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八話

真っ赤な石をぼうっと眺め、レイラは思いを馳せる。

朧気で殆ど思い出す事も出来ない過去の記憶。修道院で生活しているうちに忘れてしまった、幸せだった筈の記憶。


両親がいて、少し意地悪で優しい兄がいた。屋敷にはよく客人が訪れて、まだ幼い娘の為にと客人は自分の子供を連れて来てくれる人が多かった。退屈しないように遊んでくれる人、これは何?と興味を示せば、子供にも分かりやすいように教えてくれる人。そんな優しい人達に囲まれて生活していた筈だった。


詳しい事は思い出せないが、思い出そうとすると悲しい気持ちと、嬉しかった記憶が同時に溢れどうにも胸が苦しくなった。

顔も思い出せない家族。覚えている母の姿は指に嵌った指輪だけ。父がいつも身に付けていたタイピン。兄が自慢していた訓練用には立派すぎる剣。


今手にしている家族との思い出は、母の指輪たった一つだけ。父と兄の持ち物はどこにあるのだろう。生きている間に、どこかで目にする事があるだろうか。取り戻す事が出来るだろうか。

家族に会いたい。罪人と罵られ、囚われ死んでいったとしても、レイラにとっては優しく大好きな家族だったのだ。


ぽたぽたと涙が零れる。ぐしぐしと手の甲で乱暴に涙を拭いながら、レイラは深い溜息を一つ吐いた。

修道院から出てネルソン家に迎え入れられてから、やけに涙腺が緩くなったように思う。

もう安心して良い、ここは安全。愛してくれる人がいるという事が、家族を想って泣くだけの余裕を与えてくれているのだろうか。


新しい家族は皆優しい。

夫であるロナルドは勿論、義理の両親もとても良くしてくれる。結婚式の後、屋敷で改めて挨拶をした時は深々と頭を下げられたが、今日になってその意味が分かった。


何故こんなにも良くしてくれるのだろうと毎日不思議だった。何も持たず、何も返す事の出来ない罪人の娘を大事にするのは、レイラの父がこの家に恩を売ったからだ。だからこの家の人達は、家族に恩を返す事が出来なかった負い目があり、その為にレイラに優しくするのだ。罪滅ぼしのつもりなのだろう。そんな事をされても、もう二度とレイラの家族は戻って来ない。どれだけ泣いても迎えに来てくれる事などないのだ。


会いたい。もう一度名前を呼んで。どうして私一人を残して逝ってしまったの。どうして迎えに来てくれないの。

どうして、どうして、どうして。


何度喚いたところで、返事をしてくれる者などいやしない。

ただ冷たく、月明りを反射する母の形見が手の中にあるだけだ。


今を生きなければならない事は分かっている。分かっていても、納得出来ているわけではないのだ。

罪人の娘だから修道院に押し込められていても仕方が無い。生かされているだけで充分な慈悲。

罪人だから囚われても仕方が無い。裁かれて当然、獄中で死んでも仕方が無い。それが運命だった。その妻で、跡継ぎである息子だから、その共をして然るべき。


そう信じていたかった。そうでなければ、納得が出来ないのだから。

それなのに、どうして義母は残酷な事を告げたのだろう。もし父が罪人ではなかったのならば、何故家族は死んだのだ。何故自分は一人生き延びてしまったのだ。何故、幸せを壊されなければならなかったのだ。


納得がいかない。

何故一人きりになってしまったのか、その理由が知りたい。

幼い子供だからと詳しい事は何も教えてもらえなかった。修道院へ移送される道中、警護兵は言った。


「お前の父親は国を売ろうとした大罪人。だから囚われ裁かれる」


そうして続いた、「お前は子供だから助かるのだ」という言葉。


当時レイラは十二歳。

十八歳になっていた兄は、既に物事の分別が付く年頃である事、跡継ぎである事を理由に助ける事は出来ないとも言われた。


絶望した。泣きじゃくり、一緒に行きたい、家族の元へ行かせてくれと何度頼んでも、兵士はそれ以降一言も話してはくれなかった。修道院に到着する頃には、レイラの涙は枯れ果てていた。


心優しきライトリー男爵はこれから死ぬ。ライトリー男爵令嬢も同じようにこれから死ぬ。これから先の自分は、罪人の娘、レイラ・コリンズである。幼い少女は、たった一人胸にそれを刻みつけたのだ。


それを思い出し、レイラはくしゃりと自身の前髪を掻き上げた。

たった一か月と少しで随分と涙脆くなってしまった。涙を見せてはいけない。弱い子供はすぐに苛められるから。何を言われても、何をされても堂々と前だけを向け。そう決めたのは自分だった筈なのに。


「レイラ…起きてたのか」


口元を歪めたレイラの顔を、廊下の灯りがうっすらと照らす。

ノックも無しに細く扉を開いたロナルドが、ベッドの上に座るレイラに驚いたような顔をして立っている。

考え事をしている間に、いつの間にやら夫の帰宅時間になっていたようだ。今日も月が高く登ってからの帰宅。仕事はまだまだ忙しいらしい。


「おかえりなさいませ。お出迎えにも行かず、申し訳ございませんでした」

「もう遅いから良いんだ。休んでくれて良かったのに」

「考え事をしておりました」


指輪を箱に仕舞い込みながら、レイラはベッド脇に置かれているランプを灯す。

ぼんやりとした灯りが、涙に濡れたレイラの顔を照らした。妻が泣いていた事に気付いたのか、ロナルドは心配そうに近寄ると、その頬を優しく拭う。


「悲しい事でも思い出した?」

「私の家族の死について」

「…そうか」

「旦那様にお聞きしたい事がございます。お時間宜しいですか?」


夫の手を押しのけながら、レイラは冷たく輝く瞳を向ける。正直に全て答えろと威圧するような、刺さるような視線だ。

普段なら嬉しそうに微笑みながら了承するロナルドだが、今回は笑顔を浮かべず小さく頷いた。


「お義母様に、ネルソン一族は我が父は無実であったと信じていると伺いました。私は父が何をして囚われ、家族が死んだのか理由をよく知りません。ご存知の事を全て包み隠さずお教えください」

「…俺も全てを知っているわけじゃないよ。ライトリー男爵が捕まったと聞いた時、俺はまだ子供扱いで、詳しい事は教えてもらえなかったから」


それでも良い。知っている事を教えて欲しい。そう言いたくて、言葉にする事が出来ずにレイラはロナルドの手を取った。ぎゅうと縋るように握る細く、細かく震える手に、ロナルドはぎゅっと目を閉じ俯いた。


「ライトリー男爵家は、かつてこの地の…ソルテリッジの領主だった。大きな港と穏やかな海。コリンズ家は元々造船業を行っていた家で、我が家はコリンズ家から船を買って商売をしていたんだ」


実家が造船業をしていた事すら忘れていた。

ロナルドが言うには、レイラの実家であるコリンズ家の始まりは造船業。港の主として名を馳せ、外国との窓口になったのが始まりだったらしい。そして、コリンズ家から船を買い、修繕や改修、その他船の管理等を任せながら貿易業で成功したのがネルソン家である事を教えてくれた。


「この地は金になる。港で仕事をする家からの地代、税、この地を守るライトリー男爵家は会社の経営も順調で金があった。天候に左右されるし、もし万が一海から攻め込まれれば一番に被害を受ける地域だけれど、とても穏やかで豊かな地。だからここを狙っている者は昔から多かったんだ」


歴史を見る限りではあるが、この地を巡って争いが起きた事がある。勝ち抜き、守り抜いて来たのがライトリー男爵位を賜るコリンズ家だった。

レイラの父も歴代の男爵と同じようにこの地を守った。いつか起きてしまうかもしれない争いの為、大砲を何台も積めるような巨大船を作った。そしてそれを自国に売り込んだ。


王はその船を大層気に入り、金は幾らでも出すから何隻か作るように言いつけた。レイラの父はそれを了承し、設計を始めた。

いくつか設計し、試験的に作られた船が何隻かあった。そのうちの一つは、隣国の親戚筋から頼まれたからと軍用の整備を一切されていない物にしてから贈ったそうだ。

それが全ての歯車を狂わせる原因となった。


「現在この地を収めているのは、ダラム伯の息子だ。君の父上から取り上げられたライトリー男爵位を賜り、会社も乗っ取った。ダラム伯は昔からこの地が欲しかったんだよ。金の為にね」

「…どういう事でしょうか」

「ダラム伯爵家は昔から王家に仕える家だった。昔は騎士だったそうでね。武功を立てたから伯爵位を賜ったけれど、領地は狭いし痩せている。金にならない土地で地代も僅かなのに、二代前の当主が投資に失敗して借金まみれなんだそうだ」


そう言ったロナルドは、レイラの手を握りしめる。

真っ黒な瞳をレイラに向け、眉尻を下げて告げた。


「ダラム伯は、金の為に君の父上を罪人に仕立て上げたんだ。そう俺は思ってる」


頭を殴られたような気がした。

そんな事をする人がこの世にいるなんて。ダラム伯の話は殆ど知らない。そもそも外の世界の話なんて殆ど知らずに生きて来たのだ。

修道院は元々住んでいた屋敷の近くだったようだが、幽閉されてから一歩も外に出る事は無かったし、客人に会う事も許されなかった。

外の情報を手に入れる術が無かったのだ。だからこそ、修道院にいる大人たちから聞かされる「お前の父は大罪人」という言葉を信じていた。


「試験的に作られた船は、隣国の親戚の家から頼まれて、遊覧用に作り直されたものだったそうだ。でも、ダラム伯は我が国の武力となりうる船と造船技術を敵国に売ったと言い始めた。陛下は長年仕えているダラム伯を信頼していたし、親戚筋とはいえ自分よりも先に船を贈られた事に腹が立ったらしくてね。ダラム伯の言い分を全てそのまま信じたそうだ」


何故そこまで知っているのだろう。全ての事を知っているわけでは無いと言っていたのに、これだけの事を教えてくれるのは、ロナルドが調べてくれたのだろうか。


真直ぐにレイラを見つめ、言葉を続けるロナルドは苦しそうな表情を浮かべたままだ。

ダラム伯がレイラの父を国を売ろうとした罪人だと罵った。ダラム伯に着いた貴族たちも同じようにレイラの父を罵った。多くの人を助けたレイラの父だったが、その分敵を作る事も多かった。ダラム伯側にはそういう人間が多かったのだとロナルドは言う。


助けられた側の人間は、ライトリー男爵は無実であると訴えた。心優しき男爵がそんな事をする筈がないと。しかし実際に船は隣国に贈られた。親戚の家であろうと、それは事実なのだ。そこを徹底的に詰められ、結局助けられずにレイラの家族は罪人として囚われた。


「でも可笑しいんだ。男爵が親戚宛に船を贈る事は別に問題ない筈。きちんと遊覧用に作り替えたと記録されている筈なのに、その記録が無くなってるんだよ」

「何故それを旦那様がご存知なのですか?」

「男爵が囚われる少し前、父の所に男爵がいらしたからだよ。俺も挨拶がしたくて顔を出した。その時に聞いたんだ」


実家の仕事の事はよく分からないが、船を作りそれを売ったのならば、どんな船をどこに幾らで売ったのか記録が残る筈だとロナルドは言う。贈り物だから記録に残さなかったと言われればそれまでだが、あの日レイラの父は記録が何処にもないと頭を抱えていたと続ける。


「親戚への贈り物だとしても、修理修繕を行う時にどんな造りの船なのか記録が無ければ困る筈だろう?それに、物が良ければ改良して貴族向けに売る事だって出来る。うちを挟んで外国に売る事だって出来る。だから記録が一切無いなんてあり得ない筈なんだ」


ぶつぶつと呟きながら、ロナルドは眉間に深々と皺を刻みつける。

それをぼうっと眺めながら、レイラは父が本当に罪人では無いのかもしれないと考える。

ダラム伯とやらのせいで、父は無実の罪で裁かれ死んだ。母と兄も同じように死んだ。たった一人、自分だけが生き残った。それならば、ダラム伯はレイラにとって家族の仇だ。


「きっとダラム伯が何かした筈なんだ。だけどその証拠がない。だから今までレイラに何も言えなかったし、行動も起こせなかった。何も話さなくてごめんね」

「いえ…構いません。聞かされたところで、私は何も出来ませんから」

「家族の為に哀しみ、怒る事は出来るよ」


くしゃりと顔を歪め、ロナルドは深々と頭を下げた。

助けられなくて申し訳ないと。


「旦那様は、八年間私を助ける事を諦めなかったと聞きました。私はそれだけで充分です」

「時間が掛かりすぎた。でも昔から俺は君を愛してたんだ。お兄様がもう一人できたみたいだって無邪気に笑う君の笑顔がもう一度見たかった。笑ってほしくて必死だったのに、君は笑顔を失って…泣いてばかり」


まだうっすらと濡れた頬を撫で、ロナルドは一筋涙を流す。

ロナルドの涙を初めて見た。ぱちくりと目を瞬かせ、レイラはふっと口元を緩ませて笑う。


「どうして旦那様が泣くのです?」

「君が泣くから」

「では私が笑えば、旦那様も笑うのですか?」

「笑うよ。レイラが幸せだって笑ってくれるのなら」


ぽたぽたと流れて落ちていく涙をそっと指で掬いながら、レイラは無理に口角を引き上げる。

泣かないで欲しい。ロナルドにはいつでも笑っていてほしい。いつだって幸せそうに微笑みながら、妻を愛してくれるこの人の笑顔を見ていたい。それが今のレイラにとって唯一の幸せなのだ。


「父が罪人でない事を知れた事だけで満足です。ですが、私は相変わらず何も持っておりません。持っているのは罪人の娘という汚名だけ。それでも、この家に妻として置いてくださいますか」

「君以外は考えられない。レイラが良い。隣にいてくれ」


そう懇願するロナルドの体に、レイラはそっと体を寄せる。

この人に縋らなければ生きていけない。それは結婚したその日から変わらない。だが、この一か月と少しで抱えた感情に変化が生まれていた。


この人の傍に居たい。


僅かに抱いたその感情が、愛情の芽生えである事をレイラはまだ知らない。


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