避難指示
ルシファーに関して、今まで何度か、記者会見が開かれた事はあった。
しかし、今回はニューススタジオのざわつきが大きい。明らかに異常な雰囲気だった。
また、参加者も官房長官に加え、原子力保安院の委員長、そして美海原発を保有する帝央電力の社長も出席するという。
今回は、今までもさんざん言われている節電の要請などではなさそうだ。
亮太達は、なにかもっと空恐ろしい、背筋が寒くなるような、そんな不気味さを感じていた。
緊迫した空気の中、記者会見は始まった。
今や日本国民ならば小学生から老人まで誰もが知っている官房長官。
今までで最も厳しい表情で原稿を読み上げる。
「国民の皆様にお知らせいたします。正体不明の浮遊物体、通称『ルシファー』のこれまでの進路、速度、その性質を総合的に考察しました結果、明後日の夕方十五時頃、美海原子力発電所の三号機の原子炉に接触、もしくは貫通する可能性が高いと判断いたしました」
予測していたこととはいえ、官房長官がその事実を認めた事の衝撃は大きく、記者達からざわめきが起こった。
「従って、念のための措置といたしまして、美海原子力発電所から半径二十キロメートル以内の住民の皆様に、避難を指示するものであります」
原発二十キロ圏内の避難。
ついに、その言葉が発せられた。
もちろん、亮太も真優も、そしてほとんどの日本国民が、あの震災直後の大騒動を思い出したに違いない。
しかし、今回その被害の原因となるのは、大地震でも大津波でもなく、たかがソフトボール程度の大きさでしかない球体だ。
官房長官から一通り発言があった後、質疑応答では記者達が一斉に挙手し、帝央電力の社長や原子力保安院の委員長に向かって厳しい質問を浴びせた。
「先ほどから想定外の出来事、と言っていたが、この程度の想定外で数十万人が避難しなければならない施設って、いったいどういうことなのか」
「あんな小さな物体をどうすることもできないのなら、テロリストの攻撃や、隕石の落下でもものすごい被害になるのではないか?」
「そもそも、あの飛行物体の正体がなぜ突き止められないのか。なぜ進行が止められないのか」
「本当に二十キロ圏内の避難だけで十分なのか」
等々……。
しかし帝電、保安院の回答は、
「考えられる全ての対策は取っていましたが、まさかこのような事態になるとは予測できませんでした……」
「これはどうしようもない天災です……」
「政府が示す安全ガイドライン以上の強固な災害対策を取っていましたが、これは塞ぐことができません……」
と、歯切れの悪いものとなってしまった。
それはそうだろう、
「こんなこともあろうかと、事前対策は完璧に準備しておりましたので、どうぞご安心ください」
などという回答ができる訳もない。正直に、
「想定できていませんでした」
というしかない。
それでも、一般人から観れば
「完全に想定外の災害で、自分達は悪くない」
と言い訳しているように見えてしまうのだ。
もちろん、本当に帝電や保安院に全ての非があるわけではなく、この事態の主原因はルシファーだ。
しかし、原発は「想定外」の事態が生じた場合の被害が、あまりにも大きすぎる。
その事を改めて考えさせられる記者会見だった。
だが、これだけでは済まなかった。
「事件」とも言える出来事は、その直後に全国ネットのテレビ局で起こった。
記者会見の様子を中継で見て、コメントを求められた原子力や放射能が専門の大山教授が、ある恐ろしい予測を生放送で発表したのだ。
「ただ原子炉を貫通しただけでも、被害は相当な物になります。なにせ、本当に穴が開いて、核燃料棒が破壊され、放射性物質が漏れ出すのですから……しかしまあ、これだけなら、穴を早急に防ぐ手段を見つけられたならば、国土の一部、数キロ圏内を永久に失うだけで済むかもしれません」
(……いや、それだってかなりやばいだろう……)
亮太はそう考えた。
「問題は、ルシファーと呼ばれる物体の正体が、何も分かっていないと言うことです。考えてもみてください。海上自衛隊による砲撃でも、びくともしなかったんですよ。そんなとんでもない物が、核燃料棒が残ったままの原子炉に突っ込むんです」
亮太も真優も、そしておそらく全国の視聴者全てが、食い入るようにテレビ画面に見入った。
「もし、例えばルシファーが強い放射線により大爆発するよう設計された兵器だとしたならば……」
報道フロアの一同が息を飲む。
「チェルノブイリの数十倍という大量の放射性物質が、大気中に放出されることになります。また、美海原発自体の位置も大変危険なんです」
教授はそう言って日本地図の書かれたフリップを立てて見せた。
「実はこの美海原発、中京や関東地方の西方に位置しているんです。もしこの施設が大爆発したならば、死の灰はここから偏西風に乗って東方一帯に大量拡散します。もちろん、その中にはここ、東京も含まれます……放射能汚染のひどいホットスポットが、首都圏にも数え切れないほど出現するでしょう。最悪の場合、中京から関東にかけて、人間は住めなくなる。それはつまり……経済大国日本の、事実上の壊滅を意味します」
……日本が、壊滅?
あまりにも突拍子もない言葉だった。
しかしこの大山教授、今までも度々テレビに出演し、顔を知られた有名人だ。
五十代後半、大学教授という肩書きにもかかわらず精悍な顔つき、体つきに加え、歯に衣着せぬ物言いで人気がある。
その彼が、ここまで大きな被害を述べているのだ。
「私は既に、自分の家族に九州へ避難しろと、指示しました……確かに、被害がなるべく少なくてすむ事を私は切望しています。しかし同時に、最悪の事態に備えなければならないんです」
教授の沈痛な面持ちに、スタジオ全体が重い空気となった。
「……えー、今の大山教授のコメントに大変なショックを受けている視聴者の方もおられるかもしれません。しかし教授は、あくまで万が一の、最も被害が大きかった場合の事をおっしゃっています。どうぞみなさん、冷静な対応をしていただけますよう、よろしくお願いいたします」
まだ三十代半ばの羽山アナ、そうフォローするのが精一杯だった。
しかし生放送で全国に流れた教授の言葉を、もはや取り戻すことは不可能だった。
その時、真優の携帯の着信音が鳴り響いた。
緊迫した場面だったので、二人してビクッと肩をすくめる。
「もしもし……なんだ、お母さん……えっ、サイン会? あっ、うん……そう、成り行きで……えっ? ネットの掲示板? うん……わかった、気をつけるから……」
真優の声色が冴えない。それに、会話の内容もかなり気になるものだった。
電話を切った真優が、ちょっと青くなって亮太に話しかける。
「なんか、あの電気屋さんでのサイン会が、ネットの掲示板で話題になってて、私、叩かれてるって……この前、スカウトに来た事務所の人から、そういうの控えるように注意があったらしいの」
どくん、と心臓がいやな鼓動をたてた。
彼は慌てて、ノートパソコンで掲示板を開き、キーワード「ミカたん」で検索をかけてみた。
「あった……」
そのスレッドのタイトルは、
「ミカたん(みやもとまゆ)が、この非常時にルシファーイベントでサイン会を開催していた!」
「……ミカたんって、誰? ……私? 私の名前が、なんで書いてあるの……」
真優の血の気が引いていた。
彼も、そのタイトルは怖かった。
「亮太、それ、見せて……」
「いや、これは見ない方が……」
「お願い、見せて……もし私がアイドルとか目指すのなら、そういうのって日常茶飯事なんでしょう?」
確かに、その通りだった。
ちょっとかわいそうだけど、真優には今のうちに現実を見せた方がいいのかもしれない、と彼は思った。
しかしそれは、真優にとってそれまでの人生で最悪、かつ最大の試練となってしまうのだった。




