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山田柔道

『宿便』 (山田柔道)

 拝啓作家様


 このあいだブッコフで初めてあなたの処女作を手に取りました。あなたと似たペンネームの方がいらして、わたしとしてはただ、間違えただけなんですね。ボロボロの文庫本だったのでそのときはすぐ棚に戻しました。けれども、後日もう一度ブッコフへ訪れたときは手持ちの余裕が十分ありましたし、なにせ機嫌が良かったので、知らない作家の本だけれど買ってやろうといった、今思えばたいへん浅はかな気持ちで購入に至ったのでありまして、恐縮です。しかしわたしは元より見知った人間の著作しか購入しないのが常でありまして、あなたの本に出会ったのは、まったくの幸運というわけです。こういった偶然は大切なものですが、たいていはすぐに忘れ去ってしまうものなので、こうして手紙に記すのが最善だと思います。あなたに上手く伝わるかどうか心配ですが、読者としても、やはり思いを共有したい気持ちは持ってありますから。その点、わたしの妻は、普段から本を読まない人ですが、先生の本を読んでみなさいとわたしが薦めて読ませたところ、読み終わった明くる日に、いやに機嫌がいいんですね。どうしたと聞くと、久しぶりに小説というものを読んだから、と彼女は答えるのです。そのせいで、ぼくの白飯も大盛りにされて。いやぼくも、たいそうな小説読みでは決してないので、偉そうなことは言えませんが、妻の反応はなかなか新鮮なものとして受け止めました。やはり小説のことをすっかり忘れるというか、普段からまったく考えないということも、大事だと実感したのです。なんとか読まずにすむように努力するといいますか、そういった生活に身を置くことも大切ですよ。今回の妻がいい例でして、小説の思う壺であるように感じられていけない。

 いや、自分が卑屈に思えてきます。ただし事実です。こういう私見をあれこれと、先生への手紙に書き連ねるのは滑稽なことではございます、どうぞ笑い飛ばしていただきたい。こうして物申すときには誰しも、すでに読者ではなくなっているのですね。だから作者と読者の交わりなど、どちらの側としても考えないほうが不都合ない。だからわたしは、身のためになるからと期待して本を読んではいけないと、常々思っているのです。それはあくまで、わたしが読者でいられるいい機会を逃してはならないという理由からです。その瞬間を台無しにしては元も子もないでしょう。

 そういえばあなたへの手紙を書いているいま、わたしは書き手であり、作者となるのでしょうか。

 きっと、そうではないでしょう。誰がそう呼ぶにせよ、いまここにはわたししかいません。なにせ宛先は本の背表紙の裏に記してあった住所ですから本当に、あなたへの手紙が届くかもかわからない。意識して読者になれたことは、おそらくないでしょう。要するに身分相応といったところです。しかし作者というものは、やはり誰にでもなれるわけではないでしょう。いまでもわたしは、ただの読者であるような気がするのです。読者はいくら偉そうに語っても構わないですが、頼むから、お前たち作者ヅラするのはやめろと叫びたい。おかげでイマジネーションそのものを嫌悪するようになりました。しかしその度胸もないから、こうして読者の立ち位置を利用して、先生に恨みつらみを吐き出しているわけです。もし他の誰かが、それは先生でも例外ではありません、このわたしが何かの作者であるとお思いになるとすれば、勝手な言い分もほどほどにしろと言いたい。まったく、作者も読者もありませんよ、こっちから願い下げです。そうしていられるうちは、黙って受け入れていればいいだけの話なんです。つべこべ言わずにね。だからその点、わたしの妻などは熱心な読者でしょう。先生の小説のことなど、二日も経てば綺麗に忘れ去ったことでしょう。

 いろいろと書きすぎました。わたしは熱心なふりをしているだけですよ。いやでも卑屈に考えてしまう。自分でも耐えられないのです。わたしが作者になれない僻みだろうと、先生はお思いになるかもしれません。いやはや自分でもそう感じることがあります。しかしどうあがいても、わたしは一読者ですからね。無論、それが自惚れだとは誰にも言ってほしくない。しかし自分自身、ただ読者であれと、わざわざ誓い続けるはめになってしまった。とんでもないことですよこれは。これこそが自惚れではありますが、すでにどうしようもありません。不便ですし、不健康でもあります。勝手にしようがないのです。

 本当に困りました。先生の本を、他の本と一緒にダンボール箱へ詰めて、ブッコフへ売りに行こうかしらと何度も考えましたが、結局できずにいます。妻に一言頼めば、本の山は跡形もなく消滅するでしょう。ただそうせずにずるずると溜め続きたのですから、本来、自分はもっと慎みを持つべきなのです。どうかお許し下さい。読書というものは面倒です。本を読むことなく読者のようでいられるなら、是非ともそうしたいと願います。しかし如何せんわたしには、他の方法が見つからないので、少しずつ捻り出さなければ、たちまち滅入ってしまうのです。

 先生には犠牲になっていただいたような気分が致します。わたしの汚いところをお見せしてしまい、たいへん恐縮です。

 いよいよ最後になりました。これで筆を置きます。ひょっとするとあなたからお返事を頂けるかわかりませんが、あまり期待せずにお待ちしています。気が向いたときにでもまた、先生の他の作品も読んでみたいのですが、もうお書きにならないのでしょうか。いずれにせよ、じっと辛抱することに致します。

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