0. 終わりからの始まり
トコトコトコ
少し大きなハイカットのスニーカーが暗い夜道を歩く。ピンクと白のスニーカー。
深い暗闇は目の前に広がっていき………
鮮やかなピンクの光は場違いな色彩を放つ………
ボヤリ
もう一つ明かりが闇から浮かんでくる……
それは、ピンクの光と上下に連動して動いていく……
金色の明かりであり、闇とは真逆な存在。
時間が経つにつれ、ほのかな金色の明かりは、まばゆい光へと変わり………神聖な何かを感じさせる。
まとわりつくような重苦しい闇を割いて進むのは、華奢な体つきの彼女。
目鼻立ちがはっきりした西洋人。
瞳は青く、鼻は高く形が良い、肌は透き通るほどに白い。
白磁の肌、人形のようであり、僅かに人でないかのように思わせる。
綺麗なプラチナブランドの髪、艶のあるその輝きは、軽くウェーブしながら細い腰まで垂れる。
手足が細く長く、前後に動くそのシルエットは芸術的に美しい。
「しまった、迷ったかも」
彼女は小さく呟き、口元を歪ませた。
日本の大都市にやってきて、恋人に会う途中だった。道を見迷って、路地をちょっと横切った瞬間、闇に飲み込まれた。
明かりがないところが珍しい街中だったのに、突然、外灯すら存在しない場所をひたすら歩くことになった。自分の行く先には不穏な空気をひしひしと感じる。
「虚に入り込んだ……」
さっきまで、人がごった返していて、息が詰まりそうだったのに。あんなに人口が密集する大都市に、人が存在しない、生も光もないような真っ暗な場所があるはずがない。夜でも昼のように明るく、どこにいても人の気配がするところだ。
それが突然の暗転。
常識ではありえない状況だが、彼女は怯えるどころか、精神をさらに研ぎ澄ませていく。異国の地だが、何となく感覚で分かっている。
ここは魔がさした場所だ。
「呼んだのか、呼ばれたのか」
自国ならどこがそういう場所か熟知し、面倒なので避けて通れる。しかし、異国の地はそういうわけにはいかない。文化も違えば、歴史も違う、抱える闇も異なる。意図せず呼んでしまうことがあれば、呼ばれてしまうこともあるのだ。
くっ……
彼女は吸い込んだ息を一瞬止め、歩みも止めた。
鉄の匂い、まとわりつく生臭い香りが口の中に広がる。
(呼ばれた方ね………)
うんざりする気持ちと僅かな恐怖が広がってる。この先に悪魔がいる。直感でわかる。
それを現す名前は、土地によって変わる。自分が知る名は、悪魔。この地では何というのだろう?
ここの悪魔はどういうものなのか?大人しい国民性に似て、狂暴ではないだろうか?それとも、不思議な国らしく不可思議な存在なのだろうか?
しかし、対処方法はきっと同じ、きっと今回もやり過ごせるはず。
澄んだ青い瞳で闇の奥を睨んだ………。匂いを嗅ぎながら、本能で闇の中の相手を探すと、人と人が対峙するのが見えた。
いや、片方は人ではないのか?
一層深い闇の中から、刃物を持った男が這い出る。よく見れば、その男の足元には大量の血が流れ、両手は汚く茶色く変色し汚れていた。ギラギラする目で獲物を探し、その獣に似た眼差しは目の前の標的に向かって動く。
(見過ごして逃げるか?アレはもはや人ではない)
少女は冷静に悪魔を分析する。あれを相手にするものも、もはや人ではないはず。もし、人であっても直接的に危害は及ばないはずだと学習していた。
ザザザザ……
その標的は震えながら後ろに後ずさる。揺らぐその光は違和感を感じさせた。あの悪魔とは全く違うモノだ。
シュパッ
軽く舞った刃から血飛沫が散った。
(まさか……)
少女はその狙われた人に向かって走り出す。
タッタッタッタッ
その足音はこの場に刻まれるものか、自分の耳だけに反響するのか。刹那の瞬間に身を置きながら、ボンヤリとそんなことが頭によぎった。その邪念、軽く頭を振って追いやる。
あいつは、一撃で仕留めるつもりではない。きっと、脅しで軽く切ったのだ。単に危害を加えるつもりでもない。あれはあの子を自分に引き込もうとしている。
これを見過ごしても構わないはずだが、それは許されない気持ちへとかき立てられる。
急いでスキーニーのポケットに手を突っ込む。細く長い指は奥の小瓶を探し当て、一気に引っ張り出した。
『God……』
少女は異国の言葉を小さく呟き始めた……。その歌にも似た旋律は流れるかのように悪魔へと向かう。
その間、バケモノは獲物に向け、何かを吐き捨てながら進んでいく。狙われた方は震えながら同じスピードで後ずさる。それは同じスピードで間隔は変わらずに移動している。
時が経つにつれ、その恐怖は、標的の意識を遠のかせようと試み、危機が迫る方の動きは確実に鈍くなっていく。
彼女は両者の間に飛び込み、割って入ると、小瓶を開けた。そして、その液体を人差し指と中指で拭いとり、バケモノに向けて放った。水のように見えたが、放たれた瞬間、銀色の光に変わった。
ウワァ!!!!
そのバケモノは元は人間だったのだろう。人であった頃の叫びが辺りにこだまする。彼女はそれに怯まず、しゃがみ込んでいた少女の手首を掴むと、思いっきり引っ張った。
「逃げる!逃げるよ!!」
西洋人形のような華奢な女の子、どこにこんな力があるのだろうか?
助けられた方は冷たくなった唇を震わせながら、朦朧とした意識の中で、そんな悠長な考えを巡らせていた。
言われるがまま、手を引かれるまま、立ち上がると一緒に駆け出す。固まった体が普通に動くことが不思議だった。握られた手首から温かい何かが体に流れ込み、心臓や体の末端までを動かしているかのように感じる。
『くっ……まて……いくな…』
バケモノは火傷を負いながら、苦しそうに這って進む。顔はタダレ、目ん玉と鼻の骨が剥き出ている。その形相は地獄の悪魔そのものだ。
キャッ!
狙われた少女はそれが視界に入り、呪いにかけられたかのような心持ちになった。あれから逃れられるのだろうか……捕まればもっと酷い目に遭うかもしれない。
「こっち!こっち向いて!」
そう励ます声、その持ち主の美しい金髪が風に靡く。とっても甘い苺の香りがした。
よくよく見ると、彼女の身体は、銀色の光に包まれている。神聖な光、その言葉がしっくりくるものだ。
「しっかりして!大丈夫だから!!」
その強い口調に促され、ヘタレそうな足に力を入れた。後ろを振り向かず、ひたすら走る。
暗闇の中を走り続ける……。
息が上がり、喉の奥が焼けそうになる。心臓の鼓動がありえないくらいに早まり、否応なく、生きているという実感を起こさせる。体はしんどいが、前に後押ししてくれるような気がした。自分を引っ張る彼女が神の遣いにも思える。
駆け抜けるにつれ、深い闇は薄くなり、鼻をついた恐怖はそれと共に薄れてきた。前方には見慣れた風景がボンヤリと浮かぶ。
家だ……私の家……。
助かったのだと、軽く息を吐いた。恐れたものから逃れられたという安堵……。気がつけば涙が溢れていた。目をぎゅっとつむり、開けた次の瞬間、そこは自分の家の前、無事、着いていた。
ハアハアハア……
助けられた少女は息を整えながら、助けてくれた彼女を見上げた。もはや足に力が入らず、しゃがみ込みながら。
「あれは何だったの?何を話しかけられてたの??」
西洋の女の子は、息を乱すこともなく、美しい青い瞳をこちらに向けている。整った顔立ち、スタイルの良い体つき、すっと立っている姿はとてもただの人とは思えない。天使と言われた方が信憑性がある。
「あれって……」
少女は軽く頭を傾げ、質問の意味が理解できないでいた。
その反応に西洋の彼女は怪訝な表情を浮かべ、白く細い指を伸ばすと少女の怪我をした肩に手を触れる。
「あなたを切りつけたあの悪魔のことよ」
触れられた肩に視線を移すと、ザックリと切られた傷がある。その思いがけないものに少女は驚いた。
いつの間に………。
ズキン!ズキン!
その傷を見て、痛みが初めて走った。それまでは全く感じていなかったのが不思議なくらいに。燃えるように熱く、波打つかの様に痛みが走る。
一体、これは何なのだろうか?
「え……わからない……よく覚えてない」
体をギュッと縮こまらせる。身に覚えがない痛みと傷に言いようのない恐怖を感じた。
覚えてない?今さっきのことなのに??
少女の様子を冷静に観察しながら、彼女はもう一度ジーンズのポッケに手を突っ込んだ。その青い瞳で目前の女の子を見据えたまま…………。
「……まずは、あなたの場所に帰らなきゃ」
恐ろしい記憶を思い出させるのは酷に思えた。普通の人間なら恐怖で耐えられるものではないだろう。
目の前でバケモノが刃物を振るい、容赦なく脅し、切りつけたのだ。現実だと受けいられないこともある。今は最悪な状況から抜け出せ、当分は安全な場所に逃げて来た。
それに、この少女は……。
彼女は少し微笑んで見せる。あえて追い込む必要もないだろう。
「ここがあなたの家?いい家ね」
何気ない言葉を投げかけ、痛みで震える少女の気を紛らわせる。単に言葉だけではない、この家からは温かい温度を感じる。
「そっ……そうです。私のウチです…………あっ………助けてくれてありがとう………………えっと………日本語……とても……上手ですね……日本は…長いのですか……」
思いつくことはそれくらい。助けてくれた人に向けた精一杯の返事である。
「そう?ありがとう。イギリスから旅行でやって来たの。彼が日本人だからかな?今日は特別上手く話せるのかも」
彼、という言葉に、彼女はニッコリと微笑んだ。その笑顔の可愛さに少女は目を奪われる。
彼女は少女を気にかけながら、ポッケの中を掻き回し、ミサンガを取り出した。両手でそれを摘むと、しゃがんで少女の手首に巻きつける。
「残念だけど、私はここまでしかできないわ。だけど、このミサンガをしていれば、きっと守ってくれるから、大丈夫」
それは何の変哲もない、白とグレイの糸で編まれたミサンガだ。こんなもので何から守られるのだろうか?ただの気休めにくれたものにも思えるが、ありがたく頭を下げた。
キツく結ぶと、彼女は腕時計に目をやった。予定がだいぶ狂ってきる。彼との待ち合わせの時間には大幅に遅れているに違いない。
黒いデジタルの腕時計を覗くと、彼女の表情は固まった……。
前の方へと流れてくる金色の横髪を左手で描き上げ、考えを巡らせる……。見た目よりも心の中ではちょっとした動揺が起こっている。
「今日って、2017年7月7日だったかしら……」
その問いかけに、少女はポケットのスマホで日付を確認する。
「そうだよ」
彼女は目をパチパチしながら、考えをまとめ、再び少女に向き直る。頭の中に答えが浮かんできていた。彼女の中で辻褄が合った。
「もし、彼に会ったら……その時が来たら伝えて欲しい」
少女は意味不明なことを言われ、不安になった。だけど、正直に言える空気でもない。そもそも、世話になった人の頼みだ。とりあえず、頷くしかないだろう。
コクリ
頭を縦に振ると、彼女の柔らかな唇が少女の右耳に近づき、口を開いた。
その囁きは次の瞬間には消えてしまったものだが、少女の脳に確実に刻み込まれた。
それが始まりだと知るのは、ずっと後、終わりの時だ。
お久しぶりです。
なろう企画に参加しようと思います。
初ジャンルです。
期間中に書き終えるのが目標です。
宜しくお願いします。