出現した。
予測されていた時間、その場所に、寸分狂うことなく。
原子炉衝突まで、あと二十分。
亮太と真優は、その時も並んで肩を寄せ、食い入るように生中継画面を見つめていた。
その日も、良く晴れていた。
テレビの画像は、稼働を停止した美海原子力発電所、そしてその向こうに真っ青な日本海を映し出している。
七月の強烈な日射により、沖の方では入道雲が沸き立ち始めていた。
クリーム色の原発三号機建屋が、無人カメラの超望遠レンズにより、画面の半分ほどの大きさで映し出されている。
陽炎のように揺らめく壁面。
その手前に、まるでディスプレイのドット欠けのように小さくぽつんと浮かぶ黒い点。
それが、ルシファーだった。
ルシファーは、方向で言えば、カメラ側から奥の原発側へ進んでいる。
映像で見る限り、まるで止まっているように見える。
しかし実際は、その黒点は、見かけ上少しずつ小さくなっている。
原子炉到達まで、あと数分。
――全国民が見守る中、原発に突入する暗黒物体。
数秒後、建屋はまばゆい純白の閃光に包まれた。
周囲の建造物を吹き飛ばし、林をなぎ倒しながら迫り来る衝撃波。
画面は激しく揺れ、それが収まった直後に映し出される、竜巻のごとく天空に登る紅蓮の大火炎、そしてその周りを取り囲む膨大な量の禍々しい紫煙。
吹き飛んだ建屋の中心部は、一際まぶしく、鮮やかなコバルトブルーの光を放つ。
それこそが、核分裂に伴う強烈な放射線そのものだった。
隣接する一、二号機も五秒後には誘爆、その衝撃はついに無人カメラを破壊。
画面は真っ暗になるも、成層圏にまで達する巨大なキノコ雲は、首都圏のマンションからでも肉眼で十分に確認できた――。
そんな光景を、亮太は最悪の事態として想定していた。
彼等が住んでいる四国の東南部では、そのような事になっても直接の被害を受けはしない。
それでも、真優は亮太の右腕にしがみつき、震えている。
昨日の夜、彼女は行きつけの美容院で、自分で切った髪の手入れをしてもらった。
顔なじみの店員(同級生の姉)は入店してきた真優をみて、仰天したという。
事情を説明し、店内のパソコンで動画を見せると、泣きながらセットしてくれた。
無理矢理切ったその髪を綺麗に整えるためには、後ろはもちろん、サイドまでもバランスを整えるため刈り上げる、ベリーショートにするしかなかった。
ボーイッシュに生まれ変わった彼女。意外にもよく似合っている。
だが、その性格はやはりちょっと泣き虫の女の子で、今も目を赤くしてテレビ画面をじっと見つめていた。
原発建屋への突入時刻は、正確に算出されていた。
「あと数秒です……」
羽山アナウンサーの、緊迫した声が伝わる。
数あるテレビ局は、当然ながらすべてこの原発の生中継を行っている。
二人は、その中でも羽山アナが中継を行うこのチャンネルを選んでいた。
と、次の瞬間、建屋の壁面に亀裂が走った。
「あっ! ……ついに突入した模様です! 壁面に、数メートルでしょうか……かなり大きめの亀裂が入りました!」
亮太も一瞬、焦った。
考えていた「最悪のシナリオ」での建屋突入時よりも、派手な光景だった。
ゆっくりと移動するルシファー、その進行による破壊面積は、貫通される物の材質に左右される。
堤防のコンクリートは、かなり広範囲に砕け散った。
古民家の土壁は、ソフトボール大の穴が開いただけだった。
海夕館も、それほど大きな穴は開かなかった。
しかし原発建屋の外壁には、数メートルにおよぶ亀裂が入った。
では、原発の格納容器、及び圧力容器ではどうなるのか。
建屋外壁のように、数メートルの亀裂が入ったならば、大量の放射性物質が漏れ出る。
そんな事態になったならば、例え爆発は免れても、作業員は……。
真優は、両手を組み、目を閉じ、祈り始めた。
あの動画撮影の時と同じように、少し震えながら……。
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NKHG社員の新藤は、前日、「ルシファー」についてネットで調べていた。
今回の浮遊物体ではなく、悪魔の「ルシファー」についてだ。
「ルシファー」は神話の中で、神に仕える天使の長であり、主を除いたあらゆる者の中でもっとも輝ける存在だった。しかし己の力を過信し、全天使の半数を従えて神に挑んだ。そして敗れ、部下と共に堕天使、悪魔となった。
新藤は以前から、半ば一般常識としてこのストーリーを知っていた。
ふと、原子炉に迫るルシファーと神話のそれを重ね合わせた。
原子力発電所は、人類に膨大なエネルギーという恩恵をもたらす。しかし一度制御不能となると、放射能という目に見えない恐ろしい物質を大量にまき散らす。それはまさに悪魔の軍団そのものではないのか。
ならば、本来人類に大変有益であるはずの原子力発電所を悪魔に変えようとするルシファーは、やはり、あの堕天使なのか。
だとすれば、「大天使ミカエルの化身」などとネットで噂されたことのある少女の、涙ながらの祈りに刺激され、行動を起こした俺は、正義の天使の一人なのか――。
彼は原子炉格納容器の内部で、そんな子供じみた空想に浸っていた。
ルシファーが建物を貫く音は、鈍く激しい轟音となって、格納容器内部にまで響いてきた。十六人の作業員が残るその場所は、内径四十メートル、全高七十七メートルという巨大な空間だ。
この格納容器内は現在、日本で最も危険な場所だ。
つい数日前まで稼働していた原子力発電所の中枢部である。ルシファーに原子炉が貫通されることはほぼ確定しており、万一の高レベル放射能漏れに備え、全員防護服を着込み、放射線量測定器を身に付けている。
帝電上層部では、「こんな非常時なのだから、モニターとセンサーで確認するだけでいいのではないか」という意見もあったという。
しかし、やはり肉眼での詳細な確認が必要な場面もあるだろうし、また、わずかに水漏れが起きた場合なども、用意している鉛入りの金属板で覆いをかぶせるなどの即時対応を行う必要がある。
また、新藤のように、事後の対策・対応のためにも、自分の目で何が起きるかを見届けたい、という者もいた。
「来たかっ」
誰かが、そう叫んだ。そしてそこにいた全員が、ある一点を見つめる。
格納容器の金属壁面に、あらかじめ侵入口が開けられていた。
内側にはバネによる自動開閉式の蓋が取り付けられている。外から押されれば内側に開き、圧力がなくなればバネの力で蓋は元に戻る。
筒状のその筐体は直径八十センチ、全体が鋼鉄で、がっしりと取り付けられている。
ルシファーに備え、あらかじめ格納容器に穴をあけるというこの措置に反対意見もあった。
しかし格納容器はルシファーに貫通されるのが確実で、その際、なんの手も打たなければ、どれだけの範囲が破壊されるのか不明だ。そのため、事前対策としてこの手法は必要、という最終結論になっていた。
もちろん、それだけでは密閉性に難があるが、パッキンや樹脂の力で、ルシファー通過後、隙間はほとんどない状態にまで自動密閉される。その上から即座に、さらに大きく丈夫な金属板で覆うという計画だった。
出口側にも同様の仕組みが施されている。ただ、内側からの圧力に弱いため、ルシファーが抜け出た後に、格納容器の外側から手動でロックを掛ける仕組みだ。
しかし、この「あらかじめ穴を開けておく」手法は、原子炉そのものを内部に持つ最後の防御壁、「圧力容器」には使えない。非常に高い放射線レベルの冷却水が漏れ出してしまう事になるからだ。
作業員たちが見つめる中、ルシファーは計算通り、一秒の狂いもなく格納容器内へと侵入してきた。その位置も事前の予測通りで、目論見通り、ルシファーが突き抜けた後、一度開いた金属の蓋がバネにより自動的に閉じられる。その音は、先ほどの破壊音よりもずっと静かだった。
肉眼で見るルシファーは、彼等の目に予想よりもずっと小さく見えた。
二十階建てのビルが丸ごと入るほどの巨大な格納容器に対して、ルシファーは直径約十センチ。ほとんど点にしか見えない。
加圧水型軽水炉の格納容器内は、中央下部の圧力容器をはじめ三基の蒸気発生器、それらを結ぶ配管や足場が複雑に絡み合っている。NKHG社員の新藤は、この金属に支配された空間に対し、なぜか礼拝堂にも似た荘厳な印象を持っていた。
格納容器内をゆっくりと浮遊するルシファー。少し目をそらすと、再び見つけるのが困難なほど、それは小さく、静かに、しかし確実に進行していた。
(あんなちっぽけな物が、日本中をパニックに陥れているのか……)
新藤はどこか他人事のようにその点を見つめていることに気づき、はっとする。
今、まさにその危機のまっただ中に、自分は立ち会っているのだ。
もう最後の砦である圧力容器のすぐそばに、ルシファーは迫っていた。
あまりに静かで、現実味に乏しい光景。
圧力容器は、直径四メートル、高さ十二メートル。外側を中性子を吸収する薄いシールドで覆われているが、発電運用を止めた現在、ルシファーが通過する位置(容器上部)に筒状の金属を取り付けている。
それは圧力容器の金属壁面に直結密着されていた。
外側にやはり自動開閉する金属製の蓋を、そして内部に数種類のSPプレスゲルを積層構造で噴霧し、成膜させている。
また、圧力容器の壁面自体にも、前日に新藤の提案により、ある重要かつ(危機管理本部長を一時激怒させた)大胆な仕掛けが、緊急で施されていた。
ルシファーは吸い込まれるように、圧力容器上部に用意された鋼鉄製の筒の中へと入っていく。
ほんの一、二秒だった。
ミシミシッという金属のきしむ音とともに、圧力容器全体が、大きく斜めに傾いた。
「うわぁ、倒れる!」
一斉に大きな声があがった。
これは想定外だった。
圧力容器の鋼鉄の壁は、最大で厚さ二十センチもある。丈夫であるがゆえ、簡単には貫通しない。
対応は施したつもりだった。それでもなお、皮肉にも、圧力容器の壁は頑丈すぎた。だからこそ、思わぬ方向に力が働いたのだ。
(大丈夫だ、計算通りならば……)
新藤が拳を握る。
次の瞬間、爆発が起きたのかと思うような破裂音が響き渡り、そして圧力容器が激しく揺れた。
一メートルに満たない振幅。しかし甲高く、長く続く金属独特の共鳴のような不気味な音と、各種配管のさらに大きな振動が、原子炉そのものが破壊されるのではないか、との恐怖を呼び起こさせた。
実際は、予定通りにルシファーが圧力容器の鋼鉄の壁を貫いただけだった。
ただ、事前の予想より、遙かにその衝撃が大きかったのだ。
新藤は一瞬、あまりの破裂音のすさまじさに耳を塞ぎ、目を閉じたが、再び開けたその瞳には、懸念された、汚染水が噴き出すような光景は映っていない。しかし圧力容器自体の振幅がすさまじく、本当に「SPプレスゲル」が汚染水漏れを完全に防いでいるかどうか確認できていなかった。
ルシファーが圧力容器反対側に到達するまで、数秒。実際より遙かに長く、長く感じられるその時間、振動はなおも激しく続く。
それはあたかも、ルシファーという名の弾丸に貫かれた巨大な生物が、苦しみ、身もだえ、悲鳴をあげているかのようだった。
原子炉内部でルシファーが大爆発することがあれば、自分たちは全員一瞬で吹き飛ぶ。
汚染水が噴出しただけでも、命の危険にさらされる。
目に見える原子炉圧力容器の激しい振動と、響き続ける不快な音波に、新藤は初めて生命の危機を感じていた。
(ルシファー……おまえは意志を持った本当の悪魔なのか……残念ながら、現代の英知を持ってしても、おまえを止めることはできなかった。だが、おまえが悪意をもって原子炉を破裂させようとしているならば、それは絶対に阻止する。悪魔の下僕である放射能は、この圧力容器内に封じ込めてみせる。おまえの企みは、既に敗れているんだ!)
……一瞬、圧力容器の振動が弱まり、音もほんのわずか静かになった。
次にまたミシミシという音と共にそれは傾き始めた。ルシファーが反対側の鋼鉄壁面に達したのだ。
先ほどよりも大きく傾くそれに、作業員から一斉に叫び声が上がる。
(大丈夫だ。このために、ここで被害が大きくならないように、鋼鉄の壁をピンポイントで十五センチもえぐっておいたんだ!)
新藤は、最後の奇策の効果を信じていた。




