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03. アンセルミ男爵家の娘ロジーヌ・ペリエ

 エミリア・ミュレーズとのお茶会から数日。1654年の秋も大分深まった頃だった。

 友人と共に経営学科の校舎から女子寮に戻ろうとしていたロジーヌは、不意に女子生徒に呼び止められた。

 同じ学年だがその生徒に見覚えはない。同じ学年であると分かったのは制服の襟締(ネクタイ)の色が自身と同じものだったからだ。


「ロジーヌ・ペリエさん。これ、エミリア様から」


 少し素気ないが、丁寧に渡してきたその手紙は、確かにエミリア・ミュレーズからの手紙であった。


「あ、ありがとうございます、態々……」

「本当よ。私もいきなりエミリア様に呼び出されたもんだから、心臓止まるかと思ったわ」

「それはその……」

「ま、皇子殿下に迫られるよりはマシかしらね?」


 ロジーヌは苦笑するしかなかった。

 女子生徒もその心中を察したのかクスリと笑う。


「私、フラヴィ・ロンディクス。教養学科よ。あっ、家は子爵だけど気にしないで。法服なの」


 アズーリア帝国の貴族階級は派閥や領地の地域とは別に、領主貴族と法服貴族という分け方をされることがある。

 前者は爵位や財産によって規模は様々ながら自分の領地を持ち、その領地を運営して収入を得ている貴族で、後者は領地を持たず官職や軍人として生計を立てている貴族だ。

 法服貴族は爵位を得てから3代でその爵位を喪失し、歴史ある貴族家といえば領地貴族であることから、古典的な領地貴族の中には「法服は貴族にあらず」と言う者も居る。

 といっても、順当に職位を上げれば爵位を維持するのは難しいことではない為、3代目までに爵位を失う法服貴族は少ない。寧ろ爵位を上げる家も多い程だ。

 当然ながら彼らは爵位を維持する努力を重ねる傾向にある為、人材の層が厚いとして、中央政府や皇室では重用される傾向がある。例えば貴族院議長も兼ねる宰相職は伝統的に法服貴族である。

 また、約80年前に確立された義務教育の効果も目に見えて出てきており、平民出身の文官が活躍して新たに爵位を得る例も決して少なくない。これは古くからの法服貴族に一層の努力を促しており、文官の質を底上げする要因となっていた。

 フラヴィの父ロンディクス子爵も内務次官補であり、フラヴィも、将来生まれるであろう彼女の子供も、その爵位を保障されている。


「あなたはロジーヌ・ペリエさんよね。で、あなたは……」


 フラヴィがロジーヌの隣に立つ女子生徒に目を向けると、その少女は待ってましたと言わんばかりに一歩前に出た。


「お初にお目にかかります! インサナ商会会長の一人娘にして国立高等学校経営学科4年生が誇る未来の大商人! ベルナデッタ・インサナでございます!」


 ばーん! という音が聞こえてきそうな程に堂々とした自己紹介に対して、その所作は貴族令嬢に勝るとも劣らない美しい礼であった。

 その印象の乖離(かいり)と、横で(にぎ)やかしのように拍手するロジーヌに、フラヴィは思わず噴き出した。


「ごめんごめん、あなたがあのインサナ商会の子なのね」


 インサナ商会は首都に本社を置く卸業の大商会であり、一般消費者にはあまり馴染(なじ)みがないが、商業関係者にはその名を知らない者は居ないくらいに有名だ。ベルナデッタはその社長の令嬢であり、持ち前の明るい性格とそれを最大限に用いた学校内での宣伝という営業努力によって、別の学科の生徒達にも名が知れている。

 笑いを堪えながら、フラヴィは続けた。


「ロジーヌさん。明日からは私がエミリア様とあなたの連絡役をやることになったの」

「えっ、あなたが?」

「エミリア様に言われたのよ。それに、言っちゃなんだけどあなた、ぶっちゃけ殿下に迷惑してるでしょ」

「そ、それは……」


 ジルド皇子との交際が始まってしまってそろそろ2か月。

 アンセルミ家とロジーヌはあの手この手で抵抗してきたが、未だにジルドは彼女に付き(まと)っている。

 事情をよく知らない一部の生徒からは「皇子を(たぶら)かした魔性の女」として嫌がらせを受けることもあり、そしてその手の告げ口を聞かされることにはエミリアの方も辟易(へきえき)としてきていた。

 先日漸く用意出来たエミリア主催のお茶会で、ロジーヌの意思は一貫して「皇子との結婚など御免被る」であると伝え、何とかジルドを引き剝がすことで合意することは出来たが、その具体的な方策は今のところ決まっていない。

 そもそもミュレーズ公爵家とアンセルミ男爵家では爵位が大きく違えば派閥も違い、その上ロジーヌは書類上貴族令嬢ですらない為、緊密な連絡を取り合うことが難しいのだ。先日のエミリアのお茶会に出席すること自体、かなり無理を通したものだった。

 学校でロジーヌとエミリアが直接話し合うにしても、経営学科4年生のロジーヌと教養学科3年生のエミリアが対面する機会は皆無なので、もし直接話し合おうとしたらその席を用意せざるを得ず、それはまたあらぬ(うわさ)を立ててしまいかねないという懸念があった。

 実際、学校では既に「エミリアがロジーヌを呼び出して苦言を呈した」と噂になっている。本当は労いの言葉をかけ、先述の合意をしただけで、寧ろエミリアはジルドの態度に(あき)れすら見せていたのだが。

 して、そこで考え出されたのが、ミュレーズ公爵家の派閥に入ってこそいないが公爵もしくはエミリアに個人的な縁がある下位貴族の子女を、連絡役として間に挟むという方法である。この情勢で性急にエミリアとロジーヌの直接対話の場を設けても余計なことが起きるだけなので、時間をかけてゆっくりと取り次ぐという方向に(かじ)を取ったのだ。

 そうして白羽の矢が立ったのが、ロンディクス子爵であり、その娘フラヴィだった。ロンディクス子爵はミュレーズ公爵家の寄子である某子爵家に個人的な恩があり、フラヴィも最近噂になっているロジーヌのことが気になっていたので快諾した。


「私が普段付き合ってる友達にも話は通してあるから、談話室なんかでも友達みたいに気軽に声かけてよ。困った時とかもね」

「あ、ありがとうございます」

「いいって、いいって。じゃ、私はこれで! また今度!」


 フラヴィは明るく言うと、2人に手を振って立ち去った。

 取り残された2人は、顔を見合わせる。


「えーと、取り敢えず、明日から絡んでみる?」

「そ、そうだね」


 フラヴィの意図は何となく察しがついていた。

 皇子の件でロジーヌに嫌がらせをしているのは専ら貴族の子女であり、そうしたことの相談はやはり貴族の子女にした方が良い。

 無論それはアンセルミ家の家族でも良い。寧ろ貴族としての権威という面においてはパッとしない法服貴族のロンディクス子爵より、歴史ある領主貴族でしかもジュリアン・アンセルミやヴィオレッタ・アンセルミといった()()()が居るアンセルミ男爵家の方が()()があると言っても過言ではない。

 だが、学校内でのことは家同士の問題にせずにあくまで生徒間の問題とした方が後々を尾を引かず、解決も穏便に出来る。なんなら解決出来ずとも、少なくとも親身になって対応してくれる学友の存在は精神的にも有難いものだ。

 フラヴィはエミリアからの指示とはいえ、その役目も担ってくれるのだろう。



        *        *        *



 カミラ・ペリエとその娘ロジーヌ母娘と、アンセルミ男爵家の関係は少々複雑だ。

 アンセルミ男爵家は典型的な地方領主貴族として、帝国南東部の沿岸に位置するラメリア地方の中でも山間の田舎町であるカルタリッツァを領地とし、その経営で生計を立ててきた。

 カルタリッツァは元々山肌でブドウを栽培する為に開かれた町で、近年は陸軍東部方面軍に納品される果実酒の原料として、また通信機器の部品に使う原料としてブドウを産するということで軍や海軍省、空軍省との(つな)がりの深い領地となっている。

 そんなアンセルミ家だが、現在の当主ジュリアン・アンセルミ男爵は1654年時点で25歳の若き当主である。

 彼は1629年、当時の当主マリエッタとその夫イラリオにとって待望の長男として生まれた。彼の上には当時8歳の長女テレーザ、2歳の次女ヴィオレッタ、そして1歳になったばかりの三女クラリッサという姉妹達が居たのだ。

 長女テレーザは年の離れた年子妹弟達をとても可愛がり、そしてその母親譲りの勝ち気な性格故か、時に厳しく(しつけ)もした。

 3年連続の出産という負担が大きかったのかマリエッタが体調を崩した影響で乳母が雇われたこともあり、彼女は猶更張り切っていた節があった。元々母の愛情を一身に受けたという自負があったのだ。マリエッタが回復し、1632年に次男ヴィットリオが産まれてもそれは続き、ヴィットリオは「母親が3人居るようだった」と語ったこともある。

 転機が訪れたのは1638年の春先。テレーザが高等学校卒業と共にコーネット男爵家の長男と結婚し、式を挙げた直後だった。

 まだ肌寒さのあったある朝、マリエッタが執務室で亡くなっているのが発見されたのだ。死因は過労による臓器不全で、医者によれば「元々領地経営も育児も家政も全てやっていたのだから無理があって当然。恐らく長女の結婚で緊張の糸が切れてしまったのだろう」とのことだった。

 マリエッタの代行は当然夫のイラリオが担うこととなった。長男ジュリアンはまだ9歳で初等学校に通っている身、一番年上のヴィオレッタも11歳で初等学校高等科に通っている身であり、当主の代行が必要だった為だ。

 しかし、イラリオは貴族としての社交以外の領地経営の仕事を(ほとん)どマリエッタに丸投げしており、実務能力が皆無だった。それどころか自身の仕事であると言っていた()()も専ら遊び歩いているだけで、領地経済の為の営業らしい営業は全くといって良い程行っていなかったのである。


 そして、それ以上にきょうだい達に怒りを(もたら)したのは、彼の不義であった。

 イラリオは男爵代理を引き受けると共に、娘程も年の離れた女性であるカミラ・ペリエを後妻に迎えたいとして領地に連れてきたのである。

 カミラのことはきょうだい達もよく知っていた。テレーザより1歳年下の女中で、初等学校を卒業した10歳の頃から首都にあるアンセルミ家の町屋敷で働いていた少女だ。初等学校はテレーザと同じアンセルミ領の学校であり、きょうだい達とも何かと親交があった。

 この為、後妻に迎え入れられるというのは母に対する裏切りだと考えたテレーザは、イラリオがそれを伝えてきたその夜に首都から夜行列車に飛び乗り、翌日には領地の屋敷に乗り込んで彼女を問い詰めた。

 しかし、既に妊娠し大きな腹を抱えながら涙を流すカミラと、事情を調べた他の使用人達の話を聞いて、その怒りの矛先はすぐにイラリオへと向いた。

 カミラは彼に無理矢理手籠めにされ、彼女と結婚まで考える恋人であった平民の青年は、彼女の妊娠を知って首都の川に身を投げてしまっていたというのだ。16歳の少女が体験するには、余りにも壮絶な出来事であった。

 テレーザは夜会から帰宅したイラリオを「女の敵」と面罵し、その場面にきょうだい達も居合わせたことで、彼らも父の非道を知ることとなった。

 その日、深夜まで続いた口論はテレーザが刃物まで持ち出してしまったことで刃傷沙汰になりかけ、都市警邏(けいら)隊が駆け付ける騒ぎになり、最終的にイラリオは領地邸宅の離れに()()、領地経営は一時的な代官の派遣を内務省へ要請することで決着がついた。事実上の更迭と幽閉であった。


 また、カミラと彼女が出産する子の養育については、アンセルミ家が面倒を見ることになった。

 というのも、カミラは元々新大陸での植民地紛争で家族を亡くした孤児であり、そんな彼女がアンセルミ家に仕えていたのは帝国の戦災孤児支援事業の一貫として行われていた初等学校卒業後の就業先斡旋(あっせん)事業にて偶然アンセルミ家に雇われた為だったのだが、当主マリエッタも、その子供達も彼女を優しく迎え入れており、カミラはそれに強い恩義を感じていたのである。

 この為、彼女は出産後もアンセルミ家に使用人として奉職することを希望し、アンセルミ家側としてもイラリオの愚行に対する贖罪(しょくざい)の意味からもそれを受け入れた。カミラの雇用継続というのは、ジュリアンが次期当主として決定した最初の案件である。

 その後、ジュリアンは高等学校を卒業した1646年、17歳にしてアンセルミ男爵となった。本格的に領地経営に着手し出したのは大学を卒業した21歳になってからだったが、その施策は今のところ成功している。

 寧ろイラリオの一件でソルダノ伯爵夫人によって社交界から事実上追放されてしまったことや、ラメリア産果実酒の数十年来の低迷等といった逆境を乗り越え、この3年間でアンセルミ家を立て直したどころか大いに躍進させたことは高く評価されており、彼を「ラメリア復活の立役者」と呼ぶ者も居る程だ。


 さて。

 こうして1638年の夏に誕生したロジーヌは、アンセルミ家の末娘のように育てられることとなった。

 アンセルミ家が面倒を見るといっても、それは養育費の捻出や当人達が希望した教育の費用に限られ、人間的な躾の部分は主にカミラと彼女の使用人仲間達の間で行われた。

 カミラはあくまで自分達の身分は平民のまま、()()()()()()()()()()()()()()()()()という立場を貫き、そのように育てられたロジーヌもそれを強く自覚していた。

 しかし事情を知る者は彼女もアンセルミ家の末妹であると認識していたし、事情を知らない者からも下位貴族か大商会の令嬢であると思われていた。

 なのでロジーヌは一般的な平民の娘ともきちんとした貴族の娘とも違う、微妙な立場ではあったのだが、当人はそれを不満には思っておらず、寧ろその水準の生活を用意されたことに感謝すらしていた。

 貴族らしい礼儀作法も教え込まれ、将来は文官か商人、または下位貴族の妻としてアンセルミ家の為になることをして恩義に報いたいと考えていた彼女が国立高等学校に進学したのも、経営学を学びながらアンセルミ家に利益を齎しそうな結婚相手を探すことが目的であった。

 テレーザは「そんな生き方をしなくても」と言ったこともあるが、自身の出生の事情を知っているロジーヌは、そうしないと気が済まないと意志を固めていたのだ。

 容姿に優れた彼女は人目を()きやすく、結婚相手に困りそうには思えなかった。学友にも恵まれ、彼女自身、自分の人生は順調だと思っていたのだ。

 ――16歳の夏、ジルド第3皇子に交際を申し込まれてしまうまでは。


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