侯爵令嬢ローザリンデ・ヴェッセリーの事情 3
あれから二か月半経ちました。緊急のお手紙をいただいてわたくしはヴォルデマール様の婚約者であるマクシーネ様のエンゲル伯爵家に伺いました。
「ああ、ローザリンデ様っ 聞いてくださいまし!」
涼しい風が吹き抜けるよう窓を大きく開いたサロンに通されたわたくしが席に着くのと同時にマクシーネ様が縋るような声をあげられます。
ジークベルト殿下とガゼボでお話してすぐに私はマクシーネ様やエリーザ様とお話して彼女たちを宥めました。ヴォルデマール様やライオネル様の冷たい態度はとても告げることはできなかったのでやんわりと聖女様は素晴らしい方で、聖女様たちは崇高なお仕事をしているのでしばらくは見守って欲しいと告げただけです。
当然彼女たちは納得しませんでした。そうですわ、言っているわたくしも納得しておりませんもの。
ですけれど、ジークベルト殿下にお願いされたのです。
「ローザリンデ様、失礼を承知で申し上げますわ。ジークベルト殿下はローザリンデ様を、……その、言い方は悪いですがいいように利用なさろうとしているように私には見えますの。ローザリンデ様はジークベルト殿下の公務もお手伝いなさっていると聞いております。ジークベルト殿下のお言葉は本当に信じるに値するのでしょうか」
その時マクシーネ様が仰られた言葉です。もちろん即座に否定いたしました。ジークベルト殿下は信じるに値するお方だと。
それでもマクシーネ様のそのお言葉がわたくしの耳にずっと残っておりました。
あれから聖女様御一行はまた姿を消しました。もうどこに遊びに行ったのか詮索する気もおきませんでした。
そして帰って来て一か月、聖女様御一行はしばらく王宮に滞在しているようで、騎士団の訓練所や庭園、サロンなどいたるところで聖女様と彼らの親密なご様子が目撃されているようです。
「私たち、先日王宮に参りましたの」
憤った様子でお話を始めたのはステファニー様、この場にはマクシーネ様の他にお二人の御令嬢がいらっしゃいました。ボニファティウス様の婚約者のステファニー様とライオネル様の婚約者のエリーザ様です。
泣きながら不満を訴えるマクシーネ様と怒りの表情を浮かべたステファニー様のお話によるとお三方は聖女様と仲睦まじくご歓談される婚約者の方々のところへ突撃されたようです。
そして全員が婚約者の方にお叱りを受けたという事でした。
「わたくしたちは何も意地悪な事など申しておりませんわ!」
「ええ! 婚約者のいる身なれば適切な距離で聖女様と接してくださいとお願いしただけですのに」
「それに王宮で聖女様と過ごされる時間があるのなら婚約者であるわたくしたちと交流の時間をもたれるのが常識ではございませんの?」
「エリーザ様などライオネル様から婚約解消まで持ち出されてしまって......」
「それは酷いですわ!」
わたくしもつい大声を出してしまいました。ジークベルト殿下とお会いしたときにもライオネル様はそんなことを呟いていらっしゃいましたけれど、まさかエリーザ様に直接言ってしまわれるなど……
「エリーザ様、ライオネル様は本気ではないと思いますわ。今は少し......ええ、ほんの少し聖女様に気を取られているだけですわ」
「そうですわ、あのはしたない......いえ、こ、個性的な聖女様が物珍しいだけですわ」
マクシーネ様も私の言葉に同意してくださってわたくしがサロンに入ってからずっと俯いていらっしゃったエリーザ様はやっとお顔を上げられました。
「本当にそうでしょうか」
「エリーザ様はずっとライオネル様を支えていらっしゃったではないですか。本当なら二年前にご結婚される筈だったのに、ライオネル様が研究で忙しいからと延び延びになって、それでもエリーザ様は文句ひとつ言わずライオネル様を支えていらっしゃいましたわ」
わたくしの言葉にマクシーネ様もステファニー様も力強く頷いていらっしゃいます。
「私、聖女様と直接お話しようと思います!」
力強くステファニー様が宣言いたしました。ステファニー様はわたくしより三つ年下でまだ婚姻が差し迫っているわけではございませんが、ボニファティウス様はあの方々の中でも一番聖女様に心酔しているように見えましたから思うところがあるのかもしれません。
「そうですわね、わたくしも賛成ですわ。聖女様がどういうつもりでわたくしたちの婚約者を侍らせているのかわたくしもお聞きしたいですわ」
「ええ、将来有望で見目麗しい男性ばかり」
ステファニー様とマクシーネ様が盛り上がっていらっしゃいます。わたくしはもう彼女たちを止めることはできませんわ。ええ、彼女たちの言う通り、聖女様と直接お話をした方が良いかもしれません。
但しあくまで穏やかなお話合いです。聖女様とお会いしたのはあの時一度きり、お茶を飲みながらゆっくりお話をすれば聖女様もわかってくださると信じています。
「お二方とも、敵意むき出しの物腰はよろしくありませんわ。聖女様はこの世界とは違う世界からいらっしゃったそうです。ですからわたくしたちがこの世界の常識や淑女の嗜みというものを教えて差し上げるのです」
「まあ! ローザリンデ様の仰る通りですわ! わたくしたちが聖女様に常識というものを教えて差し上げるのです」
ステファニー様は少し不服そうですが、マクシーネ様は同意してくださいました。先日の「私、淑女じゃないからさ、マナーを習う気も直す気も無いんだ」という聖女様のお言葉が一瞬頭をよぎりましたが、話せばわかってくださると無理矢理納得いたしました。
問題は聖女様がお一人でいらっしゃるのがいつなのか、という事ですが、これはあっさりわかりました。最近、ジークベルト殿下たちは、午前中は騎士団や魔導士団の方たちと鍛錬をしていらっしゃるようで、その時間は聖女様はお一人で過ごされているようです。聖女様のお部屋まで、聖女様付きの侍女の一人が通してくださるそうです。聖女様はメイドや庭師と言った身分の低い方々には好かれているようですが、侍女の中には苦々しく思っている方も多いようです。
ともあれ、わたくしたちは二日後に聖女様とお会いするように段取りをつけました。
苦い顔をした聖女様に出迎えられたわたくしたちはともあれお部屋の中に通されソファーに腰を落ち着けました。メイドたちはオロオロしておりますが、聖女様付きの侍女たちは澄ました顔でお茶を出し、隅に控えております。
そしてわたくしたちは聖女様の行動が淑女としてはしたなく映る事、婚約者のいる殿方にみだりに近づいてはいけない事などをご説明いたしました。
「ふうん、私は別にボニーにもヴォルにもライにも言い寄ったつもりは無いよ。あ、もちろんジークにもね」
「婚約者でもない殿方を愛称で呼ぶのはよろしくありませんわ」
「ええ、そのことが既に常識に欠けていらっしゃるのです」
マクシーネ様の言葉もステファニー様の言葉も聖女様に届かないようでした。
「えー! だってジークベルトとかボニ......ボニファッテとか長ったらしい名前覚えられないし面倒でしょ、彼等もいいって言っているんだからそれでいいじゃん」
あまりの物言いにわたくしは絶句しかけましたが気を取り直して申し上げました。
「聖女様、ヴォルデマール様もボニファティウス様もライオネル様もこの国で重要なお仕事についていらっしゃいます。彼らはジークベルト殿下が王位を継いだ暁には共にこの国を支えてくださる方々です。聖女様の我儘にいつまでも付き合わせては可愛そうですわ」
「……我儘?」
聖女様が小声で呟きましたがわたくしは更に続けました。
「聖女様、遠いお国からお一人で来られたとのこと、さぞお寂しいことと存じます。ですからわたくしたちが聖女様のお友達になるというのはどうでしょう、殿方よりわたくしたちの方が聖女様のお力になれますわ」
「ええ、淑女の立ち居振る舞い、礼儀作法など教えて差し上げられますし」
「そのような男性の恰好などなさらなくても聖女様にお似合いのドレスを見立てて差し上げますわ」
「そうだわ! 聖女様は地方への観光がお好きなら今度から私たちがお供させていただきますわ」
わたくしの言葉をお三方もフォローしてくださいますが、聖女様は腕を組んで不敵な笑みを浮かべました。
「淑女? 礼儀作法? くそくらえよそんなもん! あなたたちが私のお友達? そんな敵意に満ちた目をして? 正直に言ったら? 私の男に近づくあんたが気に入らないって。でも彼らは私と一緒に居ることを選んだの、文句なら彼らに言ってよね! ああ、彼等に相手されないから私のところに来たのね、あはは!」
わたくしは衝撃のあまり一瞬思考停止してしまいましたがステファニー様やマクシーネ様は黙っていられず聖女様に食って掛かりました。
その言葉を聞き流し、聖女様はもう話は終わったとばかりに「お客様はお帰りよー」と侍女に告げましたが、もとより侍女は動く気配を見せず、わたくしたちもここで引き下がるわけにはいきません。
わたくしはどうにか聖女様のお心を懐柔できないかと言葉を探しましたが、その前に聖女様がすっくと立ちあがりました。
「あなたたちが出ていかないなら私が出ていく」
スタスタと部屋を出ていく聖女様をポカンと見送り数秒、弾かれたようにステファニー様が立ち上がりました。
「お待ちになっ……待ちなさいよ!! 話はまだ終わっていないわ!!」
聖女様を追いかけるステファニー様をわたくしたちも追いかけます。なにしろドレスで走ったことなどございませんから追いかけるのさえ大変です。
前を行くステファニー様から不穏な空気が感じられました。わたくし達よりステファニー様は格段に魔力が多い方です。その魔力の多さでボニファティウス様の婚約者に選ばれた方ですから。そしてまだ十五歳、魔力が多い分制御が難しく偶に暴走されるのだと聞いたことがございます。
「ステファニー様、いけません! 落ち着いてくださいませ!」
わたくしの言葉より一瞬早くステファニー様の身体から何かが放たれました。それほど強力なものではありません。人を押して転ばせる程度の風が聖女様に向かって飛んで行き、ぶつけられたのです。
「あ……」
運悪く聖女様は階段に差し掛かったところでした。
落ちる!! わたくしはギュッと目を瞑ってしまいました。
「「「リンカ!!!」」」
人が落ちるドサッとした音は聞こえて来ず、その代わりに複数の人の叫び声が聞こえてきました。ええ、聞き覚えがあります。ジークベルト殿下たちの声です。
ステファニー様はぺたんと廊下にくずおれてしまいました。
階段を上がってジークベルト殿下たちが姿を現しました。その一番後ろで聖女様が赤髪の騎士、テオドール・ツァイス様に横抱きにされています。
聖女様は泣いておられるようでした。それはもう、先ほど私たちに見せたふてぶてしい態度とは打って変わってか弱そうに肩を震わせて泣きじゃくっておいででした。
ああ、そんな仕草も可愛らしいのですね……とわたくしはこんな場にもかかわらず聖女様を眺めてしまいました。わたくし達が出来ないような素直なむき出しの感情、大きな声で話し、笑い、泣く、そんなところがジークベルト殿下たち殿方を魅了してやまないのでしょう。
「誰がやったのですか?」
ヴォルデマール様の厳しい声に私たちは竦み上がりました。元々冷淡な物言いをされる方でしたが、ここまで冷たい声を聞いたのは初めてです。
「あ……私はそんなつもりでは無くて……」
「ステファニー、そんなつもりってどんなつもりだったの?」
絶対零度の眼差しでボニファティウス様がステファニー様を睨みつけます。ボニファティウス様は少々勝手気ままな言動をする方ですが、どちらかというと明るく場を和ませる性格でいらっしゃいました。それなのに聖女様に関することだとここまで冷たくなれるのでしょうか。
ステファニー様は「ひっ......」と小さく悲鳴を上げたまま何も言えず震えていらっしゃいます。
「ボニファティウス様、態とではございません。少々聖女様と行き違いがございまして、その……ステファニー様は魔力が暴発してしまっただけで———」
「態ととか態とじゃないとかホントはどうでもいいんだ。リンカを傷つけようとしただけで万死に値するよ。ステファニー、君との婚約は破棄だから。屋敷に帰って謹慎しているといい」
ステファニー様を庇おうとしたわたくしの言葉はボニファティウス様に遮られてしまいました。ボニファティウス様は冷たくそう告げると、一転聖女様に優し気なまなざしを向け「ごめんねリンカ、怖い思いをさせたよね」と、その後はわたくし達など目に入らぬとばかりに聖女様を皆で取り囲んで聖女様の部屋に戻っていきます。
ボニファティウス様だけでなくヴォルデマール様もライオネル様も彼らの婚約者が目に入らぬような振る舞いでした。
エリーザ様が呟いた「ライオネル様……」という呼びかけは完全に無視され、彼等の中で唯一反応を見せたのは聖女様を腕に抱いている赤髪の騎士、テオドール様だけでした。
テオドール様は痛ましそうにわたくしたちを眺め、何か言いかけた後に首を振り、そうして聖女様を大事そうに腕に抱いて彼らと共に部屋に戻って行きました。
「ローザリンデ」
この場に残ったジークベルト殿下に呼びかけられ、わたくしは密かに心が震えました。婚約者に一瞥もくれなかった彼らと違いジークベルト殿下だけはわたくしの事を考えてくださる。ジークベルト殿下でしたらわたくしたちの言い分もちゃんと聞いてくださると思ったのです。
「君が一緒に居ながらどうしてこんなことを引き起こしたんだ?」
ジークベルト殿下の口調は厳しいものでした。わたくしは少し失望感を抱えながらこれまでのいきさつをお話しいたしました。わたくしにも至らぬ点はございました。ステファニー様をお諫めすることが出来なかった。でも聖女様の物言いにも問題はございます。あの煽るような無礼千万な言い方ではステファニー様が思わず魔力を暴発させてしまうのも致し方ないと思うのです。そしてステファニー様は攻撃的な魔術を放ったわけではございません。丁度階段の上だったことは運が悪かったのです。
「私は以前言ったはずだ。リンカの言動は不敬には当たらないし、私たちは自らの希望でリンカと一緒に居る。そこに君たちが口を挟む必要はない」
「婚約者でも......でしょうか」
「そうだ。私は……君が彼女たちをうまく宥めてくれると思っていた。以前から言っていたよね、聖女様は重要な御方で私は聖女様のお仕事を誠心誠意お手伝いするって。私の婚約者である君は私の意をくんで彼女たちの不満を宥めてくれると信じていたんだ」
「ええ、もちろんですわ。それでも彼女たちの不満ももっともなのです。聖女様は尊い方かもしれませんが未だ目立った功績はあげられておりません。その聖女様を、その、言い方は失礼かも存じませんがジークベルト殿下や皆様方がちやほやされるのはいかがなものでしょう? いくら愛らしい方だといっても婚約者の方を大事になさるべきでは?」
ジークベルト殿下の目がスッと冷えました。
「ふうん、それが君の本音なのか? リンカより君を大事にしろって?」
このように冷たい眼差しで突き放すような言い方をされたことはございません。いつの間にかジークベルト殿下は変わってしまっていたのでしょうか。
「そういうことを申しているのではございません。ジークベルト殿下の名声にもかかわることですわ。いつまでも政務を投げ出して聖女様に関わり合っていると——」
ジークベルト殿下は片手をスッと上げてわたくしの言葉を遮りました。
「もういい、君には失望したよ」
ジークベルト殿下は小さい声でそれだけを仰ると一つため息を付き、聖女様たちを追って歩いて行かれました。
わたくしはそれを物悲しい気持ちでお見送りいたしました。
失望した? それはわたくしの言葉です。聖女様のお仕事? それは物見遊山に出かけることですか? 見目麗しい殿方たちを周りに侍らして悦に入ることですか? 聖女様のお仕事とやらが何かはわかりません。少なくとも今まで、聖女様がこの国にいらして半年以上、これが聖女様の功績だ、と示されたものは何一つ無いのです。それでもジークベルト殿下をはじめ、ヴォルデマール様もボニファティウス様もライオネル様も自らのお仕事を放り出して聖女様に侍っておられます。
あの責任感の強いジークベルト殿下はどこに行ってしまったのでしょう。共に弱音を吐きながらも厳しい教育に耐え、国を統べるに相応しい人物になろうと切磋琢磨したジークベルト殿下は。初めて公務を任され希望に燃えていたジークベルト殿下は。「ローザリンデ、君が協力してくれたおかげだよ。これからも私を支えてくれると嬉しいな」とはにかみながら仰っていたジークベルト殿下はもうどこにもいないのではないでしょうか。
確かにジークベルト殿下に失望した気持ちはございます。けれど、それで今までの気持ちがすべてなくなるわけではないのです。この胸はまだジークベルト殿下を信じたがっておりますし、この瞳は彼の笑顔を写したがっています。この耳は少し照れを含んだ甘い声で「ローザリンデ」と呼ぶ声を欲しています。
政略で結ばれたわたくしたちの婚約でしたが、わたくしは思った以上にジークベルト殿下をお慕いしていたようです。その気持ちは簡単になくなるものではありません。
廊下にステファニー様もすすり泣きが響いておりました。わたくしはお慰めすることも出来ず、ジークベルト殿下の後ろ姿を見送っておりました。
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