侯爵令嬢ローザリンデ・ヴェッセリーの事情 2
お茶会から一か月、相変わらずジークベルト殿下にはお会いできないままでしたけれど、色々な噂がわたくしの耳に入ってまいりました。
———聖女様は肩までの漆黒の髪を持つとても愛らしい少女である。
———聖女様は下々の者にも分け隔てなく接して下さる優しいお方だ。
———聖女様の笑い声は周囲を明るく照らしてくださる。
———聖女様の殿方との距離が近く、周囲を常に見目麗しい殿方が固めている。
———聖女様は我儘で淑女の嗜みに欠けている。
———聖女様は自由奔放で、礼儀をご存じない。
いい噂と悪い噂が混在しておりますが、前半の噂は王宮の下級使用人や騎士団の方々、後半の噂は王宮の侍女や貴族の御令嬢達から流れているようです。
見目麗しい殿方、というのはジークベルト殿下だけでなく、宰相のご子息でジークベルト殿下の側近をなされているヴォルデマール・アイヒンガー侯爵令息、ジークベルト殿下のお従兄妹の魔導士団長ご子息、ボニファティウス・ヒンデバルト公爵令息、侯爵家嫡男でありながら学者として名高いライオネル・デリングポール侯爵令息を指しているのでしょう。御三方共に大変見目麗しく、ジークベルト殿下を支えて将来この国を担っていく俊才でいらっしゃいます。
そのお三方とジークベルト殿下が聖女様と行動を共にしていらっしゃるのは存じております。彼らの婚約者の方々からご相談があったので。
聖女様のお仕事(相変わらず具体的な事は明かせないらしいのでこの国を守る重要なお仕事としか聞かされておりませんが)のお手伝いをそのお三方がされるというのは聖女様から強い要望があったかららしいのです。お三方は嬉々として聖女様のお傍に侍り、そのおかげで婚約者の方々はお会いすることも出来ず、ほったらかしになってしまっているようです。まだ十七歳のボニファティウス様はともかくニ十歳のヴォルデマール様や、二十三歳のライオネル様は結婚の準備に動き出す時期だったそうなのですが、全て宙ぶらりんで止まってしまったままだとお聞きしました。
かく言うわたくしも王太子妃教育をひと通り終える時期に来ております。これ以上は王家の内部に関わる教育になってくるので婚姻予定が具体的に決まらないと進めることが出来ないと王妃様から承りました。つまりこれ以上の教育を受けたらもう引き返せないという事です。
もとより覚悟はできております。いずれ国王になられるジークベルト殿下の隣りで共にこの国を支える為に学んできたのですから。
王妃様は仰いました。
「今後の事はジークベルトとよく相談して決めてちょうだいね。今はいろいろな事で慌ただしいけれどジークベルトを支えてあげて。事が落ち着いたらあなたたちの将来についても考える余裕が出来るでしょう」
聖女様ご一行はほとんど王都にいないようでした。
王国北西部の町、リースで彼らを見かけたという噂もあります。リースは山間の風光明媚な町で温泉で有名な保養地でもあります。
そんなところに聖女様ご一行が何の用事があるのかと信じられない思いでしたが、元々目立つ容姿の煌びやかな皆様です。彼らの姿はさぞ人目を引いたことでございましょう。
王妃様のお話から一か月後、花の頃を過ぎ爽やかな風が緑を揺らす季節、 久しぶり、本当に久しぶりのジークベルト殿下とのお茶会にいそいそと出かけたわたくしですが、わたくしたちの将来のお話もリースの町の噂も切り出す前に、遅れてやってきたジークベルト殿下のお言葉に口を塞がれてしまいました。
「ジークベルト殿下、今日はお会いできてとても嬉しゅうございますわ。わたくし殿下にご相談したい事がいろいろあって———」
「それは時間がかかること? できるなら後にして欲しいんだ」
「あの……わたくしたちの婚姻の事や———」
「婚姻か……今は考えられない。もう少し落ち着いたらにしよう」
「あ……その他にも……」
「それは私が進めていた街道事業の事? ローザリンデに負担をかけるが母上と相談して進めてくれないか。ローザリンデすまない、今は出来るだけ聖女様のお役に立ちたいんだ。君ならわかってくれるよね」
「……はい、わたくしはジークベルト殿下を信頼しておりますわ」
「良かった。では私はもう行くから。君はゆっくりお茶を楽しんで」
慌ただしく去って行くジークベルト殿下はどこか浮かれているように見えました。
いえ、それはわたくしの気のせいかもしれません。でもジークベルト殿下の瞳はわたくしでない他の方に向けられているように感じたのです。
信頼していると申し上げながら、この時初めてわたくしのジークベルト殿下に対する信頼が揺らいだような気がいたしました。
そして太陽がまぶしく照り付ける夏のある日、聖女様ご一行が王宮に帰って来ていらっしゃる、と聞いてわたくしは急ぎ王宮に出かけました。
ジークベルト殿下からお誘いがあったわけではありません。ジークベルト殿下とのお茶会はあれ以来中止になっておりますし、ジークベルト殿下が戻られたらお会いしたい、という伝言には「忙しいので遠慮して欲しい」とそっけない返事が返ってきただけでした。
聖女様御一行が何をされているのかは分かりませんがリースの町のもう少し北にあるトランデルの湖の畔を散策している皆様を見かけた方がいらっしゃるそうです。皆さま避暑に出かけられる季節ですから湖に出かけられた方もいらっしゃるのでしょう。
最近耳に入る噂話はジークベルト殿下の品格を下げる類のものが多いような気がいたします。
———ジークベルト殿下やその周りの方々は聖女様の虜になっている
———聖女様のご機嫌を取ることに必死だ
「ローザリンデ様、ジークベルト殿下は聖女様のお仕事を手伝っていらっしゃるとお聞きしておりましたけれど、温泉地や湖に出かけて何をなさっているのでしょう。実際はただの観光———」
「ジークベルト殿下は真摯にお役目に取り組まれるお方ですわ。わたくしたちにはわからない重要なお役目があるのです。迂闊にそのような事を仰ってはいけませんわ」
お茶会でわたくしに話しかけたご令嬢は直ぐに「申し訳ございません」と謝ってくださいました。ですが聖女様とジークベルト殿下や、ヴォルデマール様、ボニファティウス様、ライオネル様の関係を懐疑的な目で見ている方たちが一定数いる、というのもまた事実です。
本当の本音を申しますとわたくしの心の片隅にも———
ですからどうしてもお会いしてジークベルト殿下とお話する機会が欲しかったのです。それに出来れば聖女様にお会いしたいという気持ちもありました。
ヴォルデマール様やライオネル様の任を解いてもらえないか聖女様にお願いするためです。彼らの参加は聖女様の要望で急に決まったものだと聞き及んでおります。であれば、彼らがいなくとも聖女様のお仕事に支障は無いのではないでしょうか。または、解任は無理でも。せめてお二人の婚約者の方々と交流を持つ時間を取って差し上げて欲しい、それがお二人の婚約者である、マクシーネ様とエリーゼ様にお願いされた内容でした。
王宮の奥宮へ向かう回廊を歩んでおりますと、突如場違いな笑い声が聞こえてまいりました。
「あはは! それでボニーはどうしたの?」
「中庭の池に落っこちて風邪を引いたんですよ」
「……何で知っているんだよヴォル」
「見ていたからですよ、ジークと」
「ふふっ、私も見たかったなあ」
淑女らしからぬ大きな笑い声、場に即わぬ大きな話し声にわたくしは眉をわずかに顰めます。
がやがやと回廊を歩いてきた一行は角を曲がりわたくしの姿を見つけるとピタリと足を止めました。
「……ローザリンデ、今日は王宮に来る日ではなかったと思うが?」
ジークベルト殿下のお言葉ですが、わたくしはまず丁寧にご挨拶をして答えました。
「ジークベルト殿下、皆様方、ご機嫌麗しゅう存じます。ご歓談のお邪魔をして申し訳ございません。ジークベルト殿下にご相談したい事がございましてご無礼とは思いましたが少々お時間を頂きたいと参りましたの」
「忙しいんだ、またにしてくれないか」
「またとはいつのことでございましょう、ジークベルト殿下にお会いできる機会は滅多にございませんので」
瞬間、ジークベルト殿下の瞳が冷たく光ったような気がいたしました。
「ジーク、私たち、先に行ってるよ、えーと、ローザリンデさんとお話したら?」
そう言った聖女様にわたくしはゆっくりと視線を向けました。
聖女様は小柄な愛らしい少女のような御方でした。漆黒の髪は平民に見られるような肩口までの長さで、緩いウエーヴを描き、肩先で踊っています。黒いクリッとした大きな瞳はその奥に意志の強さが感じられました。
服装は少年のような......と言ってはおかしいかもしれませんがズボンに白いシャツ、ベストと言った格好で、以前聞いたような、膝上まで素足を見せるような服装ではないことにホッといたしましたが、それでも淑女がするような服装ではないことにまた少し眉が寄ってしまったかもしれません。
「お初にお目にかかります、聖女様。ジークベルト殿下の婚約者のローザリンデ・ヴェッセリーと申しますわ」
「ああ、ジークの。初めまして鷹峰凛香です」
聖女様はぺこりと頭を下げました。
ジークの......聖女様は二度も愛称で呼ばれました。わたくしは頬が強張るのを何とかこらえて優しく見える笑みを浮かべました。
「あの……聖女様、婚約者でない殿方を愛称で呼ぶことは淑女としてはしたのうございますわ。聖女様はこの国にきてまだ日も浅いですし、礼儀作法にもお詳しくないようでいらっしゃいますわね。もしよろしければわたくしがマナーをお教えして———」
「余計なお世話」
今ボソッと仰ったのはボニファティウス様かしら。ピキッと固まった私に向かって聖女様が仰いました。
「うん、私、淑女じゃないからさ、マナーを習う気も直す気も無いんだ、ごめんね! じゃあ先に行ってるから!」
「あ、お待ちになってください」
去って行こうとする聖女様を必死に引き止めます。
「何? まだ用があるの?」
ヴォルデマール様とライオネル様の件を伝えると聖女様は呆れた顔をしてお二人を振り返りました。
「だそうだけど? ヴォル、ライ、どうする?」
「……まず、私たちがリンカ、聖女様のお供をしているのは私たちが望んでいるからです、ローザリンデ嬢、決して彼女が強制しているからではない。そして、途中で止めるつもりもありません」
苦虫を噛み潰したような顔でヴォルデマール様が仰いますが、簡単には引けません。
「マクシーネ様も不安なのですわ。どうか安心させてあげてくださいませんか?ヴォルデマール様」
「彼女にもエンゲル伯爵家にも婚姻準備はしばらく先送りにすると伝えた筈ですが」
低い声で話すヴォルデマール様の横でライオネル様ののんびりした声が聞こえました。
「僕はさ、最初から婚約なんて面倒だったんだよ。僕の邪魔をするんならエリーザとの婚約は止めにしようかなぁ」
ライオネル様は学者肌でご自分の研究以外は興味が薄く、エリーザ様との婚姻も延び延びになっていたのは承知しております。でもそれはあんまりなお言葉。
「ライオネル様、どうか———」
「ねえ、早く行こうよ! 父上やライヒシュタイン団長がしびれを切らしてるよ!」
わたくしの言葉はボニファティウス様の苛立った声にかき消され、彼等はバタバタと去って行ってしまいました。
去り際に彼らの後ろに控えていた赤毛の騎士がわたくしを見て少し、ほんの少し頭を下げたように見えました。
静かに彼らの後ろに立っていた騎士は……そう、確かテオドール・ツァイス子爵。二十五歳という若さながら実力で騎士団の副団長になったお方で、昇進に伴い男爵位を経て子爵位まで賜ったお方と聞いております。
彼のわたくしを見る瞳が......哀れみとも憤りとも少し違う複雑な瞳が印象に残りました。
「ローザリンデ、さあ、私たちも話を済ませてしまおう」
ジークベルト殿下は一つため息をつくとわたくしを誘いました。まるで面倒な事は手早く済ませたいというように。
「婚姻準備はしばらく中止だ。王太子妃教育も中断していてくれないか」
「……はい、承知いたしました」
回廊近くのガゼボへわたくしを誘うとジークベルト殿下は直ぐにそう切り出しました。わたくしは従順に頷くしかできませんでした。それでもまだ言いたい事がございます。
「ジークベルト殿下、聖女様は……あの……ジークベルト殿下の事を......」
「ああ、ジークと呼んでいること? 私が許しているんだ、ヴォル達もね。だから何の問題もないよ」
ジークベルト殿下は以前はヴォルデマール様をヴォルと呼んだりなさいませんでした。ボニファティウス様もライオネル様も、です。聖女様を含め彼らは短期間にとても親密になったように感じました。そしてその分ジークベルト殿下とわたくしの距離が遠のいたようです。
「それから、リン......聖女様の言動に不敬は存在しない。彼女のどんな発言も行動も不敬にはならないから覚えておいてくれ」
それは先ほどのような、まるで平民のお友達同士のような言葉で聖女様がジークベルト殿下とお話していても全て許されるという事。
......ジークベルト殿下はどうなさってしまったのでしょう? 元々柔和で人当たりの良い方でしたけれど、常に王族としての品格をもって振舞われる方でしたのに。
「いいかい、何度も言うように聖女様は別の世界から来られたとても尊いお方だ。私はその聖女様のお手伝いが出来ることを誇りに思っている。その事は私の婚約者であるローザリンデならわかってくれるね」
ええ、わたくしはジークベルト殿下の婚約者ですわ、だから全てを飲み込めとジークベルト殿下は仰るのでしょうか。
「聖女様はどのようなお仕事をしているのでしょう?」
わたくしは思いきって聞いてみました。今まで何度も有耶無耶にごまかされてきたのです。
「北東部にあるリースやトランデルにいらっしゃったとお聞きしましたわ。凡才のわたくしには聖女様やジークベルト殿下がその町にどんなご用事があるのか想像できないのです」
ジークベルト殿下はしばらく黙ったままわたくしを見つめていましたが、ポツリと問いかけました。
「……リースやトランデルの近くには他に何がある?」
ジークベルト殿下の問いにわたくしは必死に考えます。
「温泉や湖、少し離れたところに鉱山がございました。……後は葡萄や梨など果樹が有名ですわ。それから……ああ、ダンジョンが出来たと聞きましたわ」
「そのダンジョンに行ったのだよ」
ジークベルト殿下のお言葉をわたくしは直ぐに否定いたしました。
「ジークベルト殿下、お戯れが過ぎますわ!」
この大陸に存在するダンジョンというのは魔獣が跋扈する地下洞窟の事です。この国にも十カ所ほど点在しております。このダンジョンは魔界と近いと言い伝えられている場所でもあります。
太古の昔、イシュリエ神様が魔獣が住む世界、魔界とわたくしたち人間が住む世界を強力な結界で遮ってくださった。しかしその結界が薄いところは魔獣の世界の空気、瘴気が漏れ出して魔獣が発生するのだそうです。伝説なので真偽はわかりません。
ただダンジョンには地上で取れない貴重な薬草が生えていたり、魔獣の素材は高値で取引される貴重な物が多いので、冒険者という荒々しい方々がダンジョンに入って収集しているのです。
そのダンジョンが新たに発見されたのは非常に珍しい出来事だったのでわたくしも知っております。ただし、発見されたのは二年以上も前で、既に騎士団が調査に入り、学者が研究をしていると聞いておりましたが、現在は一般に開放され冒険者たちの素材集めの場になっているようです。今更聖女様やジークベルト殿下がいらっしゃる場所とは思えません。あの小柄な愛らしい聖女様が魔獣などという恐ろしいものに出会ったら泣き叫んで逃げ出してしまうでしょう。
「ローザリンデは魔獣を見たことがあるか?」
「いいえ......とんでもありません、想像するのも恐ろしいですわ。そのような恐ろしい存在に出会ったらきっと意識を失ってしまいますわ」
真っ青になって震えるとふいにジークベルト殿下が笑い出しました。
「ははは......ローザリンデは怖がりなんだな、嘘だよ、ダンジョンなど冒険者に任せておけばいい」
「まあ! お揶揄いになられましたの?」
「ふふ……もしそのような恐ろしい魔獣が現れても私が守るよ」
そのお言葉にわたくしは耳まで真っ赤になってしまいました。
それと同時に安心したのも事実です。ジークベルト殿下はわたくしを守ると仰ってくださったのですから。
「では、私は失礼するよ。彼らを待たせているからね。ああ、それからヴォル達の婚約者もローザリンデが説得して欲しいんだ。ローザリンデがリンカを素晴らしい聖女だと讃えれば彼女たちも納得するだろう。ローザリンデ、もうしばらく寂しい思いをさせてしまうし、負担もかけるがよろしく頼む」
慌ただしくジークベルト殿下は去って行ってしまいました。
結局聖女様のお仕事について聞けなかったのに気づいたのは頬のほてりが治まった後でした。




