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四十一話

風がそよぐ海は気持ちが良い。

もう何も心配しなくて良い。心の底から安堵して、何も不安に思う事無く海を眺めるのんびりとした時間を楽しめる幸せよ。


そっと目を細め、キラキラと煌めく海を眺める時間を楽しみ始めて、どれだけの時間が経っただろう。コリンズ社に用事があるという夫に付いて来て、退屈だからとその辺りをうろうろとしているうちに海辺に来ていた。眺め始めた時はまだ空は青かった筈なのに、いつの間にか大空はオレンジ色に燃えている。


何て美しいのだろう。

青いはずの海が空と同じオレンジ色に染まると、こんなにも美しいというのを初めて知った。たった一人でのんびりと海を眺めるなんて初めてだが、この先も同じように楽しめる時間があるのだろう。


「レイラ、此処に居たの?」


冷えるだろうにと眉尻を下げるロナルドが、待たせてごめんねと詫びながら隣へ座る。ドレスのまま地面に座る事を咎められる事もなく、若い夫婦はただ静かに、穏やかに海を眺める。

もう夜が近い。徐々に暗くなっていく空の色を楽しみながら、ロナルドはレイラに嬉しそうに話をしてくれた。


「レイラのご両親をお迎えに行く目途が立ったよ。墓石の彫刻はオズモンド氏がやるって」

「素敵な墓石が出来そうですね」


ロナルドが言うには、トラヴァーはとても器用な男で、俺に任せておけと大いに張り切っているらしい。墓石が出来上がるまでに約一月程時間が欲しいと言っているそうだが、その間にアイリスと一緒に花の支度をしておけそうだ。


「墓石の設置が完了するのが一か月半後くらいだから…お迎えに行くのは一か月後にしようと思うんだ。どう?」

「私も行って宜しいのですよね?」

「勿論。きっと、俺が行くよりも愛娘が行った方が喜んでくれるよ」


そう笑ったロナルドに、レイラも同じように微笑む。もう生きている両親にはどうやっても会えないけれど、亡骸だとしてもすぐ傍にいられるようになる。結婚してすぐにした約束を、夫はきちんと果たしてくれようとしている。それが嬉しかった。


「お花は地植えするんだっけ?」

「ええ、管理人の方もきちんと管理をするのであればと許可してくださいました。ですので、お墓の手入れをする為に外出する時間が増えるかと思います」

「構わないよ。素敵なお墓にしないとね」


アイリスとも相談し、いつでも花に囲まれる美しい墓にすると決めた。切り花を持って行くことも考えたのだが、地植えした方が長持ちするだろう。そう考えただけだったのだが、アイリスはとても素敵な考えだと言って賛成してくれた。


クローディアとルークにも両親の墓について相談したのだが、いつか自分たちが眠りについた時も同じようにしてほしいと言っていた。まだまだ先の話である事は理解しているのだが、いつか必ず来る別れを想像して、話をしている時のレイラは涙を堪えるのに必死だった。

今にも泣き出しそうなレイラを、優しい義両親は困ったように笑いながらそっと抱きしめてくれた。大丈夫だから、そんなに泣かないでほしいと。いつか来る別れの前に、楽しい思い出を沢山作ろうと。


「いつかお義父様とお義母様のお墓を作る時は、ロナルド様も一緒に手入れをしてくださいね」

「まだまだ先の話だと思うけれど…。それに、忙しい時は難しいけれど、男爵と夫人のお墓も一緒に手入れをしたいな。良い?」

「勿論。町で一番美しいお墓にしましょうね」


薄闇の中で話すには、少々色気の無い話だろうか。もう半分程沈んでしまった太陽に視線を向け、レイラはふるりと肩を震わせる。流石に日が落ちると寒さが増す。


「帰る前に行きたいところがあるんだ。来てくれる?」


先に立ち上がると、ロナルドはそっとレイラに向かって手を差し出す。その手を取れば、ロナルドは目を閉じてと微笑んだ。

何処に行くと言うのだろう。だが、わくわくと嬉しそうな顔をしている夫の言葉に従って目を閉じれば、ロナルドはレイラの両手を引いて歩き始めた。


何も見えない中歩くのは何だか恐ろしい。ロナルドが手を引いてくれているとはいえ、何処に向かっているのかも、自分が何処を歩いているのかも分からない。


「ねえレイラ、兄上にはまた会いたい?」

「え?はい、会えるのなら会いたいです」

「そうか。それじゃあ、ピノア邸のすぐ傍に小さな屋敷があるんだ。そこを買おうと思う」


まるでパンでも買うように、ロナルドは大きな買い物をすると言いだした。小さいとはいっても、屋敷を買うのだからそれなりの出費になる筈だ。


「節制しましょうというお話があったかと思うのですが?」

「バーウィッチに支社を作ろうと思うんだ。ソルテリッジで集めた品を、バーウィッチに持ち込んで売る。税金はそれなりに持って行かれるだろうけれど、顧客が増えるんじゃないかと思うんだ」


手を繋いでそろそろと歩きながら、ロナルドは最近考えている話をレイラに話して聞かせる。顧客がバーウィッチにも増えれば、それだけ仕事も増える。

ピノア邸の傍に屋敷を買うのは、ただ別邸にするというわけでは無く支社で働く社員たちの寮とするという事だった。


「会社のものという事にすれば、税金対策にもなるしね」

「そういう事でしたら…ですが、わざわざピノア家の近くに購入する必要はありますか?ウェセターは港町でもありませんのに」


もしかしたら、会社の為だと言いながら本当はレイラの為に屋敷を買おうとしているのではないだろうか。訝しむように眉根を寄せるレイラに、ロナルドは小さく笑う。


「今ウェセターは急成長している土地なんだよ。ピノア嬢の御父上は道路整備に力を入れていてね。数年前から街道を作っているんだ。そこに商人が集まって来てる」


ピノア邸のすぐ傍には、新しく宿場町が出来たそうだ。それならば、今のうちに仲間に入れてもらっておいた方が得。もしも大して成長しないのならさっさと撤退すれば良いし、まだまだ成長するのなら儲けもの。にんまりと笑ってそう言ったロナルドの顔は、レイラには見えない。


「屋敷の片隅に俺たちが止まる部屋を作っておくだけだから。家具は向こうで勝手に任せてしまうけど良い?」

「ええ、お任せしますわ」


バーウィッチまでは長旅になるが、会いに行けば会える家族がいる。そう思えば、あの馬車の揺れにも耐えられるだろう。


「ところで、そろそろ何処に向かっているのか教えてくださいませんか?」

「もうすぐ着くよ」


波の音が耳に届き続けているということは、海辺を歩いている事は分かる。コリンズ社の周りを思い浮かべて何処に向かっているのか想像してみるのだが、殆ど来た事のない場所ではどう想像しても分からないままだ。


「段差を上るよ。ゆっくり行くから気を付けて」


優しくそう告げるロナルドに身を任せて歩くのは悪くない。ロナルドならば大丈夫、彼と一緒なら大丈夫。不思議と自信をもってそう思えるのが、何だか面白かった。


一歩一歩確認するように、ゆっくりと進む足。どれだけ上るのだろう。何段上ったのだろう。体を撫でる風に揺られるのが何だか不安になりながら、レイラはぎゅっと目を閉じたまま足を進め続けた。


「はい、これで最後」


その言葉と共にトンとついた足。何だかゆらゆらと揺れている気がするのは気のせいだろうか。


「もう目を開いても宜しいですか?」

「駄目。少し手を離すよ。このまま待ってて」


そっと離された手。

ロナルドが何処かに歩いて行く足音が聞こえるが、何だか木製の床を歩いているような音がする。夫が離れたことで、レイラの周りが突然静かになる。聞こえるのは波と風の音。


ふいに、世界に自分一人だけになったような気がした。

何処に行ってしまったのだろう。ここは何処だろう。一人にしないで。

不安になって両手を胸の前で組んだ。ぎゅっと握りしめた手。細く長い息を吐き出すと、コツコツと小さな足音がした。


「ロナルド様?」


どうかそうであってくれと願いながら、レイラはか細い声で問いかけた。


「うん、俺だよ。もう良いよレイラ、目を開けて」


その言葉に安堵し、レイラはそっと目を開く。すっかり空は真っ暗になっており、世界は闇に包まれている筈だった。


「わ…」


目の前に広がるのは闇では無かった。

闇夜を照らす沢山の光。足元が揺れるのは船の上にいるからだと今理解した。

船上を照らす幾多の光は、全てランタンの灯りだった。


「想像していたより綺麗だ」

「あの…お祭りは既に終わって、全て片付けたのでは?」

「片付けたよ。だから準備してもらったんだ」


何てことはないといった顔で、ロナルドは大急ぎでねと付け足す。コリンズ社の社員たちがせっせと準備してくれたのだと笑うと、ロナルドはレイラに手を差し出した。


「私と踊ってくださいませんか、レディ」

「ええ、喜んで」


差し出された手を取ったは良いのだが、音楽を奏でる奏者もいないこの場でどうやって踊れば良いのだろう。

憧れていた夜の船上でのダンス。目の前には幸せそうに微笑む最愛の夫。風に黒い髪を躍らせる姿が、美しいと思った。


「ほら踊ろう。本当はお祭りの夜に踊れるのを楽しみにしてたんだ」


レイラの手を引いたロナルドがステップを踏み始めると、何処からかヴァイオリンの音がしはじめた。誰が奏でているのだろうと視線を動かすのだが、ロナルドはそれが不満なようだ。


「俺だけ見て」


そう言われてしまっては、音の主を探すことなんて出来る筈が無い。

普段よりも低く、甘い声色。じっとこちらを見つめる真っ黒な瞳。ゆったりと微笑んでくれる穏やかな表情。蕩けるように、幸せそうに微笑みながら踊るロナルドは、きっと今世界で一番幸せな男だとでも思っているのだろう。


「来年も一緒に踊ろう。その次も、その次もいつまでも」

「お婆ちゃんになっても踊ってくださいますか?」

「勿論。俺がお爺ちゃんになっても踊ってね」


ずっと先の遠い話。二人揃って老いていこうという約束をした気分だ。

これから先、どれだけの時間を一緒に過ごせるだろう。どれだけの楽しい思い出が出来るだろう。


「ロナルド様、お願いがあります」

「なあに?」

「半日でも構いません。どうか私よりも長生きしてください。私を置いて逝かないで」


ロマンチックな船上でダンス中に話す事ではないのかもしれない。それは分かっているのだが、どうしても今言いたかった。

もう一人にはなりたくない。愛する人と離れてしまうという辛い思いはもうしたくない。ロナルドには申し訳ないが、絶対に自分の方が先に死にたかった。


「どうせなら手を繋いで一緒に逝きたいけどね」

「それは無理でしょう」

「そっかあ…じゃあ、一時間だけでも長生きできるように頑張ろうかな」


へらりと笑うロナルドに、レイラは安心したように微笑む。もしかしたらその約束は守られないかもしれないが、それでも、今は頑張ると言ってくれるだけで良い。


「しわしわになっても愛してくださいね」


そう微笑むレイラの笑顔に、ロナルドは満面の笑みを向けて応える。

繋いだ手をぐいと引き、レイラを腕の中に閉じ込めると、ロナルドはレイラの耳元に唇を寄せる。


「愛しているよレイラ。誰よりも、いつまでも」


苦しい程強く抱きしめるロナルドの腕の中で、レイラはほんのりと頬を染める。

ゆっくりと背中に腕を回し、照れているのか頬を染めたロナルドをそっと見上げた。


「貴方を心より愛しております、ロナルド様。誰よりも、いつまでも」


二人で同じ言葉を伝え合う気恥ずかしさにはにかみ合うと、レイラはそっと目を伏せた。ゆっくりと近付いてくるロナルドの顔。目を閉じたレイラの唇に、柔らかく温かい何かが触れた。


ダンスを誘うヴァイオリンの音は鳴りやまない。波と風の音が混ざり合う二人のためだけの曲は、暫くの間夜の船上で響き続けた。


これにて本編完結です。不定期更新にも関わらずお付き合いいただきありがとうございました。

もしかしたら番外編など投稿するかもしれませんので、その時はお付き合いください。

完結記念で評価ボタン押して貰えたら嬉しいです。

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