王太子ジークベルト・スヴァン・ハイムゼートの事情 5
トランデルの町で一泊泊まることになった。
今回のダンジョンは四十二階層、入ったのは最初のダンジョンと同じ真夜中だが、今はそれからまる一日半以上経っている。食事のほか途中で交代で二時間ほど仮眠をとったが全員疲労困憊だった。
それにエディの死が皆の心に暗い影を落としている。
宿で軽食と仮眠をとった後、渋るリンカを強引に散歩に連れ出した。
夕暮れの木立を二人で歩く。湖の畔に出ると太陽が沈むところだった。
湖面をオレンジの光が照らす。沈む夕日までオレンジの道が出来ているようだ。
「綺麗......」
リンカが俯いていた顔を上げた。
泣きはらした瞳にもオレンジの光が踊っていた。
「エディはあの道を通って神様のところへ行けるのかな?」
リンカの言う神様がリンカの元の世界の神様なのかイシュリエ神様を指すのかわからなかったが、エディが安らかに眠れればいいと思う。
エディは男爵家の次男だった。以前だったら言葉を交わすことも無かった下位貴族の男だ。
私たちはもうチームだった。
皆で何度も試練を乗り越えてきた仲間だった。
「エディの事はご家族になんて伝えるの?」
「……......訓練中の事故、と伝えられるだろう」
私の言葉にリンカは唇を噛んだ。
「ツァイス隊長以下十名の騎士ははるか南方の国境沿いで演習を行っていることになっている。だから演習中の不慮の事故と——」
リンカは何も言わない。リンカもわかっている。厄災の事は絶対の秘密だ。だからエディが国を救う崇高な戦いで命を落としたなどという事は出来ない。
命がけで国を守るために戦った彼の働きを皆の前でだけでなく肉親の前でさえ語ることが出来ない。
いや、本当に?
私は不意にそう思った。
もちろん今厄災の事を話せば国中がパニックになる。その混乱は私たちの活動の支障にもなる。けれど全てが終わった後でなら真実を話しても良いのではないか、そんな考えが私の中に生まれた。
残るダンジョンはあと一つ。
そのダンジョンは今回より階層が深いかもしれない。もしまた誰かが命を落とすようなことがあったら?
そもそも今まで誰も命を落とさなかったのが不思議なくらいの熾烈な戦いだったのだ。今更ながらにツァイス隊長の凄さを実感する。騎士や魔導士も最高水準のつわものたちばかりだが、ツァイス隊長の統率力、臨機応変な指揮能力が無ければ乗り越えられなかっただろう。
それでも......次のダンジョンで誰かが命を落とすかもしれない。それは私かもしれないし、ヴォルかもしれない。
王宮に帰り父上に報告をした。
部屋に戻ろうとすると引き止められる。
「実は少々困った噂が立っておってな」
私たちとリンカの噂は以前にもチラッと聞いていた。この頃は私たちがリンカに骨抜きにされ、行楽地で遊び歩いていると言われているらしい。
「その噂はどのくらい広まっているのですか?」
「主には貴族令嬢や、夫人の間だ。平民には広がっておらぬし当主たちは様子見というところだ」
「それでは放っておけばよろしいのでは? 遊んでいると思わせておけば厄災に気が付く者もいないでしょう」
「それはそうだが……聖女殿の評判は特に悪い。そしてそなたたちの評判も下がりつつある。それは将来そなたがこの国を治める時の支障になろう。かといって適当に聖女殿の業績を捏造する訳にもいかぬ」
それは悪手だ。捏造すればバレた時にそれ以上の不信感を生む。それにそんな捏造に付き合っている暇もない。
「父上、私はかねてより何度もローザリンデに聖女様の仕事の重要性やそれをサポートすることの大切さを説いております。具体的な事は話してはおりませんが、ローザリンデと私にはゆるぎない信頼関係が築かれていると思っております。噂の主要が貴族令嬢や夫人であるならローザリンデが上手く収めてくれるものと考えます」
「ふうむ……ならば暫し様子をみるとしよう」
「もう一度ローザリンデに頼んでおきますが、彼女に厄災の事を話してはいかがでしょう」
「若い女性に耐えられるのか? 王妃はあの会合の後、しばらく夜も眠れず食が細くなってしまって一か月療養したのを覚えておるだろう」
もちろん覚えている。すっかりやつれた母上を見るのは辛かった。
「わかりました、ローザリンデの様子を見て打ち明けられそうなら打ち明けます」
「くれぐれも慎重にな。魔術誓約を結ぶとはいえ打ち明けたら彼女は両親にも秘密にせねばならぬ」
「はい、慎重にいたします」
「ではヘンリックのところに行って一時的に魔術誓約を解いてもらうがいい」
それから数日間は忙しかった。
エディの抜けた穴をどうするかという話し合いが難航していたのだ。
今でもギリギリの人数だ。一人、いや、三人は増員が欲しい。魔導士も増やせるなら増やして欲しい。
ただし今の騎士や魔導士と同等の実力が必要だ。それにチームワークや連携にすぐ慣れることのできる順応力、新しく加わった者にとっては初めて見る魔獣にひるまない心。
そして何より重要なのがこの任務を決して外部に漏らさぬ鋼の意志。
もちろん魔術誓約をするので具体的な内容を漏らすことはできないが、匂わせても感づかれてもいけない。ツァイス隊長の部隊は遠く離れた地で演習を行っていることになっているのだ。肉親や妻などに悲壮な顔で行ってくると告げる訳にはいかない。だから最初の人選は圧倒的に独身者が多かった。
その日も打ち合わせで会議室に向かおうと皆で移動していた。
ヒンデバルト魔導士団長やライヒシュタイン騎士団長が人選を行っているが、私たちの意見も参考にしたいと呼ばれていたのだ。もちろん一番重要なのは今もリンカの護衛をしているツァイス隊長の意見だろう。
無言になりがちな重い空気を断ち切るようにリンカが陽気な声を上げた。
「ねえ、ボニーはちいさい頃からそんなに魔術が得意だったの?」
「そりゃあそうだよ、僕は天才だからねー」
「騙されちゃいけませんよリンカ、私はボニーの失敗談を沢山知っていますから。たとえば風の魔術で空を飛ぼうとした事件」
「何それ! 聞きたい―!」
ヴォルの言葉に大袈裟に反応するリンカが痛々しく見える。
だけど私はそれに気づかないふりをして話に加わった。
上辺だけでも楽しそうに談笑しながら廊下を曲がってギョッとした。
ローザリンデが立っていた。
一瞬ローザリンデの瞳が冷たそうに光ったが、すぐに彼女は柔和な笑みを浮かべて私たちに挨拶した。
ローザリンデは私に話があるという、正直後にして欲しかったが、ローザリンデは引き下がらなかった。
「ジーク、私たち、先に行ってるよ、えーと、ローザリンデさんとお話したら?」
リンカがそう言ってくれて私は思い出した。そう言えばローザリンデに噂の事を頼んでおかなければ。
ローザリンデを誘って場所を移そうとするとローザリンデはリンカを呼び止めた。
呼び方? ああそうか、リンカが私の事をジークと呼ぶのが気に入らないのか。でもそれは必要な事、ダンジョンの件が片付いたらローザリンデにもジークと呼んでくれ、と言ってみようか。
ローザリンデはヴォルやライにも婚約者を大切にするようにと言っている。しかし今は本当にそんな余裕は無いのだ。時間的にも気持ち的にも。いや、気持ちの方が大きいのかもしれない。本当は婚約者と数時間顔を合わせるくらいの時間はひねり出せる。だけど、彼女たちの話す社交界の噂やファッション、趣味の話に笑って相槌を打てる心の余裕がなかった。
それにライにその話をするのは悪手だ。ライはそういう面倒ごとを極端に嫌う。
結局しびれを切らしたボニーに強引に話を打ち切られてリンカたちは去って行った。
回廊近くのガゼボへ私はローザリンデを誘った。
ローザリンデに付いていた侍女たちはそこから離れるように言ったが念のために防音の魔術をかけた。厄災の事、私たちが本当は何をしているかを話すかもしれないからだ。
まずは婚姻準備はまだ当分保留にして欲しい事を伝え、それからリンカは素晴らしい聖女だ、私は彼女を手伝えることを誇りに思っていると伝えた。
ローザリンデは頷いてくれたから信用していいだろう。
ただ、ローザリンデは聖女様はどんな仕事をしているのかと聞いてきた。疑問に思うのも無理はない。今までずっと曖昧にしてきたのだ。
本当の事を打ち明けようか、と私はローザリンデをじっと見つめた。
まずは軽く鎌を掛け軽い調子でダンジョンに行ったと打ち明ける。
しかし返ってきたのは強い拒否だった。貴族の令嬢にとってダンジョンは恐ろしく、そして汚らわしい場所だった。私がそんなダンジョンに足を踏み入れるのでさえローザリンデは許容できないというように眉を顰めた。
魔獣を見たことがあるか、との問いかけには想像するのも恐ろしい、気絶してしまうとの答えだ。
この時点で私はローザリンデに真相を告げるのをあきらめた。彼女はこの重い真実を背負えない。
後は今の話は冗談だと誤魔化してその場を離れた。
私はローザリンデにほんの少し失望した。ほんの少しだ。貴族の令嬢とリンカでは育ってきた環境がきっと天と地ほども違うに違いない。リンカと比べてはいけない、危険な戦いの最中で泣き叫びもせず凛と立つリンカと比べては——
それでも私はこの時はローザリンデを信じていた。私とローザリンデの絆を信じていた。だからローザリンデも私の言葉を信じてくれるだろうと思っていた。
会合の後、部屋に戻る廊下を歩きながらヴォルに訊ねられた。
「ジークはローザリンデ嬢と結婚するんですか?」
「当たり前だろう」
「あなたはその……迷ったことは無いんですか?」
ヴォルの言いたい事はわかる。リンカに魅かれている。それはヴォルにはごまかせない。そしてヴォルも。
でも私はリンカを妃にと望んだことは一度もない。強がりではない。
「この厄災を無事に防ぐことが出来たら……無事に五体満足でその日を迎えられたら......私の横に立つのはおそらくローザリンデだろう」
「……そうですね」
「——リンカでは共に国を背負って立つことはできない。彼女にそのような重責を背負わせることもできない」
ヴォルは何も言わなかった。ため息をついて遠くを眺めただけだ。
ヴォルも同じなのだ。そしてボニーやライも。自由そうにふるまっていても本当の自由はない。彼らも高位貴族だから。いずれは家も領民も背負う立場だから。
「まあ、私たちがどう思おうとあがこうとリンカが見ているのはただ一人ですけどね」
やはりヴォルも気づいていたか、と私は苦笑を浮かべた。
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次話は14:30に投稿します。




