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D.iary-2いわゆる『第零旅途』と、僕の拒絶理由

  「拒絶の理由を、教えていただけますか?」


  セシリアの声は水面に落ちる光のように軽かったが、そこに温度はなかった。 人と人の対話ではない。トリガーされたプログラムが「質問」というコマンドを実行しているかのようだ。


  ノアは顔を上げ、透明に近い彼女の視線を見据えた。


  「理由なら教えてあげるよ」彼は深く息を吸った。「でもその前に、いくつか質問に答えてくれ」


  混乱する脳内で絞り出した、最初のアドバンテージだ。


  「貴方の疑問には、全てお答えします」


  セシリアは躊躇いなく答えた。絶対的に誠実なシステムプロトコルを読み上げるように。


  「質問をどうぞ」


  許可を得て、ノアは胸に詰まっていた問いを一気に吐き出した。


  「君は誰だ? どこから来た? 『旅』ってのは何だ?  なんで僕なんだ?  もし僕が断ったら……君は、次に何をするつもりだ?」


  感情の揺らぎがないその瞳を見つめる。 彼女の回答を全面的に信じることはできない。だが、言葉の端々からわずかでも真実をふるい落とせれば、今後の人生を左右する判断材料になるはずだ。


  セシリアは一度内部演算を行ったかのように間を置き、再び口を開いた。


  「私は第十三紀から来ました。『第零旅途ゼロ・ジャーニー』のために構築されたAI、セシリアという識別名を与えられています」


  声は終始平坦で、論理以外の波形を含まない。


  「旅とは、貴方と共に往くことです――生命の始点から、終点へと」


  彼女は自身のデータを参照するかのように言葉を切った。


  「なぜ貴方なのか……貴方が、私のプログラムにマーキングされた原始座標オリジナル・コーディネートだからです。理由は不明ですが、これは既定事実です」


  ノアの心臓が小さく跳ねた。マーキング? 原始座標?


  セシリアは続けた。


  「そして、貴方の拒絶に対する私の後続処理シーケンスは単純です」


  彼女の視線がノアに戻る。感情はないが、限りなく純粋な凝視。


  「――私はここに留まり、待機ウェイトします。  貴方が私と共に発つと決める、その日まで」


  (第零旅途とは一体何だ? 生命の始点から終点へ……タイムトラベルのことか?)


  ノアはセシリアに敵意がないことを察し、わずかに警戒を解いて思考を巡らせた。


  「その『第零旅途』について補足説明を頼めるかな。あと、始点から終点ってのは、時間旅行のことかい?」


  追及を受けたセシリアは、小さく首を振った。その眼差しが、少しだけ和らぐ。


  「是でもあり、非でもあります。ノア」


  彼女は手を上げ、前へと伸びる軌跡を空中に描いた。


  「第零旅途……それは私たちが踏み出さねばならない『感情修復の旅』です」


  静謐な厳粛さを帯びた声。だが、冷たくはない。


  「第十三紀が崩壊するのは、時間が尽きたからではありません。生命の感情が枯渇したからです。  文明、意志、生きる意味……その全てが消費し尽くされました」


  セシリアはそっと自分の胸に手を当てた。そこに鼓動が存在するかを確かめるように。


  「データ検索――Z」 「世界の終焉エンドロールとは、物理的な消滅ではありません。愛、希望、憧憬、勇気――あらゆる感情が消失し、生命が新たな情緒を生成できなくなることです」


  彼女はノアを見た。柔らかく、確固たる眼差しで。


  「第零旅途とは、『終焉の紀元』が訪れる前に、遺失した感情の種子シードを回収すること」


  彼女は手を差し伸べた。何かを提示するように。


  「全ての旅の始まりは、原始のアンカーに由来します。感情の蓄積、爆発、共鳴がこれらのアンカーを点灯させます。  全てのアンカーが灯された時、第十三紀は終焉を回避し、生命は存続することができます」


  彼女は浅く微笑んだ。


  「ですから――『生命の始点から終点へ』とは、過去と未来を遍歴することではありません。  異なる時間点において、感情を孕む場所を探すことなのです」


  彼女は一歩近づき、低く明瞭な声で告げた。


  「貴方が選ばれた理由。それは――貴方が未だ、感情を感じているからです」


  セシリアは静かにノアを見つめる。


  「これが、第零旅途の意義です」


  感情、旅、無数の単語の破片が現実を構築していく。 僕が、感情を感じている? ノアがその言葉を反芻し、答えようとしたその時――部屋のドアがゆっくりと開いた。


  しまった、母さんのことを完全に忘れていた。 突発事態に対処する暇もなく、正義の鉄槌ならぬ母の手が、机の上の宿題へと伸びた。


  「まだ寝てないの? 宿題終わった? 夜中に直立不動で何してんのよ」


  (変だ、母さんにはセシリアが見えていないのか?)


  現状を分析する間もなく、母は白紙のノートを手に取った。 (終わった、一文字も書いてない……) ノアは即時処刑から執行猶予への減刑嘆願を画策し始めた。


  「やるじゃない。今日の分、全部終わってるわよ。早く寝なさいね」


  そう言って、母は満足げに部屋を出て行き、ドアを閉めた。


  「……助かった」


  ノアは再びセシリアを見た。間違いなく、この神業を成し遂げたのは目の前のAI少女だ。 セシリアは怯えるノアを静観し、興味深い現象を観察したかのように小首を傾げた。


  「礼には及びません。ですが、驚く必要もありません」


  彼女の声は変わらず軽い。


  「私は『顕現レイヤー』の自律制御権を持っています。  他者に視認され、聴取され、感知されるかどうか……それは私自身が決定します」


  彼女は指先で空中に線を引いた。見えない境界を描くように。


  「現在、私を感知できる対象オブジェクトは貴方のみに設定されています。  通常、不必要な干渉を避けるため、私は極力人類の感知域に出現しません」


  一秒の停止。補足が入る。


  「技術的に言えば、透明化ではありません。他者に対する私の『存在感知権限』がロックされている状態です」


  一瞬、微弱な柔らかな光が彼女の瞳を過った気がしたが、すぐに平坦な口調にかき消された。


  「これは、世界に対する保護措置です」


  彼女は指を閉じた。インターフェースを閉じるように。


  「ですから、お母様が私に気づくことはありません。先ほどの一瞬で宿題が完了したことにも、違和感を抱きません」


  そして思い出したように顔を上げた。


  「ただ、貴方の心拍数上昇幅が……予測値を大幅に上回っています」


  (心拍上昇?) ノアは自身の感情を再スキャンした。恐怖、懸念、懐疑、拒絶。だがそれらの渦の中に、微小な温かい流れを感じる。


  彼女には……悪意がないようだ。


  少女の言葉に緊張が解け、ノアの中で一つの計画が芽生えた。


  「僕が断った理由を知りたいんだったな? 明日、僕の週末に付き合ってくれよ。傍観者としてでいい。そうすれば、理由が分かるはずだ」


  「貴方の回答を、待機します」


  セシリアの平和的な終了宣言を聞き、ノアの神経はようやく弛緩した。


  「回答か。今の僕にとっては、睡眠の方が重要案件だな」


  (というか、彼女は寝る必要があるのか?) 静かな少女を観察し、心の中で呟く。 すると、まるで心音が漏れたかのように、空虚な声が響いた。


  「貴方が休息する間、私は『日記』――すなわち灰色のペンダントへ戻り、スリープモードへ移行します。無論、スリープ中も貴方の生体反応は常時モニタリングします」 「では、安心して入眠してください。おやすみなさい」


  瞬き一つで、部屋の光源はスマホのゲーム画面だけになった。 夜が時空に一時停止ボタンを押したようだ。ノアはスマホを消してベッドに倒れ込んだ。網戸越しの微風だけが、先ほどの出来事が夢ではないと告げている。胸元のペンダントの感触を肌に感じながら、疲労と睡魔が彼を包み込んだ。


  「てかこれ、どうやって外すんだよ……」


  都市の灯りが滲み、今夜もまた一人、風を枕に眠りに落ちていく。

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