侯爵令嬢ローザリンデ・ヴェッセリーの事情 4
「ローザリンデ、ジークベルト殿下との仲はどうなっている?」
夕食の席でお父様に聞かれました。ステファニー様の婚約破棄がお父様の耳に入ったのでしょうか。どうと仰られてもどう答えて良いかわたくしには分かりません。お母様の心配そうな瞳に胸が痛みます。
「ジークベルト殿下は異世界から来られた聖女様にご執心だともっぱらの噂だ。ジークベルト殿下だけでなく宰相殿のご子息や魔導士団長のご子息も聖女様に侍っていると聞いたが」
「申し訳ございません、わたくしの不徳といたすところですわ」
わたくしの言葉にお父様は首を横に振ってくださいました。
「いや、ローザリンデはよくやっていると王妃様からも聞いている。ジークベルト殿下が投げ出した政務の手伝いをしているのだろう。他の令嬢たちの不満もよく聞いて宥めてくれていると耳にした。ただな......ジークベルト殿下と話す時間は取れているのか、その……殿下のお気持ちは……」
お父様が言い淀んでしまわれましたが仰りたい事はわかります。ジークベルト殿下のお心はあの聖女様に向いているのではないかとそう仰りたいのでしょう。
ええ、多分、ジークベルト殿下はあの聖女様に魅かれていらっしゃいます。それは聖女様を見るジークベルト殿下の瞳を見ればわかります。重要な御方だから、聖女様のお仕事を手伝わなくてはいけないから、そう言い訳しながらジークベルト殿下は聖女様と共に居たいのです。だから聖女様の歓心を買う為に堅苦しい王宮から離れて観光地を案内したりしているのではないでしょうか。
「お父様、大丈夫ですわ。ジークベルト殿下は今は少し惑われているかもしれません。それでもあの聖女様に王太子妃、ひいては国母が務まると思えません」
「確かにそうだな。礼儀作法もなっていないし随分と奔放な娘だと聞いている。あれではどの貴族の令嬢も夫人も傅かぬだろう」
お父様は納得したように頷かれましたが、お母様はまだ心配そうです。
「それでもジークベルト殿下がどうしても、と聖女様をお望みになられるかもしれませんわ。あなた、国王陛下や王妃様はジークベルト殿下や他のご令息が聖女様に侍っていらしても特にご注意なされないのでしょう?」
「そうだな、ジークベルト殿下は元々優秀な御方で国王陛下の期待も高い。第二王子殿下や王女殿下はまだ幼いからジークベルト殿下は陛下や皆の期待を一身に背負ってこられた。だから国王陛下はしばらくは静観するつもりかもしれぬし、もしかしたらそれほど聖女様と親密だとご存じないかもしれぬ。なにやら近頃はご多忙そうで私もなかなかお目にかかる機会もないのだ。」
お父様とお母様の会話を聞きながらわたくしは決心いたしました。
「お父様、やはりわたくしは今の状況が良い事だとは思えません。社交界の秩序を守るためにも手を打つ必要があると思います」
「そうか、私の方でも調べてみよう」
ジークベルト殿下のあの冷たい言葉を聞いたとき、わたくしの中で何かがプチっと切れました。ジークベルト殿下に愛想が尽きたわけではありません。いえ、心の片隅ではもう信頼に値する方だとは思っておりません。けれどわたくしは王太子妃になるために今まで努力を重ねてきたのです。ジークベルト殿下と共にこの国を支える為に。その矜持はございますし、あの我儘な少女に国を支えることが出来るとも思いません。ですから皆様の意見を取りまとめ国王陛下に奏上して聖女様を排除するつもりです。
ジークベルト殿下が聖女様の魅力に抗えないのならわたくしがそれをするのです。
それから数日、聖女様御一行は再び王宮から姿を消しました。
お父様の調査で彼らは王国北西部、以前目撃情報があったリースの町やトランデルの町よりもっと北の地に出かけていることがわかりました。その地で何をしているかまでは掴むことが出来なかったようですが、初秋の今は山々が色づき北西部には風光明媚な場所が沢山ございます。王宮で窮屈そうだった聖女様は羽根を伸ばして楽しんでいらっしゃるのでしょう。
わたくしはもう躊躇う気持ちは無くなりました。
わたくしはせっせとお茶会や夜会に参加して皆さまのお話を聞くことにいたしました。将来の王太子妃として当然のことです。
マクシーネ様も協力してくださいましたが、ステファニー様は謹慎中、エリーザ様もお部屋に閉じこもっていらっしゃるようでした。
案の定、聖女様に対し眉を顰める方が多く、ジークベルト殿下やヴォルデマール様はどうしてしまったのだと疑問の声が多く上がりました。
しかし、意外な事に一部の方からは聖女様を擁護される声も上がりました。こことは違う世界からいらして戸惑っていらっしゃるのだろう、素直で良い方だという声も聞こえたのです。
それから、御令嬢の中にはわたくしやマクシーネ様、ステファニー様をよく思っていらっしゃらない方も多く存在します。ジークベルト殿下をはじめ皆さま素晴らしい方たちなのでご令嬢の人気は高いのです。その方たちには当てこすりのようなことも言われましたが、かといってその方たちも聖女様がジークベルト殿下の隣りに相応しいと思っているわけでは無さそうでした。
(あの程度でジークベルト殿下の心を掴めるなら私だって)と本音が透けて見える方もいらっしゃいました。
わたくしは彼ら、彼女らの話を聞き、聖女様は社交界のルールをまるで学ぶ気が無いこと、彼女の身勝手をジークベルト殿下や周りの方々が許してしまっていること、聖女様お一人のおかげで社交界の秩序が乱れることなどを説明しました。
「聖女様の業績をご存じですか?」
「まあ、どなたもご存じないのです。どうしてでしょう?」
「聖女様とはどんな存在なのでしょう? 違う世界から来られた方、というだけではこの国にとって有益な方だと言えるでしょうか」
「ジークベルト殿下は元は有能で真面目な御方、わたくしはジークベルト殿下が遠からず元に戻ってくださると信じておりますの」
「ええ、彼等を惑わす者こそが害悪なのですわ」
多少誘導してしまった部分はあるかもしれません。
それでもほとんどの方はわたくしに賛同してくださいました。
ジークベルト殿下の隣りに立って将来この王国を殿下と共に担うのはわたくしだと自負しております。ジークベルト殿下と励まし合いながら厳しい王太子妃教育を乗り越えた日々がわたくしの自信となってわたくしを支えております。
ジークベルト殿下は反発なされるかもしれません、でも五年、十年経って見ればわたくしの方が伴侶に相応しいとわかっていただけると思うのです。あの聖女様に国を背負っていくことが出来ると思いませんから。
そして政務も何もかもを放り出した今の現状が続けばジークベルト殿下の評判に傷がつくこと、人々の信頼を損なうこと、それは将来王になる者にとって致命的であるという事を時が経てば理解して下さると信じております。
秋も深まり、朝晩の空気が少し冷たく感じられる頃に聖女様御一行が王宮に帰ってこられました。
国王陛下が彼らと非公式にお会いになったらしいとの噂も聞こえてまいりました。
多少煽ったきらいはございますが聖女様御一行の評判は今や地に落ちております。国王陛下はジークベルト殿下にも事情を聞かれたのではないでしょうか。
わたくしは直接ジークベルト殿下とお話をしたかったのですが、なかなか機会を得ず、その前にお父様が王宮に呼ばれました。
「しっかりとジークベルト殿下をお諫めするつもりだ。大丈夫だ、国王陛下も王妃殿下も今までのローザリンデの努力をわかってくださっている」
そうして出かけたお父様が肩を落としてお帰りになられたのは辺りを秋の夕日が赤く照らしている時刻でした。
「ローザリンデ、すまないがジークベルト殿下との婚約は白紙撤回となった」
執務室で告げたお父様の声はわずかに震えて、俯いた顔は窓から差し込む夕日の逆光でよく見えませんでした。
「仕方のない事だ。婚約は〝破棄〟ではなく〝白紙撤回〟つまり双方に瑕疵はなく、ただこのまま婚姻するのは無理だとジークベルト殿下が判断され、それを陛下が了承された」
「そんな……わたくしは納得できませんわ」
「婚約の白紙撤回は陛下の恩情だ。いいかローザリンデ、しばらく大人しくしていなさい。私が言い縁談をきっと探してあげるから」
お父様は苦々しくそう告げた後むっつり黙り込んでしまいました。
そして一週間、今日は今年の社交シーズンの幕開け、王宮での大規模な夜会が開かれます。今回は重大な発表があるという事で、可能な限り全ての貴族が参加するようにとお触れが出されています。
多分、わたくしとジークベルト殿下の婚約の白紙撤回、そしてもしかしたら聖女様との婚約発表でもなさるのでしょうか。
できればその前にジークベルト殿下とお会いしたかった、ジークベルト殿下から直接わたくしの何が至らなかったのかお聞きしたかった。でもそれは叶いませんでした。ですから、夜会を休んでもいい、というお父様のお言葉に逆らって夜会に出席することにしたのです。
ええ、わたくしは諦めておりません。
わたくしは偶然見てしまったのです。
お父様に婚約の白紙撤回を告げられた翌日、どうにかジークベルト殿下とお会いできないかと王宮を訪ねた日、やはり多忙中で会えないとお断りされ、わたくしはとぼとぼと王宮を歩いておりました。辺りは夕闇が迫り木々の影が濃く深くなる時刻。少し外の空気を吸いたかったわたくしは奥庭に足を踏み入れました。この庭園は限られた人たちしか足を踏み入れることを許されておりませんので比較的安全です。
ええ、わたくしは王妃様よりここに足を踏み入れる許可をいただいております。王妃様は婚約の白紙撤回を残念に思ってくださるでしょうか。ジークベルト殿下の公務を王妃様が引き継ぎ、わたくしがそのお手伝いをしていた関係で王妃様には随分可愛がっていただきました。
木立の奥に人影を見つけて私は足を止めました。
抱きあった二人の人影はあの聖女様と赤髪の騎士様でした。一瞬小柄な聖女様を抱きしめているのがジークベルト殿下かとぎくりとしたのですが、そうではありません。離れているので話し声は聞こえませんでしたが、泣いている聖女様を赤髪の騎士様が慰めているようでした。
ジークベルト殿下ではないことにわたくしが安堵したか? そうではありません。寧ろ聖女様の手練手管の一端を垣間見たような気がしたのです。
赤髪の騎士様はジークベルト殿下やボニファティウス様方と違って唯一わたくしたちに同情の視線を投げ掛けてくださる方でした。彼は騎士団で実力ナンバーワンと言われるお方、お役目で聖女様と行動を共にしていらしたのでしょう。聖女様と殿方たちに辟易していたかもしれません。
人目に触れない場所でそんな騎士様を誑かす聖女様に背筋が寒くなりました。
わたくしはまだ婚約の白紙撤回を了承したつもりはありません。もちろん書面上は国王陛下とお父様の間でそうなっているでしょう。でもジークベルト殿下の目を覚ますことが出来るのはわたくしだと思っております。もちろんジークベルト殿下には失望したことも沢山ございます。
それでもいつか、いつかジークベルト殿下が目を覚まされて以前の殿下に戻ってくださるとわたくしは信じているのです。
ですから、婚約の白紙撤回が公に発表される前、今夜の夜会でわたくしは勝負を掛けます。
聖女様は罪を犯した訳ではありません。ただ、ジークベルト殿下やご令息たちと楽しく遊んでいただけ。
でもそれこそが将来国を統べる者にとっては許しがたい事なのです。
わたくしはそれを今夜、国王陛下やジークベルト殿下に直接申し上げるつもりです。
どうか、よく考えていただきたいと、聖女様に公務が出来ますか? 社交はどうでしょう? 彼女は国王の隣りに立つに相応しい方ですか? と。
賛同してくださる方は沢山いらっしゃいます。
リースの町やトランデルの湖で目撃した方の証言もございます。なにより王宮での聖女様の振る舞いには多くの目撃証言がございますし、侍女たちがいかに聖女様が礼儀知らずで傍若無人であるかを証言しております。
わたくしは今夜、わたくしの矜持とジークベルト殿下の将来の為に戦います。
これで一旦ローザリンデ視点は終わります。
第五話は時は二年ほど遡り、王太子ジークベルト視点で始まります。
次話は2:30に投稿します。




