Past returns
雨の日は嫌いではない
湿気も低気圧も
体調が悪くならないなら
髪の爆発くらいなんてこたない
だけどこの不調
ぐずついた天気は
過去を携えて
不快にわたしを引き戻す
ハリーポッターを見ながら
なんでハリーは毎年あの
下らないおじ家族の家に帰省するのか
解せないと娘が言う
でもハリーからしたら
そういうものだって
思い込んでいるんだろうな
何となくわかってしまう
シリウスと過ごすハリーを見たとき
やけに嬉しかったな
死んでしまったけどな
家族って
檻以外の何物でもない
ただ曲がったり
クッションでできたり
話し相手になってくれたり
まるでわたしのために
何かしてくれてるようでも
その目的はわたしをコントロールするため
檻と檻の中を隔て続けるため
そんなこと
誰も考えたくないし
認めたくないから
家族ごっこを続けるんだな
一緒にいたときのことを思い出すと
心が温まる人たちと
心が凍る人たち
前者が他人で
後者が家族って
やっぱり完全に出だしで躓いた
だけどわたしの周りにはいつも
温かい人たちがいた
それは幸せなことだったんだ
気にかけて
声をかけて
手を差し伸べてくれて
わたしが助けを求めたのは
いつも彼らじゃなく
冷凍庫のような家族だったけど
見守ってくれる人たちがいたから
わたしは道を誤らずに生きられた
決定的に違ったのは
何だったのか
あの人たちの周りにだって
素敵な人がたくさんいたのに
馬鹿にして
舐めた態度で
冷たくあしらって
いつも尻拭いをしてもらって
感謝もなく
成長もなく
謝罪もない
ああたぶん
愛の器だな
健全な自己愛でできた
自分は人に愛されるに値する
そう思える良心がなかったんだな
人間には素晴らしい属性と
どうかなっていう醜い属性と
必ず両方の混ぜこぜがある
けどそれでも
自分の心の中の良心に
光をあてられる人は
人にあてられても平気だから
愛を受け取れると思う
逆に自分の醜さにばかり目が行く人は
とても人に見られるなんて
耐えられないと思うだろう
違いはただ
相手の見ている自分を
無条件に肯定できるかって
ことなんじゃないかな?
それがどれほど醜くても
ああこの人には醜さしか見れないんだな
そう思うし
それがどれほど崇高でも
ああこの人は徳の高い人なんだなって
ただそれだけか
なのに少しでも貶されたら
烈火の如く反撃して
少しでも褒められたら
悦に入って相手を見下す
その反応は学んでしまった
ただの反応でも
自分のことも
相手のことも
何の価値も認めない
奴隷精神の忠実な再現のようだ
人間はすぐ忘れるけど
人間の作った大多数の文明は
高度に階級社会であり
人民の大多数は支配される側で
その行動パターンを身につけている
相手を人間として対等に見ない
取るに足らない存在として
話に聞く耳を持たない
何か不都合があればねじ伏せられる
意見など持つことはない
そんなことをされ続けて
大人になる子どもたちは
心ある人の誠意を持った語りかけも
風の音にしか聞こえない
なのに罵りや嘲りには
まるで自分の価値を認められたように
鋭く反応してしまう
まるでほんとはまだ支配を求めているかのように
醜い心を映す鏡しか持たない人は
誰の話も一度も真摯に
受け止めたことのない人だ
だから愛の器を作り損なった
過去にどうだったのかは関係ない
でも今も作れないままなら
過去に作れなかったのは間違いない
なぜなら一度できたら
愛の器が壊れることはないからだ
ないことはだから問題じゃない
作ればいいだけなのだから
だけど作らないでいることは問題だ
なぜなら対等に向き合うことができないからだ
そして向き合わない人と
心の底から愛し合うことはできないから
愛の器は絶対に
必要だ!
人生の堂々巡りの答えは意外な場所に。
そうか、あの人たちは皆、人の話を聞いていなかったのだ。
それも、端っから、さっぱり、まったく、聞いていなかったのだ。
だからあんなに愚かだったのだ。
驚くことに、わたしには最初から、そんなモードはなかったので、汚染されなかったんだな。
その代わりに、考えや価値観の違う人たちの話は通じないんだなという、間違った概念を持ってしまったんだ。
だけど事実はそうじゃない。
人間には二種類いる。
人の話を聞く人と、聞かない人と。
聞く人とは何がどれだけ違ってもお互い認め合える。
だけど聞かない人には何をどれだけ言っても話は通じない。
通じるのは指示だけだ。
愛するに値するのは話の通じる人だけ。
人間に対等に向き合える人たちは、愛を受け取れるだけの器を持っている。
持っていない人も愛することは可能だけど、愛の器を作れないままなら、愛し続けることはできない。
あなたはまだ、わたしの話を聞いていない。