炎上
亮太は恐る恐る、そのタイトルをクリックした。
『ルシファーの第一発見者であり、名付け親でもある通称「ミカたん」が、地元の家電量販店でサイン会を開いていた。色紙には「みやもとまゆ」(たぶん本名)と書かれている。「ルシファーふうせん」と書かれた風船も同時に配っていた。ルシファーによって被害が出ている中、不謹慎ではなかっただろうか』
そのメッセージと共に、真優がサインしている様子、そしてその色紙のアップの写真、ルシファー風船の拡大写真が掲載されていた。
確かにこれだけ見ると、真優が「ルシファー」の知名度を利用してイベントを行っているように見える。
「こんな写真、撮られてたのか……実際は一度断ったのにな……」
「うん、でも、事実だから批判されても、言い訳できない……」
真優は批判を受け入れる覚悟があるようだ。
画面をスクロールさせ、次々にメッセージを表示していく。
『何やってんだ、こいつ』
『サインはまあ許せるかもしれないけど、ルシファーふうせんは許せない』
『つーか、ミカたん、いつの間に芸能人になったんだ?』
『まさか。アイドルきどってるだけだろ』
『あーあ、俺、ちょっといいなって思ってたのに、幻滅だ』
批判の言葉が続く。中には
『別にこのぐらい、いいだろ。彼女に何の非もないわけだし』
といった擁護の書き込みもあったが、やはり「ルシファーふうせん」のせいか、批判の方が多い。
そして、ここでもやはり下品な書き込みは存在した。
『こいつそのうち、Hな写真集とか出すぜ。黒い鉄球と戯れたりしてるやつw』
『俺、それ出たら買う!』
『つーか、ビデオにも出るんじゃねーのか? で、ルシファーっていう、悪魔の格好した男にいろいろされるんだ』
『俺、それも買う!』
それらの書き込みには、真優は表情一つ崩さない。
何とも感じていないのか、それとも我慢しているのか……。
『だいたい、最初に見つけた段階で石なんかぶつけてるの、バカじゃないのか?』
『スーパーのレジ袋で捕まえようとかしてたし、頭は弱いようだな』
『「たあぁー!」て何だよ、「たあぁー!」ってw』
この辺りまでは、せいぜいこの程度の書き込みだった
しかし、神戸に上陸して被害が拡大し始めた辺りから、批判は更にきつくなっていく。
『ルシファーのせいで、神戸は電車が止まったり、高速道路が封鎖されたり、大変なんだぜ! こいつ、被害が出るの分かっててルシファーイベントなんかしてやがったんだ!』
『確かに、可愛いっちゃ可愛いが、それで図に乗ってるんだぜ』
『見ろよ、サインするこのにやけた顔!』
『家を壊された若夫婦の泣き叫ぶ姿を見せてやりたい!』
二人は、その動画を見ていた。だから、余計に心が痛む。
亮太は、途中から後ろにいる真優の表情を、見ようとはしなかった。
だが、鼻をすする音がかすかに聞こえてくる事から、メッセージを見て涙している様子だけは感じ取っていた。
そしてスレッドは、ついさっきの官房長官や大山教授のコメントを受けてのものに差し掛かった。
『二十キロ圏内避難、キターッ!』
『こうなることは、予測できたよなあ……なんか余計に腹立ってきた!』
『おい、大山教授が、最悪日本壊滅するって言ってたぞ!』
『俺も見た! マジかよ! あー、このくそ女、むかつく! みやもとまゆ、テメーがルシファーなんて悪魔の名前付けるからだ! 責任取れ!』
『何がルシファーふうせんだ! こいつのために何百万人の人間が迷惑してると思ってるんだ! ふざけるな!』
亮太はさすがにこれ以上、真優にこの掲示板を見せるのは辛くなった。
『……続けて……』
背後の真優が、涙声でそう呟いた。
彼女は、批判を全て受け入れるつもりだ。
けれど、十六歳の少女に対してこれらの言葉は、あまりに過酷に思えた。
『お願い、全部見たいの、続けて……』
彼女の決意に、スレッドのメッセージを表示し続ける。
しかし、次に書かれた言葉、
『みやもとまゆを原発の壁に磔にして、ルシファーの生け贄にしろ!』
を見て、ついに
「……ヒックッ……」
と、泣き出してしまった。
「……真優、やっぱりこれ以上は……真優!?」
振り返った彼の目に飛び込んできたのは、胸を押さえてうずくまり、苦しむ彼女の姿だった。
ゼーッ、ハーッ、ヒハーッという、今までに聞いたことのない、粗く、苦しそうな呼吸音。
(過呼吸だ!)
咄嗟に理解したものの、一瞬頭の中が真っ白になった。
だが、ここで自分が取り乱したら、誰も真優を救えない。
何かのマンガで、過呼吸になったらビニール袋を口に当てれば楽になる、というのを見ていた。
台所に行けばそれがあることを思い出し、すぐそこに行こうと椅子から立ち上がる。
しかし、その行動は止められた……必死に彼の腕にすがる、真優によって。
「ハーッ、ひ、一人に……ハアァーッ、ハッ、し、ハーッ、しないで……」
顔を涙でぐちゃぐちゃにして、苦しそうに懇願する真優。
亮太は彼女を抱きしめた。
そして、それが正しい行動かどうか分からないが、彼女の背中をさすり続けた。
真優の、腰まで伸びる長い髪が、その度に彼の指に触れる。
普段は彼女が嫌がると思い、その髪を触る事はなかったが、今はそれを気にしているときではない。
真優は自分でハンカチを口に当てていた。
彼女も、過呼吸という症状を知っていたようだった。
――どのぐらいの時間が過ぎただろうか。
実際にはほんの数分だったかもしれない。
しかし、彼にとっては果てしなく長い時間に感じられた。
ようやく真優の状態は落ち着き、呼吸も正常に戻りつつあった。
「ありがとう……亮太……」
「ああ……」
それしか返事ができない。
「……私、みんなに謝った方がいいのかな……」
「……謝るって、何を?」
「何の考えもなしに、調子に乗って、サイン会なんかしちゃった事……」
「……いや、おまえは別に悪い事してないから、謝る必要なんかない……そんな事したら、もっと騒ぎが大きくなる」
「……うん……」
ここに至って、彼は、自分がずっと真優を抱きしめていることに気がついた。
だが、もちろんそれを嬉しく思うような余裕などない。
ただ、真優をこれ以上傷付けないようにするにはどうすればいいか、それだけを考えていた。
「私……嬉しかった……生まれて初めて、他の人の為にしたサインだったから……」
真優の言葉は、悲しそうであり、申し訳なさそうであり、そして少し悔しそうでもあった。
「ああ、そうだな……けど、それはお前だけじゃない」
「私だけじゃない?」
「ああ……あの恥ずかしそうに、お母さんの影に隠れながらお前にサインをねだったあの子、あの子にとっても、たぶん生まれて初めて、テレビに出ている人にもらったサインなんだ。もちろん、ほかの子供にとっても」
「……そっか、そうよね……」
「だから、やっぱりおまえは謝ったりしちゃいけない。あのサインをお前が否定したら、あの子たちがかわいそうだ」
「……うん……」
「俺の好きなアイドルが言ってたぜ。『私が一番悲しいのは、自分のファンが自分のせいで悲しむ事です』ってな」
「うん……」
「……こんな掲示板のメッセージなんか気にしてたら、アイドルになれないぜ。自分で言ってただろう? こんなの、日常茶飯事だって」
「うん、けど、いざ自分が体験してみると……きっついなあ……」
涙を浮かべたその顔に、彼女は無理矢理笑顔を作る。
「それに、俺もちょっと慌てたけど……過呼吸もよくあることらしい。でも、アイドルになったら、そんな状態でもステージに立ってる子もいるんだぜ」
「うん、それも知ってた……でも、まさか自分がこうなるなんて……自分で息をコントロールできなくて、想像よりずっと苦しかった……みんな、凄いなあ……」
それだけ言うと、また涙を流し始めた。
「……どうだ? これでもまだ、アイドルになりたいか?」
「……正直、わかんなくなった……」
「そうか……まあ、まだ焦って結論を出す必要はないよ。今日はいい経験ができたって考えればいいのさ」
「うん、ありがとう……亮太、やさしいね。やっぱり亮太で良かった……」
最後の言葉の意味はよく分からなかったが、とりあえず落ち着いたようだし、一安心した。
だが、日本中は大山教授の発言を受けて、パニックの様相を呈し始めていた。




