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七話

目の前でにこにこと嬉しそうに微笑むクローディア。自分から誘った癖に、支度も話題の提供も任せてしまっている。何とも申し訳のない事態に、レイラは気まずそうに視線をうろつかせた。


「何だか私の話ばかり聞かせてごめんなさいね。息子は一人で大きくなったような顔しているし、娘はもうお嫁に出てしまったから…レイラがお話を聞いてくれるのが嬉しくて」

「私もお義母様とお話出来て嬉しいです」

「なんて可愛い事言ってくれるのかしら!」


にこにこと微笑みながら、クローディアはお気に入りのカップを傾ける。スミレの花を描いた小さなカップ。クローディアはスミレの花が好きだといつだったか聞いた覚えがあった。


「そういえば、お願いって何かしら?」


思い出したように首を傾げるクローディアに、レイラはぎくりと肩を震わせる。

今日は義母に夫婦円満の秘訣を聞く為に誘ったのだ。一緒に暮らしている義母に聞くのは何だか気恥ずかしいが、他に聞ける人が居ないのだから仕方ない。本来なら実母に聞くのだろうが、レイラの実母はもういないのだから。


「ふ、夫婦円満の…秘訣をお聞き出来たらと思いまして」

「あら、喧嘩でもしたの?」

「いいえ!旦那様はとてもお優しいですし喧嘩なんて一度も!」


思わず大きくなってしまった声が恥ずかしい。慌てて口元を抑え、小さく「申し訳ありません」と詫びるレイラに、クローディアは困ったように頬に片手を添えた。


「これと言って特別な事は何も無いわよ?貴方たちが既にしている事を私たちもしていただけだもの」

「と言いますと…?」

「うーん…多分ロナルドが嫌がると思って言わないでおくつもりだったんだけれど、まあ良いわよね」


にんまり笑ったクローディア曰く、ロナルドは正式にレイラとの結婚が決まった頃両親に夫婦円満の秘訣を聞いて来たらしい。それはそれは恥ずかしそうに、顔を真っ赤にしながら。


レイラの境遇は普通の令嬢とは違う。家族も居ない、たった一人修道院に押し込められていた女性を幸せにするにはどうすれば良いのか一人で考えても分からなかったらしい。


クローディアからは、喧嘩をしても必ずお互い冷静になってから話し合いをする事。

父であるルークからは、どれだけ忙しくても妻を蔑ろにしない。出来る限り毎日二人で穏やかに過ごす時間を、ほんの少しでも確保する事。そうアドバイスをしたのだとクローディアは言った。


「あの子ね、子供の頃から次期当主、長く続くネルソン家の跡継ぎだからって勉強ばかりしていたの。だから女の子との付き合い方なんて知らなくてね」


それは絶対に嘘だろう。あんなに毎日愛しているやら可愛いやら囁いて、隙あらば妻を甘やかそうとしてくる男が女に慣れていない筈が無い。

じとりと疑いの目を向けるレイラに、クローディアは声を上げて笑った。


「本当よ。この子結婚は無理なんだわと思っていたんだけれど、貴方と手紙のやり取りをして、時々会いに行って楽しかった可愛かったって沢山話してくれて…貴方があの子の世界を広げてくれたのよ」


そんな事を言われてもレイラは全く覚えていない。いつの間にか貴族だった時の記憶を何処かに落としてきてしまったのだ。

きっと家族がいないという辛い現実を忘れる為に、全てを捨ててしまったのねとシスターが言っていた。その通りなのだとしても、それまでのレイラと関わってくれていた人たちは、レイラの記憶を忘れずに持っていてくれるのが嬉しかった。


「八年間、ロナルドは一度だって貴方を諦めた事は無かったわ。絶対に救い出して見せるって、恐ろしいくらいに」


ぽつりと呟くクローディアの表情は辛そうに見えた。

どうにかしてレイラを助け出そうと、若い男が、伝手も何も無いくせに必死だったのだ。鬼気迫る物があったと、クローディアは言う。


「貴方が妻としてこの家に来てくれてから、あの子は毎日幸せそうなの。私は息子が幸せそうにしてくれているのが何よりも嬉しい。お腹を痛めて産んだ子です。あの子が幾つになっても私の可愛い息子なの。我が子の幸せを願わない母親はいないわ。どうか、あの子の傍にいてやってください」


真直ぐにレイラを見つめるクローディアの黒い瞳。

すぐに頷きたいが、レイラには事情がある。


「私が罪人の娘である事をご存知の上で迎えてくださっているのですよね?ネルソン家の家名に傷を付けてしまった事、お許しください」

「傷なんて付いていないわ。それに、コリンズ家にはお返し出来なかった恩があるの。何より、覚えていないかもしれないけれど、おば様って懐いてくれた貴方が可愛くて仕方なかったのよ。お嫁に来てくれて嬉しいわ」


目を細めて笑うクローディアの表情は優しい。きっと心の底からそう思って言ってくれているのだろう。

だが、どうしても罪人の娘が嫁いでしまった事が気がかりでならなかった。


この先跡継ぎを生むとして、その子供は罪人の孫になってしまう。その子がネルソン家を継ぐ事になったら、世間から何を言われるか分かったものでは無い。そもそもレイラが嫁いできた時点で何か言われているかもしれないし、それが原因で家業に支障が出たら目も当てられない。


それが心配でならないのだと素直にクローディアに吐き出すレイラの目から、はらはらと涙が零れて落ちた。


「それくらいで傾くような経営してないわ。大体我が家の可愛いお嫁さんを悪く言う人なんてこちらからお断りよ」

「でも…!」

「でもじゃないわ。それに、貴方は本当にお父様が罪を犯したと思っているの?どうしてご家族が囚われたのか、きちんと知っている?」


笑みを消し去ったクローディアは、そっとレイラの手を握る。

詳しい事は何も知らない。調べる事も出来なかった。修道院を出てから調べる事はいくらでも出来たが、今更調べても仕方ないと思っていたし、調べてみて父の罪を受け止める覚悟が出来なかったのだ。


「我が一族はね、コリンズ家の方々は無実だと思っているわ。影で何者かが動いた。その犠牲になってしまったと思ってるの」

「どうして、そう思われるのですか?」

「私たちはコリンズ家の方々を知っている。助けられた人達は皆信じているわ」


ならどうして助けてくれなかったのだ。

思わず口から洩れてしまいそうな言葉をごくりと飲み込み、レイラは涙で濡れた顔をクローディアに向ける。


今更助けてもらえなかった事を責めた所で家族は戻らない。あの日に戻る事も出来ない。今を生きるしかない。それでも、今口を開けば優しい義母を責め立ててしまいそうだった。


「ごめんなさい。責められても仕方が無いと思ってるわ。そうして良いのよ、レイラ」


目を潤ませるクローディアに、レイラはふるふると首を横に振る。ぼろぼろと零れて止まらない涙が、ドレスに小さな染みを落とす。


「貴方の所に来ている誘いの手紙は、全てコリンズ家に助けられた家の人間からの手紙よ。きっと誰からも謝罪をされるでしょう。その度に苦しい思いをするかもしれない」

「あいたくない…」

「それならそれで構わないわ。皆には気持ちが落ち着くまでそっとしておくように言っておくから」


震える声を絞り出したレイラは、堪えきれずに声を漏らす。

ぐっと唇を噛み締め、亡き家族を想って泣いた。涙を止めようと必死で噛み締めた唇は裂け、口の中に鉄臭い味が広がった。


大好きなオレンジのマドレーヌは、まだテーブルの上に残されたままだった。


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