王太子ジークベルト・スヴァン・ハイムゼートの事情 3
父上の居室近くのサロンには前回と同じメンバーが集まっていた。この国の危機を知ったあの時のメンバー。いや、それよりも三人増えている。二人はヒンデバルト魔導士団長の息子、ボニファティウスと宰相の息子で私の側近のヴォルデマールだ。二人は聖女様の召喚に協力してもらった関係から国難の秘密を共有することになった。もう一人は聖女様だ。彼女は小柄な体をピンと伸ばし黒曜石の瞳を煌めかせながらソファーに座っている。
緊張していながらも煌めく瞳は聖女様の意志の強さを表しているようだ。華美なドレスではなく少年のような服装でいながら、いや、だからかえって女性らしい華奢さが感じられ、私は聖女様から目を離すことが出来なかった。
「まず、私は敬語なんてよくわかりません。この国の礼儀も良く知りません。だから失礼なこともあるかもしれませんけど、いいですか?」
聖女様の言葉に宰相とシェルテル公爵がわずかに眉を顰めたけれど父上は即座に許可した。
「もちろんだ、聖女殿。自由に発言していただいて構わない」
聖女様は息を吸い込むと驚くようなことを言った。
「じゃあ、魔術誓約を」
「魔術誓約? いったい何の誓約を結ぶというのだ?」
「この場では誰も嘘をつかないという誓約です」
「聖女様、それはあまりに失礼というものじゃないかね」
すぐに抗議の声がシェルテル公爵から上がったが、聖女様は答えなかった。しばらくの沈黙ののちにヒンデバルト魔導士団長が「私が誓約を結ぼう」と言ってこの場にいる全員に魔術誓約をかけた。
「では、質問します。結界に穴が開くことを阻止出来たら私は元の世界に帰してもらえるんですか?」
誰も何も答えなかった。宰相が口を開いて「もちろ——」と言いかけたまま、顔に苦悶の表情を浮かべた。誓約に触れる発言をしようとしたせいだろう。
皆に目を向けられたライオネルは首を横に振った。
「僕は召喚の方法は教えてもらったけれど、帰還の方法は聞いていない。ベンマルク王国でもチャウラン王国、スリプト帝国でも聖女様が元の世界に帰ったという話は聞かなかった。当時の王族と結ばれたという話は聞いたが……」
「つまり......帰る方法は無いんですね」
聖女様は目を瞑った。
暫く何かを耐えるようにじっと目を瞑ったまま動かなかった。
「聖女さ——」
「では、目的が達成された後、つまり、結界に穴が開くことを防いだ後の私の身体的、精神的安全を確約してください」
「もちろんだ」
沈黙に耐えかねて私が口を開きかけた時、聖女様は目を開いて真っ直ぐに父上を見た。
父上は即座に返事をする。もちろんだ、その言葉に私も賛成だ。私たちは国を救ってくれた大恩ある方を無下に扱ったりしない。そんな恥知らずではない。
「聖女殿には王族に連なる身分と多大な報酬を約束しよう」
「いりません」
父上の申し出を聖女様は即座に断った。何故だ?
「あ、お金は必要です。そんな物凄い金額じゃなくてこの国の平民が生涯食べることや普通の生活で困らない程度の金額でいいです。身分の方はいりません。ただこの国の偉い人達に何かを強要されないような特権は欲しいです」
「誰も聖女様に強要などさせぬが」
「されてますよ。ほら、王様に会うためにご立派なドレスを着ろとか」
「言葉が過ぎるのではないか? 小娘、陛下に対して無礼であろう」
私が横を向くとライヒシュタイン騎士団長が鋭い眼光で聖女様を睨みつけていた。ああ、威圧を与えて主導権を握ろうというのか。
聖女様は怯えたように震えた。だけど、一旦俯いた彼女は顔を上げて真っ直ぐにライヒシュタイン騎士団長を見た。
「怖くありません。私は死んだも同然ですから」
「……死んだ? それはどういうことかね」
父上の問いに聖女様は淡々と答えた。
「私は元の世界で普通に暮らしていた普通の女の子です。お父さんとお母さん、お兄ちゃんが居て、喧嘩もしたけど仲が良かった。友達も居たし好きなこともあった。だけど突然、本当に突然この世界に拉致されたんです」
「拉致とは人聞きが悪い」
「拉致です、誘拐です。だって私はこの世界に来たいなんて一度も言ったことが無い。想像すらしたこともない。元の世界ではきっと姿を消した私はいずれ死んだことになる。それまで家族はきっと必死で私を探してる。死んだと言われても多分探し続ける」
そうだ、聖女様の第一声は「誘拐犯の親玉はあんた!?」だった。
聖女様は再び視線をライヒシュタイン騎士団長に向けた。
「おじさんは私くらいの娘がいますか?」
「……ああ」
ライヒシュタイン騎士団長の子供はご令嬢が三人だ。一番上の娘はもう婿を貰っているし、二番目は嫁いだ。年の離れた三女が私より二つ下だったか。甘え上手の末っ子三女を可愛がっていると聞いたことがある。おじさんと呼ばれたことに少々ショックを受けているようで、ライヒシュタイン騎士団長はやや遅れて返事をした。
「じゃあ、その娘さんがある日突然姿を消して、実は見たこともない世界に強制的に連れて来られて、その世界の人達が死ぬかもしれないから助けろって言われた、助けてももう二度と家族の元に戻れないけど知らない世界の人達の命が大事だから助けろって言われたら納得できますか? そうしろって娘さんに言えますか?」
ライヒシュタイン騎士団長は答えられなかった。痛ましそうに聖女様を見つめ「すまなかった」と一言言った。
私もショックを受けていた。私は聖女様の召喚に罪悪感などこれっぽっちも感じていなかった。イシュリエ神様の御使いがこの国に来てくださる、これでこの国は救われると高揚していたのだ。彼女は普通の女の子だった。知らないところへ連れて来られて誰も味方がいない。とげとげの殻を纏って精一杯威嚇しているか弱い存在だ。
「それでは……貴方は普通の人間で、この国を救う術は無いと仰るの?」
王妃様が震える声で聖女様に問いかけると彼女は首を横に振った。
「いえ、この世界に来る前に真っ白な世界でイシュリエ神? に会いました。女神様から結界に穴が開かないように補強する呪文を教えてもらいました。ただそれはダンジョン?の最下層にあるそうで、そこまで連れて行ってもらわなくてはいけないけれど」
聖女様の言葉にこの場にいた全員がホッとため息を漏らした。
もちろん聖女様が物凄い力をお持ちであっさりダンジョンの最下層まで行って結界の崩壊を食い止めてくださる、なんてことだったら一番良かったけれど、それでも結界の崩壊を防ぐ手段は残されているのだ。
「それでは騎士団、魔導士団の精鋭による部隊を結成し、至急聖女様にダンジョンに向かっていただくことにする。ヒンデバルト魔導士団長、ライヒシュタイン騎士団長、至急人選を。もちろん秘密厳守の為に魔術誓約を結ぶが、忠誠心その他問題のない人選を頼むぞ」
「承知した、兄上」
「御意」
「待ってください」
父上の指示に待ったをかけたのは聖女様だった。
「あの人は行かないんですか?」
真っ直ぐ差された指の先が向いていたのは私だった。
「あの人は王子様なんですよね、王太子って次の王様になる人だって聞きました。私や、下っ端の人達が命を懸けてこの国を救おうとしている時にここに居るあなたたちは何をしているんですか? 大変な事や危険な事は他人に任せて高みの見物ですか?」
「高みの見物なぞ! 小娘には分からぬかもしれぬが私たちにはやるべき仕事が沢山あるのだ!」
今までの丁重な物腰を投げ捨てて宰相が怒鳴る。
「私だってあなたや王様みたいなおじいさんに一緒に行けとは言いませんよ。だけど王子様はまだ若いでしょ、私とそう変わらないくらい。王子様はこんな小娘に国を救う危険な仕事をさせておいて自分は何をするんですか?」
その通りだ、私は何を甘えていたのだろう、国の為に、民を救うためにこの身を盾にする覚悟は既にできていた筈だ。
「父上、私も一緒にダンジョンに向かいます。この身をもって聖女様をお守りします」
父上に決意を告げる。その時横から別の声が上がった、
「魔導士団の指揮は当然僕に任せてくれるんだよねー、父上、じゃなくてヒンデバルト魔導士団長」
「ボニファティウス、お前はまだ若い。その役目は——」
「僕は王弟ヒンデバルト公爵の息子でしょ、それに今現在この国で一番魔力が多いのも僕だよ、僕以外で誰が行くの?」
「僕も当然同行しますよ」
「ライオネル・デリングポール小侯爵、学者のあなたが行っても何の役にも立たないだろう」
「忘れたんですか? 僕は騎士団に同行させてもらってダンジョンに調査に入った経験がありますよ。こんな歴史的瞬間を見逃すなんて学者として我慢できない......じゃなくて、えーと後世に残すために詳細を記録する人間は必要なはずだ」
やれやれと言いたげなため息を一つついた後にヴォルデマールも手を上げた。
「もちろん私も同行します」
「ヴォルデマール! 何を言う! お前はアイヒンガー侯爵家の大事な跡取りなんだぞ」
「だからですよ、父上」
ヴォルデマールは宰相の言葉に反論した。
「私は現在この国を統べる国王陛下の一の側近、アイヒンガー宰相の嫡男です。そして将来ジークベルト殿下を支える側近でもあります。だから聖女様に苦労を押し付けるのでなく、ジークベルト殿下と共に聖女様をお守りしましょう。それに私とジークベルト殿下は魔導士の資格を持っている。剣の腕も並の騎士に負けないと自負しております。そこにいる学者よりは戦力になると思いますよ」
ヴォルデマールの言葉に私も深く頷いた。
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次話は明日の10:20に投稿します。




