王太子ジークベルト・スヴァン・ハイムゼートの事情 4
「ジークベルト殿下、この近くにリースの町があります。そこで暫し休息をとりましょう」
「何を言うツァイス隊長、私はまだ元気だ。一刻も早く帰って父上に報告をせねば」
「……あの状態の聖女様を見てもそう言えますか? おっと!」
テオドール・ツァイス隊長は崩れかける聖女様を抱き止めて私に言った。
「ジークベルト殿下や、アイヒンガー小侯爵も疲れておいでですよ。今は精神が高揚しているから気付かないだけです。無理は後々祟ります。リースの町には温泉がある、あそこの湯はわずかだが治癒成分を含んでいる。怪我をした部下たちにも治療が必要です」
言われるまで聖女様の状態に気が付かなかった。
私の役目は聖女様を御守りすることだ。それなのに私は何を見ていたのだろう。
リースの町に着いて宿に入る。
宿の温泉に浸かって私はやっと自分の身体が限界まで疲れていたことに気が付いた。
私は何も見えてなかった。あのまま王都に急行しても体調を崩していただろう。怪我をした騎士たちは怪我が悪化して離脱を余儀なくされたかもしれない。
テオドール・ツァイス隊長は全てに目を配っていた。
戦闘では全体を見ながら指示を出し、それでいて一番の強敵を屠る戦闘力。聖女様の状態に一早く気づき、私たちの体調まで気に掛ける。
「私はまだまだだな」
湯の中でこっそり呟いた。
少し離れたところで湯につかっていたヴォルデマールが「何か仰いましたか?」と振り返ったが、何でもないと手を振って答えた。
彼もぐったりしているようだが、他の事に気を取られているようでもあった。
湯から上がってヴォルデマールと歩いていると宿の庭のベンチにツァイス隊長が座っている後ろ姿が見えた。
「ツァ——」
声を掛けようとしてその傍らにちんまり座る聖女様に気づいた。
二人は月を見ているように見えた。何かを話しているのか話していないのかはここからはわからない。
拳二つ分ほど間を開けて座っている二人に私は声を掛けられなかった。犯すことのできない空気がそこにあるように感じた。
——ちくりと胸が痛んだ。
温泉に入ってゆっくりベッドで寝た次の日は体力がかなり回復していた。
せっかく温泉町に来たのだから聖女様に町を案内しようとヴォルデマール、ボニファティウスと出かけた。と言っても出立の準備ができるまでの二時間ほどだが。
ん? どうしてライオネルまで居るんだ? さっきまで宿で本を読んでいなかったか?
「リンカ、この町の名物を教えてあげるよー」
ボニファティウスが聖女様の手を取る。
いきなりの〝リンカ〟呼びに聖女様も戸惑っているようだが、私も戸惑っている。
「緑......じゃなかったヒンデン公爵、どういう風の吹き回し?」
「残念! ヒンデンじゃなくてヒンデバルト、それに公爵は父上だよ」
「んん——、ごめん」
「しょうがない、リンカは特別に僕の事ボニーって呼んでいいよ」
聖女様はしばらく考えた末にボニファティウスに手を差し出した。
「わかった、改めてよろしく、ボニー」
私は羨ましい気持ちでそれを眺めていた。自由な気質のボニファティウスだから出来ることなのだろうと。それなのに……
歩きながら素朴なカフェが目に入ったので暫し休憩する。
この地方名産の葡萄のジュースを聖女様は気に入ったようだ、目を細めて味わっている。
「リンカ」
不意に私の隣りに座っていたヴォルデマールが声を上げた。え?〝リンカ〟?
「私の事もヴォルと呼んでくれないか?」
聖女様は首をかしげている。
「その……青頭は勘弁してもらいたい。それに私も学習した、あの戦闘の最中にアイヒンガー小侯爵などと悠長に呼んでいられないことは」
そうだ、そう言えば騎士たちは皆短い呼称で呼んでいた。
「エディとオルグは右から回れ! キース、頭上に注意! バリー、俺と共に正面突破だ!」
ツァイス隊長の指示は的確でキビキビとしていた。
「ヴォルデマールのいう事は一理あるな、どうだろう、ここに居る者はお互い短い呼称で呼び合わないか?」
「「「呼称?」」」
「そうだ、私の事はジークと呼んでくれ、リンカ」
せっかく私が提案したのに皆微妙な顔をしている。
「僕もジークって呼んでいいのー?」
「そうだ、ボニー。従兄妹だしな」
そう言えば自由な物言いのボニファティウスも私の事はきちんとジークベルト殿下と呼んでいた。ジーク、ボニーと呼び合うことで距離が近くなったような気がした。
「王子様は王子様でも良かったんだけどな、まあいいや、じゃあよろしくジーク」
リンカが手を差し出してくれた。
だけどその手を私が掴む前にライオネルが握った。
......いたのか。静かすぎて存在を忘れていた。
「僕はライで」
「いや、ライオネルはそんなに長い名前じゃないし」
「ライで」
「ん、わかった」
リンカは握られた手をぶんぶんと振った。
無表情なライオネルなのに嬉しそうに見えるのはなぜだろう。そう言えばライオネルは興味を持ったことには恐ろしく雄弁だし意欲的だった。父上を説得してベンマルク王国まで行き、この度の厄災を調べ上げてきたのだ。ライオネルはリンカに興味があるのかもしれない。聖女様としてなのかリンカ自身になのかはわからないけれど。
帰り道、ヴォルデマールに問いかけられた。いや、ヴォルだったな。
「私もジークと呼んでよろしいのですか?」
「ん? ああ、もちろんだ。ヴォルは私の一番の側近、一番長い付き合いになるだろう。ジーク、ヴォルと呼び合った方が遠慮なくものを言い合える気がしないか?」
「そうですね、それでは遠慮なく呼ばせていただきます、ジーク」
もちろん公の場では別だが、そんなことは一々確かめなくてもヴォルもわかっている。
「それにしても意外だったな、ヴォルがリンカにあんなことを言いだすなんて」
礼儀作法に煩い男だ。リンカの礼儀を無視した言動にはしばしば眉を顰めていたし、行きの馬車ではわざわざアイヒンガー小侯爵と呼べと釘を刺していたのに。
「……ただの一度も泣かなかったのですよ」
ぽそりとヴォルが呟いた。
「あのような無礼で我儘な娘、ダンジョンに入ったらすぐに泣きわめいて帰りたいと言うと思っていたのです。引きずってでも連れていくのが厄介だと思っていました。……だけどリンカは泣かなかった。弱音もただの一度も吐かなかった」
——そうだ、彼女は常に前を向き、目を見開いて立っていた。
私でさえ最初は恐ろしかった。幼い頃ダンジョンで魔獣退治をするのに憧れていた。その私でさえ実際に魔獣を見たら足がすくんだし、身体が強張った。
「リンカは自分にも出来ることを探していたな、細かい胞子のようなものが魔導士たちの頭上に降ってきた時一生懸命叩き落していた。自分より大きい魔導士の頭や肩に張り付いた胞子を背伸びしながら払い落としていた。ボニーが言っていたが、普通の貴族、特にご令嬢は魔導士の事を不気味がるそうだ。困ったときは魔導士の力を借りたいと言って来るくせに彼らに触れたりするのは極端に怯える、と。流石にボニーや高位貴族の魔導士はそんな扱いを受けたことは無いらしいが」
「そうですね、魔導士は畏怖される存在でもありますから。その点リンカはお構いなしに彼らに触れて『大丈夫?』と顔を覗き込まれた魔導士がのけ反っていましたよ。その後でボニーが風の魔術で胞子を全て吹き飛ばすと『そんな便利なことできるなら早くやってよー』と文句を言っていましたね」
含み笑いをしながらヴォルも同意する。
「休憩の度に『飴ちゃん食べるー? 甘いもの食べると疲れが取れるよ』と騎士や魔導士の間を飛び回っていたな」
「ええ......不思議な少女です」
不思議な少女だ。あの会合の時は全身とげとげの鎧を纏っているようだった。行きの馬車でも棘は纏っていて私たちを威嚇していた。
ヴォルは何かに思いを馳せるように空を見上げた。だから私もつられて空を見上げた。
前を歩くリンカとボニーの笑い声が耳に心地よかった。
王宮に戻って父上に報告を済ませ、数日後にまた私たちは慌ただしく出発した。怪我をした騎士たちも重傷者はおらず、数日の療養で皆張り切っていた。
次のダンジョンは最初のよりもう少し北部にある。馬車で半日ほどのところだ。
少し慣れたせいだろう、最初のダンジョンより短時間で最下層に達することが出来た。最下層は二十九層。五つのダンジョンは三十階層くらいの規模なのかもしれない。
不謹慎ながら笑ってしまったのは魔導士団だ。
「犬と猫は左からフレイムバレットを浴びせてー! 馬はウインドウオール! リンカたちを守ってね。 河馬!騎士団援護!」
ダンジョン内にボニーの指揮する声が響いたときは全員妙な顔をした。吹き出す余裕は無かったが。
「だってさー、騎士団みたいに短い呼称の方が指示を出しやすいでしょ、だから訓練したんだよ―」
だからって何故全員に動物の名前を付けたのかは......謎だ。
二つ目のダンジョンで結界強化を済ませ、王宮に帰ってきた私は母上から「偶にはローザリンデをねぎらってあげなさい」と言われ、ローザリンデをお茶に招待した。
リンカがこの世界に来た時はまだ冬の寒さ厳しい季節だった。召喚に使われたホールは底冷えがしたのを覚えている。今は既に春の終わり、庭園に面した回廊を吹き抜ける爽やかな風が木々を揺らす。
思わず立ち止まった私に声を掛けたのはボニーだ。
「ジーク、どこ行くのー?」
「ローザリンデとお茶会だ」
「ああ、ジークの婚約者か―」
興味なさそうにボニーが呟く。ボニーにも確か婚約者がいた筈だ。
「面倒だよねー、令嬢のご機嫌取りなんてさ」
「ご機嫌取り? 私を支えてくれる婚約者をねぎらうのは当たり前の事だろう」
そう言いながらも私も気持ちの端っこで面倒だと思ってしまった。——顔には出さないが。
「ジーク、まだこんなところにいたのか」
やって来たのはヴォルとライだ。
「ねえ、ヴォルとライも婚約者と交流してるの? 面倒じゃない?」
「婚約者に礼儀を尽くすのは貴族として当たり前ですよ」
ボニーの質問にヴォルが淡々と答える。
「ふーん、ヴォルはマメなんだね」
「私は季節の折や彼女の誕生日などにきちんと花や贈り物を選んで贈るように従者に言いつけておりますから」
——それもどうかと思うぞヴォル。私は心の中でヴォルに突っ込んでしまった。
「会ったりはしないのか?」
私の質問にヴォルは不承不承頷いた。
「以前は月に一度お茶会がありましたが、今は非常時ですから。婚姻の話も上がっていたのですが、父から待ってもらうように申し入れています」
「ライはー?」
「時間の無駄」
ヴォルよりライの方がもっと素っ気なかった。流石に質問したボニーも呆気に取られている。
「僕は研究の邪魔になるなら婚約者なんて要らない。婚約するときにも僕の研究の邪魔はするなといってある」
私はライの婚約者が少し哀れに思えた。私はローザリンデを大切にしなければ。
ちくりと痛んだ胸は気のせいだ。何か悪いものでも食べたのかもしれない。
「そうそう、今から僕たちリンカのところに行くんだー。次に向かう例の場所の事で話があってさ。リンカの護衛でツァイス隊長もいるから都合がいいでしょー。ジークも行かない?」
「ボニー、ジークはこれから愛しの婚約者に会うんですよ、邪魔はしないでおきましょう」
「ヴォル......別に愛しのって訳じゃない」
「照れなくてもいいですよ。それでは私たちも行きましょう」
三人は去って行った。
そう、ヴォルに言った通り愛しのって訳じゃない。私とローザリンデの婚約は政略だ。高位貴族や王族なんて皆そうだろう。私とローザリンデの間には恋情は無いが信頼はある。そして一緒に王太子教育、王太子妃教育を頑張ってきた絆がある。仲間意識のような親愛はある。ずっとそう思ってきた。
だけどどうしてだろう、立ち話のせいで遅れてしまって急いで駆け付けたローザリンデのお茶会に全く気分が乗らない。
婚姻の話? 街道事業の話? そんなの今することか? と思ってしまう。結界に穴が開いてこの国が厄災に見舞われたらそんなこと言ってられないだろう、と思ってしまう。
わかっている、頭では分かっている。ローザリンデはこの国にそんな危機が訪れているなんて夢にも知らない。ローザリンデは母上が引き継いだ私の公務の手伝いもしてくれている。
だけど私はローザリンデが暢気な話題を出すたびに思ってしまう、君は魔獣の恐ろしさを知らないだろう、私たちが必死に国を守ろうとしていることを知らないだろう、極限の中で歯を食いしばって立つリンカを知らないだろう。
結局早々に私はお茶会の場を引き上げてしまった。今の厄災を回避することが出来たらちゃんとローザリンデと向き合うから。ちゃんと将来私の隣りで支えてくれる人を大事にするから。そう心の中で言い訳しながら私は皆を追ってリンカの部屋に足を早めた。
お読みくださりありがとうございます。
次話は22:20に投稿します。




