明日の見えない少女は明日の夢を見るか
はじめまして。神凪神社神主の恭一と申します。
今回は拙作をご覧頂ありがとうございます。拙い作品ではありますが、皆様のお暇つぶしにでもなれば幸いです。ではどうぞご覧ください。
彼女は一度何もかもをなくしていた。
だからだろう。彼女は失うことを許さない。失わせてしまうことを許そうとしない。
出撃名簿に自らの名前がないことを、猛然と抗議に来た見た目は少女。
だが彼女は普通の少女ではない。歴戦の猛者である。
「司令官。私も出撃に加えてほしい」
小さな体から闘気を立ち上らせて、猛然とした様子でありながら静から口調で彼女は言う。
「できない」
司令官という役職を拝命している以上、誰かを贔屓することはできない。
そして、何より自らの状態がどうなっているかもわからないものを出撃させることはできない。
「今の君を出撃させることはできない」
繰り返す私に彼女は詰め寄る。
彼女の心情からすればその通りだろう。どうあっても出撃したい。それが彼女の気持ちだ。
「何故」
いつもは物静かでおとなしく、聞き分けのいい少女は、今日はまったく退く気はないようだ。
冷静沈着で、仲間達からの評判もいい。そして戦闘面でも信頼できる。
だが今回に限定して言えば、彼女だけは出撃させてはいけない。
かつて、多くの仲間を失った戦いの舞台であり、彼女の戦士としての原点とも言える場所。
その場所で起きる今回の戦闘にだけは。
「いっても意味は無かろうよ」
瞬間、目の前に彼女の主武装である大型砲が突きつけられる。
目には迷いはない。おそらく私の言葉いかんによってはこの砲は火を吹くだろう。
「私が死ぬことなんてどうでもいい! 仲間だけ戦わせるなんてできない! この場所でだけは絶対だ!」
この言葉で心は決まった。
我々が今から攻め込もうとしている砦は、十年前までは我が国のものだった。
しかし、隣国の宣戦布告から唐突に攻められた国境砦は、一時間も持たずに陥落した。
戦闘開始直後に伝令に走った部隊と、目の前の彼女以外は全滅した。
「普段は静かなのに、こういうときだけはよく吠える。お前は今自分がなにをいったのか理解しているか」
「司令官?」
急激に彼女の闘気がしぼむ。
叱咤激励のときなどに声を張り上げることはあるが、怒りで声が下がったのは始めてだ。
そんな私を見て、彼女はどうやら少し平静さを取り戻したらしい。
「お前は、あの時砦にいた指揮官のことを知っているか」
彼女は首肯する。当然だ。
「知っているに決まっている。私はあの方に逃がしてもらった。だから砦を取り戻すと誓った」
そうだ。私も誓った。そして、その日がまじかに控えている。
だが、それはこの戦いではないのだ。
「では、彼女に夫がいたことは」
「それは……知らない」
そうだろう。妻は私との関係が外部に漏れることを非常に心配していた。
それは彼女の優しさゆえだが、ずいぶんと大きなお世話だったと今なら声を大きくして言える。
「そうか。では伝えておこう。彼女の最後の命令を疎かにする様な輩を、今回の戦闘に連れて行くわけには行かない。彼女の元教え子として、そして、彼女の夫として」
息を呑む音。砲がゴトリと落ちる音がするが、気にならない。
目の前の少女の驚きと、怯えしか今の私には見えない。
「君が私の元に来たとき、私が君になんと言ったか覚えているか」
静かに立ち上がる。
一度視線を落とし、執務机をゆっくりと撫でる。
「君が望むのは復讐か否か。復讐であれば我が部隊に加えることはできない。部隊のみなの命と尊厳を守るために戦うのならば許可しよう」
あの時、彼女が妻の最後の教え子であることを私は知っていた。
だからこそ、問うたのだ。彼女の教えがしっかりと彼女の中に息づいているかを。
「君はこう応えた。「はい! 命を守るため。また守れなかった命の為に全力を傾け、部隊のみなの命を守るために、そして、この国の民を守るために戦いたいと思います」と」
妻の信条であり、私の心情でもある。
誰も死なせない。誰も失わない。誰も失わせない。それを念頭においてすべての策を考えてきた。
「今君はその信条の元に行動できているか」
私の問に彼女は俯く。
硬く握り締めた拳から血が流れる。
私はゆっくりと執務机を離れる。
「君は一人ではない。そして、私も一人ではない。この戦いが終われば、本当の戦いが始まる」
「本当の戦い」
おうむ返しに繰り返し、見上げる彼女の正面に立つ。
勝つことも、負けることも、今の私にとっては関係がない。
あの砦を取り戻すことも、正直に言えばもはやどうでもいいとすら思える。
私はあのときの妻と同じ立場に立っている。
「時雨、よく聞いてくれ。私は今までこの部隊を率いてきて思ったことがあるんだ」
震える右肩をぽんといつものように軽く叩く。
びくりと恐れ交じりに震える彼女に少し苦笑して、先を続ける。
「この部隊ははみ出しものの集まりだ。むしろ、だからこそ、やってこれた」
みんながみんな、何かしらの傷を持ち、その傷によって戦っている。
最たるものが、私と彼女だ。
「でも、それ故にこの部隊には決定的に他の部隊にはかけているものがあるんだよ」
それが何かをずっと言い続けていた。言い続けなければ、彼女たちは誰もそうしようとしなかったから。
「生きることを諦めるな。戦場では難しいことは分かっている。私も何度もそういう思いをしたことがある」
静かに彼女を抱きしめる。
力を入れることはない。優しく包み込むように抱きしめ、静かに囁く。
「今回の戦いでは私が戦場に立つ。意味は分かるな」
彼女が息を呑む音が聞こえた。
私の実力を知る人間は少ない。
今までひた隠しにし、決して外部に漏れないようにしてきた。
この部隊の指揮官は無能だと、剣をまともに扱うことすらできないのだと、敵国も味方もすべてにそう信じ込ませてきた。
例外は三人だけ。
部隊の副司令官であるレオ。
切り込み隊長であり、私の実力を軍に入る前から知っていたアルフレッド。
そして、目の前の時雨の三人である。
私が出撃することの、本当の重みを知るのはこの三人だけだ。
「司令官。まさか死ぬ気」
「バカを言うな。私は死ぬ気など毛ほどもない。ただ今回の作戦の生還率を考えてのものだ」
今回の作戦は正直に言えば死者を出さずにすまそうなどとおこがましいにも程があるほどの難易度だ。
だからこそ、最大戦力である私が出撃する必要がある。一騎当千の自負ある者でなければ、この作戦の殿は任せられない。
そして、一番の適役が私だというだけだ。
「司令官。私はそれでも出撃したい。この場所でだけは、私は逃げてはいけない。そう思うから! だから!」
「……命を諦めないと誓えるか?」
私の問いに力強く頷く。その彼女を見て、妻を最後に見た時を思い出した。
「そうか。ならば出撃メンバーに加えよう。ただし、己の言葉には責任を持て。絶対に死ぬことは許さん以上だ」
告げたときの彼女の表情を私は忘れない。
嬉しそうにしながら、それでもその悲しそうな顔。
その場所を目標にしてきたとはいえ、彼女にもそこに行きたくないという思いもあろう。
あの場所は多くの人にとって、地獄であり、天国であるのだから。