王太子ジークベルト・スヴァン・ハイムゼートの事情 1
ここから王太子ジークベルト視点です。
話は前話の二年半前に遡ります。
始まりは二年前、いや二年と半年ほど前だろうか、我がハイムズ王国の北西部に五つものダンジョンが出現したことに端を発する。
ダンジョンとは魔獣が跋扈する地下洞窟の事だ。その洞窟は何層にも別れ地下に続いていき、下層階になるほど強い魔獣が現れるのだという。
私はダンジョンに足を踏み入れたことは無いが、地上では見たこともない珍しい植物や魔獣が生息していると書物で読んだ。とはいえダンジョンは小さいもので十層程度、国内最大のものでも確か二十層だ。他の国でも同じようなものだと聞いている。
ダンジョンは永久的に存在するものではなく、洞窟内の魔獣が徐々に減っていき、消滅することもあれば新たに出現することもある。しかしそれは百年単位の年月をかけての話である。百年に一度のペースで近隣のどこかの国で新たにダンジョンが発見されたり無くなったりする。
だから突如として出現した五つのダンジョンは十分に異常な出来事だった。
しかし我々王族や一般の貴族はダンジョンに無縁である。せいぜいダンジョン産のレアな素材や薬を商人から買うぐらいだ。
ダンジョンから魔獣が出てきて民衆を脅かした事など無い。ダンジョンとは地上に無い貴重な薬草や魔獣素材を求めて民間の冒険者と呼ばれる者たちが入る場所なのだ。その冒険者たちは強さや経験値でランク分けされており、最下層の魔獣でもAランクであれば討伐できるらしい。それを知った時に私も一度ダンジョンに入って魔獣と戦ってみたいとチラッと思ったことがある。
騎士団の訓練の一つにダンジョン実習があるそうで、私も参加させてもらえれば最下層まで到達してみせると密かに思っていたのだ。
剣の腕には自信があるし、王族である故に魔力も豊富で魔術も使える。けれど心の片隅で思った小さな願いは日々の忙しさに紛れいつしか忘れてしまっていた。
だから五つものダンジョンが出現したとの報告に珍しいこともあるものだと少し興味を引かれただけだった。
その一か月後、調査に入った騎士団から報告があった。
興味がある無しにかかわらず、王宮はちゃんとダンジョンの調査に乗り出していた。国内でここ数百年の内初めて発見された新しいダンジョンだ、民間の冒険者に丸投げなどせず、まずは騎士団が調査に入ったのだ。
御前会議の場でライヒシュタイン騎士団長は険しい顔で調査報告書を読み上げた。
当時私は十六歳、隣国との外交で功績を上げ立太子したばかりで初めて御前会議に出席が許された頃だった。
五つのダンジョンは通常のダンジョンとは違う、得体のしれない不気味さを感じる、と。まず、どれも二十層より深かった。騎士団は二十五層まで到達して、それ以上は断念したそうだ。現在は二十層までと冒険者の立ち入りを制限しているそうだ。
「部下の報告を受けて俺もダンジョンに入ってみたが、やはりあそこは何か違う。出現する魔獣は二十層までは他のダンジョンとあまり変わらない。最下層が分からないほど深い以外に何が違うのか俺には分からぬが……」
ライヒシュタイン騎士団長は皺の刻まれた厳つい顔を困惑気に歪めた。武に秀でた侯爵家の当主でもあるライヒシュタイン騎士団長は清廉で豪胆な武人らしい武人である。既に初老と言える年齢で彼の子供は女性しかいないが、没落男爵家の嫡男であったテオドール・ツァイスを非常に買っており、高位貴族のごり押しや忖度など歯牙にもかけず、侯爵家や伯爵家の令息を押しのけてテオドールを実力で副騎士団長の地位につけた人物だ。
そのライヒシュタイン騎士団長が戸惑った目で隣に座る青年を見た。
視線を受けて立ち上がったのはライオネル・デリングポール侯爵令息だ。
私の五つ年上の彼は幼い頃からの知り合いだ。昔から極度のマイペース、興味があることにしか関心を示さない彼は私には自由に見えて少し羨ましかった。たしか歴史や遺跡などを調査する学者になった筈だ、その彼がどうしてこんな場にいるのだろうと不思議に思っていたのだ。
「国王陛下、発言をお許しいただけますか?」
「許す」
「私、ライオネル・デリングポールはライヒシュタイン騎士団長にお願いして騎士団の調査に同行させていただきました。それはあの突如出現したダンジョンが異常なものであると感じたからでございます」
ライオネルは一旦言葉を切った。
「皆さまは〝失われた帝国〟の事をご存じでいらっしゃいますか?」
もちろん知っている。と言ってもおとぎ話や伝承の類としてであるが。そう、太古の昔、恐ろしい魔獣で溢れるこの大地から魔獣の脅威を消し去ったイシュリエ神様の神話のような物語として〝失われた帝国〟の話も広く人々に知られている物語だ。
「〝失われた帝国〟は確かに存在した帝国です。そして物語では一夜にして消滅したとなっていますが、一夜とは言わないまでも非常に短期間に消滅した帝国なのです。その帝国が消滅する前に複数のダンジョンが出現したらしいのです」
一同は騒めいた。もちろん私も驚きを隠せない。
「それは真か?」
父上の問いかけにライオネルは返事を躊躇った。
「絶対に真とは言えません、古い文献にただ一文載っているだけですから。……ですから国王陛下、僕をベンマルク王国に派遣してくださいませんか?」
ベンマルク王国、この国の三つほど東にある国の名前を突如出されて父上は面食らったようだった。
幼い頃から気が乗らなければ一言も話さないライオネルが実に雄弁だった。彼は必死に父上、国王陛下にベンマルク王国に行く必要性を説いた。それもただ行くのではなく、この王国の正式な調査員として出向きたいのだという。非公式であるが、ベンマルク王国でも過去、三百年程昔に複数のダンジョンが出現したことがあるのだという。諸外国に伏せられたそれを調査するには国王陛下の親書や正式な身分が必要らしい。
こんなに長く喋れるんだ、と私が驚いたほどにライオネルは熱心に説得し続け、そして二週間後には助手を二名連れて彼の国に旅立っていった。
彼が婚姻準備を全部すっぽかし、婚約者のエリーザ・シュッテ伯爵令嬢に何も告げないまま出国したのを知ったのはそのまた一か月後、ローザリンデとのお茶会の席でだった。
あれから一年、ライオネルが帰国し、私は父上に呼び出され父上の居室近くのサロンに向かった。
ライオネルの事などとんと忘れていた。
元々研究ばかりして社交界など最低限しか顔を出さない人物だったので一年も国を離れていたことさえ知らなかった。
あの御前会議では不気味に思ったダンジョンの事も一年も経てば興味が薄れる。ダンジョンの魔獣が這い出て人々を襲う訳ではないし、隣国との情勢や作物の収穫量、街道の整備などもっと気にすることが沢山あるのだ。
サロンに足を踏み入れる。そこにいた人達はこの王国の根幹をなす人たちだった。
国王、王妃である父上と母上、宰相のアイヒンガー侯爵、私の側近のヴォルデマールの父である。それから魔導士団長のヒンデバルト公爵、父上の弟で魔術の屈指の使い手だ。ライヒシュタイン騎士団長、もう一つの公爵家の当主であるイルジャーノン・シェルテル、彼はまだ二十八歳で代替わりしたばかりだ。
そして人々の注目を集めて若き学者であるライオネルが座っていた。
彼の報告は驚くことばかりだった。
この王国最大の危機、誇張ではない、彼の報告が本当ならこのハイムズ王国は滅びる。あと数年のうちに。
太古の昔、イシュリエ神様はこの人々が住む大地と魔獣が住む世界を分断してくださった。私はよくわからないが、この世界と寄り添うように存在する別の世界に魔獣たちを追いやってくださりその境に結界を張ってくださった。そこは魔獣たちが生きていくうえで必要な瘴気という大気に満ち溢れた世界なのだという。そしてその瘴気が濃い場所がこの世界に干渉してダンジョンが生まれるらしい。ただ、数百年に一度、濃い瘴気が結界を突き破り穴が開く。濃い瘴気はダンジョン内にとどまらず地上にあふれ魔獣がこの世界を跋扈する。火山が爆発してマグマが地表を覆うように。ずっとではない。火山の噴火が治まるように穴も時と共に塞がり、瘴気の薄れた大地で魔獣は弱って死んでいく。
「〝失われた帝国〟は千年ほど昔この国の東南、今のノルン王国、フィンレイ公国、オストリア王国があるあたりに存在していた帝国です。ダンジョンから瘴気と魔獣が溢れ出し、一か月で滅びました。国土の八割が荒れ果て、国民の七割を失ったそうです」
ハイムズ王国の二倍近い国土をたった一か月で失う......そのすさまじさに私は絶句した。父上はじめ他の方々も一様に青い顔をしている。
宰相が震える声で問いかけた。
「それが我が国にも起こると?」
「はい、結界の穴が開く予兆は複数のダンジョンが出現することだそうです」
シェルテル公爵が激しくかぶりを振ってライオネルを睨みつけた。
「そんな、そんな事とても信用することが出来ない!」
「落ち着くのだ、シェルテル公爵。デリングポール小侯爵よ、今の話はどのくらい信憑性がある?」
青ざめて言葉も出ない私より父上は流石に落ち着いていた。
「僕はベンマルク王国での調査の後、更に東にあるチャウラン王国、南のスリプト帝国にも赴いて調査を行いました。ベンマルク王国の王家にその二国の事が伝わっていたのです。過去に複数のダンジョンが出現した国です。〝失われた帝国〟の話はスリプト帝国の文献に残っていました」
ライオネルは調査報告と共に三国の国王からの親書を父上に差し出した。
それに目を通し父上は「……デリングポール小侯爵の報告は真の事のようだな」と呟いた。
ベンマルク王国のみならずチャウラン王国もスリプト帝国も我が国に複数のダンジョンが出現したとわかると、調査に非常に協力的だったそうだ。
「これもイシュリエ神様のお導きでしょう」
ベンマルク王国の国王は様々な便宜を図ってくれたという。ベンマルク王室の記録に当時の事が残っていたのだ。ベンマルク王国もチャウラン王国に教えられて難を逃れた。再びこの世界のどこかで同じような事が起こったら無条件で協力するように。それがイシュリエ神様に報いることだと。
「この難を逃れる方法があるのですね!」
母上が思わず声を上げた。
真っ青な顔でずっと父上に手をさすってもらっていた。この場で女性は母上一人、いつもは王妃として凛とした姿しか見せなかった母上だが、この国が無くなる、魔獣が溢れ出して大勢の民衆が亡くなるという話は女性には酷だろうと思う。
「聖女様の召喚です」
聞きなれない言葉がライオネルの口から出てきた。
「聖女様……とは?」
「イシュリエ神様の意を受けた乙女を異世界から召喚するのです。ベンマルク王国はそうして三百年前に国難を逃れたと記録されておりました」
「聖女様……聖なる乙女という訳か。その乙女がこの国を救ってくれるのだな」
父上の期待を込めた言葉に私も大きく頷いた。
お読みくださりありがとうございます。
次話は19:30に投稿します。




