08. 大列車強盗(前)
1655年2月9日、アズーリア帝国陸軍第8鉄道連隊が運行する装甲列車「ロランド・ゾルガー」号は、予定通りにアーテリア大公国西部の補給廠で貨物と警備を担当する第21師団の将兵を積み込み、予定通りに北部へと出発した。
北部に展開中の第21師団第211歩兵大隊に糧秣や兵器の部品等といった消耗品と郵便物を届ける定期便で、機関車と指揮車と対空砲車が1両ずつ、郵便車と砲車が2両ずつ、貨車が4両、最後尾に緩急車で計12両の小編成である。停戦以降は対空砲車や砲車が減らされることが増え、この日も軽快な足取りであった。
惜しむらくは、天候が良くないことだった。砲車の屋根出入口の機関銃手は雪のちらつく空を見上げながら、列車自身の速度による空気抵抗と吹きすさぶ平原の風に晒されて舌打ちをした。
アーテリア北部には未だにアーテリア解放軍の残党や野盗化した元連邦兵が潜伏しており、地元の犯罪組織も戦争中に軍が放棄した装備等を入手して重武装化していた。武装強盗や恐喝といった犯罪行為に加えて、鉄道への破壊工作等といった恐怖主義犯罪も度々確認されており、こうした装甲列車での軍需輸送は沿線の警備も兼ねている。
「ロランド・ゾルガーってのはアーテル川に架かる橋の設計者なんだそうだ」
「へぇ」
アーテリア北部3地方とそれ以外の地域の間には、アーテル川という大河が北から東に向かって流れている。
その大河に何本か架かっている鉄道橋の内、最も東にある鉄橋は戦争中には双方から度々攻撃された。しかしゾルガー技師が犯した構造計算の過誤によってあまりに頑丈に作られていた為、結局落ちずに残って停戦を迎え、現在も補修されて鉄道橋として使用されている。
「あの橋1トン爆弾に耐えたんだってよ」
「バカ言え、ンなわけあるか」
「マジだって、空軍の奴が言ってたもん」
「お喋りそこまで。そろそろ来るぞ」
沿線の納屋から線路を見ている者の視線の先、件の鉄橋に差し掛かる手前の信号で、「ロランド・ゾルガー」号は停止した。
機関士達は怪訝な顔をしながら編成内で唯一長距離通信可能な通信設備を持つ指揮車に連絡する。指揮車が信号所に連絡すると、「青信号の筈だ」と返事があった。
機関士達は信号機の故障か、でなければ誰かが細工をしたものと判断し、信号所に信号無視を通達した上で再発進した。
時間にして10分足らずだったが、それは彼らが緩急車を静かに制圧するには充分な時間であった。
「制圧完了」
この時緩急車に詰めていたのは第8鉄道連隊運行隊の下士官兵3人。いずれも車掌兼予備の機関士として詰めていた。今は彼らの足元で永遠の眠りに就いている。全員の頭にも弾丸を撃ち込んでおく周到さであった。
「本当に使いにくい代物ですな」
「銃声はもういいだろう」
帝国軍が特殊作戦用に試作した消音小銃だったが、銃声が小さくなった一方で弱装の10ミリ拳銃弾を使用する為、威力にかなりの問題があり、敵一人につき数発撃ち込まなければならなかった。半自動式でなければ緩急車内の兵士達に撃ち返す隙を与えていたかもしれない。
それをぼやきながら短機関銃や散弾銃に持ち替え、獰猛に目を光らせる彼らは、薄汚い外套に鹵獲品らしき連邦軍式の装備品を身に着け、顔を襟巻や覆面で隠しており、正しくならず者といった出で立ちであった。
人数にして10人。その中でも特別小柄な人物――ヴィオレッタが号令をかける。
「目標を再確認する。目指すのは7両目と8両目の貨車だ。間の砲車が厄介だな。指揮車の方はあっちの隊が制圧する筈だ」
「了解」
「命令はこいつを幽霊列車にせよ、だ。捕虜になるな、捕虜を取るな。同胞を撃つのは心痛むが、国益の為と割り切ってくれ。行くぞ」
列車強盗――否、列車強盗に扮した帝国兵達が動き出す。
* * *
「列車強盗をして貰いたい」
「は?」
時は遡って、1月下旬。帝国首都を走る自動車の中。
北アーテリアにおける武器密輸の手段を、帝国軍が運用する鉄道ではないかと看破したヴィオレッタに、ティベリオの口から「つまりだ」と前置いて出てきたのは、そんな言葉だった。
唐突に出てきたその言葉に、ヴィオレッタは思わず間の抜けた声で返事をしてしまう。
「君を奇襲出来るとは思わなかったな」
「誰だって面喰いますよ。もう一度言っていただけますか」
「列車強盗をして貰いたい」
今度は間の抜けた声ではなく、溜息が出た。
続きを聞けば、何でも連邦南部の民族主義勢力に流れる武器は小銃や短機関銃といった小火器だけではなく、歩兵砲や重迫撃砲、果ては戦闘機まで、実に豪華な内容だという。いずれも西方国家群で製造されたもので、それが北アーテリアに出現しているということは、そこに至るまで非常に秘匿性の高い方法で運んできていることになる。
当然ながら、そうした大物は通常の手段では輸送出来ない。アーテル川で盛んな河川舟運か、大公国内を血管の如く走り回る鉄道網か。
アーテル川は西方国家群に触れていないので、仮に川を使っているのならば川に至るまでで捕捉出来る可能性が高い。が、結局そちらには引っかからなかった。
それならば絶対に鉄道を使っている筈だ、と大公国親衛隊は大公国鉄道公社の便を片っ端から当たった。同社にはクレーベ伯爵が非常に強い影響力を持っており、常識的に考えてこれを利用しているだろうと考えられたのだ。
結果は空振り。いくら調べても、鉄道公社の便は使われていなかった。各地の私有鉄道も調べられたが、やはり同じ結果であった。
それ以外に大公国で鉄道を利用している者といえば――と、大公国親衛隊が行き当たったのが、帝国軍である。
現在、大公国には参謀本部から派遣された事務方の担当将校らの他に、帝国陸軍第21師団と第4師団、そして第8鉄道連隊が駐留している。その他に空軍も2個戦闘航空団と1個偵察航空団が駐留しているが、彼らが鉄道を利用する際は先述の第8鉄道連隊の協力を得るので、いずれにせよ鉄道関連は主に陸軍の管轄だ。
流石に帝国軍相手となると、大公国親衛隊の手に余る案件であった。権限として多少探りを入れることは出来るが、万が一にも抵抗されれば駐留軍だけでも大公国親衛隊を制圧し得る実力を有しており、そもそも空振りだった場合に帝国との関係に歪みが入る原因になりかねない。
この為、大公国親衛隊は協力体制にある帝国の情報機関を頼った。
特に宮内省皇室情報院は、陸海空軍にそれぞれ設置された情報組織から内務省治安警察局、国家憲兵隊、外務省や通信省が有する情報収集分析機関にまで繋がりがあり、連邦内の反帝国派の動きから帝国貴族の社交界での噂話まで、何でも取り扱うことが出来た。欠点としては、その人員規模に対して取り扱う範囲が広すぎて優先順位を設けざるを得ず、その優先順位としては国内の貴族関係の問題が最優先になりがちなことか。今はジルド皇子とミュレーズ公爵家の問題に資産・人材を多く割いている。
また、元々皇室情報院はアーテリア北部での武器密輸問題は大公国の国内問題であると捉えており、特に注目はしていなかった。帝国軍の武器管理には多少注意を払ってはいたが、それはどちらかといえば陸軍参謀本部や陸軍情報部が掌握すべき案件であるとの認識から、輸送に帝国軍が関わっている可能性が高いと大公国親衛隊から通報されて初めて本腰を入れ始めた程である。
帝国軍第4師団は大公国首都フェルブール周辺を担当しており、連邦との国境を含む大公国北部を担当しているのは第21師団の方だ。よって、疑いの目は自然と第21師団に向いた。
この師団は多くの国外駐留部隊と同じく、物資の調達方法や運用法について部隊長に多くの権限が与えられている為、所属将兵の規律が緩い傾向にあることは以前から知られていた。
それが現地住民との諍いに繋がっていれば問題であったが、第21師団の師団長は寧ろ物資の融通や復興支援で大公国貴族から地域の平民に至るまで幅広く人望を得ており、帝国将兵は「現地住民に親切に接すること」という師団長命令もあるので大公国の民衆から慕われている。
一方で、軍組織としてはやや排他的な部隊であり、参謀本部からの内部調査には非協力的な節があった。その傾向自体は国外駐留部隊にはよくあることであるし、小さな面倒事の揉み消しや燃料等の一部戦略物資の融通等が時々見られ、それを突かれるのを嫌ったものと判断した参謀本部は、それによる現地住民の懐柔には成功していることから調査官が師団長に嫌味を言った程度で、それ以上踏み込むことはなかったのだ。
対照的に、第8鉄道連隊の内部調査は簡単であったと言えよう。帝国陸軍に22個ある鉄道連隊は全て参謀本部の一部署である陸軍鉄道部の管轄で、参謀本部の内部調査にもかなり協力的であった。
しかしその調査結果に大した収穫はなく、特に肝心の貨物の中身について詳しい調査は出来なかった。
というのも、帝国陸軍の鉄道運用は運行を鉄道連隊が、警備を現地の部隊が担当するという縦割り行政になっており、貨物の中身は警備担当部隊の管轄なので鉄道連隊の将兵が勝手に開けることは基本的に出来ないのだ。鉄道連隊側は重量や品目による注意事項が分かれば運行に支障がないので秘匿性の高い物資を運ぶ際等には自分達が何を運んでいるのかすら把握していないことが多い。
ただそれは本来かなり特殊な事情の筈だ。師団級の作戦でそう濫発されるようなものではない。なので「時々車内すら確認させてもらえない貨車がある」という連隊の運行担当者の愚痴を拾ったのは、参謀本部の調査官を装った皇室情報院の係官にとって僥倖であった。
それを受けて皇室情報院はこの貨車の中身を、第21師団に邪魔されることなく覗く方法として、列車強盗を企てたのである。
「ただ生憎と皇室情報院にはこういう荒事に向いた人材が少なくてね」
「私も列車強盗など経験がありませんが」
「戦争が始まる前は侵蝕襲撃だって経験がなかっただろう?」
ティベリオの詭弁に、ヴィオレッタは閉口した。
彼女と彼女が率いた第23歩兵大隊がアーテリア戦争中に多用した、敵防御陣地を一点で突破もしくは小隊単位で侵入して後方の野戦指揮所や補給拠点を次々と襲撃する戦術は、当時の彼女の部下の一人が考案したものだ。
当初連邦軍によって「侵蝕襲撃」と名付けられ、やがて帝国軍内でもそう呼ばれ始めたこの戦術は、要するに敵の強固な防衛拠点を敢えて無視し、その後方を直接襲撃することで前線の敵軍を混乱に陥れ、敗走させるというものである。侵蝕した部隊は敵中で孤立する危険性を背負い、また実行自体に相応の士気と練度も要求されるが、少数の歩兵部隊で大規模な敵防衛部隊を翻弄することが出来る為、参謀本部が真剣にその発展を研究している。
それどころか、参謀本部が現在計画している陸軍の大規模再編計画では、従来の師団編成を、第201機動旅団のような機動力重視のものに変更する案が通される見込みとなっている程だ。
尤も、ヴィオレッタと考案者は「かつて突撃歩兵がやりたかったことが叶ったに過ぎない」と評している。本来ならば歩兵戦車や砲兵の強力な支援の下で大兵力をぶつけて敵陣を破壊し、敵軍を着実に押し込むのが正しいと考えている為だ。
実際、この攻撃で敗走した連邦軍の多くは、後方部隊が先に瓦解するので士気が崩壊している一方で帝国軍の追撃はほぼ振り切った状態であった為、民間地での略奪等が多発した。それを目の当たりにしていた彼女らは、寧ろこの戦術が生み出す被害に気付いていたのである。無論、「威力偵察」等の名目で出撃してこの戦術を使用し、他の帝国軍部隊にとって意図せぬ時機に連邦軍を敗走させてしまったことにも問題はあるのだが。
「少佐は短機関銃の名手だと聞いている。塹壕を掃討するのと同じだ。準備はこちらでするから、必要なモノや人員があれば言って欲しい。ま、久々の戦争だと思ってくれ」
「……致し方ないですね」
「戦争」と聞いてヴィオレッタの目が輝いたのを見て、ティベリオは口角を上げた。