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九話

昼間のお茶会に行くには少々華美では無いかと思うドレス。薄紫のドレスは細やかな花の刺繍が施され、大きな帽子にはドレスと同じ色のリボンが可愛らしく飾られている。


「お待ちしておりました」


にっこりと微笑む黒目黒髪の令嬢。水色のドレスに身を包んだ令嬢は、レイラとロナルドに深々と頭を下げた。


「やあアイリス。久しぶり」

「本当に久しぶりね。結婚したって聞いた時は驚いたわ」


にこにこと微笑みながら、ロナルドは令嬢に挨拶をする。

片手を上げ、もう片手はしっかりとレイラの腰を抱いているロナルドに、アイリスと呼ばれた令嬢はふふんと鼻を鳴らして笑った。

レイラが見る限りとても美しい御令嬢。お茶に誘ってくれたディーン家長女、アイリス・ディーン。正真正銘の良家の御令嬢。ロナルドの昔馴染みで少々男勝りと聞いていたが、穏やかに微笑むアイリスは、とても優しそうに見えた。


「初めまして、アイリス・ディーンと申します。ロナルドとは昔馴染みですの」

「レイラ・ネルソンと申します。ご招待感謝いたします」


深々と頭を下げ、腰に巻き付く夫の手を軽くぺちりと叩くと、レイラは真直ぐにアイリスを見据えた。

ネルソン家に嫁いでからクローディアによって家庭教師やマナー講師を付けられているが、同じ年頃の令嬢はどんな振舞いや所作をするのか、そのお手本になってくれそうだと思ったのだ。

口角は上げ、決して歯を見せずに穏やかに微笑み続ける。穏やかに微笑む顔が美しく見えるように、そして動きは滑らかに。


「しかし…相変わらず凄いな、この屋敷は」


玄関前で止まったままだったが、ロナルドはきょろきょろと周囲を見回す。

庭も屋敷の壁も、沢山の植物に覆われるディーン邸。まるで花畑の中に屋敷が埋もれているようだ。

色とりどりの美しい花たち。華やかに彩られた庭は我が家の自慢であるとアイリスは微笑んだ。


「本当に…素敵なお屋敷。庭師の方が優秀なのでしょうね」

「ありがとうございます。庭師もおりますが、私たち家族も一緒に手入れをしますのよ」

「まあ…」


良家の子女が土いじりをするとは思わなかった。驚いているレイラに、アイリスはあちこちを指差して「あそこは母、あそこは自分の陣地」と笑って教えてくれた。

薔薇で作られたアーチ、藤棚、屋敷の壁に絡みついたアイビーの蔦。どれもこれも品よく整えられ、見る者の目を楽しませる。

こんな庭があったらどんなに素敵だろう。ネルソン家の庭も素晴らしいが、レイラはディーン家の庭の方が好きだった。


「お気に召していただけたようで光栄です。宜しければ後でご案内致しますわ」

「帽子を被ってきて正解だったね」

「はい。楽しみです」


にっこりと微笑み、レイラは再び腰に手を回しに来るロナルドに向かって頷く。

来るまでは気が重かったが、アイリスはとても良い人そうだ。何より、ロナルドが一緒にいてくれる。それがとても心強かった。


「そろそろお茶の支度が整う頃ですわね。お二人ともどうぞ、お入りになって」

「邪魔するよ。行こうレイラ」


ロナルドにしっかりとエスコートされながら、レイラは屋敷の中に足を踏み入れる。

待ち構えていた使用人が一列に並び、客人に向かって一斉に頭を下げた。


ネルソン家に負けぬ程の大きな屋敷。隅々まで手入れをされた屋内は、花をモチーフにした調度品と沢山の花に囲まれていた。


「亡くなった祖母が大変な花好きだったのです。庭も祖母が手入れをし始めたのがきっかけでこのように」

「素敵なお婆様だったのでしょうね」

「とても厳しい方でした。でもとてもお優しい、自慢の祖母です」


懐かしむように、アイリスは微笑む。

祖母の形見だという大きな壺。そこに飾られている大輪の百合の花。香しい香りが漂うそれは、この屋敷の自慢の一つらしかった。


「確かアイリスの名前もお婆様が付けたんだっけ」

「そうよ。お婆様の大好きなお花の名前をもらったの。アイリスの花のように美しい女性になれるようにってね」


名前の通り、美しく堂々とした女性であるアイリスに、レイラはすっかり見惚れていた。

真直ぐに背中を伸ばし、歩いているだけでその優雅さに目を引かれる。

いつも下を向いて、夫に支えられている自分とは大違いだ。

羨ましい。もし今でも家族が生きていて、罪人の娘として生きていなかったら、自分もアイリスのようになれていただろうか。

家族に囲まれ、良家の子女として生きて居られたら。重たい感情が、レイラの胸を満たしていく。


もう修道院に囚われた罪人の娘ではない。

頭ではそう理解しているのに、どうしたって自信が持てない。ネルソン家の名に恥じぬように生きたいのに、どうしても背中は伸びてくれなかった。


「さあどうぞ。このお部屋からなら庭が存分に眺められますわ」


通された部屋は大きな窓がある部屋だった。祖母が作ったサロンだと笑うアイリスは、使用人に指示をすると優雅な動きで椅子に腰かけた。

ふかふかと柔らかいクッションが張られた椅子。使用人に椅子を引かれ、大人しく座るとふかふかと柔らかく座り心地が良かった。


「庭で育てているハーブでお茶を淹れましたの。お口に合うと良いのですけれど」


小さな花と葉が浮かべられたティーポット。硝子で出来たそれは、見ているだけで目を楽しませてくれた。

カップに注がれると、良い香りが鼻を擽る。ほうと息を吐いたレイラに、アイリスはにこりと微笑んだ。


「素敵…」


小さく声を漏らしたレイラに、ロナルドは意外そうな顔を向けた。

いつも紅茶を飲んでいるばかりで、ハーブティーを飲んでいる姿を見た事が無いのだ。レイラ自身、飲んだ記憶は無い。


「花が好きだとは思わなかった」

「あら、そうなの?」

「庭を散歩しててもあんまり興味なさそうに見えたから」

「詳しくないだけで興味が無いわけではありませんわ」


少し恥ずかしそうに顔を逸らしたレイラに、ロナルドは声を漏らして笑う。

笑うなと文句を言うレイラと、まだ笑い続けるロナルドの二人を見比べるアイリスは、小さく吹き出して笑い始めた。


笑われている事に気付くと、若い夫婦は二人で顔を見合わせる。気まずそうに咳払いをした二人に、アイリスは口元を抑えてごめんなさいと詫びた。


「何だかとても仲が良いみたいで安心したわ。良かったわねロニー、素敵な奥さんが来てくれて」


目尻にうっすらと涙を浮かべ、そう微笑むアイリスに、ロナルドは嬉しそうに微笑みかける。夫を愛称で呼ばれた事に何だか複雑な気分だが、レイラはきょろきょろとロナルドとアイリスを交互に見比べた。


「ずっと心配だったの。貴方いつも必死で、何だか怖かったから」

「そうかな…必死だったのは本当だけど」

「そうよ!私のお友達なんて、貴方と仲良くなりたいって言うのに紹介してあげたら何だか怖いって言うんだもの」


くすくすと上品に笑うアイリスの言葉が信じられない。

レイラの知っているロナルドは、いつだって穏やかに微笑んでレイラに纏わりつくのだ。

可愛いだの愛しているだのいくらでも囁く男が、女性に怖がられるなんて信じられなかった。


「ネルソン家の妻になりたがる女はとても多かったの。幼馴染だからって何度も紹介して!って言われていたし、その度に紹介していたけれど、どんな美女にも靡かなかった理由が分かったわ」


そう言うと、アイリスはじっとレイラを見つめる。

真っ黒な瞳。ロナルドと同じ色を持つアイリスは、ゆったりと口元を緩ませて微笑んだ。


「貴方が理由だったのね」

「私…ですか?」

「一度だけ聞いた事があるの。俺の妻になる人はもう決まっている。彼女以外には有り得ない。だから二度と俺に女性を紹介するんじゃないって」

「やめてくれよ…何か恥ずかしい」

「良いじゃない。もう五年も前の話だし」


けろりとした顔でそう言い放つと、アイリスはゆったりとカップを傾ける。

美味しそうにハーブティーを飲むその姿に、レイラもカップを手に取った。一口含むと何だか慣れない味がしたが、優しい香りがした。アイリス曰く、レモンバームとラベンダーのブレンドティーだという。


「美味しいです」

「良かった!どうぞお菓子も召し上がって。我が家のシェフが腕を振るいましたから」

「はい、いただきます」

「ディーン家のシェフは腕が良いからね。久しぶりだなあ」


嬉しそうに自分の前に置かれた皿に菓子を取ると、同じ菓子をレイラの更にも乗せる。ロナルドは遠慮なく菓子を頬張ると、美味しいと笑顔を浮かべた。

レイラも同じように一口齧ってみる。スパイスの香りが香ばしいクッキーだ。甘さはあまり無いが、他の菓子は甘そうだし口直しに良いだろう。


「あれ、これ甘くなかったね。ごめんよレイラ、甘いのはどれかな」


甘い菓子を取ってやったつもりだったらしいロナルドは、一口齧ったクッキーを手にしていたレイラの手を掴むとそのままぱくりとクッキーを頬張る。

驚いているレイラを気にすることなく、今度は甘そうなマフィンを皿に乗せた。


「ちょっとロニー。奥様が食べているものを奪うんじゃないわよ」


咎めてくるアイリスに、ロナルドは目を瞬かせる。

ゆっくりとレイラの方を見ると、僅かに眉尻を下げて「ごめん」と詫びた。

驚きはしたが、ロナルドなりの心遣いだという事はレイラにも分かっている。大丈夫だと微笑むと、レイラはロナルドが自分用に取っていた小さなマフィンをひょいと取り、一口齧った。


「これでおあいこです」

「…仲が良いみたい」


呆れ顔のアイリスに、レイラはにこりと微笑む。

ロナルドは僅かにしょんぼりとしているが、レイラは最初から気にしていない。

何より、仲が良いと思ってもらえた事が少しだけ嬉しかった。


「仲が良い夫婦に見えますか?」

「え?ええ、そう見えますわ」

「そうですか。嬉しいです」


頬を染め、うっすらと微笑むレイラの隣で、ロナルドはうっとりと顔を蕩けさせる。

心底幸せそうな蕩け切った顔を今すぐどうにかしてほしいが、どうせ何を言った所で聞こえはしないだろう。

それよりも、幼馴染の初めて見る顔に引いているアイリスをどうにかした方が良さそうだ。


「主人は結婚した日からこうですから。お気になさらないでくださいまし」

「本当に?ロニーのそんな顔初めて見た…そんな顔出来たの?表情筋はどこにいっちゃったの?」


いやいやと首を横に振り、テーブルに身を乗り出すアイリスは、先程までの良家子女らしからぬ表情でしっかりしろとロナルドを叱りつける。

仮にもネルソン家次期当主なのだから、それらしい振る舞いをしなさいと叱りつけているが、確かアイリスはロナルドより年下の筈だ。


「私からすれば、お二人の方が仲が良いように思います」

「幼馴染だからね。他の女の子より仲良しだと思うよ」

「それは自分の妻に言う事ではないと思うわよ」


失言だと咎めるアイリスに、レイラは楽しそうに笑う。最近泣いてばかりで久しぶりに笑った気がする。

美味しいお茶とお菓子。楽しい会話。窓の外には美しい庭。

なんて穏やかな時間なのだろう。ずっとこんな日が来たら良いと思っていた。まさか本当に訪れるとは思わなかったが、思っていたよりも楽しめている。


来て良かったと思いながら、レイラは幼馴染同士昔話に花を咲かせる二人を眺め、三人のお茶会は暫く続いた。


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