覚悟
その動画の再生回数は、最初はゆっくりカウントアップされた。
しかし、三十分後ごろから急激に伸び始め、やがてサーバが混み合うほど、爆発的に再生されはじめた。
『ミカたん、キターー! ……ええええええっ!』
『これは……マジかっ!?』
『なんて女の子だ……こんな可愛い子が、こんな無残な姿になってまで祈るなんて……』
『不覚にも涙腺が崩壊した……』
『最後、本物の女神にしか見えない……神々しいって、こういう事言うんだな』
『第一発見者だからって、責任なんか感じなくっていいのに……』
『そうだよ、作業員は何も悪くないじゃん。それどころか、命懸けで頑張ってる英雄じゃないか!』
寄せられたコメントは、ほとんどが好意的なものだった。
「こんなのはポーズだよ」
という意見がまれにあっても、
「じゃあ、お前自分の髪バッサリ切るとこアップしてみろよ!」
の一言でかき消された。
やがて動画は次々と転載され、そして夜中には、全国放送のニュース番組でも放送された。
見終わったあと、涙を浮かべる男性キャスター。
女性アナに至っては、泣き声になり、しばらく原稿が読めない程だった。
この映像がきっかけで、世論の流れが大きく変わり始めた。
『帝央電力、責任を取れ!』から、『作業員がんばれ!』に。
『俺だけは生き残る』から、『一致団結してこの難局を乗り切ろう!』に。
デモ行進は解散し、それぞれが今できることを、やらなければならない事を模索しはじめた。
原発作業員に対する応援コメントが、一時間当たり数万の単位で寄せられた。
冷静さを取り戻し、災厄に真正面から取り組む日本人の姿を、海外メディアは絶賛した。
そしてそのきっかけが、一人の少女の祈りであったことも。
――真優は、ちょっと可愛いだけの、普通の女の子だ。
彼女自身が言っていたように、何の力もない――。
亮太はそう思っていた。
しかし、そうではなかった。
彼女は、国家レベル、いや、それ以上の世論を、動かしてしまったのだ。
その時、彼は直感した。
真優は、こんな田舎のサイン会で満足している器じゃない。
もっと大きな舞台へ立つべきだ、と――。
しかし、それでもルシファーは止まらない。止められない。
まさに絶対進行型、暗黒の悪魔だった。
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その日の夜八時、美海原子力発電所から三十キロほど離れた場所にある大浜市のビジネスホテル。
その一室で、NKHG社員の新藤明がテレビを見ていた。
その日、彼は疲れていた。
入社三年目、二十五歳の彼は、社内では若手ながら、その仕事に対する積極性が評価され、今回、ある大役を任されていた。
NKHG社が販売している商品、『SPプレスゲル TKー007』の詳細説明、実使用打ち合わせへの参加だ。
相手は帝央電力。内容は『ルシファーによる原子炉貫通の対策検討』だった。
NKHG社は社員七十名ほどの中企業だ。主に科学素材の開発・生産に力を入れており、国立の大学や研究所との取引も多い。
ルシファーが明日の午後、原子炉を貫通する事は計算上、間違いなかった。
すでにニュースで報道されているとおり、圧力容器に『一定以上の大きな圧力がかかるとゲル状に変化し、そして圧力がなくなるとまた固体の性質に戻る』樹脂による蓋を設置する。その作業の詳細を、打ち合わせに来たのだ。
もう一人、技術課長の山根という社員も同行しており、製品の性質……たとえば耐熱試験の結果であるとか、放射能に対する科学的な安定性については、彼が説明を行った。
新藤は営業職。技術的な事柄に対しては山根ほど詳しくはないものの、それでも実際の運用事例に対しては(SPプレスゲルについては)最も豊富な知識がある。実際に納入した客先からのクレームや相談、改善要求対応、さらには(今回のような)導入提案を担当していたことにより、年齢の割には多くの経験を蓄積していた。
一口に「大きな圧力がかかるとゲル状に変化する」といっても、どれだけの圧力でどれだけ柔らかくなるかの違いや、粘度、再硬化時間、そしてその強度など、様々なバリエーションがある。どんな用途に使用するかを顧客から聞き出し、そして最適な商品を提供する。
知識と経験が豊富であればあるほど、スムーズかつ的確な提案が行える。そこで顧客の信用を得、契約に結びつける。それが彼の仕事だった。
今回も、彼の提案は冴えていた。
原子力発電所は、建屋の内部に施設の中枢である格納容器が、さらにその内側に原子炉そのものが入る圧力容器が存在する。
格納容器については、一部報道とは異なり、あえて「SPプレスゲル」を使用せず、「最初から穴を開けておく」手法を勧めた。
現在、ルシファーが原子力発電所のどの位置を貫通するのか、十センチ以内の誤差の範囲で判明しているという。それならば、あらかじめ格納容器に穴を開けて、通り過ぎた直後に頑丈な蓋ができるようにしておけば、その方が安全・確実だ。
問題は、原子炉が内部に存在する圧力容器だ。
ここに「あらかじめ穴を開けておく」事などできない。だからこそ、穴が即、自動的に塞がるようにSPプレスゲルを使用するのだ。
とは行っても、圧力容器も(少なくとも貫通予測部位は)金属の外観がむき出しになっているわけではない。中性子を吸収する性質の素材などに覆われている。
ただ、既に制御板や大量のホウ酸により原子炉の臨界は停止されている。ということは、無理にシールドが必要な訳ではないし、どのみちルシファーに貫通される。
ならば外側のシールドには穴を開け、かわりにそこにSPプレスゲルを使用し、鋼鉄製の壁面に霧状に吹き付け、膜厚を形成させるという事になった。
さらに、二種類の異なる性質の製品を重ね合わせ、外側に堅い(ゲル状になりにくい)素材を使用し、時間差を設けてルシファー貫通前後で一気にゲル化・硬化を切り替える。これにより圧力容器内の汚染水の流出を抑える、という提案を行っていたのだ。
新藤は、この方法に自信を持っていたし、これなら受け入れられる、いや、これ以外に手段はないと考えていた。
帝電の社員も、これに賭けるしかない、という空気になっていた。
ただ、一人の、新藤とそう変わらないであろう若い社員が一言、つぶやいた。
「本当にこの製品に、我々は命を預けていいんでしょうか」
と。
その言葉に、新藤は即答できなかった。
そして新藤は、質問してきた彼の左手薬指の指輪に気づき、何か自分がとんでもなく脳天気なことを提案しているのではないか、という、一種の罪悪感を感じてしまった。
その場は、別の社員が「そういう事を言う物ではない」と若い社員をたしなめ、結局新藤の提案を帝電側が少々改良する形でまとまった。
使用する製品は、既にこちらに向けて輸送中だ。
打ち合わせは、うまくいった。だが、これで成功した訳ではない。
今回の場合、成功とは、「ルシファーが貫通した後も、放射能漏れを完全に防ぐこと」なのだ。
だが、もう新藤に提案できることはなかった。すでに帝電側の事前準備が始まっている。 こちらとしては、明日の早朝に実際の製品を受け渡し、帝電社員に注意事項の説明をすればそれで終わりだ。
もう、後は彼等の仕事だ。
しかし、だからこそ、あの若い社員の一言が、ずっと胸につかえたままだった。
点けたテレビの内容は、やはり、どのチャンネルもルシファー一色だった。
今回の「SPプレスゲル」を使った作戦についても賛否両論、というか、「否」の意見の方が多かった。
だが、他に現実的で有効な手段は何一つ提案されていない。
新藤はテレビを消した。
そして部屋に備え付けられていたパソコンで、ネットを覗いてみた。
ネットユーザーは、今回の作戦に関する報道をどう捉えているのだろう。
まあ、メチャクチャに書かれているに違いない、と本人は考えていた。それでも、見ずにはいられなかった。
ところが、最初に見た内容は予想に反し、帝電の社員を応援するような内容だった。そして、
「この動画を見て、心を動かされた」
という事が書かれている。
何だろう、と新藤は思い、そのリンクをクリックした。
そこに登場したのは、何度も見たことのある、あのルシファーの名付け親だった。
新藤も、密かにこの少女の事は、無邪気でかわいらしいな、と気に入っていた。
その彼女の、最新の動画だ。
――最後まで見て、彼は、絶句した。そして、涙した。
ただ単に、最初にルシファーを見つけ、ルシファーという名前を付けたにすぎないこの少女が、これほどまでに帝電作業員の身を案じ、長い髪をばっさりと切り、祈っている。
彼女に何の責任もあるはずがないのに。
それに対し、自分はどうだったか。
実際に作業に当たる社員と向かい合っていたのに、一番心配していたのは、自分の会社の商品がうまく使われるかどうかだけだったのではないか。
あの若い社員の言葉が、再び蘇ってくる。
「本当にこの製品に、我々は命を預けていいんでしょうか――」
(動画の彼女は祈る以外、何もできないと嘆いていた。けれど、俺にはできることがあるじゃないか!)
一時間後、彼は美海原子力発電所へと戻っていた。
関係者以外は二十キロ以内、立ち入り禁止ではあるが、彼は例外だ。多少時間はかかったが、打ち合わせの時に話をした相手方の環境保全部長に話をすることができた。
そこで彼は訴えた。
「自分も、ルシファーが原子炉を貫通する、その瞬間まで作業に立ち会う」
もちろん、最初は断られた。しかし、彼は熱心に訴えた。
「自分にも、戦わせてください。私が一番、数々の現場であの製品がどういう風に使われてきたが、どういう問題があったかを理解している。今回も、一番臨機応変に対応できるのは自分だ」
あまりの熱心さに、環境保全部長は、「君の会社の責任者がOKを出せば」という条件を出した。そこで彼は、上司を経由してNKHGの社長と連絡を取り、電話で直接説得した。
社長は、
「何を馬鹿なことを。君はそんな危険な真似、する必要はないんだ」
と怒鳴ったが、それでも新藤は
「日本中が危機の今、何を呑気な事を言っているんですか!」
と逆に反論した。
数十分に及ぶ押し問答の末、社長はついに、
「そこまで言うなら、好きなようにしろ。ただし、やるからには、必ず成功させろ。全責任は俺が取る」
と、後押しまでしてくれた。
(俺ならできる、いや、俺にしかできない!)
彼は、発電所内部へと案内された。そして今回の騒動の中で唯一、帝電社員以外で最後まで命を賭けてルシファーに挑む人間となった。
――今回の現場総指揮を行っている危機管理本部長は、彼の、『つい先程思いついた』提案を聞いて、仰天し、そして激怒した。




