発見
「やっぱり、今日はウミガメ、上がってないみたいね」
一人の少女が、残念そうにつぶやいた。
夏休み初日、早朝六時三十分。
近所の小学生がラジオ体操でもやっていそうなこの時間に、彼女はここ、松原海岸で簡単なウミガメの上陸調査を行っていた。
宮本真優、県立海里高校一年生。
傍らには、彼女の幼なじみで同じ高校の同級生、速見亮太が並んで歩いていた。
この松原海岸は、四国の南東部に位置している。
田舎である事が幸いし、美しい海岸線が全長四キロにも渡って続いている。
この海岸は水流の関係で遊泳禁止となっており、たまに散歩や投げ釣りに来る者がいるぐらいで、普段はほとんど人気がない。
そして毎年、夏に数頭だが、ウミガメが上陸することでも知られている。
砂浜にその足跡が残っていれば夜間に上陸しており、産卵している可能性がある。
彼女は全くの思いつきで、それを見に行きたいと前日に言い出したのだ。
真優の性格は、亮太に言わせれば「天然」。思いつきで人生歩んでいるようなものだと、彼は考えていた。
だが、それは彼にとって、嫌なものでは無かった。
この日のように振り回される事は多々ある。けれど、それを楽しいと感じていたのだ。
真優は海里高校に入学して一ヶ月もしないうちに、その名前をほぼ全学年の男子生徒に知られていた。
腰まで伸びる長い髪と、アイドルさながらの可愛らしい顔立ち。
やや細身ながらもスタイルが良く、中学生の頃から評判になっていた。
その彼女が、制服のデザインが可愛いと評判のこの高校に入学した。
噂が噂を呼び、天然で親しみやすい性格も影響して、ファンクラブができかねないほどの人気となっていた。
実際、彼女に言い寄る者は多かったのだが、当の本人は恋愛にまるで興味がなく、むしろ面倒くさいとさえ思っていたようだ。
そこで幼なじみの亮太が「恋人」役を演じることになった。
「彼氏いるから」といえば、たいていの者は諦める。
また、彼もそこそこ体格が良く、親しい友人からは「ちょっと目つきが悪いけど、それなりにかっこいい」という評価で、お似合いのカップルというふうに考えられていた。
だが、実際は真優にとっては、亮太は彼女の「親友」らしかった。
一度、中学を卒業する間際に、彼は「俺と、本当に付き合わないか」と冗談っぽく言ってみたことはある。けれど返事は
「うーん、考えとく」
だった。
その後、彼女はたいして考えた様子もなく、今に至っている。
亮太は、本音では彼女に惹かれていた。将来を真剣に考えるほどに。
けれど、それを言うと真優はつけあがってしまいそうだったし、何となく悔しいので、彼は彼女にも周りにも
「結構気にいっている」
ぐらいの表現に留めていた。
それでも、休日はこうして一緒に過ごすことが多く、天然で好奇心旺盛な真優と一緒にいると飽きないので、今はこれで満足していた。
また、ある「重大な約束」もあったのだが、彼女がそれを覚えているかどうか、確信が持てないでいた。
「……亮太、あれ、何かな?」
海岸線の南端である海里川河口まで歩いたとき、真優はそれを見つけた。
指差される方向を見てみると、ソフトボールほどの大きさの球体が、波打ち際と堤防の中間ぐらいに、約1.5mほどの高さで浮かんでいる。
「……なんだ、あれ? 風船? にしては小さいな……」
彼も興味をそそられ、彼女と共にその物体に近づいた。
それはほぼ完全な球体で、黒く、わずかに金属光沢を放っていた。陸上で使う砲丸を、もっと黒く、ツルツルにしたような印象だ。
「動いてるよ」
「ああ、そうだな……なんか、こっちに近づいて来る……」
それは人が歩くより少し遅いぐらいの速度で、まっすぐ彼らに向かっている。
やがて、ほんの二メートル程の距離にまで近づいてきた。
見れば見るほどただの黒い鉄球だった。なぜ浮いているのか、なぜ進んでいるのか、二人にはまるで分からない。
「……UFOよ!」
真優が、驚愕と歓喜の表情を浮かべてそう叫んだ。
亮太は一瞬、まさか、と笑おうとしたが、正体不明のそれを表現するなら、未確認飛行物体、まさに小型UFOそのものだった。
「凄いわ、大スクープよ! 亮太、どうしよう! ビデオカメラとか、持ってない?」
大げさにはしゃぐ真優。
(確かにこれは凄いかもしれない……)
亮太は冷静を装って、ジーンズのポケットから最近買ったばかりのスマホを取り出した。
「これで動画、撮影できる。しかもフルハイビジョンでだ」
「すごい、さすが亮太! 早速撮影よ!」
大喜びの真優。
亮太も興奮しており、また、まだ操作に不慣れな事もあって、なかなか目的の画面にたどり着けなかったが、それでも二十秒後には撮影を開始していた。
約1.5mの高さを、一定のゆっくりとした速度で北北東方向に進む物体。
それをただ、ずっとカメラで撮影し続ける。
約五分経った頃だった。
「……なんか、つまんないね」
真優が不満そうに呟いた。
亮太も何か物足りないと感じていた。
凄い、ということは分かっていた。見たことも無い物体が空中に浮き、移動しているのだから。
だが、それだけなのだ。
速度を上げることも無ければ、方向も変えない。ただ、ひたすらまっすぐ、ゆっくりと進む。
「ちょっと、石投げてみるね」
真優はそう言うと、波打ち際まで行って手頃な石を数個、拾ってきた。
「おいおい、やめとけよ。そんなの当たったら、キズが付くかもしれないだろ?」
「いいの。その時はその時よ。第一、他に見てる人いないし」
確かに、まだこの海岸には、彼らの他は誰もいない。
十メートルほど距離をとって、真優が勢いよく石を投げつける。
しかし、石は目標から大きく外れてしまった。
「うーん、動く目標に石を当てるの、難しいわね」
(いや、真優、お前のコントロールでは止まっている目標にも当てられないぞ……)
亮太が心の中でつぶやく。
仕方なく、距離をもっと詰める。
五メートル……当たらず。
三メートル……当たらず。
ついに一メートルほどの距離から、ダーツの矢を飛ばすようなフォームで小石を投げる。
見事命中。しかし、特に音が鳴るわけでもなく、小石は上に大きく跳ねた後、ただ普通に落下した。
「当たったー! でも、なんか変ね……」
本当に鉄球ならもう少し音がしてもいいはずだった。
その後も何度か挑戦するが、当たる場所によって下の方に落ちたり、横に弾かれたりで、結果は同じだった。
その事にじれた真優は、あたりに落ちていた木の棒きれを拾ってきた。
「これで触ってみよう!」
もうこうなると彼女の好きにさせた方がいい、と、亮太は無言で撮影に徹することにした。
真優はほんの小さな子供のように、無邪気な表情で自分の目線ほどの高さに浮かぶ球体を、棒でつつき始めた。
「えいっ、えいっ……あれ? ぬるんってなるよ?」
ぬるんと言われても、よく分からない。
「亮太もやってみてよ」
そう言って棒を渡してくる。
彼も興味はあったので、撮影を中断して、その棒きれで彼女と同じように、球体を突いてみた。
すると、磁石の同じ極同士が反発するような奇妙な力が働いて、棒の先端が弾かれ、直接触れる事ができなかった。
「ほんとだ……ぬるんってなる」
「そうでしょう?」
得意げな真優。
球体の方は棒でつついている最中も微動だにせず、一定の速度で進行するだけだった。
「そうだ!」
真優はまた元気に叫ぶと、すぐ足元から砂をひとつかみ、拾い上げた。
「これ、上からかけてみよう」
「……なるほど、どうなるかな」
亮太はまたスマホを構え、至近距離から真優の実験を撮影し始めた。
彼女は球体の進行に合わせてゆっくり歩きながら、掲げた拳から砂を少しずつ垂らした。
すると驚くべき事に、その砂は球体から数ミリのところで浮き上がり、ぐるりと回り込むように落ちていった。
「すごーい! 直接は当たっていないみたいね」
「ああ……これは本当に凄いな……やっぱりUFOかも」
「でしょ、でしょ! ……でも、どうやったら進むの止められるかな……」
真優はしばらく、波打ち際を眺めていたが、
「いいもの見つけた!」
と叫ぶと、一目散にかけだし、なにやら白いものを拾ってきた。
「これで捕まえてみよう!」
彼女が手にしていたのは、どこかのスーパーのレジ袋だった。
(……小学生か!)
彼は心の中で突っ込みながらも、撮影を再開。
真優はレジ袋を広げて球体の進行方向上で待ち構える。
「たあぁー!」
子供っぽい掛け声と共にそれを被せ、そして反対方向に引っ張ろうとする。
「……くっ、重っ……強っ……きゃああぁ!」
彼女は逆に球体に引っ張られ、転び、三十センチほど引きずられ、ようやくレジ袋から手を離した。
亮太は笑いをこらえるのに必死だった。
「いったーい! ……それ、すっごく重いよ! 亮太もやってみてよ!」
(ふむ、ちょっと面白そうだ)
スマホを彼女に預け、まだ被せられたままの袋を両手できつく持ち全体重をかけて球体を引っ張った。
「ううっ……すげえぇ!」
彼も思わず感嘆の声を漏らした。
全く相手にならないぐらい、球体の力は強い。
踏ん張る足が、砂浜をえぐる。それでも、球体の進む速度は落ちない。
三十秒ほど耐えたが、プチッと言う音と共にレジ袋が裂けて、亮太は勢いよく尻餅をついてしまった。
「ぐわあぁ……痛えぇー……」
後ろで真優がケラケラと大笑いしていた。
球体に残ったレジ袋の半分も風で飛ばされ、黒色のそれは、何事も無かったかのように宙に浮いたまま進行を続ける。
ここまでで分かったことは、
・この球体の正体は全く謎
・浮遊したまま、一定の速度でまっすぐ進行を続ける。それを止める事ができない。
・表面に直接触れることができない。
これだけだった。また、この後も、徹底してそれだけの物でしかなかった。
しかし、たった「それだけ」の、ソフトボールほどのこの物体が、数日のうちに日本中を大パニックに陥れることになろうとは、そして真優の人生を大きく変える物になろうとは、二人とも想像すらしていなかった。
その後約三十分、彼等はいろいろ実験したものの、特に大きな発見はなかった。
また、この頃になってようやく、散歩に来た人や近所の人が、物珍しそうに集まりだした。
一度こうなると、面白がって携帯で知り合いを呼ぶ人が現れ、あっという間に三十人ほどにまで増え、皆でぞろぞろと球体に付いていく。
いつの間にか警察官や消防団員まで来たが、何をやってもその進行を止めることができない。ただついていくだけだ。
最初の発見から約一時間半。
全長四キロある砂浜をほぼ縦断した球体は、その高度を約五十センチほどにまで落としていた。
いや、正確に言えば、地面、つまり海抜が一メートル程上がっているので、「地面が近づいて来ている」という表現の方が正しかった。
海岸線は湾曲しており、直進する球体は、徐々に陸地に近づいていく。
そして進む球体の行く手には、高さ二メートル程の丈夫なコンクリート製の防波堤が迫っていた。
ここに来て、警官や消防団員が危ないから下がるように、皆に注意する。
得体の知れない物体のことだ、防波堤に跳ね返され、勢いよくどこかに飛んでいくかもしれない。
亮太と真優は、他の住民と共に、正直なところワクワクしながら、どうなるかを撮影、観察していた。
ついに、球体が防波堤にゆっくりと衝突する。
がこん、と大きな音が一度響く。
そして次の瞬間、雷がその場に落ちたかの様な壮絶な轟音が響いた。
一同、一瞬耳を塞ぎ、目を閉じ、その場に立ちすくむ。
そして二人がゆっくりと目を開いてみると、防波堤のその部分が砕け散っていた――。