ばかをバカにし続ける馬鹿
あの時僕は身をなげだして、僕を救った、気が早い夏と捨てられた春、僕はその中間でずっとさまよっている。簡単には消えない記憶と液体窒素に入れたバラみたいに崩れる僕の体。
君を僕が助けるから、僕が君を助けるから、同じような意味の言葉なのに大事にしてるものが違う気がする。
「自分をバラに例える当たり腹立たしい文章だと思う」って思ってない人に対して僕は腹ただしい。語彙の先のその先の深いところにある、恥ずかしい部分が芸術になって、自分を表現するってことだと思う。単純に感性が優れてるとか、捉え方が人と違うっていう次元ではないと思う。芸術家は常に自分と向き合ってるし、好きな人、友達家族、その他諸々に対して観察してると思う。
こう思うとかそういう文章ですら自分で傷つけるのが僕の特技だ。そもそも芸術を文章で書くこと自体間違っていて、文学という名の中学校に留まって義務教育すら受け終えていない僕の心は、青くてダサい。かっこいい○○という名札をつけ続け、小学校同等の感覚を味わって生きている。明らかにおかしい気温を僕の脳の活動を邪魔してバカにしてしまう。それが最高に気持ちが良い時もある。
好きな人との時間ほどバカな時間はなく、素晴らしい時間はない。将来一緒にいたいとか、ずっと愛し合っていたいとか、まだ見えない先のことを幻想と希望で心の中で語り始める。人によるかもしれないけど、そのくらいバカな考えをもっていないと恋とか愛とかわかるはずがない。簡単なことだけを求める癖の人間は、自分にいいことだけを求めて自分の求める人間をできるだけ離れないようにする。とても幸せな生き物だ。電車で一緒に帰る時、周りに誰もいないことも嬉しい、周りに人がいても、そう見られて意識してもらえることも嬉しい。これを書いている自分が1番馬鹿です。
本当に好きでは無い文章であり、本当にふぬけている文章である。この世には恋愛感情がない人もいるかもしれない、性欲の塊の人間でも。そのような人間には1ミリも刺さらない。こんな文章を読むほど馬鹿な時間はないと思う。実際自分自身でコントロールできない感情を解説とか、分かりやすく説明は不可能に等しい。そのわかっていない状態の浅はかな考えをわかっていない人間に共有して浅はかな考えが伝染する。恋愛ソングとか複雑なことを歌ったり語ったりすることはそういうふうにできている。恋と愛の狭間にある下心と煩悩でできた幸せという言葉を綺麗に描きすぎる。それが最高な影響力と最悪な歌詞になる。そして何より自分の話になったらバカを馬鹿にしてることがやっぱり自分を捨てきって書いてないんだなって思う。
とんでもなく僕は馬鹿だ。
普段は歌詞書いたり、曲作ったりしてる細々と活動するバンドマンです。これからも色々と投稿するつもりなのでよろしくお願いします。




